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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2002年2月

寝付きはまた時間がかかった。夜中にMZさんの足音やら何やらで何回も目が覚めた。2:30、3:00、4:30、5:10。夜中にがたがたやるのと、あのかたかたする足音はやめてほしい。いい加減に看護婦に言おうかな。まあ、ずっと眠れてはいたが、深く眠れていたかどうかはわからない。6:00の放送で目は覚めたが、まだ眠たくて起きるのに苦労した。H看護婦が「朝ですよ~」と部屋に来たときに「はまーさん大丈夫かな」とつぶやいて言った。電気をつけていかなかった。いつもは電気をつけてまわるのに。今日は気力がないわけではなくて単に眠たいだけだ。「起きなくては」そう思い、「目覚めのヨーガ」をやって何とか起きた。

喘息の薬をもらいにYK病院へ。8:03のバスに乗って行ったが、薬だけだとすぐで、9:00過ぎには終わった。

病棟へ戻ってからはのんびりした。15:00から山へ行って30分くらいオカリナを吹き、16:00からは久々にリラックス体操を時間をかけてやった。自律訓練法の後、覚醒暗示をかけるまでに半分夢を見ているかの状態になり、次々と空想が頭に浮かぶ。これは無意識レベルの思念の表出なのか。

主治医と面接した。けっこう時間を割いて話を聞いてくれた。今週調子を崩したこと、その原因として自分では焦りと不安が出てきていること、それは入院して半年過ぎたこと、Iさんが退院するときの不安な表情を見てから自分も不安になったこと、外泊から帰ってくるときに以前は病院に戻るとほっとしていたのが、今は「戻りたくない、いつまでいなきゃいけないんだろう」と思うようになっていること、先週の外泊が自分ではうまくいったと思ったのに帰ってくる途中の電車で寝てしまって「まだまだだ」とショックを受けたことなどを話した。「そろそろ何かやってみるとか、考えた方がいいかもしれませんね」と言われた。今までは外泊訓練という形でやってきたが、別の形の「訓練」というか「慣らし」というものを行っていくことを検討すべき時期かもしれない、ということだそうだ。とは言え、具体的に考えられるとすると、退院してデイケアに通うことくらいしか選択肢はない。この病院に通院とカウンセリングをしながら、どこか自宅近くの病院のデイケアに通う、そういう方法があるらしい。あまり早まらずにカウンセラーにも相談してからじっくり考えて決めよう。来週の月曜は祝日なのでカウンセリングはお休みだ。相談するとしてもその次の週になる。まあ、2月いっぱいはここにいるだろう。じっくり考えてみよう。

昨日は寝付くのに多少時間がかかった。眠れないな、と思って時計を見たら21:45だったのは覚えてる。22:00までに寝付いたのだろうか。だけど夜中は割とぐっすり寝たような気がする。4:30に目が覚めてからはずっと布団の中で起きていた。今日は6:00に起きた。

月に1度の体重測定。61.4kgと先月から0.2kg減っているが、これくらいは誤差の範囲だ。しかし、体脂肪率は先月から減少傾向にある。筋トレをしている分、体重は変わらなくても筋肉と脂肪の比率が変わったのだろう。

今日はけっこう人と話した。喫煙所でY子さんやNUさんと話す。NUさんは若いながらけっこう苦労してきたようだ。

朝、起きれなかった。目は覚めていた。ずっと前から。夜はちゃんと眠れなかった。何回も目が覚めたような気がする。ずっと夢を見ていたような気がする。6:00になっても動けなかった。6:30になっても7:00になっても動けなかった。I看護婦が来て、薬を飲ませてくれた。ひどい鬱まではいかないが、なんだか無気力だ。そういえばこれくらいの状態で会社に行けなくなっていた。なぜ体を動かせないんだ。ちょっと「えいっ」とかけ声をあげれば簡単に動けるような気がする。でも動けない。なぜなんだ。9:00過ぎにやっと起きあがってトイレに行き、ホールに出ていった。朝食はすでに片づけられていたが、牛乳をとっていてくれたので牛乳を飲んだ。なんか食べた方がいいと看護婦が言うので、非常食として置いておいたカロリーメイトを食べた。なんだか虚しい。なぜ自分はここにいるのだろう。いつまでここにいなきゃいけないんだろう。

11:00の昼薬を飲んでから売店に行き、牛乳とカロリーメイトと週刊アスキーを買って散歩に行った。

やはり何度も目が覚める。6:00まで寝ていたが、寝ているのか起きているのかわからない状態。自分ではもう目が覚めているような気がするが、夢は見ている。起きていて空想しているようだが、内容はわけがわからず脈絡はなく、浅い眠りの夢だ。何度も目が覚めたが、ある程度はぐっすり寝ていたのだろうか。

元気がない。疲れがとれていない。朝食後もずっと寝ていた。眠っていた。作業棟へは今日は行かないでいいや、そう思って寝ていたが、9:30頃起きあがり、やはり行こうと思って着替え、作業棟へ行った。

作業棟で体力トレーニングをやったが、その後やはりやる気がなくて、一般トレーニングはやらずに戻ってきた。鬱状態、不安定とまではいかないが、元気がない。気力がない。ハーブティーをいれて飲んだり、ホールを徘徊したりした後、ベッドで「よい依存、悪い依存」の続きを読み出した。あまり頭に入らない。

看護婦から呼び出しがかかり、今日のカウンセリングが10:30からに変更になったのを知らせ忘れていたので、すぐに行ってくださいという。時計を見ると10:35だった。まあ、この病院ではよくあることだ。フリースをはおってすぐに行った。

カウンセリングでは、半年を過ぎて焦りが出ていること、Iさんが退院する前の不安そうな顔を見てから自分も不安になってきたことなどを話した。趣味に関してもいろんな面で勝手に世話役をやっているのを、自分の共依存的な面かもしれない、という話をした。みんなに頼られることに自分は依存しているのではないか、自分の存在価値を無理矢理作り出しているのではないか。昨日帰ってくる途中で寝てしまって電車を乗り過ごしたことも話して、今回の外泊では自分でコントロールできたつもりで、疲れはたまってないと思っていたのに、後からどっと出てきて、疲れが自分にたまっていることが自覚できていなかったことにショックを受けたことも話した。今日不安定なのはそのせいかもしれない。それも話をした。いつになったら自分は変わるのか。少しずつ変わっては来ているのだろう。Kさんは私が変わったと言っていた。カウンセラーも半年いて変わってきてるはずだ、と言った。

最近は家で眠るときはぐっすり、という感じなのに、昨晩は少し眠りが浅かったような気がする。なんだかんだやって、寝たのは23:30頃だったか。3:00に一度目が覚めた。その後も眠りは浅かったような気がする。時計を見て5:30か、と思い、寒いので起きてエアコンをつけて、また寝ようとしたけど、もう起きれるや、と思って起きた。炊飯器のタイマーをセットしておいたけど、タイマーを解除してもうご飯をたこう、と思ってよく見ると、実は6:30だった。疲れは残ってない。

一昨日買い込んだ本の中から「よい依存、悪い依存」を読み始めた。自分は「組織に依存」するタイプなのだろうか。読んでいてそういう気がする。「調整役」にまわることが多く、育った家庭において「家族の顔色をうかがって、日々を送る」と書いてある。「幼児期を中心に、ひょっとすると彼は抱っこされた実感が乏しかったのかもしれない」自分にあてはまるような気がする。