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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

う~ん、昨晩は何回も目が覚めたぞ~。6回くらいは覚めたかもしれん。最初に目覚めたら23:00。21:00に眠剤もらって寝てから、多分寝付いたのがその30分後くらいだと思うから、1サイクルか。あとは毎回時間は確認してないが、まだ2:00か、と思った記憶はある。5:00に起きようかと思ったけど、これだけ目が覚めると眠りは浅いだろうから、ぎりぎりまで寝ようと思い、6:00の起床を知らせる放送で起きた。「全身の細胞よ、目覚めよ!」一瞬くわっと念じたら、今日は割とスパっと起きることができた。

朝食後、相田みつをの本を広げる。最後まで読んでしまった。「七転八倒」という言葉に添えられたエッセイを読んで「なるほど」と思った。「七転び八起きではありません。人生は転んだり倒れたりの連続です。でも、転ぶのも倒れるのも、具体的に行動に移さないと起きません」その通りだ。転んでも倒れてもいいから、とにかく前へ進もう。

その後に出てきた「バランスの図式」も「なるほど」と思った。
「心」× 「技術」 = 「作品」
 9 ×  1  =  9(失敗)
 8 ×  2  =  16
 7 ×  3  =  21
 6 ×  4  =  24
 5 ×  5  =  25(最高)
 4 ×  6  =  24
 3 ×  7  =  21
 2 ×  8  =  16
 1 ×  9  =  9(失敗)
というもので、「心」と「技術」のバランスが取れて、はじめて最高の作品ができあがる、というものだ。これはぜひこれからこころがけよう

8:00くらいまで休んでから、昨日発見した「音楽堂」へ行ってみようと思い、病棟へ出た。病院の敷地内の山道を通っていき、音楽堂へ。そこのステージでオカリナを吹いてみた。コンサートで演奏予定の5曲を通して吹いたあと、「竹田の子守歌」の最後の部分、3度のポルタメントの練習をする。少しこつがつかめてきた。あとは繰り返し練習だな。

オカリナを吹いたあと、昨日とは別の方向の道に進む。はじめて歩く道だ。それにしても、病院の敷地内にこんな山道があるなんて。他の病棟や海が見える見晴らしのいい山道に出たあとは、クモの巣だらけのヤブこぎ道。こんなところまでちゃんと整備されているはずはなく、生い茂った草で道がよくわからず、一度は「登山道」からはずれてしまい、引き返して来たりした。「ひょっとしてこっちかな?」とわずかなトレースを頼りにヤブを漕いでいくと、普通の山道に出た。そこを下っていくと、グランドから音楽堂の方面へ出る道への分岐点に出た。久しぶりに山を歩いたみたいで嬉しかった。

散歩すると調子がいい。今までは散歩と言っても、すぐそばのグランドに行ってオカリナを吹いて戻ってくる程度だったが、これくらい歩くと体が目覚めるようだ。今まで「作業療法まで体を休めよう」としてたが、これからは散歩してアップすることにしよう。

作業棟へ行って、基礎データを計る。あれ、心拍数104?もっと正常値に近いと思ったのに、やっぱり100を超えている。しばらくじっとしていたが下がりそうにないので、体力テストを始める。すぐに心拍数が上がっていったので、これはまた悪い結果が出るな、と思ったら、途中で打ち切られて「6段階中の1。劣る」が出た。通常は10分の測定なのに、最初から心拍数が高いと途中で打ち切られることがあるのだ。前も一度あった。少し休んでから、もう一度体力テストにトライすると、今度は「6段階中の3。普通」だった。うむ、散歩くらいではアップにならんか。今日はその2回目のデータを元に、20分2セットを漕ぐ。割といい数字が出た。インターバルでのひねりを入れた腹筋も忘れずにやった。

病棟に戻ると、昨日までHさんがいたベッドに新しい患者が入っている。閉鎖病棟から移ってきたそうだ。大柄でおだやかそうな人だ。大いびきをかかなければいいが。どうやら閉鎖病棟からこの開放病棟へ移ってもいい患者はまだいるそうなのだが、順番待ち状態らしい。

入浴の前、畳のところで順番を待っていると、看護婦のTさんがHさんの髪を切っていた。Hさんは多分20代の女性だが、いつも無表情で一言もしゃべらない。そしていつもゆっくりと廊下を行ったり来たりしている。Tさんが「これでどう」?と彼女に尋ねると、低い声で「見えない」ぼそっとそう言った。彼女が喋るのをはじめて聞いた。Tさんは「そうねぇ、美容院みたいに大きな鏡じゃないからねぇ」と言ったが、そこではたと気づいた。「大きな鏡」これは精神科の病棟に置いたら、何か効果があるのではないだろうか。

飛び込み自殺が多い駅では、プラットホームに鏡を置いたら、自殺者が減ったという話を聞いたことがある。また、エレベータを待っている人がいらいらするのを解消するため、エレベータホールに鏡を設置することによって、いらいらする人が減ったという話も聞いたことがある。鏡は自分の姿を客観的に映し出す。いずれも鏡に映った自分の姿を見て、自分は本来の自分を取り戻す、つまり「我に返る」ということだったと思う。別に自殺を防がなくても、鏡に映った自分の暗い顔を見て「あ、いかんいかんもっと笑顔にならなきゃ」そうやって無理にでも笑顔を作っているうちに、心が明るくなってくることはあるかもしれない。そういうのを取り入れている精神科というのはあるのだろうか?

そして、以前思いついたことで実行しなかったことを思い出した。「枕元に鏡を置いておいて、朝起きたらまず自分の顔を見て表情をチェックし、笑顔でその一日をスタートしよう」そうだ、今からでもやってみよう。鏡を買ってこなくちゃ。

入浴後、喫煙所でKさんがOさんに「この辺、おもしろいよ。読んでみて」と文庫本を渡す。森田療法の本だ。それからいろんな療法についての話になった。世の中には心の病を回復するための、○○療法と名のついたものが、医学的に認められたものから胡散臭いものまでたくさんある。みんな自分のことだけに、私のように本をいろいろ読んだり、心理療法士や精神科医の指導を受けたりと、いろんな療法に詳しい。話をしていて意見が一致したのは、結局どの療法が正しいとか正しくないとか、一番いいとか悪いとかそういうのはなくて、「自分にあってるかどうか」というのが重要なんだね、ということだった。それはおそらくその通りだろう。だから、手当たり次第に自分にあうものを見つけていろんな療法を試してみるのも悪くはないかもしれない。とは言え、そんなにすぐに自分で始められるものばかりではない。医師や指導者などの適切な指導の元で行わないといけないので、そんなに手当たり次第に、ということはできないだろう。前にも書いたが「インチキでないのなら」催眠療法は一度試してみたいと思っている。

情報セキュリティの参考書を読み進める。「管理的セキュリティ対策」を読んでいるところだが、主に人間系のセキュリティ対策だ。内部犯罪のリスクを軽減するために「予防牽制機能」という言葉が出てきた。うわ、試験でこの漢字書けるかな。それはおいといて、いやでもちゃんと書く練習をしとかないと試験で困ってしまう。えと、それはそれとして、その内部犯罪予防の基本は「従業員の心の健康状態を定期的にチェック」だそうだ。おお「心の健康状態チェック」ぜひやってもらいたいものだ。内部犯罪の牽制のみならず、精神的な病気の兆候をも発見できることだろう。

喫煙所で話をしていて、今度は薬の話になった。薬を飲んでいる間は男も女も子供を作ってはいけないそうだ。何か影響があるらしい。それだけでなく、薬を飲まなくなってもよくなっても、何か影響が残るため、その後5年間はやはり子供を作ってはいけないらしい。さらに、再発を防ぐために治っても5年間は薬を飲み続けさせる方針の医師もいるらしい。と言うことは、10年は子供を作れないという可能性もあるということか。子供を作るのはあきらめた方がよさそうだ。それ以前に嫁さんが見つからないとしかたがないが、これでまた結婚が遠のいた。

夜、ACの本を読み進める。自分を変えていくプロセスが次々と出てきて、本当はそのプロセスを書かれている通りに進めていく必要があるのだが、全部読み流す。が、今からでも始められることがあれば、すぐに始めよう。

と書いているうちに20:00になった。就寝準備をしてから、寝るまでこの本を読み続けるとしよう。

う~ん、眠いぞ頭がぼ~っとしてるぞ~。5:30くらいから目は覚めてたが、しゃっきり起きることができずにそのままベッドの中にいて、6:00の起床の放送がかかってもすぐには起きられず、6:05頃にやっと起きてきた。別に鬱ではない。ただ眠いだけだ。洗面してもコーヒーを飲んでもラジオ体操をしてもまだ何となく眠い。眠剤が残っているのか?それにしては夜中に2,3回目が覚めた。時間はチェックしなかったが、中途覚醒は続いている。夜中に目が覚めなかったことは入院してから一度もない。中途覚醒があるというのは、眠剤の効果がそこで切れているのだろうか。まあ、朝寝ぼけてるけどちゃんと起きてるし、それは普通の人と同じかもしれない。

朝食をはさんで、私よりも軽いけど、やはりうつ病を抱えた友達からのメールに返事を書く。一週間以上も返事を出すのを忘れていた。彼女は月に2,3回休んでしまうものの、なんとか職場にいっているようだ。無理をしないといいが。

今日は8時に病棟を出て皮膚科に行く。バス停まで行くのに近道をしようとしてグランドを周回する道を通らずにグランドを横切って行ったら、その道に出ずに山の中の仕事道に入っていってしまった。まあいいや時間に余裕はあるし、そのうち普通の道に出るだろうと思って歩いていたら、以前に聞いた「音楽堂」なるものを発見した。そうか、ここにあったのか。石造りのちょっとした舞台と十数人も座ればいっぱいの観客席。ここで何かコンサートできないかな。オカリナの練習をするにはうってつけかもしれない。

皮膚科は、建前上は8:30受付開始で9:00診察開始だが、ちょうど8:30に着いたところ、すでに開いていてたくさんの人がすでに待合室にいる。診察券を入れ、「来た順番通りに診察しますので、お名前をお書きください」と書かれた紙に名前を書く。私はもう診察の必要はなく、薬だけもらえばいいので「飲み薬のみ」と付け加える。

バスに乗って病棟に戻ると、ちょうど9:30で体育館レクにみんな出発するところだった。今日はちょっと人数が少なく、前半のドッヂボールはあっけなく終わってしまった。そして後半は、なんと「フォークダンス」だった。10月10日に「運動会」があるそうだが、それに向けての練習らしい。「マイムマイム」と「オクラホマミキサー」を踊る。実は「マイムマイム」は私ははじめてやるのでステップがわからなかった。そういうMIMEはRFCで定義されていないので私は理解できない。いやそうではなくて「パントマイム」なら多少できるのだが…。でも簡単なのですぐに覚えられたが、これがどうして、ずっと続けてやっていると結構疲れる。改めて子供の頃は体力があったんだなぁと実感する。「オクラホマミキサー」はみんなうろ覚えで、しかも人数が少なくて2重の輪になるのが難しく、なんかてんでばらばらだった。この歳になってフォークダンスをやるとは思わなかったが、やってみると結構楽しかった。

週刊アスキーを読んでると、100GBのHDDで29,500円というものが紹介されていた。この急速な大容量化はなんなんだ。100GBもあって何に使うんだろう。そういやHDD内蔵テレビなんてのが発売されているが、あれみたいに「PCでビデオ録画」なんかをやっちゃう日が来るんだろうか。

Kさんが退院の準備で荷物の整理をしている。余っている箱ティッシュと電池をもらった。Hさんは荷物の整理が終わっているようで、大きなバッグが置いてある。2人とも同時にいなくなってしまうのは寂しい。

KさんとHさんをみんなで見送りに行った。Hさんは近くに住んでいるので自転車で帰っていった。その後Kさんをバス停まで見送った。いい人ばかり退院していく。と言うか、ここの病棟はいい人ばかりだ。「今はここ穏やかでいいね」誰かが以前に言った言葉だ。その人が前に入院していたときは、「仕切り屋」みたいな性格の人がいて、ちょっと雰囲気が悪かったらしい。今はこの病棟はとてもなごやからしい。

見送りの帰りに売店によると「今日の健康」という雑誌に眠剤の解説や、商品名で眠剤の種類を分類している記事があったので買った。私は財布を持ってなかったが、他の人も読みたいというので、じゃあみんなで回し読みしましょう、ということで他の人がお金を払った。

2人と入れ替わりで、私と同じ病室に新しい患者が緊急入院してきた。緊急入院というと、普通は閉鎖病棟に入るような気がする。外来で来てそのまま帰らせずに入院させるらしいが、それは「措置入院」ではなく「任意入院」なのだろうか。「措置入院」だったら間違いなく閉鎖病棟行きだが、そうでないと言うことは任意入院なのだろう。それでもって緊急性を要するというのは、どういうことなのかよくわからない。

テレビを見ていると、「オータムジャンボ宝くじ」なるものが発売されたらしい。なになに、またジャンボ宝くじが増えたのか。う~ん、また買ってしまいそう。宝くじは私がやる唯一の「ギャンブル」だ。まあ、「ギャンブル」とはちょっと違うんだろうけど。負け続けて金をつぎ込む、ということはなく、1年に何回、1回にいくら、と決めてやっているので「依存症」ではない、うん。「夢を買う」くらいの楽しみはあってもいいだろう。

情報セキュリティアドミニストレータの参考書を読み進める。暗号、認証関係のところだけでもかなりの量だった。なんかものすごく複雑で、暗号化した署名をつけた本文をさらに暗号化して…、とそこまでやらないといけない世の中なんだなぁ。そしてその次の章「情報セキュリティ対策の全体像」に入る。まだ読んでいる途中だが、私にとっては常識のことばかりなのでさくさく読んでいく。

新しく入ったWさんは高校の教師らしい。同室のRさんが「あ、お久しぶりです」と言っていたので、はじめての入院ではないらしい。長髪で髭を伸ばしていて、一見して美術の先生かな?と思ったら、奥さんとの会話で「絵の搬入がどうのこの」と言っていたので、どうやらその通りらしい。緊急入院しただけあって、ずっと寝ている。

依存症の本を読み終える。世の中には様々な依存症があるが、病気として認識されているのはごく僅かであること、自分は依存症に陥りやすいタイプであること、依存症にならないように注意することなどが学べた。「依存症にならないように注意すること」は、ほとんど「うつ病にならないように注意すること」と同じだ。

先週から今週にかけて鬱の波が多少あったが、昨日今日は落ち着いている。この状態が持続できればいいのだが、次の日曜日に久々に歌の練習に出るために外泊するので、そこでまた調子を崩さなければいいが。久々の外泊だが、以前よりストレス耐性はできているだろうか?

外泊していたKさんが帰ってきて話をする。退院は10月15日の予定だそうだ。O嬢も同じ日に退院するらしい。Mちゃんは今日から4泊の外泊に出ており、それが成功すれば退院だと言っていた。この間も2泊して、それが成功すれば退院だとか言っていたが、もう少し様子を見ることになったのだろうか。外泊の成功、それはうつ病の場合はうつ状態に陥らなかったり、鬱が出なくても私みたいにストレスでやられたりしなかったり、Mちゃんの場合は不安から来るリストカットをしないことを意味する。アルコール依存症患者の場合はもちろん「飲酒しないこと」である。

読むのを中断していた「アダルト・チャイルドが自分と向きあう本」の続きを読み出す。この本は、ただ読むだけでなく、その中に出てくる「ワーク」をやっていかなくてはならない。その中の「原家族ワーク」で以前私は落ちてしまった。このワークをちゃんとやるには、自助グループなりカウンセラーなり、他の人とそのワークで出てきた感情をわかちあわなければならない。それがきっかけでカウンセリングをお願いしているのだが、心理の方からまだ返事は来ていない。とりあえず、「ワーク」自体はやらずに読むだけ読んでみる。まじめにやると、また落ちそうだ。

読み進めていくと、「自分の感情をありのままに受け止める」というために「日記をつける」というワークがあった。なんだ、これなら毎日やってるじゃないか。自分が感じたこと思ったこと、ありのままの自分をそこにさらけ出す。「感じたことが『正しいかどうか』を評価する必要はありません。この一日、たくさんのことを感じた自分をほめましょう。」そう書いてある。「自分をほめましょう」この本で何回も出てくるフレーズだ。ACは本来の自分の感情を押し殺して生きている。そして「自分がいけないんだ」というのが根底にある。自分をほめるのが下手なのだ。「あなたが悪いわけではない。もっと自分をほめていいんだよ」それがACである自分から自分「インナーチャイルド」へのメッセージだそうだ。

さらに読み進める。「親との関係を作り直す」実際の親との関係というより、自分の中で親に対して抱いている感情を再構築するようなイメージだ。「ワークを通じて親への怒りを感じても、それを直接親にぶつけてはいけない」う~ん、ワークを通じてではないが、この間ぶつけてしまったぞ。でも親は親で、家族に問題があること、それがどういう問題であるのかを認識してもらいたい。いったいどうすりゃいいのか。やっぱこの本を送ってみるかな。書き込みはなしで。

タイムリミットだ。現在8:50。一服してから眠剤を飲んで寝よう。

昨日は21:00に就寝後、目が覚めると1:30だった。もう少し長く眠れないかな。最近はけっこう長く連続して眠れていたのに。その後3:00、4:00と目が覚め、それからあまり眠れなくなったので、4:40頃にホールに出てきた。すでにたくさんの人が起きてきている。

Mちゃんが自分の話をしている。学生時代にアメリカに1年間留学していたとか、そういう話から、K君が作業療法士になりたいという話、それならいっそアメリカに留学にしたら、という話になった。K君がMちゃんの一つ年下ということを知り、K君を弟のようにかわいがってなでなでしている。また弟のことを思い出して泣いている。いつになったら彼女は「弟が死んだこと」を受け入れられるのだろうか。死んだ人間はその時点から美化され始める。

朝食前に相田みつをの本を開いてみた。うん、いいことが書いてある。みんなが「いい」ということだけある。中には「目を自分の内側に向ける」というような、一見「道は開ける」と矛盾しているような言葉もあるが、言葉尻だけとらえてはだめだろう。別のものごとについて別の角度から見ると、そういうこともいい場合がある、ということだろうな。「むりをしないでなまけない わたしは弱い人間だから」という言葉には少し感銘を受けた。この本は、本当に悩んだり鬱に陥って、次の多い小難しい本も読めないときには開いてみるといいかもしれない。

洗濯機は2台あるが、右側の方はなぜか時間がかかる。最初に残り時間が「31分」と出るのだが、とても31分では終わらない。どうやら、右側は水の出が悪いので、時間がかかるようだ。洗濯機に洗濯物を入れ、25分くらいたったところで見にいくと、「18分」の表示だった。すすぎのための水がちょろちょろと出ているところだった。ふと思いついた。「自分でバケツで水を汲んで入れてやれば、早く終わるのではないか?」試しにやってみた。水をある程度入れたところで、洗濯機がすすぎモードに入って回り始めた。成功である。よし、これで洗濯時間を節約できるぞ。最初にまず注水するときも、バケツで水を汲んでやるともっと早く終わるに違いない。みんなで共同で使っているので、入れっぱなしにはできず、洗濯が終わるまでは散歩にも行けなかったが、これで待ち時間を節約できる。

洗濯が終わって干しに行き、そのまま散歩に出かける。みんなから誘われたが、洗濯が終わるのを待ってるので先に行ってて、と言っておいた。みんなはこっそり病院の敷地内を抜けて海まで行ってから敷地内に戻ってきて一周しているらしいが、今からでは追いつけないので敷地内を歩く。途中で合流し、病棟の近くのグランドまで来た。みんなはもう一周すると言って行ってしまい、私は一人でオカリナを吹いた。1月のコンサートで吹く曲の練習と、あと何曲か。オカリナのCDを聴いていると、ポルタメントをやっていたので練習してみる。穴を塞いでいる指を少しずつスライドさせていくのと、息の加減を調節すると、以外に簡単にできた。3度のポルタメントもやってみた。何回かやっているうちにそれっぽくなってきた。よし、「竹田の子守歌」の最後はこれでいこう。

散歩から戻って、環境整備に入る。今日は窓を重点的に拭いた。今まで内側だけしか拭いてなかったけど、外側も手を伸ばして拭いた。が、両側から手を伸ばしても届かないところがVの字に残っている。ちょうど自動車のワイパーのように。そこが気になるが、人生にはあきらめないといけないこともある。潔くあきらめよう。

午前中はセキュリティ関連の記事を読み進める。最初はファイアウォールの基礎。続いて「電子署名法」についての記事。そうそう、買ったのにぜんぜん読んでなかった参考書があった。それをぱらぱらと見てみる。この辺のことも載っている。やはり理解しておいた方がよいだろう。この記事では技術的な解説はあまりなく、法律の内容について書いてあるので、技術的な部分は参考書で勉強することにしよう。

ということで、午後から参考書を読み始める。最初から順番に読むんではなくて、目次を見て自分の知識が足りなさそうなところから読んでいこう。そうしなさいと「はじめに」に書いてある。技術的なところは今まで日経BP社の雑誌記事でけっこう理解できたので、「情報セキュリティアドミニストレータの役割」から読み始める。

同室のHさんとKさんが明日退院する。6人部屋で、私の隣と、そのまた隣のベッドが一気に2つ空いてしまう。2人ともとてもいい人だったので、なんだか寂しい。退院しても元気でいてほしい。Hさんは4回目、Kさんは2回目の入院だ。「また戻ってきたときにはよろしくお願いします」連絡会のときの退院の挨拶でKさんは冗談まじりにそう言ったが、そうならないように祈るばかりだ。

外泊中のKさんに送ったメールの返事が来ている。会社の上司と産業医と話し合って、今後は体力作りと、勤務状態に近い環境に慣れる訓練をし、その上で職場復帰するそうだ。私も同じような経過をたどるのであろう。そう言えば、今朝看護婦さんに「ここからしばらく会社に通うという手もありますよ」と言われた。そうだ、いきなり一人暮らしで会社通勤、というのは危険だから、復帰するときは徐々に慣らし運転を、ということを考えていたが、ここからなら会社に通えなくもない。まだ当分先の話だろうが、状態が安定し、自信がついてきて退院のめどがたったら会社の人とも相談しよう。

連絡会の後、「依存症」の本を読み進める。世の中にはアルコール依存症や薬物依存症だけでなく、摂食障害もまた依存症の一つであり、他にもギャンブル依存症、セックス依存症、買い物依存症、テクノ依存症、仕事依存症など、さまざまな依存症があるそうだ。それらは病気としては認知されにくい。心の中の動きとしては、かなり病的なものなのだが、アルコールや薬物と違って直接体を滅ぼすことがないので、表面に出てこないらしい。

「依存」と「依存症」の違いは、「依存」は文字通り「何かに頼っている状態」で、これは普通の人は何かしら誰でも持っている。別に病的なものではない。だが「依存症」は、「それがないとダメなんだ。たとえ体を壊しても借金をしても家族を困らせても、それがないとダメなんだ」という状態で、これはもう「精神病」の域に入るらしい。私も「テクノ依存症」の一人かもしれない。

「依存症になりやすい七つのタイプ」という章で、私は3つ当てはまった。「ストレス処理の下手な人」「こだわりの強い人、強迫性のある人」「うつ傾向を持っている人」自分でも感じていたが、やはり私は「はまりやすい」タイプ、つまり「何かの依存症になる可能性が高い」タイプのようだ。気をつけなくては。

今、はじめてテレビで「ハモネプ」なるものを見た。これか、最近「にわかアカペラ志望者」が増えている原因となっているというのは。うん、裾野が広がるのはいいかもしれんが、出ているアマチュアグループのレベルは、正直言って低い。まあ、これからだろうな。女性のボイパでうまいのが一人いた。

いかん、目がしょぼしょぼしてきた。本の読み過ぎかもしれない。これからは休み休みにするように気をつけよう。目薬くらい買っておこうかな、ビタミンE入りのやつを。それくらい持っていても大丈夫だろう。今日はこれくらいにして、そろそろ就寝準備に入ろう。

昨日は疲れていたので20:00過ぎに眠剤をもらって早々に寝た。目が覚めると3:00だった。そのときにトイレに行ってまた寝たら次は5:30に目が覚めた。そのとき、自分の中に小さな鬱の種があるのを感じた。「ヤバイ」そう思った。このまま寝てしまったら、この種はどんどん大きくなって、また起きられなくなってしまう。今、今のうちに起きてその種を握りつぶしておかなくちゃ。そう思ったが、また寝てしまった。

6:00。起床を知らせる放送が入る。動けなかった。
6:30。ラジオ体操が始まる。やはり動けなかった。
7:00。朝食だけど、起きて朝食を食べに行くことはできなかった。

食事は1時間しかとっておいてもらえない。7:00を過ぎても私が起きてこないので看護婦が呼びに来たが、「起きられません」「眠いの」「違うんです。動く気力がないんです。鬱が来てるんです」そう答えるのがやっとだった。

8:00を過ぎてから看護婦がまた呼びに来てくれた。「薬も飲んでないでしょ。飲みに来なさいよ」そうだ薬だけは飲まなくてはいけない。一人暮らしのときは、鬱に陥ったときに食事もろくに摂らないところか薬も飲み忘れて、ますます悪循環に陥ったから。私は念じた。「手よ足よ、活性化しろ!」するとなんとか起きることができ、薬を飲みに行った。薬を飲んでいると、看護婦が「ご飯食べられる?今ならまだとってあるよ。食べようよ」優しい看護婦だ。もう8:00を過ぎているというのに、とっておいてくれているのだ。寝ている状態で鬱に陥ったとき、一番の難関は「起きあがって動くこと」までだ。一度動いてしまえば、案外その後は浮き上がってくることが多い。「はい、いただきます」私はそう答え、病室に戻って箸を取ってきた。その間に看護婦はご飯を温めてくれていた。朝食を食べ始めたのは8:20頃だった。食べ終わった後、お盆を下げて看護婦さんに「どうもありがとうございました」心から感謝した。鬱に陥っているときに、自分を引っ張り上げてくれたこと、そして時間を過ぎても食事をとっておいてくれたことに、本当に感謝した。

今日の午前中は通常なら作業療法だが、今日は職員の都合で作業棟が急に休みになったらしい。ちょうどいいや、無理する必要はないし。ゆっくり本でも読もう。

鬱が入った原因はだいたい予想できる。昨日、思いのほかエネルギーを使っていたのだ。肉体的疲労だけなら眠れば回復するが、人混みの中での精神的エネルギーを消費した反動は、「睡眠障害」という形で現れるか、ぐっすり眠った代わりに翌日に「鬱状態」という形で姿を見せる。

午前中いっぱいかけて「道は開ける」を読み終えた。最後の章は「私はいかにして悩みを克服したか」という実例集であった。これらを読んでいると、この本に書かれていること全てを実践する必要はなく、「自分にとって効果のある悩みの克服法」を1つ2つ実践して成功した例ばかりであった。「皆さんも過去において役立った法則の一覧表を作ったらいかがであろう」と書いてある例もある。確かに、この本に書かれていることはあまりにも多すぎて、すべてを生活に採り入れるのは難しい。私も自分にあった悩みの克服法を探すことにしよう。

途中、ホールに一服しに行ったとき、Oさんが相田みつをの本を読んでいた。「相田みつを、いいですよね」と私が言ったら、あとからその本を貸してくれた。いい本は自分で持っていたい。読んでみて気に入ったら買ってみよう。

昼食が終わって病室に戻ると、最新の日経コンピュータが来ている。目次を見てセキュリティ関連の記事をチェックし、そのページに付箋を挟んでおいた。まだ付箋が挟まっている別の雑誌があるので、その下にまわす。試験まではまだあと1ヶ月近くある。直前になればこれらをざっと読み返そう。

少し休んだ後、売店に行ったついでに敷地内をぐるっと一周散歩する。今日も日差しがきつく、暑い。歩いているだけで汗が出てくる。

服薬後、一服してからリラックス体操。これもほぼ日課となっている。どうも背中の中心部分がじんじんする。やはり私の場合、一番悪いのは背中らしい。自律訓練法で催眠状態での「祈り」もやってみた。私の潜在的パワーはいつか開花するだろうか。

連絡会の直前に、ちょうど病棟に来ていた主治医に呼ばれて、「急に金曜日まで研修が入って、今週は不在になってしまいます」と言われた。私がちょっと調子を崩し気味なので気遣ってくれたのだろうか。「まあ、ちょっと波はありますけど、そんなに激しいわけでもないので大丈夫だと思います。日曜日は外泊の予定を入れてます」と伝えておいた。そう、次の日曜日は久々に歌の練習に出る。楽しみだが、練習会場まではけっこう遠い。そこに着くまでに疲れないように気をつけないといけない。あとは、練習自体でかなり集中力を使うので、そこで神経を使いすぎないように気をつけよう。1人1パートで構成するヴォーカルアンサンブルは、一人が狂うと全体のハーモニーが狂う。歌うのは楽しいが、かなり神経を使うのだ。

夜、依存症の本を読み始めた。けっこうさくさく読める本で、20:30くらいまでに半分読んでしまった。「依存症とは何か」から始まり、アルコールを中心として、いろいろな依存症の症例や回復方法などが書かれている。特にアルコールに関しては詳しく書いてある。アルコールは麻薬や覚醒剤などよりも依存性が強いということに驚く。自覚していないアルコール依存症の人は大量にいるそうだ。

さて、続きは明日にしてそろそろ就寝準備に入るか。明日も晴れるようだから、洗濯しようかな。

昨日は20:30に眠剤をもらって、その後「道は開ける」を少し読んだ後、21:00前には寝た。寝付きはよかった。途中目を覚ますと3:30だった。連続睡眠時間の最高記録かもしれない。その後もう一度寝て目を覚ますと、もう5:00前だった。気がつくと、冷えないようにと履いていた靴下が一足脱げている。なんでだろう、無意識に片方だけ脱いだのかな、と思いつつ足もとを探すがない。なぜか枕元にあった。自分でも???である。とりあえず靴下を履いてトレーナーを羽織り、ホールに出てくる。ホールは窓が多く、喫煙所はその隅にあるので、この時間帯はとても冷える。9月でこんなに冷えるんだったら、冬になったらどうなるんだろう?

主婦のIさんと話をした。昨日Iさんの、3歳か4歳くらいの娘さんが来ていて、私が「お子さんですか?」と尋ねたときに、その子が「こんにちはー!」と初対面の私に元気よく挨拶した、ということがあった。それで「明るくていい娘さんですね」と言ったら「ああなったのは最近なんですよ」と今までにあったことを話してくれた。

Iさんはアルコール依存症で、子供が2歳半の頃まで殴る蹴るの児童虐待を繰り返していたらしい。それを自分でもやめようと思って公共の相談所に相談したそうだ。ある日、子供がジュースをこぼしたときに、いつもなら怒っていたところを、怒らずに「ふきんで拭く?ティッシュで拭く?」と聞いてみると、子供は不思議そうな顔をして「じゃあ、ティッシュで拭く」と言って拭いた後、「ママ、怒らないの?」と聞いてきたらしい。その子はそれまで自分の感情を抑圧して生きてきたのだった。そのうち「ママ、あのときはどうして怒ったの?」と子供は自分が怒られたことに対して一つ一つ聞いてくるようになり、それが3ヶ月くらい続いたそうだ。「ママは変わったらしい」そう感じても、子供は用心深く、すぐには信用しない。その後、その子は一度赤ちゃん返りを起こし、はいはいをしたり「ママ、おっぱい」と言って吸いついてきたり、自分の人生をはじめからやりなおしたそうだ。それと同時にIさん自身も虐待をしないように相談を続け、虐待をしないようになっていた。そして今のように明るい子供に変わったそうだ。「娘と一緒に成長してます」Iさんは笑っていた。この子供はあやうくACになるところだった。救いだったのは、彼女の夫がおっとりしていて、ワーカホリックでもなかったことだと言う。父親が家庭をかえりみなかったり、母親を責めたりすると、そのツケはますます子供にまわってきてしまう。「小学2年生前だから、やり直しは大丈夫ですよ」相談員が言ったそうだ。「小学2年生」というのは一つの分かれ目らしく、それを過ぎると子供は自分を変えたくない、そう思うようになるらしい。

最近は子供の育て方がわからない親が増えてると言う。親がアルコール依存症でなくとも、子供を虐待したり親が不仲だったりすると子供はACになってしまう。と言って過剰な愛情をそそぎ込んでもACになってしまう。難しいものだ。

う~ん、なんだか熱っぽい。今日は友達と遊びに行く予定なのに。この病院の近くの公園へ来てバーベキューをやる予定なのだ。全部で7人も集まるし、遠くからはるばる来てくれる人もいる。なんでこんなときに限って風邪をひくのだろう。それにしても、一昨日から風邪薬を飲んでうがいもして養生しているというのに、なんで治らないのか。鼻水まで出てきやがったコンチクショウ。ここでぬるま湯のような生活を送っていると、却って抵抗力が落ちてしまっているような気がする。しばらく元気が出そうな明るいCDを聞いて休むことにする。念のため、使い捨てマスクを一枚看護婦にお願いしてもらった。市販のものとだいぶ形が違う。いかにも「病院用」という感じだけど、まあいいか。

8:20頃、看護婦に体温計を借りて熱を計ってみる。げ、36.9℃。ちとやばい。う~ん、でも看護婦の話だと、花もきれいでとてもいい公園らしいし、遠くから大勢来てくれるし、出ていかないわけにはいかない。幸いにも病院から近い。調子が悪くなったら、みんなには悪いけど途中で帰ることにして、とりあえず行くことにしよう。11:00頃に車で迎えに来てくれるので、それまでは体を休めよう。

9:00前に自販機に飲料を買いに行き、そのままオカリナを吹きに海の見える丘に行った。先客がいたので山の方へまわってグランドで吹いた。外の方が、風は多少あるものの日が照っていて暖かい。この格好だとかえって暑いくらいだ。そこでコンサートで吹く曲を通して練習する。ただ曲を練習するだけでなく、聴衆の前で緊張しないで吹けるようにも練習しておかなくてはならない。考えてみれば、私はコンサートに本当に「ソロ」で出るのははじめてなのだ。生えている草たちを聴取に見立てて、その前で演奏してみる。「聴衆がいる」と思っただけで緊張してきた。これを続けていけば、緊張しないで演奏できるようになるかな?逆に本番のときに、聴衆を草だと思って吹ければいつも通りの演奏ができるかもしれない。聴いてくれている人にはちょっと失礼かもしれないが。

熱を下げるために、朝からじゃんじゃん水を飲みまくる。そのため30分おきくらいにトイレにいっている。散歩から戻ってきたらイソジンでうがいもする。念のためイソジンとコップも外出時に持っていこう。出発まで時間がある。「道は開ける」を読み進めることにしよう。

N氏が病院に着いたことを知らせる電話を受け、出発した。今日はN夫妻はもうすぐ3歳になる息子さんを連れてきていた。公園の入り口で電車で来た他のメンバーと待ち合わせ、公園を歩いていった。残念ながら一人は来る途中で気分が悪くなって帰ってしまったそうだ。

かなり広い公園で、とても整備されていてきれいだった。朝とはうってかわってとてもいい天気で、長袖のシャツを脱いで半袖のTシャツ一枚になっても暑かった。早朝との気温差がかなりある。それにしても子供は元気いっぱいだ。一瞬たりとも目を離していられない。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、何にでも興味津々という感じだ。我々はときどきなので、こうやって一緒になって遊んであげられるが、親は毎日のことなので、さぞかしくたびれるに違いない。これくらいの子供は、会う度にその成長ぶりに驚かされる。物理的に大きくなったというだけでなく、いつの間にか語彙も増えていろんなことをしゃべるし、アルファベットまで読めるようになっていることに驚嘆した。まだ3歳にもならないのに。

昼はレストランのバーベキューのコースをあらかじめ予約してあって、久々にうまい肉を堪能した。ところでバーベキューと焼き肉の違いがいまいちわからんが、外でやると「バーベキュー」と言うのだろうか。飲み放題だったが、私はビールを最初に一口だけ飲んで、あとはウーロン茶を3杯飲んだ。暑いのでウーロン茶も何杯でもいける。

公園は大勢の人でにぎわっていた。3連休の最後で天気もいいせいだろう。だが、私にはその人混みはストレスになった。みんなと一緒に遊んだり、豊かな自然を目にするのはストレス発散になるのだが、まあ「ふたつよいことさてないものよ」ということだろう。

コスモス畑があるというので、そろそろ咲いている頃かな、とみんな楽しみにしていたが、遠くから見たコスモス畑はほんのちょっとしか咲いてなかった。一分か二分咲きというところか。みんな「え~、残念」と言っていて、私も最初はそう思った。

が、近づいてよく見ると、咲いている花はちゃんとある。そしてそれはとても美しい。一つ一つの花は色も形も微妙に違って、それぞれ楽しめる。そして、これら一本一本の花は、すべてそれぞれが生きている。他の花が咲いてないからこそ、自分をじっくり見てもらえるのだ。満開だったら、この一本にはみんなさほど注目しないだろう。

そして思った。「満開を期待していたら、この状況はがっかりかもしれないが、一本でも咲いていたらラッキーと思っていたのなら、この状況はとても嬉しいはずだ」そう、いつでも満開を期待すると、満開以外の状態はすべて「残念」な結果に終わる。同じ状況でもこころがけ一つでずいぶん違うはずだ。そう思った。これからは「満開」を期待せずに行こう。何事においても。

ずいぶん広い公園で、昼食を挟んで端から端まで歩いただけで、かなり時間がかかった。電車組とは解散し、私は車で病院に送ってもらった。N夫妻は帰り際、またコーヒーとミルク、それにハウスミカンを差し入れてくれた。本当にいい人たちだ。

病棟に戻ると、疲れがどっと出てきて、夕方の服薬後から夕食まで爆睡していた。暑い中を結構歩いたという肉体的な疲労と、かなりの人混みの中を歩いたという精神的な疲労両方あったようだ。

夜になっても結構暑い。半袖のTシャツでもいいくらいだ。夜中から朝方にかけてまた冷えるんだろうな。特にこの病室は窓が北向きなので寒くなる。今日からはカーテンを閉めて寝ることにしよう。