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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日に引き続き、今日もあまり調子はよくなくて、寝てる時間が多い。まあ、波がある病気なので、調子の善し悪しで一喜一憂しない方がいいだろう。放っておいても回復するさ。

それはそうと、昨日から近距離のものを見ていると目が痛くなるようになった。テレビを観たり、PCの画面やiPadDSなど細かい画面を見たりしていると、目がしょぼしょぼと痛くなってくる。眼球の中から熱くなるような感じがして、涙が出てくる。そうしてPCの画面の文字がかすんでくる。疲れ目かなあ。でも、こんなに急に疲れやすくなるものか?一晩寝たら治るかと思ったが、今日もまだ同じ状態。明後日に視野検査で眼科に行くから、そのときに相談しよう。

しかしまあ、ここのところ、病院の予定ばっかりである。

一昨日の金曜日には、午前中は妻のCT検査に付き添って行って、午後からは内科クリニックへ通院。いつものように血圧を測って、それは問題なかったのだが、不整脈が増えたので24時間心電図検査をやることになった。これについては後述。

明日の午後にはメンタルクリニック、明後日の午後に眼科で視野検査の予定が入っている。視野検査は2年くらいやってないが、視神経乳頭陥凹拡大の自分は、定期的にやらないと緑内障を見逃したりしかねないのだ。何年か前に眼球のCT検査もやったが、そのときは「境界線上」でぎりぎりセーフだった。ただし当然ながら「要経過観察」の状態。

さらに、今週の金曜日には妻がCTの検査結果を聞きに行くので、それに付き添いで行くつもりだし、そろそろ抗ヒスタミン剤が切れるので、皮膚科にも行かないといけない。

それに加えて、前述した「24時間心電図検査」を明日から明後日までの2日間でやることにしたため、明日と明後日のと午前中に内科へ行かないといけない。2日続けて、いや3営業日続けて2つの病院をはしごするはめに。

24時間心電図検査」というのは、ポータブルな心電計(「ホルター心電計」というらしい)を体につけて、文字通り24時間の心電図を記録する検査である。1日目に行って電極をペタペタはって心電計をつけ、2日目に行ってそれを外す。この結果をコンピュータで解析して、平常時や歩いているときなど、どういうときに不整脈が増えるかを調べ、何らかの病気の可能性がないか調べるらしい。

この検査はいつやってもいいが、つけてから外すまで、ずっと家で寝ていた、のではあまり意味が無い。なので、わざわざこの忙しい予定の間に放り込んだのだ。他の予定はともかく、メンタルクリニックへは多少無理をしてでもいかないといけないゆえ。

こうやって日記を書いている間も、目が痛くて涙ポロポロである。自分の体はどんどん蝕まれていくのだろうか。

なんだか調子が今ひとつ。

めちゃくちゃしんどいというわけではないが、決して調子がいいというわけでもない。なにもする気力が起きない。テレビを見ようとしたが、内容がさっぱり頭の中に入ってこないので消した。本も読めない、ゲームもできない。何もできなくて、ただぼーっとしている。午前中には1時間くらいだが二度寝してしまった。

エビリファイを服用してから、全体的に少しよくなったのだが、まだまだだ。一度開き直って何もかも放棄したつもりだったが、ここにきてまた焦りが出始めている。

自分はこれからいったいどうすればいいのか。

阪神淡路大震災から、もう19年も経つのか。

今になって思い返すと、友だちのことはさんざん心配したのに、家族の心配は全くしてなかったな。なぜだっけ?

まあ、うちの実家は大阪と言っても、ほとんど奈良県だからなあ。

今日の横浜の最高気温は4.4℃であったか。この冬一番の寒さだ。しかしそれでも、この部屋はサーバ機のPCが常時稼働しているせいか、そんなに寒くない。暖房を入れずにフリースを重ね着してしのいでいる。エアコンは冷房より暖房の方が電気代を食うのだ。

しかし、風呂には入らんといかん。アトピーの自分は、1日風呂に入らないだけで体中が乾燥し、頭はめちゃくちゃ痒くなる。それなのに、うちの風呂は北向きでものすごく寒い。なんせ壁1枚隔てたすぐ向こう側は外である。しかも風呂場も、打ちっぱなしのコンクリートにペンキを塗っただけのような感じで、保温もへったくれもない。洗面所も寒い寒い。風呂から上がった時が一番地獄である。

この寒い中、風呂に入るのはかなり勇気がいる。いつかヒートショックを起こしそうだ。

今日は成人の日。テレビでニュースを見ていると、艶やかな着物を着た新成人たちが笑顔で歩いているのが紹介されている。

学生時代の話になるが、自分は4回生になるときに留年することが決まってしまった。自分が所属していた情報工学科では、3回生が終了した時点で、一般教養の単位を全て取得していないと、その時点で留年が確定する決まりになっていた。同じ工学部でも学科によってルールが異なるのだが、うちは厳しかった。そして、自分はドイツ語の2単位だけ取りそこねてしまったのだ。

そういうわけで、自分は同級生とは一緒に卒業しなかった。そして、今になっても自分でも信じられないが、自分が卒業しないためか、「卒業式というイベントがある」ということを忘れて、サークルの合宿に行ってしまった。卒業式がその間にあるというのに。

自分が入っていたサークルのボックスには、卒業式を終えた同級生が集まっていたらしい。情けないことに、その中には当時付き合っていた自分の彼女もいたのだ。お祝いに駆けつけて当然な状況で、なぜそんな大事なことも忘れていたのか、今になっても不可解である。彼女からしたら、当然来るものだろうと思って、きっと待っていたに違いない。「違いない」と書いたのも、そのことについてあとから話をしたかどうかも忘れてしまったからである。重ねて情けない。

ちなみに上に書いた「ボックス」という言葉は、関西ローカルで「部室」と意味で使われている。「4回生」というのも主に関西の大学で使われていて、いわゆる「4年生」のことである。社会人になって上京してから、いろんな言葉が通用しなくてカルチャーショックを何度も受けた。

それはさておき。

4月になって、みんなが社会人になったり大学院生になったりし、新年度が始まった。ある日、卒業式の日の写真が入ったフォトアルバムが、ボックスに置かれてあった。そのアルバムで、同期の連中の晴れ姿を見て自分ははじめて知った。

「大学の卒業式では、女性は着物を着るのか」

いや、マジで知らなかった。知っていたら、卒業式をすっぽかして合宿に行ったりはしなかっただろう。4年間も大学に通っていて、なぜそんなことも知らなかったのか今でも不可解だが、先輩の卒業式はいつも春合宿と重なっていたし、なんか偶然が重なって(←それはちょっと苦しい言い訳だぞ)、とにかく知らなかったのだ。それとも、知っていたけどすっぽり頭から抜け落ちていたのだろうか。今となってはわからない。どちらにせよ、そこではじめて自分の彼女の着物姿を見た自分は

「これはえらいことをやっちまった・・・・・」

と改めて思ったのだった。せっかく晴れ着姿で来たのに、自分の彼氏がいつまで経っても現れないという、不憫な目にあわせてしまった、と自己嫌悪に陥ってしまった。

卒業式ではないが、成人の日に着物姿の女性がクローズアップされるたびに、そのときのことを思い出してしまう。

それから1年後の卒業式の日、自分は東京にいて学会で発表をしていた。当然卒業式には出られなかった。前年の報いを受けたと思っている。

そういうわけで、未だに自分は大学の卒業式というものがどんなものか知らない。うちの大学の卒業式は名物なので、毎年のようにニュースで出てきたりはするけれど、それも卒業してから知った。

過去を引きずってばかりいる自分がまた一人、ここにいる。