はまーさん、おはようございます。その後いかかお過ごしでしょうか。 私は入院前に思い残す事のないようにしておきたいので、またまたコメントさせていただきます。 はまーさんの病院は院内恋愛が多かったそうで、非常に羨ましく思いました。私の病院では今までそんなこと見たことも聞いた事も無く、私の入院中は難病の時は女性が多く、いたとしてもおじさま(しかもかなりご年配)ばかり、精神科は若い男性がそれなりにいましたが、私好みあるいは話や気が合う男性はいませんでした。男性の医師は若くても殆どが既婚者で、今回も全くそちらの方面は期待しておりません。そもそも規則で「患者さま同士の連絡先交換は禁止されています。」それは男女問わずです。トラブル回避が目的とか。以前何かあったのかもしれません。 ただ、今回の入院では、病院に行くために男性の先輩(独身)が車で連れて行ってくれることになりました。もしかして…いやいや、ないない。母も一緒ですし。でも本当にいい方で、母も前に一度会っていますが、とても好感を持っているようでした。躁状態の時に、その人に対して私は深夜に電話しまくったり(自営業で、仕事の関係で深夜に起きていることが多いと言っていたのを真に受けて)、メールしまくって、最初は誠実に色々答えてくれるのですが、徐々に私の内容がエスカレートしていくので、仕事を口実に返信が少なくなり、返信がもらえなくなるのです。それを何度か繰り返し、今回もそうなっていたのですが…。私は先輩には最初から病気のことをオープンにしていて、普段なら絶対にしない言動をするので、先輩なりに理解しようとしていたらしく、今回は本当に仕事が忙しくて返信できなかったそうで、いつもはメールしかしませんが、何年ぶりかで電話でも話しました。以前と変わらない態度で接してくれて、本当に嬉しかったです。今回のことをきっかけに…なんて有り得ないと思いますが、以前のように色々お喋りして、まだ経験がないのですが、退院したら一緒に飲みに行きたいです。 はまーさんご夫妻に一日も早く平穏な日々が再び訪れますように、心よりお祈り申し上げます。
はまーさん、こんばんは。 今日も記事を書かれていて、嬉しく思いましたが、体調や食行動が早く改善するとよいですね。一日も早い復活?をお祈り申し上げます。 サインバルタは私も以前に服用したことがあります。ごく短い期間でしたが。 そうそう、今日ケースワーカさんからお電話頂き、入院は10日か11日になりましたが、母の都合で11日にして頂くつもりです。今回も医療保護入院で最初は閉鎖病棟の個室だそうで、少し前に大部屋と担当医が仰ったように記憶しているので、かなり意外でしたが、閉鎖病棟で個室だなんて今の私にとって最高の環境が用意されることを知り、テンションが上がってしまいました。これで歌いたくなったら安心して歌えます。 ちょうど行きつけの飲食店に一人で行っていたところで、通常モードの私なら絶対に言わないのですが、その店主は気さくな楽しい方なので、安心して?何もかもぶっちゃけてしまいましたが、とっても楽しかったです。後で思い出して後悔するかもですが、構いません。 という訳で躁の状態が強くなっているみたいです。でも私にとって入院は「夢にまで見たバカンス」ですから(これまでの入院では快適な環境で楽しく過ごし、嫌な思いをしたことは無いに等しいので)本当に楽しみです。 それでは1ヶ月ほどバカンスに行って参ります。 はまーさんのブログを再び読める日を楽しみにしております。
おはようございます。数日前にリスパダールが再開となり、徐々に睡眠時間が取れるようになってきたように思ったら今日は1時間半でした。気にはしていませんが。今は『ロバと王女』というカトリーヌ・ドヌーヴ主演のミュージカル映画のサントラを聴きながらコメントしています。私は音楽も香水もおフランスのものが好きでして。クラシック音楽でしたらドビュッシーにラヴェルにプーランク(プーランクはピアノ曲も大好きですが、それ以上に歌曲が好きです。ピアノが得意だったのか伴奏も本当に素晴らしいです)、でもいちばん好きなのはメシアンです。 外出なさったのですね。本当に良かったです。我が事のように嬉しく思います。お疲れになったでしょう。お疲れさまでした。 コメントしたいことがたくさんありまして、またまた物凄い長文になると思いますがご容赦下さいませ。 はまーさんの過去のブログを拝見していて、2003年6月19日まで拝見しました。 その途中で『自殺未遂の記録』を全て拝見しました。私は涙が止まりませんでした。私も自殺未遂とは言えない程度のODの経験が2度あり(1度目はロヒプノールをメインに飲み、2日ほど眠り続け、無意識のうちにトイレに行こうとしたのかトイレ近くで倒れていたらしく、母によると少し失禁して部屋に運んで着替えさせたそうです。2回目はロヒプノール1mgを黒糖梅酒で80 錠程飲み、やはり2日ほど眠り続けましたが1回目より軽く済んでしまいました。いずれも病院には行きませんでしたが、外来で母に告げ口?され、当時の担当医に注意されただけで終わりました。その後も鬱がひどい時に引きこもっている合間(精神科外来があり病院に行った後など)にホームセンターに行き2回に分けて練炭と七輪を買って私の車のトランクに隠していましたが、しばらくして父に見つかってしまいました。その頃は躁転を経験した後で、私は躁転したことで父との関係が良くなり、普通に会話出来るようになったところで、父は私に対して怒る事なく、静かになぜこれらのものを買ったのか聞きました。その時には躁転していて、私は笑いながらいきさつや理由を話し、母には内緒にしてもらい、会社で使えるかもしれないので父に預けて会社に持っていってもらいました。 はまーさんは私と比べて抱えているものの重さや深刻さが桁違いなのですね。私よりはるかに重症なのは分かっておりましたが…。 ODする以前から私はとても恵まれた環境にあることは自覚していました。はまーさんはご実家との関係に問題があるようですが、奥様や義理のご家族には恵まれていらっしゃると思いましたので、拝見していて安心しまた涙が止まらなくなりました。 また、希死念慮の質がはまーさんと私ではレベルと言うか質が違うと思いました。私ははまーさんのように発作的に飛び込んでしまいそうになったことはありません。小学生の頃から『死にたい』と思うことがありましたが、私は生まれてきてから今まで、不幸だと思ったことはなく、最初は「今私は幸せだから、幸せなうちに死にたいのかな」としか思っていませんでした。ただ、人間として存在していることに対する違和感のようなものが子供の頃からあり、「生まれ変わったら時計になりたい」と言って母に「変な子」と思われていたようです。今でも希死念慮はあり、躁で多幸感でいっぱいな時でも頭の片隅に「私、死ねばよいのに」が常にあります。 もしかしたらレベルや質の違いではなく、私の「死にたい」「死ねばよいのに」は希死念慮とは違うものなのかもしれませんね。「ペンを持っていると無意識のうちにペンを回しちゃうんです」みたいな癖のようなものかもしれません。少し前に秋田大学保健管理センターの『性格としての希死念慮』を読み、私と同じだと思い担当医にその話をしたところ「あれはパーソナリティー障害の人の話で、あなたはそうではありませんよ」と言われました。 はまーさんの記録を全て読み終えたら『すてきな友達』という歌を思い出しました。口ずさんだらまた涙が出てきました。私は以前、地元の合唱団の伴奏をしていた時に知った歌で、歌詞を忘れてしまっていたのでYou Tube で探したところ、元は劇団四季の子供向けミュージカル『人間になりたがった猫』とい作品中で歌われる曲だと知りました。小学生による合唱の中で『子安小の4年生の子供たち』による合唱は私が弾いたのと同じ前奏で、物凄く上手とは言えないまでも、小学生らしい素直な歌声はとても好感が持てます。歌詞を全て思い出したらまたまた涙が止まらなくなりました。ご存知かもしれませんが歌詞を書きますね。 『すてきな友達』 人はみんな誰でも 一人では生きてゆけないから いつもすてきな友達と この手をつなぐのさ 悲しい時も仲間がいれば つらくはない 苦しい時も仲間がいれば つらくはない 僕も君も時には 暗闇に落ちてとまどうから いつもすてきな友達と 微笑みかわすのさ 愛と仲間それさえあれば つらくはない 愛と仲間それさえあれば つらくはない …という歌で、今、入力中にも思わず泣きそうになりました。昨日は聴いた後にフランス歌曲を歌って中和しなくてはなりませんでした。以前から好きな歌でしたが歌詞の内容に全く共感できませんでしたが、人は変わるものなのですね。 ブログで公開するにあたっては物凄く勇気が必要だったのではないかと思います。辛かったことを再び思い出さなくてはならないですし。はまーさんの体験談を多くの方…死にたいと悩んでいる方、未遂をした方、そういった方が身内や友達にいる方、そういったこととは無縁の方…とにかく多くの方に読んで頂きたいです。私は色々な知り合いにはまーさんのブログを紹介したいと思っています。 最後に、医療費の窓口負担が高額医療費制度の範囲内で済む制度があることは知りませんでした。今日にも問い合わせるつもりです。非常に有益な情報をありがとうございました。 恐ろしく長文になってしまいまして、申し訳ありません。 あの記事についてのコメントはこれ以上しないようにするつもりですが、今後の状況で気が変わるかもしれません。他の記事についてはコメントさせて頂きたいことがいくつもありますので、そのときは宜しくお願いいたします。
はまーさん、返信ありがとうございます。 私の場合、本当に限られた人にしか躁鬱のことを話していなくて、特に伴奏関係の方々には話していません。でも以前、膠原病で長期入院した時にやはり本番をキャンセルしたことがあるので、多くの方は「また膠原病で入院か」と思われているはずです。なので「本当のことを言わなくてもいいか」でそのままにしています。あ、膠原病って言っちゃった。もう不眠が1週間続いていて、頭が普段以上にぼけぼけしておりまして。難病(膠原病)のことは話すのに全く抵抗がないので(話すのが大好きなくらい)、正式な病名も言いたいくらいなのですが、あまり喋りすぎると何かとまずいでしょうから、こちらでは控えさせていただきますね。 入院が決まったことで諦めがついて気持ちが楽になったのか、今日は睡眠が4時間取れ、体も少し楽になりました。入院して、また薬の調整等をして「気分の波」というものが落ち着くとよいと思います。ただ、私は入院をきっかけに突然躁転してきたので、今回は躁状態での入院なので、これまでに無い激しい躁になったらどうなるだろう?ということだけが心配です。 ご心配してくださり、ありがとうございます。 はまーさんも、どうぞお大事になさって下さい。
noirさん、こんにちは。 急に入院されるとのこと、驚きました。私は開放病棟しか入院経験がないので、閉鎖病棟での生活がどんなものかは自分ではわからないのですが、確かに閉鎖病棟のほうが居心地はいい、と入院中に聞いたことはあります。その代わり制限は多いようですが。 いろいろな約束をキャンセルしないといけない、というのは辛いですね。私もいろんな約束を、鬱で動けなくて当日にドタキャンということが多かったです。いろいろと人に迷惑をかけてしまったので、お気持ちはわかります。ただ私の場合は、自分が躁鬱だということをみんな知っていたので、「しょうがないなあ」と思いつつ理解はしてくれました。 色々と心配事はあると思いますが、今はまず自分の状態を安定させることに専念していただきたいと思っています。少しでも快適な入院生活を送れるといいですね。
はまーさん、こんにちは。 実はこの1週間、色々あって(特に昨日から今朝にかけて)、来週中に入院することになってしまいました。 今回は医療保護入院ではなく、最初から大部屋みたいです。可能なら前回とても居心地がよく楽しかった閉鎖病棟に入りたいのですが、解放だったらどうしよう…。 もし閉鎖に入ったら通信制限が厳しいので(外出許可が出ないと携帯電話が使えず、多くの方と約1ヶ月音信不通になっていました)、はまーさんのブログもしばらく拝見出来なくなります。とっても残念です。はまーさんの本名とご住所が分かればお手紙なら出せるのですが、それも無理でしょうし…。 14日に大切な伴奏の仕事?があるので、代わりに弾いてくれる人を探さねばならず、また他の予定もキャンセルしなくてはならずで今はあちこちにメールしまくっています。前回のような緊急入院と違って、予約入院だと色々準備ができて楽ですね。 それではまた。入院前にまたコメントさせていただくかもですが、取り敢えずはごきげんよう(^ ^)
はまーさん、おはようございます。私は今日もほとんど眠れませんでした。 私はうつ傾向になると過眠過食になり、長期化すると太ってしまいます。躁だと心身共に緊張状態になるのか、食欲が物凄く抑えられるのです。ここしばらく体重は少しづつ増加していたので、今回の躁で少しダイエットできないかなぁ、と思っています。 躁なので、喋り過ぎてうっかり個人情報を明かしてしまいそうになるのを気をつけていますが、ばれない程度に?自己紹介しますね。 私は東京の多摩地区在住で、都内にある某大学病院に通院しています。子供の頃からピアノを続けていて、今はたいした曲は弾けませんが、未だに伴奏を頼まれることがあり、昨年からバッハのカンタータの研究会(私はサークルと認識しています)に関わっていて、そのサークルから派生した合唱ではなく歌曲を少人数で歌うサークルでも伴奏を頼まれています。躁の時はよいのですが、うつになってなにも出来ないしたくない状態になると本当に困ります。練習をドタキャンしたこともあります。でも私はそのどちらのサークルにも双極性障害については話していません。ただ、医療関係の仕事をされていて、精神疾患についての知識がある方が一人いて、その人にはちらっと言いました。 合唱については知り合いが混声合唱団に入っていたこともあり、はまーさんがご存知か分かりませんが、以前は中学の音楽教材のレコーディングをしていたりもした『水の輪』や『コール・フロイント』の定期演奏会なら行ったことがあります。あとはかなり前に同志社大学OBの男声合唱団の練習のお手伝いを数回したり、『リーダークライス』という合唱団に知り合いが参加しています。 取り敢えずは今日はここまで、ということで。もし私の事でお聞きになりたいことがございましたら遠慮なく仰って下さい。 私ははまーさんの過去の記事も全て読みたいと思っていますので、何か気になる事などが出てきたら、その都度コメントを投稿させていただくと思います。鬱陶しいかもしれませんが、どうぞご容赦下さいませ。 はまーさんのブログに出会えて本当に良かったです。
先程、はまーさんからの返信に対するコメントを投稿しましたが、名前の入力を忘れて匿名になってしまっていました。申し訳ありません。
はまーさん、こんばんは。 カミングアウトの件に関して、詳細に教えて下さいまして本当にありがとうございます。大変参考になりました。 はまーさんはかなり前からうつ病や躁鬱病で苦しんでいらしたのですね。私の場合は精神科通院が始まったのは2009年12月か翌年1月からで、私も最初は抑うつ状態とかうつ病ということになっていましたが、抗うつ薬で初めて躁転した時は「そういうこともあるのかー」と思っただけで、当時の担当医から双極性障害についての説明を受けた記憶がないのです。2012年2〜3月に3週間ほど難病の方で検査入院した時(本当は入院しなくても外来で検査を済ますことができたのですが、その前にうつがひどくなり、私の母が難病の担当医に入院させてほしいとお願いしたのです。というのは2009年7月〜11月に難病で生まれて初めての入院生活を送った時、毎日楽しくて仕方なかったことと、母も同じ病院に入院したことがあり、かなり前からいくつかの科に外来に通っていて、その病院が大好きなので、ちょっと入院すれば楽しいバカンスになり精神状態が良くなるかも、と思ったみたいなのです。難病で入院させるかどうかは担当医次第という微妙な病状だったのですが、精神状態を心配して下さり、めでたく入院できたのでした。が)激しく躁転して、それまでの私なら有り得ない奇行?武勇伝?の数々を繰り広げたのでした。その時には双極性障害とされていてのかもしれませんが、私にその認識はありませんでした。通院のメモをちらっとみたら、2012年にはリーマスを服用しているので、2012年に双極性障害ということになったのかもしれません。 カミングアウトの件ですが、前の担当医に相談した時に「誰彼かまわず言うのはやめたほうがいいと思います」と言われました。よく考えると全ての知り合いに知らせる必要性が私の場合はないですし。躁や鬱で迷惑をかけてしまった人には理解していただくためにも説明する必要はありますよね。分かってもらいたい人に話す、という感じがいちばんよいのかな、と今は思います。でも今は躁だから、急に気が変わってぺらぺら喋ってしまうことも有り得るので、注意が必要かな、という感じです。 はまーさんのお蔭ですっきりしました。本当にありがとうございます。 はまーさんが丁寧な返信を下さったこと、新しい記事を書かれたことをとても嬉しく思います。でも体調が悪いとのことで、心配です。どうぞご自愛下さいませ。…このような時に言う他のよい言葉はないものでしょうか。「ご自愛下さい」はよい言葉だと思うのですが、それをしょっちゅう使うとその言葉に込めた思いがどんどん軽くなってしまいそうな気がするのですよね。 今回も長文になってしまいまして、申し訳ありません。
noirさま、こんにちは。 私は今では閉鎖してしまったのですが、以前はこのブログとはまた違う、個人HPを持っていました。残骸はここにあります。 http://www.yet-another-world.jp/hammer/ 当初は趣味のことなどを掲載していましたが、うつ病(書き始めた頃はうつ病の診断でした)になってつらい思いをしてから、それを手記「カミングアウト宣言」と題してまとめ、病気になった経緯を書いていきました。 自分がうつ病であることは、最初はごく親しい友だちだけに話していたのですが、話してみると理解してもらえる、と思ったので、他の友だちや、自分が所属しているメーリングリスト(合唱団関係の複数のML、当時所属していた山岳会のMLなど)に、思い切って、 「自分はこういう病気にかかってしまいました。病気のことを知っていただきたく、その経緯をまとめたので、よろしければ読んでください」 とメールしました。確か2001年くらいのことで、多分100人以上にはメールが届いたと思います。その頃は「鬱」というものに対する社会的な認知度も理解も乏しく、そのため自分が苦労したので、「鬱」という病気があって、それはどんな病気か知ってほしい、そう思って、草の根的に自分ができることをやってみよう、と思ったのがカミングアウトした理由です。 自分のことを昔から知ってくださっている友人には、自分が怠けたり会社をサボったりする人ではない、ということを理解していただけているだろう、でもそういう人間でも、傍から見たら「サボっているように見える」鬱という病気がある、そういうことを知ってもらいたい、そういう思いがありました。 「カミングアウト宣言」は2004年くらいまで追記していましたが、それ以降は同時に書いていた日記がメインになっていて、ずっと更新はしていませんでした。そして「鬱」というものが社会的に認知されていき、「草の根的に鬱のことを広めたい」という自分の役割は終わった、と思って、中途半端に終わっていた「カミングアウト宣言」のページは何年か前に削除してしまいました。 メールに対して、色々な方から返事をいただきました。「そういう病気があるんですね」「ずいぶん苦労されたんですね」というメールも多かったのですが、中には「実は自分も鬱です」「自分の家族も鬱です」というメールもあって、一人で悩んでいる人もけっこういるんだな、と思いました。 鬱のことばかり書きましたが、「カミングアウト宣言」には躁のことはほとんど書いていません。それは、最後に更新した2004年に「躁鬱病」と診断されたからです。なので、その後の自分の躁状態のエピソードに関しては、この日記を読んでくださっている方は知っているかな、という感じです。(でも理解してくれているかは???ですが) ただ、躁状態で迷惑をかけた人にはその都度「実は自分には躁状態というのもあって」という説明は個別にしています。明らかにいつもの自分と違って非常識な言動をしているので、病気だということは理解はしていただけていると思うのですが、でも厄介だな、と思われているかもしれません。相手はそうは言わないので、どう受け止められているかは自分でもちょっとわからないのですが。 だらだらと長くなってしまいました。少しでも何かの参考になれば幸いです。
はまーさん、度々申し訳ありません。 私は以前から病気のカミングアウトについて悩んでいて、はまーさんに躁鬱病のカミングアウトの事を教えて頂けたら、と思いまして。HPでカミングアウト宣言をなさったそうですが、拝見したくても探し方が分からなくて…。どうすれば拝見できるのでしょうか? ちなみに私は難病の方は誰彼構わず話しているのですが、双極性障害についてはごく一部の人(難病で入院した時の仲間、うつ病になった友達、私にとって「師匠」的な方)にしか言っていません。比較的親しくても話していない相手は何人もいます。自分の中に精神疾患に対する偏見はないと思っていますし、仮に誰かに話したけれど正しく理解してもらえなかったり偏見の目で見られたりしたとしても「まぁ仕方ないか」と思うだけだと思うのですが、何だか言いづらいのです。難病のことで多くの方にかなりご心配おかけしてきたので、更にご心配おかけするのはちょっと…面倒なのかもしれません。 ただ、以前から私を知っている人に躁の時に会ってしまうと「何かおかしい」と思われたり、躁の時は普段と違い物凄く多弁になるので、自分からつい言ってしまったりしたことがあります。その時のようにひどくはなくても今また躁なので、うっかり言ってしまいそうです。 自分がどうしたいのかが分からないのですよね。 はまーさんがどのようにカミングアウトされたか、その後の反響等について、はまーさんの調子が良くなられて、気が向いた時にでも教えて頂けたら幸いです。宜しくお願い致します。
はまーさん、調子が悪くていらっしゃるのに返信下さいましてありがとうございます。 東大出身なのは私ではなく、三善晃氏です。念のため。現在活躍している世代の作曲家で東大出身の人がいるのか知りませんが(名が知れた人の中にはいないと思います)、昔は東大出身の作曲家って、結構いたのですよね。頭のよい人は何でもできるのでしょうか。うらやましい…。 三善晃の合唱曲『月夜三唱』と『麦藁帽子』はYou Tubeで聴くことができますので、気が向いた時にでも聴いてみて下さいませ。いずれも女声合唱のための曲です。私は学校の授業でしか合唱をしたことがないので、合唱曲については全然知らないのです。はまーさんは混声合唱をなさっていたのでしょうか? はまーさんもうつだけではなく躁でも大変な思いをなさったのですね。「うつは自覚できても躁は自覚できない」は私は今の担当医に言われました。「躁になる時の兆候を覚えておきましょう」とも言われ、私の場合は睡眠時間が0〜3時間になる、ベッドに横になっていられない、となると躁傾向です。私も自分が躁だという自覚がなかった時は自制できなくて色々やらかしました(難病の方で検査入院した時に躁転して、病棟のラウンジでCDを聴いていたら思いっきり歌いはじめてしまい看護師さんが数人走ってきたり、夜中に知り合いに電話したり)。 私も「自力で病気をコントロールするなんて無理、結局薬でコントロールされるだけ、私の人格も薬次第」と思ったりしますが、前に難病仲間に「精神科の薬で気持ちが楽になるなら、それはそれでいいじゃない」といったメールを貰ったことを思い出しました。実際は薬のコントロールも思うようにいかなかったりするのですけれどね。 また長くなってしまい申し訳ありません。はまーさんもどうぞご自愛下さい。
noirさま、こんにちは。コメントをありがとうございます。お返事が遅くなってすみません。noirさまの書かれた曲は知らない曲ばかりだったので、どう返事を書いたらいいかな、と考えているうちに調子が悪くなって、すっかり忘れてしまっていました。重ねて申し訳ありません。それはそうと、東大出身とは凄いですね。 noirさまは躁鬱の波でご苦労なさっているのですね。私はここしばらくは躁転していないのですが、昔は頻繁に躁転して、1週間おきに躁と鬱を繰り返すラピッドサイクラーの時期もあり、その頃はリーマスやデパケンを服用していました。ただ、noirさまの書かれている通り、躁のエピソードは鬱に比べて圧倒的に少ないです。抗うつ剤が効きすぎて躁状態になったのかもしれない、と自分では思っていたのですが、入院中に激しく躁転した時に、「間違いなく躁鬱病」と医師に断言されました。ただ、自分でもいろいろ調べていると、躁鬱病には基本的に抗うつ剤は使わない、と書かれているのですが・・・。 うつ状態は自覚できるのですが、躁状態はなかなか自覚できず、非常識なことをやらかして周りの人に迷惑をかけてしまったり、衝動的に高額なものを買ってきたりして苦労しました。睡眠時間は長くて4時間。はたから見たら明らかに疲労困憊な顔をしているのに、疲れているのを自覚できずに何かやるのを自分で止められない、という状態にもなりました。やたら日記がだらだらと長くなってしまい、今読み返すと「なんじゃこりゃ?」という記事もあります。 なかなか自分で病気をコントロールできないのがもどかしいです。noirさまもどうぞご自愛ください。
こんばんは。少し前に過去の記事(三善晃が亡くなった時の記事)にコメントさせて頂いた者です。 私は数年前に難病(特定疾患)になり3ヶ月入院し、退院した後にうつ状態になり(入院中は治療薬のプレドニン(ステロイド)の副作用らしい「多幸感」で毎日幸せで楽しくて退院したくありませんでした)、色々な抗うつ薬を試して良くなったり悪くなったりを繰り返しているうちに躁転して(躁転した時の担当医は「こりゃまずい」な雰囲気を物凄ーく醸し出していました)、2年くらい前から双極性障害Ⅱ型ということになりました。 はまーさんは躁鬱病ということですが、過去の記事を拝見させて頂いたところ、躁のエピソードがとても少ないように感じました。パキシルやテトラミド、リフレックスといった、私が「うつ病」として通院していた時に服用していた薬が出てきたりしたので、はまーさんは躁鬱病ではなくうつ病なのかしら?と思ったりしました。双極性障害では基本的に抗うつ薬は処方されませんから…。 私は双極性障害となってからはリーマス(気分安定薬)を服用してきて、時々躁、時々うつ、で昨年は初の精神科入院(抑うつ状態)も経験しましたが、8月はまたうつ状態が続いて、今のはまーさんのような感じでした。双極性障害では躁になった時に落ち着かせる薬はあるのに、うつになった時に症状を改善する薬が無いのですよね。躁転するから抗うつ薬は使えないし。リーマスは躁にもうつにも効果がある薬と聞いたのですが…。で、うつにもっと効果があるというラミクタールを処方して頂き、27日から服用しています(今はリーマスと併用)。が、その日以降一睡も出来ない日が1日おきにあって(私は躁になると睡眠時間が0〜3時間になります)行動も躁の時みたいなのですが、気分は全く躁ではなく、躁とうつが混じったような妙な状態になっています。もしもラミクタールで躁転したとなったら服用中止になってしまうのだろうか、と今はそれが心配です。 …自分のことばかりで長くなり申し訳ありません。このように多弁なところや人様のブログにコメントするところをみると、今の私は躁ですね…。 はまーさんのこのところのご様子は少し前の自分と同じなので、かなり気になります。これからも拝見させていただきますね。
この時間になっても、まだしんどさが抜けない。こういうのは最近なかったのだが、ちょっと重症かも・・・。
はまーさん、おはようございます。その後いかかお過ごしでしょうか。
私は入院前に思い残す事のないようにしておきたいので、またまたコメントさせていただきます。
はまーさんの病院は院内恋愛が多かったそうで、非常に羨ましく思いました。私の病院では今までそんなこと見たことも聞いた事も無く、私の入院中は難病の時は女性が多く、いたとしてもおじさま(しかもかなりご年配)ばかり、精神科は若い男性がそれなりにいましたが、私好みあるいは話や気が合う男性はいませんでした。男性の医師は若くても殆どが既婚者で、今回も全くそちらの方面は期待しておりません。そもそも規則で「患者さま同士の連絡先交換は禁止されています。」それは男女問わずです。トラブル回避が目的とか。以前何かあったのかもしれません。
ただ、今回の入院では、病院に行くために男性の先輩(独身)が車で連れて行ってくれることになりました。もしかして…いやいや、ないない。母も一緒ですし。でも本当にいい方で、母も前に一度会っていますが、とても好感を持っているようでした。躁状態の時に、その人に対して私は深夜に電話しまくったり(自営業で、仕事の関係で深夜に起きていることが多いと言っていたのを真に受けて)、メールしまくって、最初は誠実に色々答えてくれるのですが、徐々に私の内容がエスカレートしていくので、仕事を口実に返信が少なくなり、返信がもらえなくなるのです。それを何度か繰り返し、今回もそうなっていたのですが…。私は先輩には最初から病気のことをオープンにしていて、普段なら絶対にしない言動をするので、先輩なりに理解しようとしていたらしく、今回は本当に仕事が忙しくて返信できなかったそうで、いつもはメールしかしませんが、何年ぶりかで電話でも話しました。以前と変わらない態度で接してくれて、本当に嬉しかったです。今回のことをきっかけに…なんて有り得ないと思いますが、以前のように色々お喋りして、まだ経験がないのですが、退院したら一緒に飲みに行きたいです。
はまーさんご夫妻に一日も早く平穏な日々が再び訪れますように、心よりお祈り申し上げます。
はまーさん、こんばんは。
今日も記事を書かれていて、嬉しく思いましたが、体調や食行動が早く改善するとよいですね。一日も早い復活?をお祈り申し上げます。
サインバルタは私も以前に服用したことがあります。ごく短い期間でしたが。
そうそう、今日ケースワーカさんからお電話頂き、入院は10日か11日になりましたが、母の都合で11日にして頂くつもりです。今回も医療保護入院で最初は閉鎖病棟の個室だそうで、少し前に大部屋と担当医が仰ったように記憶しているので、かなり意外でしたが、閉鎖病棟で個室だなんて今の私にとって最高の環境が用意されることを知り、テンションが上がってしまいました。これで歌いたくなったら安心して歌えます。
ちょうど行きつけの飲食店に一人で行っていたところで、通常モードの私なら絶対に言わないのですが、その店主は気さくな楽しい方なので、安心して?何もかもぶっちゃけてしまいましたが、とっても楽しかったです。後で思い出して後悔するかもですが、構いません。
という訳で躁の状態が強くなっているみたいです。でも私にとって入院は「夢にまで見たバカンス」ですから(これまでの入院では快適な環境で楽しく過ごし、嫌な思いをしたことは無いに等しいので)本当に楽しみです。
それでは1ヶ月ほどバカンスに行って参ります。
はまーさんのブログを再び読める日を楽しみにしております。
おはようございます。数日前にリスパダールが再開となり、徐々に睡眠時間が取れるようになってきたように思ったら今日は1時間半でした。気にはしていませんが。今は『ロバと王女』というカトリーヌ・ドヌーヴ主演のミュージカル映画のサントラを聴きながらコメントしています。私は音楽も香水もおフランスのものが好きでして。クラシック音楽でしたらドビュッシーにラヴェルにプーランク(プーランクはピアノ曲も大好きですが、それ以上に歌曲が好きです。ピアノが得意だったのか伴奏も本当に素晴らしいです)、でもいちばん好きなのはメシアンです。
外出なさったのですね。本当に良かったです。我が事のように嬉しく思います。お疲れになったでしょう。お疲れさまでした。
コメントしたいことがたくさんありまして、またまた物凄い長文になると思いますがご容赦下さいませ。
はまーさんの過去のブログを拝見していて、2003年6月19日まで拝見しました。
その途中で『自殺未遂の記録』を全て拝見しました。私は涙が止まりませんでした。私も自殺未遂とは言えない程度のODの経験が2度あり(1度目はロヒプノールをメインに飲み、2日ほど眠り続け、無意識のうちにトイレに行こうとしたのかトイレ近くで倒れていたらしく、母によると少し失禁して部屋に運んで着替えさせたそうです。2回目はロヒプノール1mgを黒糖梅酒で80 錠程飲み、やはり2日ほど眠り続けましたが1回目より軽く済んでしまいました。いずれも病院には行きませんでしたが、外来で母に告げ口?され、当時の担当医に注意されただけで終わりました。その後も鬱がひどい時に引きこもっている合間(精神科外来があり病院に行った後など)にホームセンターに行き2回に分けて練炭と七輪を買って私の車のトランクに隠していましたが、しばらくして父に見つかってしまいました。その頃は躁転を経験した後で、私は躁転したことで父との関係が良くなり、普通に会話出来るようになったところで、父は私に対して怒る事なく、静かになぜこれらのものを買ったのか聞きました。その時には躁転していて、私は笑いながらいきさつや理由を話し、母には内緒にしてもらい、会社で使えるかもしれないので父に預けて会社に持っていってもらいました。
はまーさんは私と比べて抱えているものの重さや深刻さが桁違いなのですね。私よりはるかに重症なのは分かっておりましたが…。
ODする以前から私はとても恵まれた環境にあることは自覚していました。はまーさんはご実家との関係に問題があるようですが、奥様や義理のご家族には恵まれていらっしゃると思いましたので、拝見していて安心しまた涙が止まらなくなりました。
また、希死念慮の質がはまーさんと私ではレベルと言うか質が違うと思いました。私ははまーさんのように発作的に飛び込んでしまいそうになったことはありません。小学生の頃から『死にたい』と思うことがありましたが、私は生まれてきてから今まで、不幸だと思ったことはなく、最初は「今私は幸せだから、幸せなうちに死にたいのかな」としか思っていませんでした。ただ、人間として存在していることに対する違和感のようなものが子供の頃からあり、「生まれ変わったら時計になりたい」と言って母に「変な子」と思われていたようです。今でも希死念慮はあり、躁で多幸感でいっぱいな時でも頭の片隅に「私、死ねばよいのに」が常にあります。
もしかしたらレベルや質の違いではなく、私の「死にたい」「死ねばよいのに」は希死念慮とは違うものなのかもしれませんね。「ペンを持っていると無意識のうちにペンを回しちゃうんです」みたいな癖のようなものかもしれません。少し前に秋田大学保健管理センターの『性格としての希死念慮』を読み、私と同じだと思い担当医にその話をしたところ「あれはパーソナリティー障害の人の話で、あなたはそうではありませんよ」と言われました。
はまーさんの記録を全て読み終えたら『すてきな友達』という歌を思い出しました。口ずさんだらまた涙が出てきました。私は以前、地元の合唱団の伴奏をしていた時に知った歌で、歌詞を忘れてしまっていたのでYou Tube で探したところ、元は劇団四季の子供向けミュージカル『人間になりたがった猫』とい作品中で歌われる曲だと知りました。小学生による合唱の中で『子安小の4年生の子供たち』による合唱は私が弾いたのと同じ前奏で、物凄く上手とは言えないまでも、小学生らしい素直な歌声はとても好感が持てます。歌詞を全て思い出したらまたまた涙が止まらなくなりました。ご存知かもしれませんが歌詞を書きますね。
『すてきな友達』
人はみんな誰でも 一人では生きてゆけないから
いつもすてきな友達と この手をつなぐのさ
悲しい時も仲間がいれば つらくはない
苦しい時も仲間がいれば つらくはない
僕も君も時には 暗闇に落ちてとまどうから
いつもすてきな友達と 微笑みかわすのさ
愛と仲間それさえあれば つらくはない
愛と仲間それさえあれば つらくはない
…という歌で、今、入力中にも思わず泣きそうになりました。昨日は聴いた後にフランス歌曲を歌って中和しなくてはなりませんでした。以前から好きな歌でしたが歌詞の内容に全く共感できませんでしたが、人は変わるものなのですね。
ブログで公開するにあたっては物凄く勇気が必要だったのではないかと思います。辛かったことを再び思い出さなくてはならないですし。はまーさんの体験談を多くの方…死にたいと悩んでいる方、未遂をした方、そういった方が身内や友達にいる方、そういったこととは無縁の方…とにかく多くの方に読んで頂きたいです。私は色々な知り合いにはまーさんのブログを紹介したいと思っています。
最後に、医療費の窓口負担が高額医療費制度の範囲内で済む制度があることは知りませんでした。今日にも問い合わせるつもりです。非常に有益な情報をありがとうございました。
恐ろしく長文になってしまいまして、申し訳ありません。
あの記事についてのコメントはこれ以上しないようにするつもりですが、今後の状況で気が変わるかもしれません。他の記事についてはコメントさせて頂きたいことがいくつもありますので、そのときは宜しくお願いいたします。
はまーさん、返信ありがとうございます。
私の場合、本当に限られた人にしか躁鬱のことを話していなくて、特に伴奏関係の方々には話していません。でも以前、膠原病で長期入院した時にやはり本番をキャンセルしたことがあるので、多くの方は「また膠原病で入院か」と思われているはずです。なので「本当のことを言わなくてもいいか」でそのままにしています。あ、膠原病って言っちゃった。もう不眠が1週間続いていて、頭が普段以上にぼけぼけしておりまして。難病(膠原病)のことは話すのに全く抵抗がないので(話すのが大好きなくらい)、正式な病名も言いたいくらいなのですが、あまり喋りすぎると何かとまずいでしょうから、こちらでは控えさせていただきますね。
入院が決まったことで諦めがついて気持ちが楽になったのか、今日は睡眠が4時間取れ、体も少し楽になりました。入院して、また薬の調整等をして「気分の波」というものが落ち着くとよいと思います。ただ、私は入院をきっかけに突然躁転してきたので、今回は躁状態での入院なので、これまでに無い激しい躁になったらどうなるだろう?ということだけが心配です。
ご心配してくださり、ありがとうございます。
はまーさんも、どうぞお大事になさって下さい。
noirさん、こんにちは。
急に入院されるとのこと、驚きました。私は開放病棟しか入院経験がないので、閉鎖病棟での生活がどんなものかは自分ではわからないのですが、確かに閉鎖病棟のほうが居心地はいい、と入院中に聞いたことはあります。その代わり制限は多いようですが。
いろいろな約束をキャンセルしないといけない、というのは辛いですね。私もいろんな約束を、鬱で動けなくて当日にドタキャンということが多かったです。いろいろと人に迷惑をかけてしまったので、お気持ちはわかります。ただ私の場合は、自分が躁鬱だということをみんな知っていたので、「しょうがないなあ」と思いつつ理解はしてくれました。
色々と心配事はあると思いますが、今はまず自分の状態を安定させることに専念していただきたいと思っています。少しでも快適な入院生活を送れるといいですね。
はまーさん、こんにちは。
実はこの1週間、色々あって(特に昨日から今朝にかけて)、来週中に入院することになってしまいました。
今回は医療保護入院ではなく、最初から大部屋みたいです。可能なら前回とても居心地がよく楽しかった閉鎖病棟に入りたいのですが、解放だったらどうしよう…。
もし閉鎖に入ったら通信制限が厳しいので(外出許可が出ないと携帯電話が使えず、多くの方と約1ヶ月音信不通になっていました)、はまーさんのブログもしばらく拝見出来なくなります。とっても残念です。はまーさんの本名とご住所が分かればお手紙なら出せるのですが、それも無理でしょうし…。
14日に大切な伴奏の仕事?があるので、代わりに弾いてくれる人を探さねばならず、また他の予定もキャンセルしなくてはならずで今はあちこちにメールしまくっています。前回のような緊急入院と違って、予約入院だと色々準備ができて楽ですね。
それではまた。入院前にまたコメントさせていただくかもですが、取り敢えずはごきげんよう(^ ^)
はまーさん、おはようございます。私は今日もほとんど眠れませんでした。
私はうつ傾向になると過眠過食になり、長期化すると太ってしまいます。躁だと心身共に緊張状態になるのか、食欲が物凄く抑えられるのです。ここしばらく体重は少しづつ増加していたので、今回の躁で少しダイエットできないかなぁ、と思っています。
躁なので、喋り過ぎてうっかり個人情報を明かしてしまいそうになるのを気をつけていますが、ばれない程度に?自己紹介しますね。
私は東京の多摩地区在住で、都内にある某大学病院に通院しています。子供の頃からピアノを続けていて、今はたいした曲は弾けませんが、未だに伴奏を頼まれることがあり、昨年からバッハのカンタータの研究会(私はサークルと認識しています)に関わっていて、そのサークルから派生した合唱ではなく歌曲を少人数で歌うサークルでも伴奏を頼まれています。躁の時はよいのですが、うつになってなにも出来ないしたくない状態になると本当に困ります。練習をドタキャンしたこともあります。でも私はそのどちらのサークルにも双極性障害については話していません。ただ、医療関係の仕事をされていて、精神疾患についての知識がある方が一人いて、その人にはちらっと言いました。
合唱については知り合いが混声合唱団に入っていたこともあり、はまーさんがご存知か分かりませんが、以前は中学の音楽教材のレコーディングをしていたりもした『水の輪』や『コール・フロイント』の定期演奏会なら行ったことがあります。あとはかなり前に同志社大学OBの男声合唱団の練習のお手伝いを数回したり、『リーダークライス』という合唱団に知り合いが参加しています。
取り敢えずは今日はここまで、ということで。もし私の事でお聞きになりたいことがございましたら遠慮なく仰って下さい。
私ははまーさんの過去の記事も全て読みたいと思っていますので、何か気になる事などが出てきたら、その都度コメントを投稿させていただくと思います。鬱陶しいかもしれませんが、どうぞご容赦下さいませ。
はまーさんのブログに出会えて本当に良かったです。
先程、はまーさんからの返信に対するコメントを投稿しましたが、名前の入力を忘れて匿名になってしまっていました。申し訳ありません。
はまーさん、こんばんは。
カミングアウトの件に関して、詳細に教えて下さいまして本当にありがとうございます。大変参考になりました。
はまーさんはかなり前からうつ病や躁鬱病で苦しんでいらしたのですね。私の場合は精神科通院が始まったのは2009年12月か翌年1月からで、私も最初は抑うつ状態とかうつ病ということになっていましたが、抗うつ薬で初めて躁転した時は「そういうこともあるのかー」と思っただけで、当時の担当医から双極性障害についての説明を受けた記憶がないのです。2012年2〜3月に3週間ほど難病の方で検査入院した時(本当は入院しなくても外来で検査を済ますことができたのですが、その前にうつがひどくなり、私の母が難病の担当医に入院させてほしいとお願いしたのです。というのは2009年7月〜11月に難病で生まれて初めての入院生活を送った時、毎日楽しくて仕方なかったことと、母も同じ病院に入院したことがあり、かなり前からいくつかの科に外来に通っていて、その病院が大好きなので、ちょっと入院すれば楽しいバカンスになり精神状態が良くなるかも、と思ったみたいなのです。難病で入院させるかどうかは担当医次第という微妙な病状だったのですが、精神状態を心配して下さり、めでたく入院できたのでした。が)激しく躁転して、それまでの私なら有り得ない奇行?武勇伝?の数々を繰り広げたのでした。その時には双極性障害とされていてのかもしれませんが、私にその認識はありませんでした。通院のメモをちらっとみたら、2012年にはリーマスを服用しているので、2012年に双極性障害ということになったのかもしれません。
カミングアウトの件ですが、前の担当医に相談した時に「誰彼かまわず言うのはやめたほうがいいと思います」と言われました。よく考えると全ての知り合いに知らせる必要性が私の場合はないですし。躁や鬱で迷惑をかけてしまった人には理解していただくためにも説明する必要はありますよね。分かってもらいたい人に話す、という感じがいちばんよいのかな、と今は思います。でも今は躁だから、急に気が変わってぺらぺら喋ってしまうことも有り得るので、注意が必要かな、という感じです。
はまーさんのお蔭ですっきりしました。本当にありがとうございます。
はまーさんが丁寧な返信を下さったこと、新しい記事を書かれたことをとても嬉しく思います。でも体調が悪いとのことで、心配です。どうぞご自愛下さいませ。…このような時に言う他のよい言葉はないものでしょうか。「ご自愛下さい」はよい言葉だと思うのですが、それをしょっちゅう使うとその言葉に込めた思いがどんどん軽くなってしまいそうな気がするのですよね。
今回も長文になってしまいまして、申し訳ありません。
noirさま、こんにちは。
私は今では閉鎖してしまったのですが、以前はこのブログとはまた違う、個人HPを持っていました。残骸はここにあります。
http://www.yet-another-world.jp/hammer/
当初は趣味のことなどを掲載していましたが、うつ病(書き始めた頃はうつ病の診断でした)になってつらい思いをしてから、それを手記「カミングアウト宣言」と題してまとめ、病気になった経緯を書いていきました。
自分がうつ病であることは、最初はごく親しい友だちだけに話していたのですが、話してみると理解してもらえる、と思ったので、他の友だちや、自分が所属しているメーリングリスト(合唱団関係の複数のML、当時所属していた山岳会のMLなど)に、思い切って、
「自分はこういう病気にかかってしまいました。病気のことを知っていただきたく、その経緯をまとめたので、よろしければ読んでください」
とメールしました。確か2001年くらいのことで、多分100人以上にはメールが届いたと思います。その頃は「鬱」というものに対する社会的な認知度も理解も乏しく、そのため自分が苦労したので、「鬱」という病気があって、それはどんな病気か知ってほしい、そう思って、草の根的に自分ができることをやってみよう、と思ったのがカミングアウトした理由です。
自分のことを昔から知ってくださっている友人には、自分が怠けたり会社をサボったりする人ではない、ということを理解していただけているだろう、でもそういう人間でも、傍から見たら「サボっているように見える」鬱という病気がある、そういうことを知ってもらいたい、そういう思いがありました。
「カミングアウト宣言」は2004年くらいまで追記していましたが、それ以降は同時に書いていた日記がメインになっていて、ずっと更新はしていませんでした。そして「鬱」というものが社会的に認知されていき、「草の根的に鬱のことを広めたい」という自分の役割は終わった、と思って、中途半端に終わっていた「カミングアウト宣言」のページは何年か前に削除してしまいました。
メールに対して、色々な方から返事をいただきました。「そういう病気があるんですね」「ずいぶん苦労されたんですね」というメールも多かったのですが、中には「実は自分も鬱です」「自分の家族も鬱です」というメールもあって、一人で悩んでいる人もけっこういるんだな、と思いました。
鬱のことばかり書きましたが、「カミングアウト宣言」には躁のことはほとんど書いていません。それは、最後に更新した2004年に「躁鬱病」と診断されたからです。なので、その後の自分の躁状態のエピソードに関しては、この日記を読んでくださっている方は知っているかな、という感じです。(でも理解してくれているかは???ですが)
ただ、躁状態で迷惑をかけた人にはその都度「実は自分には躁状態というのもあって」という説明は個別にしています。明らかにいつもの自分と違って非常識な言動をしているので、病気だということは理解はしていただけていると思うのですが、でも厄介だな、と思われているかもしれません。相手はそうは言わないので、どう受け止められているかは自分でもちょっとわからないのですが。
だらだらと長くなってしまいました。少しでも何かの参考になれば幸いです。
はまーさん、度々申し訳ありません。
私は以前から病気のカミングアウトについて悩んでいて、はまーさんに躁鬱病のカミングアウトの事を教えて頂けたら、と思いまして。HPでカミングアウト宣言をなさったそうですが、拝見したくても探し方が分からなくて…。どうすれば拝見できるのでしょうか?
ちなみに私は難病の方は誰彼構わず話しているのですが、双極性障害についてはごく一部の人(難病で入院した時の仲間、うつ病になった友達、私にとって「師匠」的な方)にしか言っていません。比較的親しくても話していない相手は何人もいます。自分の中に精神疾患に対する偏見はないと思っていますし、仮に誰かに話したけれど正しく理解してもらえなかったり偏見の目で見られたりしたとしても「まぁ仕方ないか」と思うだけだと思うのですが、何だか言いづらいのです。難病のことで多くの方にかなりご心配おかけしてきたので、更にご心配おかけするのはちょっと…面倒なのかもしれません。
ただ、以前から私を知っている人に躁の時に会ってしまうと「何かおかしい」と思われたり、躁の時は普段と違い物凄く多弁になるので、自分からつい言ってしまったりしたことがあります。その時のようにひどくはなくても今また躁なので、うっかり言ってしまいそうです。
自分がどうしたいのかが分からないのですよね。
はまーさんがどのようにカミングアウトされたか、その後の反響等について、はまーさんの調子が良くなられて、気が向いた時にでも教えて頂けたら幸いです。宜しくお願い致します。
はまーさん、調子が悪くていらっしゃるのに返信下さいましてありがとうございます。
東大出身なのは私ではなく、三善晃氏です。念のため。現在活躍している世代の作曲家で東大出身の人がいるのか知りませんが(名が知れた人の中にはいないと思います)、昔は東大出身の作曲家って、結構いたのですよね。頭のよい人は何でもできるのでしょうか。うらやましい…。
三善晃の合唱曲『月夜三唱』と『麦藁帽子』はYou Tubeで聴くことができますので、気が向いた時にでも聴いてみて下さいませ。いずれも女声合唱のための曲です。私は学校の授業でしか合唱をしたことがないので、合唱曲については全然知らないのです。はまーさんは混声合唱をなさっていたのでしょうか?
はまーさんもうつだけではなく躁でも大変な思いをなさったのですね。「うつは自覚できても躁は自覚できない」は私は今の担当医に言われました。「躁になる時の兆候を覚えておきましょう」とも言われ、私の場合は睡眠時間が0〜3時間になる、ベッドに横になっていられない、となると躁傾向です。私も自分が躁だという自覚がなかった時は自制できなくて色々やらかしました(難病の方で検査入院した時に躁転して、病棟のラウンジでCDを聴いていたら思いっきり歌いはじめてしまい看護師さんが数人走ってきたり、夜中に知り合いに電話したり)。
私も「自力で病気をコントロールするなんて無理、結局薬でコントロールされるだけ、私の人格も薬次第」と思ったりしますが、前に難病仲間に「精神科の薬で気持ちが楽になるなら、それはそれでいいじゃない」といったメールを貰ったことを思い出しました。実際は薬のコントロールも思うようにいかなかったりするのですけれどね。
また長くなってしまい申し訳ありません。はまーさんもどうぞご自愛下さい。
noirさま、こんにちは。コメントをありがとうございます。お返事が遅くなってすみません。noirさまの書かれた曲は知らない曲ばかりだったので、どう返事を書いたらいいかな、と考えているうちに調子が悪くなって、すっかり忘れてしまっていました。重ねて申し訳ありません。それはそうと、東大出身とは凄いですね。
noirさまは躁鬱の波でご苦労なさっているのですね。私はここしばらくは躁転していないのですが、昔は頻繁に躁転して、1週間おきに躁と鬱を繰り返すラピッドサイクラーの時期もあり、その頃はリーマスやデパケンを服用していました。ただ、noirさまの書かれている通り、躁のエピソードは鬱に比べて圧倒的に少ないです。抗うつ剤が効きすぎて躁状態になったのかもしれない、と自分では思っていたのですが、入院中に激しく躁転した時に、「間違いなく躁鬱病」と医師に断言されました。ただ、自分でもいろいろ調べていると、躁鬱病には基本的に抗うつ剤は使わない、と書かれているのですが・・・。
うつ状態は自覚できるのですが、躁状態はなかなか自覚できず、非常識なことをやらかして周りの人に迷惑をかけてしまったり、衝動的に高額なものを買ってきたりして苦労しました。睡眠時間は長くて4時間。はたから見たら明らかに疲労困憊な顔をしているのに、疲れているのを自覚できずに何かやるのを自分で止められない、という状態にもなりました。やたら日記がだらだらと長くなってしまい、今読み返すと「なんじゃこりゃ?」という記事もあります。
なかなか自分で病気をコントロールできないのがもどかしいです。noirさまもどうぞご自愛ください。
こんばんは。少し前に過去の記事(三善晃が亡くなった時の記事)にコメントさせて頂いた者です。
私は数年前に難病(特定疾患)になり3ヶ月入院し、退院した後にうつ状態になり(入院中は治療薬のプレドニン(ステロイド)の副作用らしい「多幸感」で毎日幸せで楽しくて退院したくありませんでした)、色々な抗うつ薬を試して良くなったり悪くなったりを繰り返しているうちに躁転して(躁転した時の担当医は「こりゃまずい」な雰囲気を物凄ーく醸し出していました)、2年くらい前から双極性障害Ⅱ型ということになりました。
はまーさんは躁鬱病ということですが、過去の記事を拝見させて頂いたところ、躁のエピソードがとても少ないように感じました。パキシルやテトラミド、リフレックスといった、私が「うつ病」として通院していた時に服用していた薬が出てきたりしたので、はまーさんは躁鬱病ではなくうつ病なのかしら?と思ったりしました。双極性障害では基本的に抗うつ薬は処方されませんから…。
私は双極性障害となってからはリーマス(気分安定薬)を服用してきて、時々躁、時々うつ、で昨年は初の精神科入院(抑うつ状態)も経験しましたが、8月はまたうつ状態が続いて、今のはまーさんのような感じでした。双極性障害では躁になった時に落ち着かせる薬はあるのに、うつになった時に症状を改善する薬が無いのですよね。躁転するから抗うつ薬は使えないし。リーマスは躁にもうつにも効果がある薬と聞いたのですが…。で、うつにもっと効果があるというラミクタールを処方して頂き、27日から服用しています(今はリーマスと併用)。が、その日以降一睡も出来ない日が1日おきにあって(私は躁になると睡眠時間が0〜3時間になります)行動も躁の時みたいなのですが、気分は全く躁ではなく、躁とうつが混じったような妙な状態になっています。もしもラミクタールで躁転したとなったら服用中止になってしまうのだろうか、と今はそれが心配です。
…自分のことばかりで長くなり申し訳ありません。このように多弁なところや人様のブログにコメントするところをみると、今の私は躁ですね…。
はまーさんのこのところのご様子は少し前の自分と同じなので、かなり気になります。これからも拝見させていただきますね。
この時間になっても、まだしんどさが抜けない。こういうのは最近なかったのだが、ちょっと重症かも・・・。