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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

公務員の障害者募集の話。

来年の4月から週30時間なんて、とても自信がないのに、なぜみんな無責任に「大丈夫じゃない?」と言うんだろう、とずっと考えていた。

どうやらそれは、自分が最初に勤務していた会社を長い間休職した後、体調が十分整わないのに休職のリミットが来て、無理やり復職した挙げ句、半年ちょっとしかもたずに潰れたことがよっぽど大きなトラウマになっており、自分の心が極度に過剰反応しているから、と思い当たった。それも今まで自分が思っていたよりも大きな大きなトラウマのようだ。

あの時はちょうど躁転したタイミングで復職したため、いきなりぶっ倒れるということはなくて、出だしこそ順調だと思ったが、会社側からしたらぜんぜんだめだった。アウトプットを出せなかった。同じ職場の人にも迷惑をかけ、部長にはさんざん嫌味を言われた。体調を崩して1週間休んだら「ほら見たことか」というようなことを言われた。

2005年5月31日の日記をそっくりそのまま転載する。人事上はまだ正式な復職ではなく、「仮出社期間」として本当に復職可能か見極める期間のことだった。

うちの会社の嘱託医にはずいぶんお世話になっていて、職場復帰に向けて背中を押してくれたのもこの先生だ。何かあったら気軽にメールをください、とアドレスが入った名刺をくれていた。

そして、以下が今日私がその嘱託医に向けて出したメールである。

○○先生

××会社のの△△です。大変お世話になっています。
お忙しいところ恐縮ですが、ちょっと相談させてください。

今日、所属部長から事実上、戦力外通告、及び退職勧奨ともとれることを言われました。現在の自分は自分の職位(副主任○○級とかです)に値するだけの仕事ができていない。正直、入社数年次レベルの動きしかできていない。この状態で仮出社期間を終えたとしても、現場としては復職を認めることは難しい、と言われました。仮出社期間中に現在の職位に値するアウトプットを出すだけの仕事をやっていける、ということを示さないと現場は受け入れることはできない、と言うのです。

そして、このまま行くのか、これからペースをあげていけるのか、自分としてはどうしたいのか聞かれました。どうしたいのか、と言われても、自分としては予想以上に仕事ができていたつもりで、これ以上ペースをあげて、またつぶれるわけにはいきません。

今のペースをキープしたいのですが、それでは現場として受け入れるわけにはいかない、と言われると、どうしようもありません。つぶれるのを覚悟で無理やりペースをあげるか、おとなしく退職するか、どちらか選べと言われているようでした。さらに、

「この会社に残ることに固執する必要があるのか」
「実家の方には戻れないのか」

と、暗に退職を迫るようなことも言われました。

正直、○○先生と人事部、そして現場の上司の言われることがみんな違うので非常にとまどっています。○○先生は、仮出社について、

「昼間ぼうっとせずに、定時で会社に来てそれなりに仕事ができればいい」

というニュアンスでお話をされていたと記憶しています。

人事部の方の話では、時間的な点だけの確認(週5日、1日7時間半業務ができること)はしましたが、業務の内容に関しては、

「エンジニアとして一定のアウトプットを出せる業務をアサインしてもらうように部長には伝えてある」

と言われただけです。現在の職位に相当するレベルの内容かどうかはおいておいて、とりあえずエンジニアとしての仕事ができていれば復職は可能かと思っていました。

しかし、今日の部長の話は全く寝耳に水という感じで、正直どうしていいかとまどっております。○○先生との面接で、他の人の例と比べるとむしろ私は職場復帰直後にしては仕事をしている方だと思っていたのに、部長が認めてくれないということは非常に不本意なのです。

あと1ヶ月しかない仮出社期間において、今自分はどうすべきか悩んでいます。嘱託医として○○先生から人事部、現場レベルに何かしらの意見をしていただくことはできないでしょうか。

お忙しいところ非常に恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

という事態になっているのだ。なんだかなあ。どうなるんだろうなあ。

この退職勧奨を言い渡されたときのことは強烈に覚えている。要は「お前みたいな半病人は使えないから辞めたら?」と言われたのだ。こんなに頑張っているのに、こんなに頑張っているのに、こんなに頑張っているのに、病気という薄いのか厚いのかわからない壁のせいで全く評価されないのだ。「病気のためしんどいのでパフォーマンスが落ちているのです」は会社では通用しない。特にこの会社は裁量労働制で徹底した成果主義だったので、こういうできの悪い社員には厳しい。「しんどいんです」と言っても「お前、治って戻ってきたんじゃないのか」そう言われたこともある。

今現在、週20時間でもキャパオーバーだと思っているのに、来年から週30時間というのはかなり高いハードルで、正直今からどんなに調整しても無理なような気がする。またあの頃の繰り返しにならないか、そのトラウマが蘇って自分の心は萎縮する。殻をかぶったカタツムリ。丸まったアルマジロ。外に出るのが怖い。みんながみんな自分を攻撃する。

そういう事情を知らないから、作業所のボスが、他のメンバーが、利用している福祉施設の職員が、主治医が、友達が無責任にプレッシャーをかけ、トラウマをえぐる。もちろんみんな心から応援してくれているのだろうが、それは大きなハンマーで頭を叩かれて杭のごとく地中に埋まっていくようなもので、言われれば言われるほど意固地になって「そ・れ・は・む・り・な・ん・で・す」とそこから動けなくなる。

それは今の作業所が一度卒業したら戻ってきてはいけないというルールになっているというのもある。この作業所を卒業して次のステップに進んだ人は、「だめでした」と戻ってくることは許されていないのだ。だから「次にいくのはまだ怖い」と言ってずっと留まっているメンバーもいる。私も十分な準備ができないまま片道切符を手にして冒険するのは怖い。

結局自分は、「まだちょっと無理じゃないの?辞めておいたら」と言ってくれる人を探しているのだ。どこかに免罪符が落ちてないのか探しているのだ。逃げ道を探しているだけだ。臆病者なのだろう。

自分と向き合うのは難しい。このトラウマを乗り越える方法は1つしかないと思っている。ハードルを上げて、それを乗り越え、自信をつけることである。ハードルを下げて自信をつけてみたら、という人もあるが、そういう見せかけの自信をつけたところで実力が伴わないと何の意味もない。いざ現実の壁にぶち当たったとき、その高さが相対的によけい高くなるだけだ。自分でハードルを上げ、それを乗り越えてみせる。そうやって自信をつける。努力に裏打ちされ、成果を出してつけた自信こそ本物の自信なのだ。トラウマを乗り越えるのは、自分自身にしかできない。だけどそれができるのだろうか。来年の4月までに。

そして僕は途方に暮れる。


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