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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2005年7月15日

昨日は23時過ぎに寝た。割と早く寝付けたと思うが、夜中に何回か目が覚めたような気がする。夜中と言っても、もう朝方だったと思うが。6時25分に布団から起きて出てきた。気分は割といい。

しかし、仕事をしているとなんだかだるさを感じた。朝も昼も暑かったからだろうか。世間はクールビズと言うのにうちの会社は割と寒い。うちのフロアにマシンルームがあるからだろうか。夏場は外と中の気温差で体調を崩してしまう。今日みたいに暑い日が、これからずっと続くのだろうか。去年のような猛暑だったらたまらんなあ。

会社の帰りにTSUTAYAに寄った。彼女が「誰も知らない」を観たいと言うので、レンタルして今日の晩に観ようということになっていたのだ。が、一枚もない。全部レンタル中だった。やっぱこれは「星になった少年」の影響だろうか。彼女は「象になった少年」と言い間違えていたが、それは星になるより可愛そうかもしれない。象ならまだましかもしれないが。

で、代わりに今更ながらセカチューを借りてきた。私は去年入院中に原作を読んだのだが、感動してぼろぼろ泣いた記憶がある。もっともあの時期は躁状態が強くて感情の起伏が激しく、友人の結婚式でもぼろぼろ泣いていた。今でも涙もろいので、この映画を観たらまた泣いてしまうかも、と思って観たのだが「原作とぜんぜん違う〜」と思いながら観てたら終わってしまった。なんかあんまり釈然としない。まあ、原作とは別物と考えればいいのだろうが、なんだかよけいな登場人物が、しかもストーリー上かなりの鍵を握っている人がいろいろ出てきて、なんか違うのだ。カセットテープでやり取りなんかしてなかった。その運び屋なんてもちろんいなかった。婚約者なんていなかった。て言うか大人になった場面なんかなかった。小説では、もっとダイレクトなコミュニケーションでもっとストレートな純愛物語だった。やっぱり原作を読んだ話は映画で観ない方がいいというのは定説なのだろうか。