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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2020年8月

昨日は22時に寝た。ロ短調ミサをかけてみた。Kyrieの最初の方は覚えているが、その後はさっぱり覚えていない。どうやらすぐに眠れたようだ。最近では最短記録かもしれない。夜中もぐっすり眠れて5時くらいにいったん目が覚めた。そのまま寝てから今度は6時過ぎだったか7時前だったか、また目が覚めて、7時に目覚ましをセットしていたのだがもう起きるからと思って止めた。しかしまた寝てしまい、気がつくと8時だった。なぜ8時まで寝てしまうんだろう。7時台に起きたら何かいいことがあるというインセンティブでもあればいいのか。

昨日借りてきた「これからの「正義」の話をしよう」を昨日の夜から読んでいるが、めっちゃおもしろい。最近のコロナ禍で特に殺伐としたカオスな時代で、「正義」とはなんだろうなあ、と読んでて思う。歴史上の人たちはいろんなことを言っている。いろんな主義主張が出てきてなにが絶対的に正しいなんてない。私は何を信じればいいのだろう。できるだけ自分の頭でものごとを考えたいと思っているのだが、ネット社会の情報の洪水の中、錯綜する色んな情報に振り回されている。いわゆる「自粛警察」の人たちは、何をもって自分の正義の根拠としているのだろうか。

第1章の「正しいことをする」で出てきたネタを1つ。リーマンショックが起こって金融機関が危なくなったが、大きな金融機関が潰れてしまうと市場経済がさらに混乱するので潰すわけにはいかない。政府が大量の税金を投じて救済したのだが、その後ある金融機関で役員が多額のボーナスを受け取っていることがわかって、国民の批判を浴びた、という事例が紹介されていた。ちょっとそこの一部を引用する。

ボーナス論議が最も盛り上がっていた頃、グラスリーはアイオワ州のあるラジオのインタビューで、何よりイライラするのは経営者たちが失敗の責任を取らないことだと語った。「彼らが日本の経営者のようにアメリカ国民の前に姿を見せ、深く頭を下げて『申し訳ありませんでした』と謝り、それから二つのことの一つ ── つまり辞職か自殺をすれば、少しは気が収まる」のだそうだ。

日本の経営者が頭を下げてアメリカでは下げないのはまあわかるが、自殺をすると思われてるのか?え?そこまでやらないでしょう。切腹のイメージ?外国人が書いた日本人のイメージは、ときどき自虐的民族の我々の目にはおもしろおかしく映るが、ちょっとシャレにならないこともある。

リバタリアニズム(自由至上主義)の章に書いてあった、ALSの患者の自殺を幇助して有罪になった医師の話はタイムリーだった。他にも読んでるといろんな考え方、いろんな事例が出てきてとてもおもしろい。この本ほしくなったな。とは言え、買っても何度も読み返すだろうか。買ったら読まないような気がする。

今日はメンタルクリニックへの通院日なので、15時20分に家を出ててくてくと歩いていった。いつもはバスで行くのだが、作業所を休みにしているのでできるだけ歩かねばならない。作業所に行くときは往復で50分は歩いている。休んでいるからといってのんびりするのではなく、できるだけ外を歩いて体のリズムを整えるとともに、暑さに体を慣らさないといけない。

30分歩いて病院に着いたら3人待ち。それから15分くらい待って診察。この2週間も体調がいまいちで勝手に6連休とかあったこと、梅雨が明けて元気になりそうなこと、睡眠が改善傾向にあること、これから2週間作業所を休むことになったこと、利用している福祉施設のプログラム再開のこと、横浜市の一次試験に合格したことなど、今日は長めにあれこれ話した。終わって出てきたら、なんと待合室が超密状態。数えたら11人もいる。なんで?と思ったが、ああそうだ来週はこの病院の夏休みだからかと思い当たる。もう少し病院に着くのが遅かったらかなり待ったかもな。やばいところだった。

薬局で薬をもらってからルーティーンのカレー屋へ。今日は今週のおすすめメニューが売り切れていたから定番のスタミナカレー(肉増し)。おすすめメニューはチーズカツカレーだったから別にいいや。私はチーズは好きだが、肉とかと絡ませるのはいまいち好きでない。チーズインハンバーグも頼まない。

スタミナカレー生肉多め

最近は何でもチーズに絡めるのかな。25年くらい前に合唱団仲間の家でチーズフォンデュをやったことがあるが、なんだこりゃ?と思った記憶がある。世の中ではこれがおっされ~なのか。自分にはわからなんなあと思いながら人参や芋をチーズにつけて食ったのだった。

昨日は22時半に寝た。今度はベートーベンの交響曲第6番「田園」をかけて寝てみた。「田園」なら牧歌的で眠気を誘うかと思った。それが終わるとプレイリストでそのままロ短調ミサになるようにしていた。しかし、予想外の事態に。

広告が入る。

動画の最初に広告が入るのはいつものことなので、それが終わってから寝ているのだが、私が再生した「田園」の動画は楽章ごとにチャプターに分かれていた。チャプターというのは最近できた動画を分割するYouTubeの機能で、まあ要はCDのように全体をトラックに分けて任意のトラックから再生できるようにできるというもの。これは動画の説明のところにタイムスタンプとタイトルのリストを記述するとできるらしい。

チャプターリスト

こうすると、YouTubeの進行状況バーに縦線が現れて、そこでチャプターが区切られていることがわかる。説明のところのタイムスタンプを押すとそこから再生できるのだ。

チャプター区切り

そうするとどうなったかというと、楽章の間に広告が入ってしまった。せっかくいい感じでうとうとと聴いていたのに、第1楽章が終わったらいきなり広告が入って一気に興ざめ、というか目が覚めた。何回もそれを繰り返してアホらしいのでロ短調ミサにした。

しかし不思議なことに、つい最近まで聴いていたブランデンブルグ協奏曲6曲入りも、各曲がチャプターで区切られていたのだ。

チャプターリスト

しかしこちらは今まで何度も聴いていたのに途中で広告は入らなかった。

なぜだろう?

広告が入らないようにするには月額1,000円以上払ってプレミアム会員になればいいのだが、そこまでする気はない。広告が入らない動画を探そう。

ロ短調ミサに変えてもなかなか眠れず60分のタイマーが切れてしまった。しかたがないのでもう60分おかわりして寝た。そのうち眠れた。朝は7時の目覚ましで目が覚めた。誰だよ日曜日なのに目覚ましをかけたやつは(俺だよ)と思いながら止めてまた寝た。昨日起きたのが8時だったので、休みの日でも7時台に起きないといかんな、と思ったのだが、結局今日も8時に起きた。

お昼ごはんを食べたあと、妻がブックオフに行くというのでついて行った。今日は体調が大丈夫そうなので、少しくらいは外に出ないといかん。まだ真っ昼間で暑いがなんとかなりそうだったので、のんびり30分くらい歩いてブックオフへ。帽子をかぶってマスクをして、これでサングラスでもかけたら立派な不審人物だ。

暑くなったから、この前買った気化熱で冷やすという冷感マスクを試してみた。冷たいと言えば冷たいが、ひんやりというほどでもなく少し生ぬるい。しかし普通のマスクをつけるよりかは冷たい気はする。少し息は苦しい。それなりに効果はあるかと思ったが、逆にこれは危ないのではないかと思った。ひんやり感があるからと言って体内に熱がこもるのを防ぐわけではない。暑くなったら今度は熱中症を避けるために、周りに人がいない場所などではマスクを外しましょう、と言われている。私も言われなくても暑苦しいのでいわゆるアゴマスクにしていて、人が来たらさっとマスクを上げている。しかしなまじっかひんやりしていると、マスクを外すのを忘れて、その結果熱中症になってしまうリスクがあるのではないだろうか。

などと考えているうちにブックオフに着き、妻は本やらCDやら売って、私はその辺にある本をぱらぱらと手に取って見てみた。「これからの「正義」の話をしよう」という本が積んであって、これは確かちょっと前に流行った本だっけな、と思って少し立ち読みしてみた。おもしろそうだったが、私は今はよっぽどのことがない限り本は買わない。図書館で借りれるものは借りて読むことにしている。以前は多い時は月20冊くらい読んでいたが、最近はとんとご無沙汰だ。これから2週間休むので、久しぶりに本くらい読めるだろうと思って、その足で図書館に借りに行くことにした。

10分くらい歩いてちょっと離れたバスの停留所まで行き、バスに乗って図書館へ。ついでに他の本もぶらぶら見て回った。図書館は久しぶりである。日曜日だし、梅雨が明けて暑くなったし、図書館はまあまあ人がいた。暑くなったし、というのは真夏には涼を求めて図書館に来る人が増えるからである。日曜日にしてはすいている方ではあるが、コロナの影響でもっとすいているかと思った。

これからの「正義」の話をしよう

マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう<いまを生き延びるための哲学>」

「ハーバード大学史上空前の履修者数を記録し続ける、超人気講義「Justice(正義)」をもとにした全米ベストセラー、待望の邦訳」と書いてある。なんとなく最近コロナの影響で世の中が殺伐としており、いろんな人がいろんなことを言っていて何が正しいのかさっぱりわからないカオスな状態が続いていて、そういう今だからこそこういう本はおもしろいんじゃないだろうかと思った。どちらかと言うと「正義の話」というより「生き延びるための」というフレーズに惹かれた。哲学の本は久しぶりかもしれない。と言うかほとんど読んだことないかも。10章まであって一つずつが短いから飽きずに読めそう。

人魚の眠る家

東野圭吾「人魚の眠る家」

適当にぶらぶらしていたら、まだ読んでない東野圭吾の本があったから借りてきた。2週間で2冊くらいは読めるだろう。帰ってきてから妻に聞いて知ったが、篠原涼子主演で映画化されたらしい。

帰りも暑い中歩いて帰ってきた。久しぶりに大きな公園を通りかかったが、さすがに暑かったからか人はまばら。

公園

公園

あまりに暑かったから、帰りにローソンに吸い寄せられた。ドリンク類やアイスを見たが、コンビニで買うと高くつく。まいばすけっとだと100円以下で帰るものが140円とかするのでまあいいや、と思って帰ろうとしたが、「アイスダブルエスプレッソラテ」の文字を見て、買ってしまった。1杯で200円もするのに。前はTwitterのリツイートキャンペーンで当たったからただで飲んだのだが、おいしかったのでリピートしてしまった。ああ相手の思うつぼ。

アイスダブルエスプレッソラテ

これからも無理のない範囲でちゃんとお外に出よう。

YouTubeでいろいろ聴いているせいか、いろいろおすすめの動画のお知らせがメールで来る。昨日の夜、神奈川フィルによるジョン・ケージの「4分33秒」のオーケストラバージョンが流れてきたので見てみた。動画を見ているとシュールだ。指揮者が一応ちょっとだけ手をふる。奏者はじっとしているが、ときどき譜面をめくる。なんだこりゃ。あ、第3楽章まであるのね。笑いをこらえているようにも見える。オケだけでなくピアノもオルガンもあって、こりゃ大編成だ。ピアノには譜めくりまでいる。

一応解説しておこう。ジョン・ケージの「4分33秒」とは、4分33秒の間全くの無音という前衛的な曲である。ピアノ版やらオケ版やら、いろんなバージョンにアレンジされているが、基本的に同じようなものである。改めてWikipediaで調べたら「無音を体験しようとして入った場所でなお音を聴いたことに云々」とか書いてある。「「無」を聴くより、演奏会場内外のさまざまな雑音、鳥の声、木々の揺れる音、会場のざわめきなどを聴くものとされている。」とも書いてあり、これは学生時代に聞いたことがある。しかしまあ、前衛芸術はよくわからん。一応貼っておく。

昨日は22時半に寝た。バッハのロ短調ミサを昨日の続きから再生。「ドミヌスデウスサバオット」辺りから。しかし昨日はなかなか眠れない。このままタイマーの60分が切れてしまうのではないだろうか、のどが渇いたからいったん起きて何か飲んでこようか、いやしかし何か食べてしまいそうだからやめよう、そんなことを考えていたらいつの間にか眠れた。Benedictusまでは覚えているがAgnus Deiを聴いた記憶はない。ロ短調ミサは長いので、どれくらいで眠れたのかはよくわからん。朝は8時起床。7時台には起きないといかんな。

二次面接でどういうことを聞かれそうか考えていて、自分の頭を整理しようとしている。基本的には聞かれたことに対しては、自分の軸がしっかりしていれば、自分の経験や考えに基づいてその場で頭をフル回転させて答えればいいと思っている。しかし、その「軸」というのを改めて見直して自分の中で一貫性を保ちたい。

まずは自分がどういう経験をしてきたか、どういう考えを持っているかを整理することにした。そのために、テキストエディタに「今までやってきたこと」「これからやりたいこと」「自分の得意なこと、仕事をしてきてこれはうまくいったということ」「自分の苦手なこと、これは苦労した、うまくいかなかったということ」などの項目を作り、思いつくままにブレストのように大きなことから小さなことまで書き出す。「今までやってきたこと」は、最初の会社やその後の会社で働いていたときのことだけでなく、個人事業を立ち上げようとしたときのこと、今の作業所で働いていて感じていること、そして「仕事をしていなかった時期に自己研鑽のためにやってきたこと」も含まれる。この作業は本当は紙に書いたほうがよいと昔読んだ本には書かれていたが、まあいいや。

ここで重大なミスに気がついた。履歴書に抜けがある。履歴書では私が最後に仕事をしたのは平成24年3月(2012年)が最後になっている。8年も前である。しかし、実際には2014年に3ヶ月間「自営」というのがある。上に書いた「個人事業」である。ウェブサイト制作の仕事を個人事業主としてやろうとしたのだが、思った以上に苦戦した上に体調を崩して3ヶ月でダウンし、入院してから廃業した。これは完璧に忘れていた。そして去年の4月から現在の作業所に通所していることも書いていない。これは、就労継続支援B型事業所への通所は就労ではなく、あくまでも就労訓練のための福祉施設の利用という位置づけなので、あえて書かなかったのだが、書いたほうがよかったのだろうか。お金をもらって働いてるんだから、書くべきだったな。これらは重要な情報だし、重要な軸である。これらがないと、たとえば志望動機を説明するのに、「体調が不安定で仕事をできない期間が長かった」から始まって「次のステップにチャレンジ」までの話がつながらない。今に至るまでの間の情報が不足して一貫性に欠ける、というか飛躍してしまう。面接の場で補足説明するしかないな。個人事業に関しては結局失敗に終わったが、ひとりで仕事をしようとチャレンジしたという経験があることはアピールしておかなくては。

タイトルの「人生は微分と積分」は最近知り合いがFacebookに書いてあった言葉で、ちょっと気に入った。人生は常にその瞬間は微分である。何らかの傾きを持って進んでいる。上向きかもしれないし、まっすぐかもしれないし、下向きかもしれない。いったんマイナスになった自分の微分係数は、今はプラスである。自分が今までやってきたこと全てを積み上げてみる。それはすなわち人生の積分に他ならない。自分が積み上げてきたものを振り返ってみる。無駄なものなんて一つもない、と思いたい。

お昼ごはんは昨日買った一風堂とんこつまぜそば。うまかった。200円以上のカップ麺はふつう買わないが、外に食べに行ったりコンビニ弁当を買うことを考えたら安い。たまにはいいか。

一風堂とんこつませそば

おやつに今川焼き。間食はやめることにしたはずだが、明日からにしよう。ここしばらく夜中に食べることを我慢しているおかげか、体重は若干減った。

今川焼き

そう言えばこの前作業所でメンバーが「オストアンデルの大判焼きが食いたいな」と言った。大判焼きという言い方は久しぶりに聞いた。大阪では回転焼きと呼んでいたが、大判焼きでも通じた。こっちでは今川焼きと言うが、大判焼きも通じるのか。オストアンデルというのは中の具材が15種類くらいある大判焼きのお店らしい。どこ?と聞いたら横浜でもここからちょっと遠いお店らしく行けそうにない。何語?オランダ語かなにか?と思ったら日本語のようだ。

昼過ぎまで上の自分の棚卸し作業とかアンケートをやっていたが、ちょっと疲れを感じたので横になった。妻には「すごく疲れた顔をしてるよ」と言われた。いかんな、疲れをちゃんと自覚できてないと茨の道である。梅雨が明けた途端に暑くなったし、体調管理に気をつけないと。とりあえず毎日お買い物または散歩に行って体を動かすこと、暑さに体を慣らすことにした。一番暑い時間帯は避けて午前中か夕方に。でも今日は疲れが溜まっていたからやめておいた。無理を感じたら思いとどまるのも一つの勇気であろう。タダノサボリであることは秘密である。

夕方、改めて郵便で合格通知が来た。

合格通知

二次選考の案内も同封されていた。8月22日か23日の予定だったが、22日になった。う~この真夏にスーツを着てネクタイを締めて、おまけにマスクまでして行くというのは拷問だ。タクシーを呼んで行こうか真剣に悩む。横浜市のHPで他の募集を見ていたら「温度調節ができる服装でお越しください」と書いているのを見たから、もしそういう案内があったらクールビズくらいで許してもらえるかもと甘いことを考えていたが、そんなこと書いてなかった。まあ仕方がない。ジャケットは手にかけて、ネクタイはトイレで締めるか。みんな同じことを考えていそうだ。

それはそうと、面接はひとり何分くらいなんだろう。一次選考の合格者は全部で55人。面接の日程は2日。市の職員が1日7時間フルで面接したとして、2日間で55人だとひとり15分。実際にはそんなにぎちぎちなスケジュールではないとすると、1人10分くらいだろうか。ちょっと短くない?という感じだ。履歴書に書き忘れたことなどを補足してたらあっという間に時間なくなりそう。面接って最後に受けたのはもう遥か昔だと思うが、どれくらいの長さだっけ?

ということを夕方友達とLINEで話していたら、グループ面接か部屋を分けて複数人で同時進行じゃない?と言われた。人事部としては、相手は障害者だし配慮してほしいこととかも聞くだろうから、その分の時間も必要だし、かと言ってそういうプライベートなことを他の志望者に聞かせるわけはないから、おそらく複数の面接官が同時進行でやるのだろう。10分では向こうが聞きたいこともこちらが話したいことも入り切らない。