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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2007年4月15日

昨日は21時半に寝ようとした。しんどかったから早く横になった。でも、横になってもしんどいし、横になっても眠れない。なんでなんだ。こういう時間がすごく苦痛なのだ。じっと横になっていることが出来ない。22時過ぎに起きて追加眠剤を飲んでから、またネットをしたりして、何時だったか忘れたが布団に潜り込んだ。しかし、まだ眠れない。多分10分くらい後だったと思うが、もう一度起きてDSでゲームをやっていたらようやく眠たくなってきたので、それでやっと眠れた。0時くらいになっていたと思う。

朝は7時過ぎに一瞬目が覚めて、その時に薬だけ飲んでまた寝た。次は8時過ぎに目が覚めたがなかなか動けず、布団から出たのは8時45分だった。起きた時点ではそれほどしんどくはなかった。

しかし、だんだんしんどくなってきて、昼頃にはちょっと横になっていた。眠ってはいなかったが、寝ていても体がだるい。そしてそのだるさは一日続いた。夜になってもしんどい。以前は夜になる頃には回復していたのに。

私は開き直ることにした。開き直るというのは、生きていくための最終手段「生活保護」を視野に入れる、ということである。病気になってから、私は今まで仕事をしなくてもお金をもらっていた。休職中は会社の健保から傷病手当金、失業してからは失業給付金、そして障害年金。しかしこれらは全部「保険」である。健康保険料を払っていたから、雇用保険料を払っていたから、年金をちゃんと払っていたから、自分がこのような状態になっても受給できている。

しかし生活保護は違う。完全に税金から恵んでもらう「お情け」であり「ほどこし」である。もちろん憲法に掲げられている基本的人権の生存権を保証するための、れっきとした社会的制度であるが、いろんなプライドを捨ててきたものの、「生活保護にだけは頼りたくない」という思いがあった。

しかし、そこにまだプライドが残っていた。今の自分を、自分を取り巻く環境をありのままに受け入れる。働きたいけど働けない。働けないとお金がかせげない。月額にして6万円ちょいの障害年金で暮らしていけるわけがない。そういう人のための制度なんだから、いざとなったら堂々と利用すればいいではないか。所得を隠して不正受給したりする人が多くて問題になっているが、うちは夫婦揃って障害者なのだから。

そう思ってみたら、少し肩の荷が下りて軽くなったような気がした。今までは「失業給付金もあと2ヶ月で切れる。このまま病状がよくならなかったらどうしよう、回復しても仕事が見つからなかったらどうしよう、そして貯金がなくなったらどうしよう」と「どうしようどうしよう」が頭の中をぐるぐる回っていた。それがずっと自分に重くのしかかっていた。「いざとなったら生活保護、人生なんとかなるだろう」そう自分に言い聞かせてみたら、気が楽になった。誰かが耳元で囁いたような気がした。「ケセラセラ」と。