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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:カウンセリング

いかん、睡眠障害はひどくなっていっている。いつもどおり21時に寝て、最初に目が覚めたのが23時。いつもは0時くらいなのに、2時間しかあの量の眠剤がもたないのか。追加眠剤をもらって飲む。そして次に目が覚めたのが1時。また2時間しか寝ていない。今度はもう一度寝ようとするが、数十分おきに目が覚めて、3時過ぎにホールへ出てきて一服。追加眠剤は3時までと決まっている。2回目をもらいそこねた。タバコを一本吸ったら病室に戻り、どうせ眠れないだろうからと音楽をかけて横になる。そしたらけっこう眠れて、4時半に目が覚めた。そこでもう一度ホールに出てきてこれを書いている。

朝食のメニューはご飯に味噌汁、そして納豆と牛乳。他の人にはさらに副菜がついてるが、私はダイエットメニューなのでこれでおわり。納豆をご飯にかけて食べ、味噌汁を飲んで牛乳を飲む。朝は毎日味噌汁と牛乳が出るのだが、この取り合わせもなんだかな〜という感じである。

朝食後は日課となりつつある散歩。猫と遊んでオカリナを吹く。警戒心の強い猫が多いが、えさをやって手なづけている人もいる。私もえさを買ってきてあげてみようかな。ちゃんと去勢手術をした猫もいて、病院内の野良猫というより、みんなで飼っている、という感じだ。

8時40分ころからストレッチを開始し、作業棟に行く準備をする。9時になったので作業棟に行ったら、鍵がかかっていて入れない。中から作業療法士が出てきて「早い、9時半から」と言われた。いつも9時過ぎには開いていて、エアロバイクも勝手に使っていいようになっているのに。午前中は作業療法とデイケアのダブルヘッダーなので、早く始めたかったのだがしかたがない。「10分前には開けますから」作業療法士のその言葉を聞いてから、作業棟の裏手へまわり、これを書きながら時間をつぶすことにする。ちょうどベンチがあって灰皿もある。しばらく一服してゆっくりしよう。

作業棟が開いたのでいつもの通り体力テストから始める。やはり「6段階中の4。優れている」と出た。確かに持久力という面ではあまり衰えてないようだ。その後もいつもの通り30分の一般トレーニング。やるたびに消費カロリーがあがっていく。今日も最高値が出た。体力も少しずつあがっていっているようだが、私の今の目標は体力をあげることでなくてやせることなのだ。体脂肪を減らすのだ。それは目に見えた数値でなかなか出てこない。

エアロバイクを漕いだ後は体育館へ行ってデイケアに合流。なかなか忙しい。今日は前半が卓球とバドミントン、後半がバレーボールだった。私は元卓球部なのだが、他にも卓球経験者がいて、久々にレベルの高い卓球ができた。

昼食後、13時前までは横になって音楽を聴き、体と神経を休める。その後デイケアに出る。デイケアは今日はしばらくは団欒タイムが続いた後、ミーティング。今後の予定である海水浴やキャンプのこと、それから先日のバレーボール大会の打ち上げのことなどを話し合った。

デイケアの後はカウンセリング。最初に自分がハイテンション気味らしいことを話す。そして、自分が最近思っている、「あれだけ長い間調子が悪かったのに、入院したら1週間で調子がよくなったのはなぜだろう。自宅と病院で何が違うのだろうか。違うところはいっぱいあるが、どの違いが自分の調子を左右する要因となっているのだろうか。その要因を特定して、退院してからまたぶり返さないために、自宅に戻ってから入院時と同じような環境を作れないだろうか。要するにその要因を自分の住環境の中に盛り込めないだろうか」そういうことを話した。

カウンセラーの意見は「病院はあくまで病院で、それを自宅で再現するというのは少し違うんではないですか」ということだった。そういえば一番最初に言われたことでもあるが、「自分以外のものを変えようとしてもだめ。変わるのはあくまでも自分」ということを思い出した。それでは入院しているときの自分はどういう心の動きをしているのか。そこを見出していくことが必要だろう。

5日間便秘が続いていたので病棟に戻ったら看護婦に浣腸された。すると血便が出た。看護婦さんにお尻の穴をまじまじと見られて「痔ではないわね」と言われた。とりあえず様子見ということで、また血便が出たら検査するそうだ。やだなあ。そういやドラッグストアでバイトしている彼女から聞いた話だが、痔の薬を買っていくのはおばさんと、そして若いきれいな女性が多いという。

昨日は1時間ちょいで眠れただろうか。22時をまわっても眠れなかったのは覚えているが、22時半まで眠れなければ追加眠剤をもらいにいくことにしているのに行かなかったので、そのまま眠れたようだ。朝は3時にいったん目が覚め、もう一度寝るが4時にまた覚める。そのあとはずっと起きている。眠りは浅いようだが寝つきはよくなってきたのでいい傾向だ。昨日の疲れも感じない。

朝食後、散歩。雨が降っているので渡り廊下を行って帰ってくるだけ。雨から避難してきた猫とたわむれる。

今日から作業療法を開始。前回の入院と同じくエアロバイクをこぐ。この入院期間中に少しでもダイエットできればいいなあ。前回は7ヶ月で7キロ落ちた。しかし半年で20キロ以上太ってしまい、前よりも醜い体型になってしまっている。今回も体を絞るのだ。最初に「体力テスト」というモードで10分間こいだら「6段階中の4。優れてる」と出てちょいとびっくり。すっかり体力は落ちているものと思っていたのに。しかしその後30分の標準コースをやると、前とはやはりぜんぜん違う。耳につけたセンサーで心拍数を計りながら自動的に負荷を調整してくれるのだが、ぜんぜん負荷があがらず、消費カロリーも少ない。やはり以前と同じというわけにはいかない。まあ、徐々に徐々に。

昼食の後、散歩しようとしたらまたぽつぽつ雨が降っている。さっきはやんでいたのに。しかたがないので売店まで行って戻ってくる。その後、新患恒例の院長回診。と言ってもなんてことはない、ただの挨拶だ。その後風呂に入ってカウンセリング。

カウンセリングでは何を話すか特に決めてなかったが、先週からの状況なんかを話しているうちに話がどんどん深くなっていき、自分の中でぼんやりと感じていた2つのことが言語化され1つにまとまった。これがカウンセリングの不思議なところである。

とりあえず今の自分のテーマは「内因性と心因性」。先週の水曜に調子が悪かったのは、心理的に何か原因となるものがあって、とかいうものではなく、純粋にうつ病としての症状、つまり内因性であり、そんなときは寝てるしかない。そう割り切るしかない。

しかし、実はそうでないときもある。心因的なもので「本当は行きたくないんだけど」というのが勝ってしまっている状態。本当は仕事なんかしないで遊んで暮らしたい、そう思っている人はたくさんいるだろうが、まあそうは言ってもそんなわけにはいかないから毎日せっせと会社に行く。

そのあたりまえのことが「自分は鬱状態だから無理」と思い込んで勝手に動けなくなっている。それは実は「気合」でなんとかなる世界のものであり、精神論でかたがつく。精神病を精神論で語るのはナンセンスだと思っていたが、実はそうでもない。問題は、調子が悪いとき、それが内因性のものか心因性のものか、自分で判断し、それに応じた適切な行動を取れるかどうか。これからの課題だ。

そして、退院してからそれはいっそう意味が重くなる。入院という保護された環境にいる世界から脱し、毎日自分で起きて自分でデイケアに通えるかどうか、調子が悪いときに悪循環にはまらないか。勝負はまだまだこれからだ。

朝に主治医との面接希望を看護師に伝えておいたのに、夜になっても主治医は来なかった。私がカウンセリングに行っている間に病棟に来たのだろうか。まあいいや、また明日にしよう。

昨日も少し寝つくのに時間がかかったような気がするが、以前ほどではない。朝は6時くらいにすっきり目が覚めた。すっきりと朝食を食べ、すっきりとゴミを出し、ついでに溜まっていた雑誌類なども一気に処分し、なぜかすっきりと朝っぱらから掃除機をかけたり雑巾がけをしたりしていた。うん、今朝はすっきりだ。いつもの頭の重い感覚がない。こんな感覚は久しぶりだ。いつもなら二度寝してしまうようなところが、今日はすっきりと家を出てデイケアに行った。

デイケアに朝から参加するのはいつ以来だろう。もうかなり来ていなかった。3ヶ月ぶりくらいだろうか。前に参加したときに、バレーボールで左手小指の靭帯を損傷した。それ以来だ。今日も午前中はまたバレーボール。6月の神奈川県精神科デイケア対抗バレー大会に向けてみんなはりきっている。私は、というと久しぶりだし体力も落ちている、ということもあって動きが鈍い。3試合をこなしてくたびれてしまった。ふぅ。

そのおかげですっかり疲れてしまい、昼食を食べた後、デイケアルームの和室の隅っこで眠ってしまった。気がつくと13時半を過ぎている。寝たいときに寝れるスペースがあるのがいい。普通に外出しているとそうはいかない。和室ではいつも午後からゲームをするのだが、みんな和室に集まってはいるのに何もする気配がない。どうやら今日の午後は特に何をするというわけでもなく、雑談をして終わりらしい。それから月曜日の定例であるミーティングをして掃除をして、「今日の一言」というのをやっておしまい。久しぶりにデイケアにフルで参加したぞい。

そしてこっちも久しぶりだが、カウンセリング。夜に眠れなくなって昼夜逆転に近い状態がかなり続き、2回連続で診察にも行けなくて自分では「入院寸前かも」と覚悟したことなどを話す。

カウンセラー曰く、「要は体の調子が悪かったってことでしょ」そうなのだ。どうも自分は「うつ状態で動けない」「疲れ果てて動けない」という、「動けない」という状態になったときに「心理的に何かある。自分の行動を妨害する何かが自分の心の奥底に眠っている」と考えがちであった。いや、それは正しいときもある。カウンセリングを通じてそれがわかってきたのだから。

かと言って、何もかもそれが当てはまるとは限らない。昨日か一昨日か、「鬱を語るのに心理的アプローチだけでは不十分なのか」とか書いたが、そんなもの当たり前なのである。もともとうつ病とは脳の病気なのである。脳内の神経伝達物質であるセロトニンやらノルアドレナリンの分泌が異常をきたして起こる、「心の病気に見えるけど実は体の病気」という感じのものなのだ。そんなこと、腐るほど本を読んできた自分は当然知っていたのだ。知っていたのだが、カウンセリングで「心理的な問題点」を指摘されたら、視点がそこばかりに行ってしまっていたのだ。完全に視野狭窄に陥っていた。

そもそも眠剤が効かなくなってきて夜眠れなくなってきた時点で脳が正常な働きをしていないのだ。その時点で身体的症状が出てるのだ。今思えば、それは心理的にどうのこうのいう問題ではなかったので、実はさっさと入院していればもっと早く対処できたかもしれないのだ。まあ、これは結果論だが、「再入院はごめんだ」という一心で何とか自力で克服しなきゃ、と思っていた自分を反省。今後、また調子を崩して診察さえ自分で行けなくなるような状態に陥れば、とっとと入院することにしよう。こうやって試行錯誤していきながら、自分の状態に応じて臨機応変に対応していけるようになれば幸いかな。

とにもかくにも、夜は眠れるようになったし今日はすっきりデイケアに行けた。とりあえず好調が維持できることを願うばかりである。

今日も一日寝ていたような気がする。昼頃起きて、「は〜またか〜」と思ってまた寝てしまった。一進一退ならまだいいものの、どんどん退歩しているようだ。最近は土日はでかけられることが増えたのだが、その分、平日の活動率が落ちているようだ。もっとも、カウンセリングでは「本当に自分がしたいこと、したくないことがわからなくなっている」という問題点を指摘されており、無理やり外出しても、それは決して調子がよい、というわけではないと言われている。「何もしないのは時間の無駄だし、とにかく何かしなきゃ」と思って動いているだけで、それを繰り返していては自分の心の風通しが悪いまま。心の中の葛藤は解消せず、やがて鬱という形で牙を向く。眠たければ寝ていればいい、それくらいの開き直りが必要だ。

先週のカウンセリングで「森田療法のように、何も考えずにとにかく体を動かすような方法はどうなんでしょうかね」と聞いてみたが「森田療法も最初の一週間は寝たきりで過ごし、そこで自分の内面と徹底的に向き合う」のだと言われた。方法論は違うものの、「本当の自分と向き合う」のが第1ステップにあたるのは同じようだ。とにかくその第1ステップをクリアしなければ話にならない。アルコール依存症の治療での最初のステップは、「否認の病気」ということを認識すること。鬱もまた同じかな。自分と向き合うためには、自分をいったん自分から離さなければならない。自分の力で何とかしようとするのは難しい。

いろんな本にいろんな方法論が出てくるが、その中で共通して出てくるのが「祈り」であり、そして何らかの形での「神」。これはアルコール依存症やアダルトチルドレンの回復プログラムでは「ハイヤーパワー」と表現され、悩み本のベストセラーであるデール・カーネギー著「道は開ける」では単に「神」として表現され、その他宗教系の本ではその信仰の対象である。なんでもいいのである。自分を捨て、自分をゆだねる何かが必要なのであろう。特定の宗教の神でなくていい。自分で定義した神がいれば。そういうことを入院中に他の患者からも聞いた。

私はこの「神」やら「ハイヤーパワー」なるもの、そして「祈り」ということについて、これは「プラシボ」と同じものに違いない、と感じている。「プラシボ」とは偽薬のことで、たとえばただの小麦粉を「風邪薬だよ」と言って飲ませると本当に治ってしまうとかいうことを「プラシボ効果」という。これはつまり、人間が持っている自然治癒能力というものは大きなもので、それはその力を意識しないことではじめて引き出される。自分で治そうと思うのではなく「この薬を飲めば治る」と薬の効果を全面的に信じきって、はじめてその効果は現れる。「こんな薬で治るのかいな」とか疑心暗鬼だったり「プラシボ効果で治るといいな」などとはじめから偽薬効果を期待しては効果は現れないだろう。

「神に祈る」というのも同じようなものではないのか。自分の能力だけで何とかしようとか、あるいは自分の潜在能力よ飛び出せ〜などと意識しては潜在能力は発露しない。自分を捨て、自分に謙虚になって「神様仏様なんとかしてください〜」と純粋に祈る、ということが、プラシボ効果と同じく人間の潜在能力を自分で意識している以上に引き出すことにつながるのではないか。

というのは私の勝手な仮説ではあるが、このカラクリが頭にある間は、第1ステップはクリアできないのでは、という自己矛盾に陥っている今日この頃である。いったいどうすればいいのやら。

昨日、「明日はやばいかもしれない」という予感を感じた、と書いた。そしてその予感と正面から向き合うことで乗り切れるかもしれない、そう書いた。

はたして、今日は朝起きてからすこぶる快調だった。昨日の予想は裏切られたのか?いや、そう単純な話ではない。自分でも驚きだが、向き合った結果は思った以上に良好だった、ということだろう。実際、昨夜この日記を書いた後、少し自分の中のもやもやが吐き出せてすっきりした気がした。そして、書く前に感じていた「悪い予感」が薄らいでいたのを感じていたのだ。その結果、今日は調子が好転したに違いない。これも一つのパターンとして、これからも同じような状態に陥ったときには試してみよう。

というわけで、久しぶりにデイケアのプログラムに朝から参加した。午前中はスポーツ。久しぶりにバレーボールと、それから卓球をやった。かなり体がなまっているのでけっこうきつかった。午後からは今週の金曜日に予定されている鎌倉散策のコースをみんなで話し合い、その後は週例のミーティング、掃除、そして15時からはカウンセリングと、月曜日のメニューをフルでこなした。

カウンセリングは2回さぼってしまったため、3週間ぶりだった。とは言えカウンセラーはデイケアの担当スタッフでもあるため、その間まったく会わなかったわけではなく、デイケアルームで話をしたりボーリングをやったりもしていた。まあ、そこでは世間話しかしないが。そうそう、英検クラブもこのカウンセラーが主宰している。

カウンセリングではこの3週間の状態を報告し、前に成功したパターンを試したが今度はうまくいかなかったことや、昨日の日記に書いた「予感」の話、調子が好転した話などをした。自分の予想を裏切って「予感」の話にはあまり突っ込んでこずに、先週の土曜日にヴォーカルアンサンブルの練習と山岳会の仲間の結婚式二次会に行けなかった話にかなり突っ込んできた。誰かに強制されたイベントではなく、あくまでも自分の趣味や友達づきあいのイベントで、当然自分としては「行きたい」と思っているし、行くも行かないも自分が自由に選択できるイベントなのに、なぜその日に調子を崩したのか。プレッシャーになっているとしたら、何がプレッシャーになっているのか。その辺を細かく突いてきた。

結局、自分の中に「自分の理想像」があり、それは以前と同じようにフルで活動できる自分であって、そのつもりで行動したり予定をたててしまうが、理想通りの振る舞いができないことに対するおそれが鬱を引き起こしているのではないだろうか。今日のカウンセリングではそういう話になった。

自分で入れた予定、自分で選択したつもりだが、その裏に「そういう場には参加して当然」と思い込んでいる自分があり、それらのイベントに「参加する」と表明した時点で「約束」が生じる。そう、土曜日の日記のタイトルに書いた「守れなかった約束」が。約束は契約であり、契約を交わした瞬間からそれを守る義務が発生する。その義務が自分を「ねばならない病」に追い込む。「行かねばならない」そう思った瞬間から自分にプレッシャーを与えている。結果、自分で作り出したプレッシャーに縛られて動けなくなるのだとカウンセラーは指摘する。

「義務」「責任」「約束」など、社会生活を営むにおいて、そういった外的制約から逃れられることはできない。そういうものと、これからどううまくつき合って行けばいいのだろうか。今後の自分の課題が見えてきた。