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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:カウンセリング

夜はけっこうよく眠れた。やはり疲れがたまっていたのか。朝方目は覚ましたが、また寝てしまい、6:00になってもまだ眠たくてなかなか起きれなかった。ラジオ体操もパスして、なんとか薬を飲んで着替えて朝食を食べた。コーヒーをいれて飲んだが、まだ頭がぼんやりしている。眠い。

作業棟に行って基礎データを計ったら、体脂肪率12.0%が出た。それはちょっと低すぎるのではないだろうか。筋肉がついた分、脂肪の率は相対的に下がったのか。体重は変わってないのだが。体力テストをやったら4だった。まあまあか。少し調子が出ないような気がする。一般トレーニングは13歳という設定でやった。心拍数150まで負荷が下がらない。よし、これからはこれで行こう。調子は悪いかと思ったが、220kcalを超えたのでまあいいだろう。腹筋をして腕立て伏せをした後、無理をせずに1セットでやめておいて病棟に戻った。

カウンセリング。何かをやっているときに途中で休みを入れる必要性に気がつかずに、あとから疲れが出てくる。途中で休みを入れないといけないこと、それに自分が気がついてない、ということに最近気がついたことを話す。自分の状態が観察できてない。自覚できてない。Kさんが退院した次の日に午前中抑鬱状態だったことも話す。これまた自分がKさんに依存している状態に気がついてない。

ロールシャッハの結果はやはりカウンセラーは見ていないそうだ。主治医が「カウンセラーのところにも結果が行っているはず」と言ったと言うと、じゃあ私も見ますよ、と言った。主治医が教えてくれた、結果の一部を話すと、今までのカウンセリングで十分わかってるようなことだと言う。それは自分にとってもそうだ。直接教えてもらわなかった結果については、自分で気づいていくものなんですよね、そう話すと「今いいこと言いましたね」そう言われた。

自分で気づかないといけない、と一番最初のカウンセリングでカウンセラーが言ってくれたのだが。自分で気づいて身をもって実感しないと自分のものにならない、自分は変わらない。身をもって「気づき」を体験し、変わりたい。早く。あせっちゃだめだが、入院生活ももうすぐ半年になる。早く出たい。戻りたい。変わらなきゃ。その思いがあせりにつながる。あせっちゃだめなんだが。

夕食後、準夜勤のH看護婦がまわってきた。「お変わりありませんか」と尋ねるH看護婦に「変わらないんですよ」と話す。早くここを出たい、そのためには変わらなきゃ、でもまだだ、あせっちゃいけない。そういう話をする。音楽を聴き、メールの返事を書いた。気分は少し憂鬱だ。

ユーミンのCDを聴き、「FBI心理分析官2」を読み進める。20:00になったので着替えて吸入して歯を磨いた。歯を磨き終えた後、鏡でまじまじと自分の顔を見てみた。みんなが言うように確かにやせたようだ。斜めの角度から見ると頬がこけて見える。ちょっと脂肪を削りすぎだろうか。体力トレーニングも、VAAMを飲んで体脂肪を燃やすより、飴でもなめてカロリーを外から補給した方がいいかもしれない。ものには限度ってものがある。

昨日は尾崎豊のCDをかけながら寝たが、多分寝付きはよかったと思う。夜中目が覚めると3:00だった。その次は4:30くらいだったか。HNさんの寝言がすごかった。その後は割と眠りが浅かったが、起床のアナウンスまでうつらうつら寝ていた。久々に「目覚めのヨーガ」を軽くやって起きた。

今日はなんかだるいので作業療法はパスしようと思って寝ていた。が、Mちゃんが病棟に来ているよ、とS君に言われ、ホールに出ていった。Mちゃんには年賀メールが来ていたので、返事で出しておいた。「作業棟で陶芸やってるから」と言って彼女は行ってしまったので、自分もチャリ漕ぎはパスして適当に何かしていようと思い、オカリナを持って作業棟へ行った。

その後はピアノを弾いたり外でオカリナを吹いたり、中でギターを久しぶりに弾いたりして、10:30頃病棟に戻ってきた。

3週間ぶりのカウンセリングでは、新年会で躁状態から鬱状態に陥ったことを話した。N氏から「CD止めていい?ちょっといらいらしてきた」と言われて、自分では我に返ったと思っていたが、そうではなくて、「周りが見えてない」状態は変わらず、逆転しただということを指摘された。つまり、はしゃぎまわっていたのに、いきなり静かになって固まってしまって、逆にその場の雰囲気が気まずくならないか、言った本人も「言い過ぎたかな」と思ったりしないか、そういう風に「周りに気をつかう」ことができていなかった、ということだ。その問題について徹底的に話した。

結局自分のパターンの一つなんだろうが、そこで周りが見えなくなる、後から話をしているときには頭でわかっていても、その時に思考が停止するのは、強い感情によって思考が遮られているからだろうということだ。その感情とは何だろうか。私にとっては、それによって失うものがよっぽど大きいのだろうとカウンセラーは言っていた。それは自分の完璧主義とつながる。一つの欠点でも指摘されると、全否定された気分になり、自分にとってマイナスの感情が自分を支配し、自己嫌悪に陥り、鬱になる。そこでその感情を流すことが今はできていない。これからの課題の一つだな。

最近にしては割とよく眠れた方か。寝付きもよかったし、夜中目が覚めたら2:30。それまではぐっすり眠っていた。その次は4:00。その後、4:30にもう一度目が覚めた後は、5:00過ぎからうつらうつらの状態になり、5:40頃起きてホールに出てきた。相変わらずOさんは夜中に電気を何度もつけては何かやっている。それで目が覚めたのか、目が覚めたときにたまたま電気をつけたのかはよく覚えてない。

作業棟へ行ってエアロバイクを漕ぐ。今日はなんと体脂肪14.6%という数字が出た。どこまで下がるのか。体重は変わってない。体力テストの結果はまあまあだった。一般トレーニングは今回はインチキなしで、16歳という設定のまま負荷は自分でいじらずにやったら、2回とも210kcal台だった。なぜか2回目の方が消費カロリーが若干高かった。

昼食後、外来会計へ行って入院費を払う。その後山へ行ってデジカメで写真を撮りまくる。山から降りてきて、広場を通り、アルコール病棟の丘の方へ。かなりの数の写真を撮った。デジカメだといらないやつは後で消せるので、とりあえずばんばん撮れるので気楽でいいや。

カウンセリングは年末に実家へ帰ろうかどうか、という話から始まって父親の話になった。なかなか自分の中で感じているもやもやを言葉で表現できない。でも、そのもやもやは少しは出せたかもしれない。父親に対して「自分の責任を自覚してほしい。非を認めてほしい」そういう思いがあるのだが、それに対してカウンセラーは「で、お父さんが非を認めたら自分はどうするんですか?それで終わりなんですか?」そう言う。そう言われると、自分でもわからない。いまさら親にどうこうしてもらいたい、というわけではないが、とにかく自覚してほしい。そこから先はなかなか出てこなかった。

病棟に戻ってメールチェックすると、私が出るコンサートの主催者からメールが来ていて、正式なグループ名と演奏する曲目を時間も添えてMLに流してください、と言う。時間は前に計ったが、テンポが少し変わってしまったか。ちょうどまだ時間があるので広場へ行って一通り流して一曲ずつ計ってみた。5曲終えた時点で、けっこう時間食ってるなあと思ったので、最後の「Voice of Time」は速めに吹いてみた。これくらいのテンポが心地いいかもしれない。トータルの時間は9分。なんとかなるだろう。グループ名ってどうしようかなあ。一人だからグループも何もあったもんじゃないが、芸名、ではない、ハンドルネームでもない、何か別の名前を考えようかな。「宋次郎」をもじって何かできないだろうか。

夜にはクリスマスパーティーの話し合いをした。その後、Iさん、Kさんと話をする。今日は卓球台が占領されていて卓球できなかった。Tちゃんからヴォーカルアンサンブルの忘年会、新年会のメールが来ていたので返事を書く。

20:00を過ぎ、就寝準備を済ませた。

昨日は22:00頃寝たが、中途半端なところで日記が終わっている。寝付きはよく、一度3:00頃目を覚ましただけで、次に目を覚ますともう6:30をまわっていた。よく寝た。やはり大部屋より一人で寝る方が落ち着く。

メールチェックすると、大学の合唱団の同期MLに、Hの家に15日に遊びに行くけど、まだメンバー募集というメールが来ていたので、速攻で出席することにして返事を出す。次の16日は最初はアマチュア無線の4級を受けようと思っていたが、なんかやる気がしなくなってやめようと思っていた。カウンセラーに言われた「本当に自分がやりたいのか」ということを考えると、「山に登るんだったら無線の免許は取るべきだ」ということから出てきた考えだということに気がついたから、とたんにやる気がなくなった。もちろん山に登るんだったら免許は取るべきで、せっかく入院していて暇もあるのだから、別に「ねばならない病」というほどのことでもないし、少しくらいがんばって受けてもいいのだが、心がいやいやを言っている。

あ、今日は月曜日だった。今日こそゴミを出さなきゃ、と思って時計を見ると8:30。やばい、もう行ってしまったか、と思いあわてて服を着て玄関から出てゴミ置き場の車停めを見る。みごとに跡形もない。すでに車が停まっている。はあ、また出し忘れちゃったよ。次はいつ出せるかなあ。

電車に乗って病棟に戻る。荷物の整理をしたりしているうちに、15:00前になったのでカウンセリングに行く。

今日は喘息の話から始まって、喫煙に対する「吸ってはいけない」と「吸いたい」という欲求の話になり、自分の「~したい」というので一つ自覚できるものを見つけたということを話す。上からの「ねばならない」と下からの「したい」を調整するのが自我の役目だが、この場合は「禁煙」は絶対的なルールであるからしたがわないといけない、そう言われた。

他にはとりとめもなく話が進んでいった。何を話せばいいかわからない。「自分で気づいたことは自分のものになる」と最初に言われたから「自分で何でもいいから気づかなきゃ」そういう「あせり」から来ると思われる義務的な心境になって、それが見つからないから何を話していいかわからない、そういうことを話した。単なる雑談でもいいんですよね、そう言うと「雑談でもぜんぜんかまわないです。それならそれで、そこに『今日は雑談したい』という自分がいる。それはなぜなのか、その日の心の状態によってまた変わってくる」そういうようなことを言われた。何でもいいんだ、話すことは。そう思って、残り少ない時間で、いくつか話をした。卓球を教えることが多くて、最近教えているうちに「人に教えることが自分は好き」ということに気がついたことを話したら、それは「自分を認めてもらいたい」という欲求で、そんなに高次なものではなく、基本的な三大欲求の上に来るくらいのものだ、と言われた。

最近同室に入ってMZさんが、人が本を読んでいようが日記を書いていようが、かまわず話しかけてきて困っている、見てて自分がじゃまをしていることに気がつかないものかなあ、ということを話すと、そういう人はそれが病気だからしかたがない、「今ちょっと本を読んでるんで」って断ればいいんですよ、そう言われた。「それができないんですよ。NOが言えないんです」そう言うと、「それって、さっきの『人に教えるのが好き』と同じなんだよね。裏返しなんです」と言われた。よく自分では飲み込めなかった。つまりは八方美人ということらしい。

病棟へ戻ってから、作業所帰りの人が風呂に入るのと一緒に風呂に入らせてもらった。入る前に見た夕焼けがとてもきれいだった。出たらすぐに夕食。夕食後、日記を書くが、またもやMZさんにつかまって30分以上話の相手をする。とほほ。

昨日は夕食後に寝てしまったからか、なかなか寝付けなかった。時計を見たら22:00過ぎで、あぁ1時間たってしまった、と思った。が、寝付いた後は夜中に目を覚ました記憶はない。次に目を覚まして時計を見たらら5:00過ぎだった。まだ早いのでまた寝た。6:00の起床のアナウンス。まだ眠いのでずっと寝る。6:30近くなって起きてきた。喉が痛い。咳が出る。痰も出る。喉がひゅーひゅーいってる。

今週は風邪を治すためにじっくり休む週にしよう。エアロバイクもお預けだ。朝食後はずっと音楽を聴いて横になっていたが、今日が入院124日目ということを思い出して、生保の書類を確認し、保険金請求書を記入する。入院証明書は主治医に書いてもらわなきゃ。

合唱団のYさんに喘息のことで相談メールを書いた。最近ひどくなったことを書いて、この地域でいい呼吸器系の医者がいたら紹介してほしい、と書いた。

9:00過ぎに生保のおばちゃんに電話したら、まだ出社してないという。折り返し電話してもらうようにお願いしておいた。

今日はおとなしくしておこうと思ってぶらぶらしていると、S看護婦が「作業棟行かないの?」と聞いてきた。「風邪ひいてるのでやめときます」と言うと「自転車漕ぎじゃなくても、行って何かしていたら?」と言う。そうだな、とりあえず行くだけ行ってピアノでも弾いていようか、そう思って作業棟に行ってみる。外に出ると寒い。ピアノはT君が弾いていた。革細工にS美さんが来ていた。月水金と来ているそうだ。なんだかだるくなって、熱っぽさも感じてきたので早々に引き上げて戻ってきた。

生保のおばちゃんから電話があった。入院して124日経ったので保険金受け取りの申請をしたいが、どこへ送ればいいか聞いた。おばちゃんは「退院してから」と言ったが、約款を読んだら124日目から請求できると書いてありましたけど、と言うと「あらそう」と言って、必要な書類は医者に書いてもらう入院証明書(診断書)と保険金申請書だけでいいから彼女宛に送ればいいと教えてくれた。長年保険の外交員をしていて、入院特約の保険金が「退院してから」と言うのはなぜだろう。124日目を過ぎれば請求できることは知らないはずないのだが、しらばっくれてるのだろうか。「どこが悪いの?」と聞くので「うつ病というのになってしまったんですよ。もっと早く退院できると思ったのに、こんなに長くかかるとは思いませんでした」と答える。

「図解雑学精神分析」を読み始める。今年の11月に出たばかりの本だ。帯に「フロイトの精神分析理論をやさしく図解」と書いているが、確かにわかりやすい。今日はカウンセリングだ。それまでちょっと読んでみよう。

「図解雑学精神分析」を読んでいる間に入浴の機会を逃してしまった。「15:00からカウンセリングなんで、帰ってきてからでいいですか」とI看護婦に聞いたら、「これからは女性が先のときには一番はじめに入らせてくださいって言ってね」と言われた。前まではそうしていたので、これからはそうしよう。今日は外出から戻ってくるMさんと一緒に入ることになった。

15:00からカウンセリング。今日は「自分は何がしたいのか」というのが焦点だった。自分の話は「これこれこういうことが『望ましい』と思ったからそうしてきた」というのが多いが、「望ましい」と「~したい」は別でしょう、ということだ。「~したい」というのは純粋に自分の欲求なのだが、「望ましい」というのはすごく第三者的な見方である、とカウンセラーは言う。そうなんだろうな。自分は「~したい」というのを抑えてきたのだろう。これからはできるだけ「私は」というのを主語にしてお話してください、カウンセラーは最後にそう言った。自分は何をしたいのか。無意識を抑圧してきた自分にとって、それがわからなくなっている。「それは結局自我が未成熟で、自分のことを超自我で語っていることなんですよね」と聞くと「まあ、そういうことですね」ということだ。自分は何をしたいのか。これからどうしたいのか。自分はいったい何を考えているのか。今日話した自分の「プライド」「名誉欲」というのは、それはそれで一つの欲求だが、人間の欲求の中で最も高次元なものであり、その下に本能的な欲求があるという。それは一番下位では「食欲」「睡眠欲」「性欲」という本能的なものだ。その間にいろんな社会的欲求があるのだが、その中で自分が抑圧しているものがあるのか。どこかに歪みが生じているのか。

カウンセリングから戻ってきて、少ししてから主治医に呼ばれて面談する。今回の外泊では精神的な面ではとても調子がよく、翌朝に鬱の兆候がでることもなかったことを話す。これから週に一回のペースで外泊してみるが、2泊というのをしてみた方がいいか、というのを聞いてみた。「自信があれば」というような答えだったが、そんなことはわからない。まあ、しばらくは1泊で様子を見よう。風邪は治ったと思ったらぶり返して、先週末も治ったと思ったのに外泊から帰ってきて今朝起きるとまた風邪気味だったことも話す。外泊して精神的な疲れというのがやっぱりあって、それが関係しているんですかねぇと尋ねると、まあ関係はしているでしょう、との答えだった。今週は無理をせずに風邪を治すモードでゆっくり休みます、と言っておいた。最後に生命保険の入院証明書を書いてもらうようにお願いした。「保険に入ったのはいつですか?」と聞かれたので「98年です」と答える。「じゃあ、その前のことは書かないようにしますね」とはじめから援護射撃をしてくれるような発言だ。「病院にかかったのがそもそも99年なので」と話すと、じゃあ問題はないですね、と言われた。この辺を細工してもらう人は結構いるのだろうか。

夕食後にお風呂に入った。その後にKさんと喫煙所でしばらく話をする。「自分っていったい誰?」「自分は何をどうしたいのか」「理屈だけじゃないんだよね。自分の感情なんだよね。そこがわからないんだよね」そういう話をする。しばらくその手の話をした。「恋をしたら自分の感情がよくわかるよ。理屈じゃないんだって。苦しいけどね」Kさんはそう言う。

その後はずっとCDを聴きながら横になる。途中で一服しただけで、ずっと寝ていた。気持ちを落ち着けてじっと音楽に聴き入る。最初は山下達郎の「On the street corner I」を、その次は大英博物館のサウンドトラック。このメロディーは本当に好きだ。これは本当の自分の感情だろう。うん、このメロディーが好きだ。それに気づいただけでも今日はよかったかもしれない。途中、「心のメッセージを聴く」を読みかけたが、あまり本を読む気もしなかったのですぐに閉じた。

聴き終えると20:10。就寝準備をしようかな。