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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

昨日は多分21:00までには寝付いたと思うが、かなり長い時間寝たと思って目が覚めて時計を見たら、まだ23:00頃だった記憶がある。そして、その後はよく覚えてない。5:30頃目を覚まして6:00前に起床したが、それまでの間に目が覚めたような気もするが、覚えてないのだ。そう言えば薬の本の「眠剤の副作用」に「一時的な記憶障害。途中目を覚ましたときのことや、起きてからしばらくのことを忘れる」とあったが、ひょっとしてそれなのだろうか。

テレビを見ていると、NHKのニュースで「うつ病やPTSDなどのメカニズムを科学的に解明するための研究を厚生労働省が始める」というのが出てきた。今の段階では、これらの病気はきちんと解明されておらず、根本的な治療でなく対症療法しか行われていないというのが現状だと言っていた。やはりそうなのか。入院してよくなったとしても、それはやはり「対症療法」に過ぎないのか。もっと早くこの研究が始まっていればよかったのに、と思う。今のところ再発を防ぐには、自分自身で何かしら「自己変革」を行う必要があるのは間違いなさそうだ。それには精神科医だけに頼っていてはだめなのだろう。医者、カウンセラー、自助グループ、ケースワーカーなどいろいろな人や組織がいるが、その住み分けや連携はどうなっているのだろうか。

外泊時に買ってきた本「あくせくするな、ゆっくり生きよう」を読み始めるが、ちょっと読んだところで頭がぼ~っとしてきたので、途中で本を閉じる。やはり集中力がない。

朝食後、なんだか眠い。頭がぼ~っとしている。こういうときは無理せず休んだ方がいいのか、散歩にでも行って体を動かした方がいいのか。どちらがいいのか未だにわからない。

今まではストレス耐性訓練として週に1回外出、月に1回外泊する予定で、今回の外泊に成功したらペースをあげていこうかと思ったが、失敗した。今のペースを維持した方がいいのか、それとも「慣れる」という意味ではもっと頻度を増やした方がいいのか。とりえあえず主治医に相談することにして、面談の希望を看護婦に伝えた。

7:40くらいから散歩に出かけた。廊下にたくさん猫が集まっていて、O嬢が手なづけている。それを横目にグランドをつっきり、音楽堂を目指す。と、一匹の猫が私についてきた。少し私が歩くと、後ろからぴゅっと抜かしてきて先回りし、じっとこちらの方をうかがっている。私が追い抜いてちょっと歩くと、また追い抜かす。どこまでついてくるんだろう?音楽堂に着いて、私がオカリナを吹き出すと、聴いているんだかいないんだか、ともかくずっと音楽堂の「観客席」のあたりをうろうろしていた。コンサートで吹く曲を一通り吹き終えると、いつの間にか猫はいなくなっていた。相手にしてもらえなかったので、あきらめて帰っていったのだろうか。

その後は、短い山道を何回もぐるぐるとリングワンデリング。一周3分という短いコースだ。もうちょっとコースにバリエーションを取り入れてもいいが、今日は半ズボンで来たのと、昨夜雨が降って草が濡れてるのもあって、歩きやすい道だけをぐるぐると回った。

作業棟へ行って、基礎データの計測をすると、やっぱり心拍数はかなり高い。あれだけ散歩してもあまり意味はないのか。なぜなんだろう。ただ、体脂肪率は過去最低を記録した。少しずつ効果は出てきているのだろうか。体重は変わらないのだが。

心拍数が高いまま体力テストを行うと、心拍数はさらにどんどんあがっていって、やはり「6段階中の1。劣る」が出た。前のように少し休んでからもう一度やると違う結果が出るかな、と思ってもう一度やってみた。が、心拍数の上がり方は最初と同じだ。これだとどうせ同じ結果が出るに決まっている。2回目の体力テストは途中で打ち切り、そのまま通常のトレーニングに入った。

今日からは20分でなく、30分を1セットにすることにした。脂肪は20分くらいから燃え始める。20分だけだとあまり効果がない。ということで、30分を2セット。途中のインターバルでは腹筋もした。作業療法の時間は11:00までだが、ぎりぎりだった。

珍しくY嬢が作業棟に来ている。彼女は2年くらい入院しているらしいが、家の事情で退院できないとか聞いた。エアロバイクを漕いだ後、腹筋している。と思ったら、腹筋用の長椅子にそのまま寝そべってしまった。しばらくして病棟から電話が入り、Y嬢は一度作業棟から姿を消したが、また後でちらっと姿を見せた。私が手を振ると、Y嬢も手を振ってくれた。

作業療法士の実習生が、患者と一緒にエアロバイクを漕いでいる。以前にグランドで会った彼だ。彼の来ているTシャツの背中に「あせらず あきらめず あてにせず」と書いてある。ふ~ん、そっか~。てな感じだ。

昼食前に、「医者からもらった薬がわかる本」を私が買ったという話をしたら、みんなが見たいというので喫煙所に持ってきた。みんな「○○は?」「△△は?」と自分の薬について調べてと言うので、片っ端から調べる。本来ならば医者が処方した薬については、医師か薬剤師か忘れたが、その薬についての説明をする義務がある。外来で診察を受けて薬を処方されると、今では必ずそういう説明書きがついてくる。が、入院患者にはぜんぜん説明がない。多分、説明してくれと頼むとしてくれるのだろうが、忙しいのでやってないのだろうか。Mちゃんが飲んでいる薬の「処方目的」の中に「人工冬眠」というのがあって、みんな「何それ~?」と首をひねっている。Mちゃんはとても気になっているようだ。「今度先生に聞いてみよう」なんて言っている。

喫煙所で話していると、2回目の入院のWさんが「前に退院するとき、主治医に『あなたはまた戻ってくるタイプですよ』と言われた」と言って、みんな驚く。「だから気をつけるように」という意味なのだろうが、もうちょっとましな言い方はないものか。

13:00頃から病院内の食堂で、明日退院するKさんの送別会を開く。食堂の外のテラスでみんなでテーブルを囲む。今日は日が照って暑い。Kさんは私の一つ年上で、私と同じように会社員で技術職で、私と同じような性格で同じような経緯でうつ病になったそうだ。そういうわけで一番親近感を持っていただけに、別れは寂しい。くれぐれも無理をしないように、元気でやってほしいと願う。「Kさんは私の旦那さんなんだ」と言っているMちゃんは「行かないで」としきりに言っている。彼女はラブアフェクションの傾向もあり、「異性とデートするにも主治医の許可が必要」らしい。依存症が移行するタイプのようだ。そのMちゃんの退院も近いようなことを言っている。今月半ばにはO嬢も退院予定だ。同世代がどんどん減っていって寂しくなる。

送別会の途中で、Oさんの主治医が来てOさんに告げた。「明日に決まったから」Oさんは転院することになっていて、その日程はまだ未定だったのだが、「早ければ10月3日」ということは聞いていたらしい。だがぎりぎりまでわからないと言っていたが、明日に決まったようだ。Kさんの送別会だったのに、突然Oさんの送別会にもなってしまった。みんなまたまた別れを惜しむ。転院の理由は「この病院の治療方針より、転院先の治療方針の方が彼女にあっていそうだから」だそうだ。ここの病院は、いわゆる普通の精神科的療法、つまり「薬物療法」であるが、転院先では「森田療法」で治療を進めるらしい。薬物に頼らず、自分を変えていく療法だ。Oさんの話によると、最初の一週間は寝たきりで、トイレと洗面以外は起きてはだめ。その後は、次から次へといろいろなことをやらせて「不安を感じている暇がない」「悩んでいる暇がない」状態にさせ、次第に不安を取り除いていくという行動療法らしい。「また戻ってくるかも」彼女は言う。その療法で効果がなかったら、ということである。自分にとってどの治療方法が向いているか、それはなかなかわからない。試してみないとわからないし、試してみてもわからないかもしれない。

送別会の後、15:00のシャワーをはさんで「情報セキュリティアドミニストレータ」の参考書を読み進める。リスク管理はけっこう奥が深い。いろいろなリスク評価法がある。そもそもこれは独立した「リスクマネジメント」というものが前提にあるのだろう。会社の研修でもそういう名前の研修があった。かなり勉強になった。

参考書を読んでいると、16:00ちょっと前に主治医に呼ばれて面談した。外泊でまた蕁麻疹と鬱が出たことを告げ、週1回の外出と月1回の外泊のペースを、ストレスに慣れるという目的では増やした方がいいのか現状維持の方がいいのか相談したところ、「1回外泊して症状が出ないようになるまでは今のペースでいった方がいい」と言われた。あまり無理はさせない医者で、いつも「まあ、あせんないで」と口癖のように言っている。それから、最近は睡眠障害も改善されてきて、夜中に目が覚めたかどうかもよく覚えてないことや、起きてからもまだ頭がぼ~っとしていて、眠剤が残っているのではないか、ということも伝えた。自分としては眠剤を減らしていきたいと思っていて、それを期待したのだが、「まあ、いい傾向ですけど、とりあえずこのままいきましょう」ということで眠剤は変わらなかった。

面談の後、いつもの通りリラックス体操をする。これのおかげで体が柔らかくなったような気がする。心も柔らかくなっていくだろうか。この体操はヨガを基本としているが、ヨガ自身にもちょっと興味を持ったので、先日外泊したときにヨガの入門書を買ってきた。ついでに「気孔」の本も買ってきた。そっち方面にも少し興味が出てきて、いろいろ試してみようと思っているのだ。

夕食後、メールを2通書いた。1通は歌のグループ宛で、外泊は月に1回のペースにしたので、今月は試験を受けるため、その外泊のみで練習には参加できないこと、もう1通は会社宛で、現在の状況を報告し、まだまだかかりそうで、目標としては傷病欠勤の期限が切れる来年の7月頭を目指していることを書いた。会社の人はもっと早く出てくるものだと思っているだろうから、驚いているかもしれない。こちらが長期戦を覚悟した以上、会社の人にも覚悟してもらわねばならぬ。

連絡会で、KさんとOさんが退院の挨拶をしていた。Kさんは「ここでの3ヶ月間を無駄にしないよう、これからの糧としていきたいと思います」と言っていた。私もそう言えるくらいに回復したい。ここでの生活を決して無駄にはしたくない。Oさんは涙ぐんで「みなさん、お世話になりました」と話していた。

夜、Kさんと最後の卓球をする。Kさんは素人ながら、会社の寮で先輩に叩き込まれたそうでかなりうまい。たて続けに「最後に一勝負」とみんなが次々と相手してくるので、Kさんは汗だくになっていた。S君は自分のボールに自分の名前を書いて「僕のサインボールです。これを見て僕を思い出してください」と言って渡していた。不思議な発想をする人だ。

実家の母親から電話があった。ACのことについて両親に理解してもらいたくて、自分が持っているACの本のタイトルと著者、出版社を先日連絡して「とりあえず読んでみて」と言っておいたのだが、「探したけどなかなかなくて、取り寄せになって明日来る予定」だそうだ。正しく理解してもらえるか心配だが、「アダルト・チルドレン」ということ、それから「機能不全家族」について理解してもらいたい。理解してからどうしてもらいたい、というのは具体的にはないのだが、ただ理解してもらいたい、それだけだ。私が読んだ限り、うちの家族が「機能不全家族」と判断できる記述はいくつもあったが、両親が読んで、それをわかってくれるだろうか。「うちはそうじゃない」と思うだろうか。

20:00前から「アダルト・チャイルドが人生を変えていく本」を読み進め、最後まで読んだ。ACから回復し、人生を変えていくためのいろいろな「プロセス」が解説されてあったが、今の自分はまだその「プロセス」を実践することはできない。が、参考にはなった。これらの「プロセス」を実行するには、自助グループやカウンセラーの存在も不可欠になってくる。ACから回復する「プロセス」を実行できる日は来るのであろうか。

続いて「あくせくするな、ゆっくり生きよう」を読み進める。「小さいことにくよくよするな!」の著者リチャード・カールソンの「大ベストセラー」と裏表紙に書いてある。読んでいくと、今までいろんな本で読んできたことと共通するようなことが書いてある。やはり「悩みの種」は自分の思考が作り出した結果であり、思考方法を変えることが重要だと書いてある。そして、自分に取り入れるべき「流動的思考法」について解説している箇所を読んでいるところだ。確かに、ここに書いているような「流動的思考」ができれば、もっと気楽に生きれるだろう。しかし、それが果たして自分にできるか?それは、これから読み進めていくと、どうすればそれができるか解説してあるに違いない。赤線を引きながら読み進めている。

もう20:30になる。そろそろ着替えて就寝準備に入ることにしよう。

昨日は病院と同じように21:00過ぎには寝た。その前に、ネットサーフィンしようとして友達のHPを久々に覗くと、数週間前に鬱に陥ったようなことが書いてあり、数日前に「今は大丈夫です」と掲示板に書いてある。心配なのでメールを送った。その後寝たのだが、何回か目が覚めた。眠りも浅いような気がする。いつも通りか。4:30過ぎに起きてPCの電源を入れた。

その後ネットサーフィンをやったりメールチェックをしながら朝食のパンを食べた。が、6:00過ぎになんだか眠たいや、と思って寝てしまった。夢を見た。昔職場に来ていた派遣の女の子と肩を組んで歩いている。別に彼女に恋愛感情を持っていたわけでもないのに。なぜだろう。心が寂しがっているのか。いつもそうだが夢の内容はわけがわからない。断片的にしか覚えていないが、会社に行ったがエレベータに乗ると自分の降りる階のボタンがなかったり、そんな夢も見た。昔読んだ小説を読み返すと「うつ病」のことが書かれている、という夢も見た。

いつの間にか半覚醒状態に陥っていて、起きて時計を見てはまた寝て夢を見て、また起きて、というのを15分単位くらいで繰り返していた。そして少し鬱だ。病院にいるときは規則正しい生活をしているのに、家に戻ると入院前の状態に戻ってしまったかのようだ。

今は8:48。さっきなんとか起きてきてこれを書いている。眠い。今日は会社にちょっと顔を出す予定。それだけで、前と同じような状態になってしまったのか。あ、乾燥機に放り込んでおいた洗濯物をたたんで袋につめなきゃ。これを持って帰るのを忘れると大変だ。

なんとか洗濯物をたたんだが、それで疲れてしまい、またベッドに横になってしまう。鬱で会社に行けないパターンと全く同じだ。10:00が過ぎる。11:00が過ぎる。会社に電話して、ちょっと顔を出す予定だったが無理だということを伝える。もう何回もすっぽかしている。そして12:00過ぎ、ようやく起きて家から出てきた。忘れ物がないか今回はチェックした。雨が降ってきて、それだけで陰鬱な気分になる。

電車に乗って乗換駅まで来て、その駅ビルのお好み焼き屋で昼食を摂ることにする。今はそれが出てくるのを待っている状態。頭は相変わらずぼ~っとしている。人混みが気になる。そうそう、乗換駅で電車を降りたとき、そこの電鉄会社で働いている車掌姿のNちゃんに会ってちょこっと話した。山岳会の仲間で、久々に会った。忙しそうだったから一言二言話しただけだけど、それだけでもとても嬉しかった。

電車を乗り継ぎ、やっと病棟に帰ってきた。いろいろ買い物をしたかったのだが、疲れてできなかった。病院の最寄り駅の地下のスーパーでちょっとしたものを買うのが精一杯。ちょっと歩いたドラッグストアで買いたいものがあったのだが、そこまで行くのもしんどいと思った。病棟に帰ってからお風呂に入らせてもらった。本当は外出した人は入浴できないが、私はアトピーだし、また蕁麻疹が出たことも告げたらOKが出た。今日は男性が先で、女性が入っているところだったので、女性が全員入浴を済ますのを待ってから入った。

しばらくオカリナのCDを聴きながらベッドで横になり、神経を休める。しばらくして「医者からもらった薬がわかる本」を取り出して、自分の飲んでいる薬を調べてみた。この本は結構くわしく薬のことが書いてあって、作用や副作用はもちろん、飲みあわせや海外での評価、1錠の単価まで書いてある。眠剤に関してはこの間読んだ「今日の健康」と同じ内容だが、自分の飲んでいる薬の中に海外評価「0点」というのがあった。けっこうみんな処方されている薬なのだが。神経に作用する薬は「依存性が強い」と書いてある。「神経系の薬の依存症は医者が作り出している」と著者は書いている。大丈夫かいな?

18:00から連絡会までの間、リラックス体操をやってみた。神経が疲れたときには効果的かもしれない。そう思ってやってみたら、ちょっとすっきりした。深い呼吸をして、体を伸ばす。運動までしなくとも、体操だけでもやらないよりかはだいぶましかもしれない。

夜、ACの本を読み進めようと思ったが、疲れていて読めない。ベッドにそのまま横たわり、体と心を休める。そのうち20:00になった。今日は疲れたから、早めに眠剤をもらって早く寝ることにしよう。

昨日昼寝したせいだろうか、昨晩は寝付きが悪かった。いつもなら聞いているCDが最後まで終わる前に寝入ってしまうのだが、昨日はもっと時間がかかった。寝付けなくて時計を見て22:10だったのは覚えている。その間、ずっと夢を見ては起きたり、というのを繰り返したような気がする。浅い眠りが多かったと思うが、その中に深い眠りは含まれていたのだろうか。結局5:00過ぎに起きてホールへ出てきた。今日は早朝組が外泊でいないので、2人しかいなかった。

散歩に行く。昨日と同じように「音楽堂」に行ってオカリナの練習をする。下のGの音をはずす癖がある。気をつけなければ。小指の押さえが甘いのだ。

その後はまたまた昨日と同じように山の中をぐるぐる歩き回る。ゴミがたくさん捨ててあるのがとても気になる。この辺はゴミの不法投棄も多いらしいが、患者が捨てたのか、外部の人がわざわざここに来て捨てたのか。確かに外の一般道からすぐ入ったところなので、目立たないところに不法投棄する人にはうってつけかもしれないが、こういうのを見るとどうにも悲しくなる。ゴミを不法投棄する人というのは、いったいどんな神経をしているのだろうか。

散歩から帰って少し休んでから出発。バスに乗り、駅から電車に乗る。運良く座ることができたので、今これを書いている。今のところまだ疲れはない。

駅に着いた。ここから歌の練習会場まではさらに電車を乗り継いで行かないといけないが、ここの駅ビルの本屋は広くて充実していて、しかも混んでないので私のお気に入りなので、そこに寄っていく。ほしかった本がいくつもある。「医者からもらった薬がわかる本」とかヨガの本とか、あいだみつをの本とか。時間があるので端からぶらぶらブラウジング。前にも書いたかもしれないが、本屋ブラウジングは楽しい。タイトルを見て興味を持って手にとってぱらぱらと眺めてみて、次から次へと読みたい本が出てきて、買いたい欲求を抑えるのに大変だ。それでも目的の本以外に「これは読みたい」とつい手が伸びてしまった本がいくつかあって、結局8千円以上も本を買い込んでしまった。いかんいかん、また病室の狭いスペースがますます窮屈になる。

気がつくともう11:00をまわっている。おっと、そろそろ行かなくては。練習は13:00からで、練習会場までは1時間ほどだが、途中で昼食を食べてゆっくりしたい。とりあえずまた電車に乗って練習会場の最寄り駅まで行く。途中で乗り換えが一回あるが、その乗り換え駅に行く電車で座れたので、今これをこうして書いている。今のところ神経の疲れはさほど感じない。だいぶ慣れてきたのか、あとから疲れが出てくるのか。

12:20頃、練習会場の最寄り駅に着いた。ここから会場まで歩いていく途中の、お気に入りのうどん屋に寄って昼食を食べていけばちょうどかな、と思って歩いていくと、なぜか今日は休みだった。近くにめぼしい店もない。しかたがないのでコンビニで弁当を買い、練習会場に行って一人で食べる。なんで外出したのにコンビニ弁当を食わなきゃならんのか。

ヴォーカルアンサンブルの練習は久しぶりだったが、思いのほか声が出た。特に低い方の音がいつもより鳴るのには自分でも驚いた。最近歌っていなかったのに。毎日体操しているおかげで、筋肉がやわらかくなったのかな。「よく鳴っている」N氏もそう言ってくれた。練習前にオカリナを吹いてみた。屋外で吹くのとはまた違って、いいホールなのでとてもよく響く。と同時に自分の演奏の「荒さ」が目立つ。少しのミスが目立ってしまうのだ。たとえば、曲の最後の音の切り方が、唐突だったり、逆に息を弱めすぎてピッチが下がってしまったりとか。

練習中は楽しかったし疲れを感じなかったが、みんなと別れて電車で一人になると、なんか「どっと」というほどではないが、「じわじわ」と神経の疲れが滲み出てくるような気がする。ゆっくり休もう。

家の最寄り駅のそばのラーメン屋で夕食を済ませ、明日の朝食をコンビニで買って家へ帰る。病院から持って帰って来たものをデイパックから出し、洗濯をしながら雑事を済ませる。部屋は相変わらず散らかっているが、とりあえず見えるところだけでも掃除機をかける。また腕がかゆくなってきた。また蕁麻疹か?前ほどひどくはない。これはストレスによる軽いじんましんかアトピーだろう。部屋に埃がたまっているせいかもしれない。思ったよりも神経は疲れていないように思うのだが。体は危険信号を出しているのだろうか。

昨日は20:45分に眠剤をもらって飲み、21:00就寝。寝付いたのは多分21:30頃。ぐっすり眠ったと思って目が覚めて時計を見ると23:00。1サイクルしか眠ってない。その割に「ぐっすり」感があったのは、1サイクルでもその間に熟睡はあったのだろう。その後、目が覚めると2:00。2サイクル眠れたか。その次目が覚めると5:00。もう2サイクルだ。そこで起きてホールに出てきた。

Wさんは睡眠障害ひどいらしく、昨日も今日もほとんど眠れてないらしい。入院したときは髭もじゃだったのに、昨日髭を剃ってさっぱりした顔になっている。「高校の先生だそうですが、何の教科ですか?」と聞くと「恥ずかしくて言えません」そんな教科あるのかな。何だろう恥ずかしいって。美術だと思ったけど、そんな恥ずかしいわけではないと思うけど。「保健体育かしら」誰かがそう言った。

朝食後、少し音楽を聴いてから散歩に行った。昨日と同じように「音楽堂」へ行ってオカリナを吹いてみようと思った。昨日とは逆回りの道から行くと、また別の道を発見し、音楽堂へたどり着いた。そこから、まだ行ったことのない道が続いていたのでそこを歩いてみた。途中で中年男性のK氏に出会った。彼も山登りが趣味で、やはり病気になるまでは結構山を歩いていたそうだ。

「情報セキュリティアドミニストレータ」の参考書の「情報セキュリティ対策の全体像」の章を、技術的な部分を一部除いて読み終えた。さくさく頭に入っている。最近は割と調子がいい。ハイテンションになり過ぎてないか、ときどき自分でチェックする。多分今は大丈夫だろう。

10:00頃から参考書を読んでも内容が頭に入らなくなってきた。何度も何度も同じ箇所をリングワンデリングしている。頭が疲れてきたか。この状態で読んでも無駄なので、本を閉じて音楽を聴くことにする。しばらくするとWさんが「読みますか?」と言って週刊誌を貸してくれたので、それを読む。これくらいの内容だとさらさらっと読めてちょうどいい。

昼食にグレープフルーツが出た。先日買った本「今日の健康」に「神経に作用する薬はグレープフルーツジュースと相性が悪い」と書いてあったが、これは食べていいのだろうか。ジュースにすると量的に「薬と合わない成分」が多くなるので避けた方がよいが、ジュースじゃなくて果実を2切れくらいなら問題ないのかもしれない。そこまで栄養士が考えているのかな?栄養士は「薬との飲みあわせ」まで考えて献立を考えているのか知りたくなってきた。

昼食後、Sさんと卓球をした後、KさんとSさんが卓球を始めた。そこにCちゃんが入っていった。Cちゃんは運動神経がいい。スポーツをやっていると、とても楽しそうに笑っている。もっと笑えばいいのに。最近彼女は少しずつ変わってきたみたいだ。

喫煙所に行くと、WさんがMacの雑誌を読んでいる。彼はMacintosh使いらしい。やはり美術の教師なのかな?

13:00過ぎから勉強を始めたが、またしても頭に入ってこないので音楽を聴いていると、いつの間にか寝てしまった。途中何回か目が覚めて、ああカラオケやってるな、とか3時過ぎちゃったシャワー浴び損ねた、とか思ったが、何とも昼寝は気持ちいい。最近、できるだけ有意義な時間を過ごさないと罪悪感を感じてしまう傾向があるのだが、「今日は土曜日だし」そう思って自分を納得させる。

今日は外泊者が多く、夜はとても人が少ない。いるメンバーで卓球をしばらくやっていたが、「欽ちゃんの仮装大賞」をテレビでやっていたので、途中からそれを見る。この番組はけっこう好きだ。独創性があったり創意工夫があったり、ときには芸術性の高いものも出てきて感心させられる。私みたいに人まねばかりしてる人間は、こういう番組を見ると「自分ももっと独創性を発揮したいなぁ」と啓発される。もう20:00になったので、この日記を推敲して就寝準備をした後は、最後までこの番組を見てから寝よう。

う~ん、昨晩は何回も目が覚めたぞ~。6回くらいは覚めたかもしれん。最初に目覚めたら23:00。21:00に眠剤もらって寝てから、多分寝付いたのがその30分後くらいだと思うから、1サイクルか。あとは毎回時間は確認してないが、まだ2:00か、と思った記憶はある。5:00に起きようかと思ったけど、これだけ目が覚めると眠りは浅いだろうから、ぎりぎりまで寝ようと思い、6:00の起床を知らせる放送で起きた。「全身の細胞よ、目覚めよ!」一瞬くわっと念じたら、今日は割とスパっと起きることができた。

朝食後、相田みつをの本を広げる。最後まで読んでしまった。「七転八倒」という言葉に添えられたエッセイを読んで「なるほど」と思った。「七転び八起きではありません。人生は転んだり倒れたりの連続です。でも、転ぶのも倒れるのも、具体的に行動に移さないと起きません」その通りだ。転んでも倒れてもいいから、とにかく前へ進もう。

その後に出てきた「バランスの図式」も「なるほど」と思った。
「心」× 「技術」 = 「作品」
 9 ×  1  =  9(失敗)
 8 ×  2  =  16
 7 ×  3  =  21
 6 ×  4  =  24
 5 ×  5  =  25(最高)
 4 ×  6  =  24
 3 ×  7  =  21
 2 ×  8  =  16
 1 ×  9  =  9(失敗)
というもので、「心」と「技術」のバランスが取れて、はじめて最高の作品ができあがる、というものだ。これはぜひこれからこころがけよう

8:00くらいまで休んでから、昨日発見した「音楽堂」へ行ってみようと思い、病棟へ出た。病院の敷地内の山道を通っていき、音楽堂へ。そこのステージでオカリナを吹いてみた。コンサートで演奏予定の5曲を通して吹いたあと、「竹田の子守歌」の最後の部分、3度のポルタメントの練習をする。少しこつがつかめてきた。あとは繰り返し練習だな。

オカリナを吹いたあと、昨日とは別の方向の道に進む。はじめて歩く道だ。それにしても、病院の敷地内にこんな山道があるなんて。他の病棟や海が見える見晴らしのいい山道に出たあとは、クモの巣だらけのヤブこぎ道。こんなところまでちゃんと整備されているはずはなく、生い茂った草で道がよくわからず、一度は「登山道」からはずれてしまい、引き返して来たりした。「ひょっとしてこっちかな?」とわずかなトレースを頼りにヤブを漕いでいくと、普通の山道に出た。そこを下っていくと、グランドから音楽堂の方面へ出る道への分岐点に出た。久しぶりに山を歩いたみたいで嬉しかった。

散歩すると調子がいい。今までは散歩と言っても、すぐそばのグランドに行ってオカリナを吹いて戻ってくる程度だったが、これくらい歩くと体が目覚めるようだ。今まで「作業療法まで体を休めよう」としてたが、これからは散歩してアップすることにしよう。

作業棟へ行って、基礎データを計る。あれ、心拍数104?もっと正常値に近いと思ったのに、やっぱり100を超えている。しばらくじっとしていたが下がりそうにないので、体力テストを始める。すぐに心拍数が上がっていったので、これはまた悪い結果が出るな、と思ったら、途中で打ち切られて「6段階中の1。劣る」が出た。通常は10分の測定なのに、最初から心拍数が高いと途中で打ち切られることがあるのだ。前も一度あった。少し休んでから、もう一度体力テストにトライすると、今度は「6段階中の3。普通」だった。うむ、散歩くらいではアップにならんか。今日はその2回目のデータを元に、20分2セットを漕ぐ。割といい数字が出た。インターバルでのひねりを入れた腹筋も忘れずにやった。

病棟に戻ると、昨日までHさんがいたベッドに新しい患者が入っている。閉鎖病棟から移ってきたそうだ。大柄でおだやかそうな人だ。大いびきをかかなければいいが。どうやら閉鎖病棟からこの開放病棟へ移ってもいい患者はまだいるそうなのだが、順番待ち状態らしい。

入浴の前、畳のところで順番を待っていると、看護婦のTさんがHさんの髪を切っていた。Hさんは多分20代の女性だが、いつも無表情で一言もしゃべらない。そしていつもゆっくりと廊下を行ったり来たりしている。Tさんが「これでどう」?と彼女に尋ねると、低い声で「見えない」ぼそっとそう言った。彼女が喋るのをはじめて聞いた。Tさんは「そうねぇ、美容院みたいに大きな鏡じゃないからねぇ」と言ったが、そこではたと気づいた。「大きな鏡」これは精神科の病棟に置いたら、何か効果があるのではないだろうか。

飛び込み自殺が多い駅では、プラットホームに鏡を置いたら、自殺者が減ったという話を聞いたことがある。また、エレベータを待っている人がいらいらするのを解消するため、エレベータホールに鏡を設置することによって、いらいらする人が減ったという話も聞いたことがある。鏡は自分の姿を客観的に映し出す。いずれも鏡に映った自分の姿を見て、自分は本来の自分を取り戻す、つまり「我に返る」ということだったと思う。別に自殺を防がなくても、鏡に映った自分の暗い顔を見て「あ、いかんいかんもっと笑顔にならなきゃ」そうやって無理にでも笑顔を作っているうちに、心が明るくなってくることはあるかもしれない。そういうのを取り入れている精神科というのはあるのだろうか?

そして、以前思いついたことで実行しなかったことを思い出した。「枕元に鏡を置いておいて、朝起きたらまず自分の顔を見て表情をチェックし、笑顔でその一日をスタートしよう」そうだ、今からでもやってみよう。鏡を買ってこなくちゃ。

入浴後、喫煙所でKさんがOさんに「この辺、おもしろいよ。読んでみて」と文庫本を渡す。森田療法の本だ。それからいろんな療法についての話になった。世の中には心の病を回復するための、○○療法と名のついたものが、医学的に認められたものから胡散臭いものまでたくさんある。みんな自分のことだけに、私のように本をいろいろ読んだり、心理療法士や精神科医の指導を受けたりと、いろんな療法に詳しい。話をしていて意見が一致したのは、結局どの療法が正しいとか正しくないとか、一番いいとか悪いとかそういうのはなくて、「自分にあってるかどうか」というのが重要なんだね、ということだった。それはおそらくその通りだろう。だから、手当たり次第に自分にあうものを見つけていろんな療法を試してみるのも悪くはないかもしれない。とは言え、そんなにすぐに自分で始められるものばかりではない。医師や指導者などの適切な指導の元で行わないといけないので、そんなに手当たり次第に、ということはできないだろう。前にも書いたが「インチキでないのなら」催眠療法は一度試してみたいと思っている。

情報セキュリティの参考書を読み進める。「管理的セキュリティ対策」を読んでいるところだが、主に人間系のセキュリティ対策だ。内部犯罪のリスクを軽減するために「予防牽制機能」という言葉が出てきた。うわ、試験でこの漢字書けるかな。それはおいといて、いやでもちゃんと書く練習をしとかないと試験で困ってしまう。えと、それはそれとして、その内部犯罪予防の基本は「従業員の心の健康状態を定期的にチェック」だそうだ。おお「心の健康状態チェック」ぜひやってもらいたいものだ。内部犯罪の牽制のみならず、精神的な病気の兆候をも発見できることだろう。

喫煙所で話をしていて、今度は薬の話になった。薬を飲んでいる間は男も女も子供を作ってはいけないそうだ。何か影響があるらしい。それだけでなく、薬を飲まなくなってもよくなっても、何か影響が残るため、その後5年間はやはり子供を作ってはいけないらしい。さらに、再発を防ぐために治っても5年間は薬を飲み続けさせる方針の医師もいるらしい。と言うことは、10年は子供を作れないという可能性もあるということか。子供を作るのはあきらめた方がよさそうだ。それ以前に嫁さんが見つからないとしかたがないが、これでまた結婚が遠のいた。

夜、ACの本を読み進める。自分を変えていくプロセスが次々と出てきて、本当はそのプロセスを書かれている通りに進めていく必要があるのだが、全部読み流す。が、今からでも始められることがあれば、すぐに始めよう。

と書いているうちに20:00になった。就寝準備をしてから、寝るまでこの本を読み続けるとしよう。