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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

朝、目覚めたら鬱だった。

あきらかな鬱だった。

体がだるくて何もやる気がしない。

退院してから1週間しかたってないというのに。

あまり飛ばしすぎないように気をつけていたのに。慎重にやっていたのに。

こんなに時間をかけてやっと回復したというのに、あっという間に逆戻りなのか。

もう、会社へは戻れないかもしれない。タイムリミットが刻々と近づく。

自分はどうやって生きていったらいいのだろうか。

1日ぼ〜っとして過ごした。それでも16時頃まではテレビを眺めたりPCでだらだらと掲示板を読んでいたりしたが、その後は布団に横になって寝てしまった。躁のときはじっとしていられない、いや躁でなくても性格上ひとつのところに留まっていることが難しいのだが、鬱のときは全く動くことができなくなる。そして、昼間は過眠ぎみになる。

夕方の浅い眠りの中で、たくさんたくさん夢を見た。いろんな人が出てきた。夢の中でいろんな思いを味わった。懐かしい思い、悔しい思い、自分が封印してきた様々な思いが深層心理の中で爆発したかのようだった。あまりにも短時間にいろんな経験をしたようでとても疲れた。目が覚めたのは18時過ぎ、しばらくは現実世界に戻れなかった。どんな夢を見たかはほとんど忘れてしまったが、覚えていて書き留めておけば、夢判断でいろんなことがわかったかもしれない。

やばい。

昨日、何もしていないのにとても疲れた、と書いた。

そして今日、ほとんど家にいてPCに向かって何かやっていた、それだけなのに、かなりの疲労感を感じるのだ。昼頃に外に出てチャリで郵便局と銀行と文房具屋に行ったが、そのときも少しだるかった。でもその後回復せずにどんどん疲れてきたような気がする。何もしていないのに。

これは鬱のときの症状によく似ている。また鬱になってきたのだろうか。どうしたらよいだろう。とりあえず休むしかないだろう。

今日は退院してからはじめてデイケアに行った。

火曜日のプログラムは午前中がパソコン、午後がセミフリーで、散歩に行ったりビデオを借りてきて見ることが多い。今日は何をやるか知らなかった。しかし、行ってみたら今日は特別プログラムで、先々週にあったバレー大会の祝勝会だった。午前は料理を作って、お昼にその料理をみんなで食べ、午後は大会のビデオを見る、という内容だった。午前中の料理は人手が十分足りていて、私を含め何人も喫煙所でおしゃべりしているだけで終わった。

そしてお昼ご飯(ちらし寿司だったが、ちらし寿司というと関西と関東でぜんぜん違う。関西だといわゆる「五目寿司」のことをちらし寿司と呼ぶが、関東に来てすし飯の上に具が乗っているのをちらし寿司と呼んでいるのを知ってかなり違和感があった)を食べ、バレー大会のビデオを見て15時くらいに終わった。しゃべって食べて見た、それだけである。

それだけなのに、終わったらくたくたなのである。ほとんど何もしていないのに。家から1時間以上かかる遠いところだが、行きの電車も座れたし、いやしかし病院に着いた時点でもう疲れていたかな。とにかく「けっこう回復した」と思っていたのに、実際に「どこかへ行って何かをやって帰ってくる」ということをすると、まだまだダメみたいなのだ。少なくとも毎日は続けられない。やはりどこかで体がかまえてしまっているというか、リラックスできてなくて緊張状態が続いていて、それで筋肉がこわばって疲れてしまうのではないのだろうか。

とりあえず今は、あせらず今の環境に慣れることだ。早く復職したいのはやまやまだが、ここであせっては元も子もない。今日、会社の人事部から来たメールによると、本当の復職の前に3ヶ月の仮出社期間がある(これは以前の面接で聞いて知っていた)が、その間は通院する日以外は休んではいけなくて、また疲れたから早く帰る、ということもダメなそうなのだ。週5日、毎日7時間半、3ヶ月間きっちり働けないと、まだ復職は無理と言うことで休職に逆戻りするそうなのだ。これはきつい。きついというか、それができる状態まで自分をもっていってからじゃないと復職できない。しかし、その判断基準をどうするのかが問題だ。何をもってして、自分は「週5日7時間半働ける」という状態に回復したかどうかを判断したらいいのだ。ああ、どうしよう。

今日は朝から区役所へ行って障害者手帳を交付してもらった。ちょうど退院日の昨日に交付されるところだったのだが、今日交付してもらったのだ。これで正式に障害者となってしまった。だからと言って僻むことなく奢ることなく、丁寧に毎日を過ごしていこう。

昼から彼女と横浜へ出かけ、携帯のプラン変更をした。今はどこのキャリアも障害者割引プランがあり、そのプランに変更したのだ。その後どこへ行くか決めてなく、カラオケにでも行こうかと思ったが、疲れるのがいやだったので2人でマンガ喫茶に行った。平日のお昼はすいてていい。ドラマにもなった「Dr.コトー診療所」を4巻くらいまで読んだ。その後ダイエーやハンズに行ってショッピングをして夕方に家に帰ってきた。

この近くの商店街では毎年この季節に、月に3回縁日をやっている。今日はその初日だったので夜に行ってみた。いいお天気で湿度も高くなく、そんなに混んでもいなかったので快適だった。たくさん露店が出ていて、けっこう食べまくった。たこ焼き、フランクフルト、カルビ串、ステーキ串、焼き鳥。ずっと入院生活をしていたので食べ物には飢えていたのだ。おなかいっぱい食べて満足なのだ。こういう場所で食べるとおいしく感じるのはなんでだろう。

今日無事に退院したのだ。最初の1ヶ月くらいはなかなか調子がよくならなくて、うわーんこのままだと半年コースかぁ?と覚悟していた(1回目の入院は7ヶ月ちょっとだった)のだが、躁転して2週間くらいして落ち着いて、それから安定してきたので無事2ヶ月と1週間くらいで退院できたのだ。今回は無事軟着陸できた、という感じだ。このまま行けば8月くらいには3年ぶりに職場復帰できそうだ。

それはそうと帰ってきてまずやったのは、ウォシュレットの取り付けなのだ。なぜウォシュレットかというと、退院とは全然関係ない。先週の土曜日に彼女とその友達と一緒に夕飯を食べていたときに、私は今まで勘違いをしていたことを知ったのだ。それは、ウォシュレットというのはトイレを改造するもので、賃貸の住宅やマンションでは取り付けられないものだと思っていた、ということなのだ。そうではなくて、便器の蓋は簡単に取り外しができて、そこにかぽっとはめるだけで済むもの、つまりは賃貸でもつけられる、ということを話の流れで知って、前々からウォシュレットつけたいと思っていた私はさっそく日曜日にネットで安い店を調べて注文し、昨日までには自宅に届いていた、というわけだ。取り付ける際にちょっと工事が必要になるが、ネットで調べたところそんな難しい工事ではないようで、自分でできそうだった。

しかしいざやってみると、一番最初のステップで降参してしまった。タンクの横にある止水栓というのを締めて、そこからタンクにつながっている給水管というのをまず外すのだが、そのために回さないといけないボルトを回せない。タンクと壁の間が狭すぎてレンチが入らないのだ。他の工具でもあれこれ試したが、あまりの狭さにどうしようもできず、これは電動レンチなどの専用の工具がないとだめだぁ〜とお手上げ状態になったのだ。それでどうしたかと言うと、結局業者に頼むはめになった。TOTOのHPから取り付け工事ができる店を検索できたので、そこから自宅に近い業者を見つけ、連絡したらすぐ来てくれた。こういう水回りのトラブルなどを専門にやっている業者は足回りがいい。

というわけでこれから快適なトイレライフを楽しむのだ。それにしてもウォシュレットは最近進んでいるなあ。昔はコントローラが便器の横にどかっと突き出していて幅をとったものだが、今(というか私が買ったやつ)はコントローラがワイヤレスになっていて、ペーパーホルダーの上につけられるようになっている。便器周りもすっきりなのだ。