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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2020年9月21日

昨日は22時に寝た。新しくダウンロードしたロシアのValaamという地方(島)の聖歌を聴きながら寝た。YouTubeにまるごとアップされている動画の音声をダウンロードするのに四苦八苦していたが、ソフトを入れなくても動画変換サイトでできるので最近ダウンロードしまくっている。そしてタイムテーブルが載っている場合は音楽編集ソフトで分割してIDタグの曲名を設定すればCDと同じものができあがる。便利だ。そうやって昨日ダウンロードしたアルバムを聴いていた。低音がずんずんと響いて気持ちいい。しばらく聴いていたが、何分くらいだったろう。わりとすぐに寝つけたような気がする。朝は7時に目覚ましで起きたが、もうちょっと、と思ってまた寝たら7時40分。

今日は10時から某福祉施設のプログラム。行ってみると参加者は4人。メンバーは顔なじみのベテランばかり。まずはいつもやっているチェックイン。今日呼ばれたい名前とともに、ちょっとしたお題について話す。今日のお題は「最近決断したこと」ということだった。私は「これはあまり広めてもらいたくない話なのですが」と前置きした上で(「この場の話はこの場限りで」というルールがあるので大丈夫なはずだが)、公務員試験に合格したことを話し、来年までの体調の調整のために作業所の勤務時間を漸増させ、それ以外の時間を漸減させていくつもりなので、リカバリー系のプログラムも10月で参加を終わりにすることにした、という話をした。みんな「おめでとう」と言ってくれたが複雑な気分。ここでの仲間と離れるのは寂しいのが本音。3月ぎりぎりまで出てもいいのだが、それでは訓練にはならない。

そして本題に。今日のテーマはキーコンセプトの1つ、「個人の責任(主体性)」ということだった。いろいろ話が出たが、どうも自分が話した内容というのがちょっとピントが外れていたような気がする。「自分の責任でないものまで引き受けてしまって負担が増えてしまっている。どこまでが自分の責任かちゃんと見極めて、ここから先はノーと言えるようにしないと潰れてしまう」みたいなことを話したが、これはどちらかというとセルフアドボカシーの話だった。

もともとの英語は「Personal Responsibility」となっているので、それを直訳して「個人の責任」となっているのだが、どうも日本語では「責任」という言葉が強すぎて、それに引っ張られてしまっているような気がする。それであえて5つのキーコンセプトのうち、これだけに「主体性」というサブの言葉が付け加えられているのだと思う。要は「自分の行動、選択には自分で責任をもつ」ということで、私が話したような内容もWRAP全体では必要な考え方ではあるが、終わってから、もうちょっと手前の話をするべきだったか、と思った。

終わってから「おなかがすくだろうから、いつもの中華料理屋に行こう」と思っていたのだが、いざお店の前に行ってもおなかがすいてなかったので帰ってきた。無駄なお金を使うことはない。

帰ってきたら、最近はまっている作業に。またYouTubeでロシアの教会音楽のベスト集みたいな動画を見つけて、それの音声だけをダウンロードし、それを聴きながら曲と曲の切れ目を探していき、音声編集ソフトで分割して分かる範囲で曲名や演奏者を調べてタグ付けし、iTunesに取り込んで聴いていた。なかなかご機嫌である。CDを買わなくてもすむ。全部の曲名が書かれていたらいいのに、一部しか書かれていないので曲名が「Track05」とかになってしまうが、まあこういうアルバムで曲名なんて見ないからいいや。

妻がちょっと離れたところのホームセンターにバスで行きたいと言うのでついて行きたかったのだが、疲れを感じていたので自重しておいた。今日の疲れを明日に残さないこと。ちょっと疲れを感じているので要注意だ。

そういうわけで、今日ものんびり「東大王」の去年の分の録画を見ていた。一部のコーナーはあまりおもしろくないので飛ばして見るようにしたらペースが上がった。好きなところだけ見ればいい。東大生を含めた解答者よりも先に答えがわかったら気持ちいい。

光ちゃん

やっぱり光ちゃんがかわいい。今何年生だっけ?いずれ卒業しちゃうんだよなあ。