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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

最近はずっと軽い抑鬱状態で朝が特につらい。今日は10時頃まで寝て過ごした。

それはそうと、昼間は暇だったのでずっとネットをやっていたが、はじめてOKWebで回答をしてみた。このサイトは総合Q&Aサイトで、様々なカテゴリーにわかれていて、何かわからないことがあったら検索してみたり、それでもわからなかったら質問を投げてみると親切な人が回答してくれる、というサイトである。そしてその親切な人って誰?というと、それはこのサイトを見ているユーザなのである。私は一度ここに質問を投げたことがあったのだが、そのときは次々と親切な回答が寄せられて、なんて世の中には親切な人が多いのだろう、なんでみんなこんなに答えてくれるのだろう、と驚いたのだった。今日は暇だったのでたまたま新着の質問などを見ていたら、自分が答えられそうなやつもいくつかあったので、はじめて回答してみたのだ。コンピュータ関連の質問に4つ答えた。

そして夜になってからもう一度アクセスしてみたらびっくりした。50ポイントついているのだ。ポイントとは、質問者が「これ以上回答は必要ない」という時点で回答を締め切ったときに回答者に与えるもので、全回答のうち「これが1番よかった」というものに20ポイント、そして次点のものに10ポイント与えることができる(与えなくてもよい)。回答者はそうやってポイントをかせいでいけるのだ。そしてポイントがたまると何か嬉しいことがあるか、というと、実はよくわからないのだ。多分何もないのだろう。せいぜいランキングに載るくらいか。だけど、「ポイントをためる」という時点でもうこれは自分のツボをついている。これはひょっとしたら日本人(人類)共通のツボなのだろうか。

まあ、何はともあれ、もう一度質問のページを見て回ったら、「おかげで助かりました、ありがとうございます」というようなお礼まで載っていて、ちょっとした自分の知識がどこかの誰かに役に立った、ということだけでも何だか嬉しくて、その上ポイントまで貯まるなんてお得じゃん、という感じだ。自分が質問したときに矢継ぎ早に次々と回答が来た理由がわかったような気がする。ちなみに50ポイントの内訳は、20ポイント(ベスト回答)が2つ、10ポイントが1つで、残りの回答1つはまだ締め切られていないのでポイントが誰にもついてない状態である。ポイントつけてくれないかなあ。

なんだか明日から質問を全部チェックして答えられるものは片っ端から回答していきそうな予感。出る杭はなんとやら、にならないようにしなければ。

今日は朝起きると昨日ほどの鬱ではない。しかし、なんだかぐったりして朝から疲労感を感じる。調子がいいときはそんなことはなかった。まだ少しテンションは低い。

一日だらだらとネットしたりして過ごす。調子が悪いと受動的なことしかできない。

夜は19時から21時、そして21時から22時までお笑いの番組を観た。最近またお笑いブームみたいだ。テレビを観ているときは何も考えずに笑っていられるが、テレビを見終わって現実世界に戻ったとき、そこにいる自分が悲しくなる。見つめなければいけない現実世界が迫ってくる。ああ、テレビを観ているときは現実逃避できたのに。昨日は鬱がぶり返してかなりショックだった。そのショックからは少しずつ立ち直りつつあるが、しかしこれから自分はどうなるんだろう、そう考えるととても悲しくなる。順調にいくことを前提にして、会社とも復職に向けて話を進めていたのに、それもまた白紙に戻りそうなのだ。もうリミットが残り少ない。どうやって生きていったらいいのか。昨日も書いたっけ。家庭の事情で実家に戻ることもかなわない。うちにはもう一人障害者がいるのだ。

「みんな現実逃避してるのかも」彼女はそう言った。そうかもしれない。お笑いがはやっているというのは、私だけでなく、日本全体が暗いニュースに包まれ、「この先どうなってしまうんだろう」という状態になっているからかもしれない。だからみんな現実逃避に走るのだ。

明日はGSOの演奏会だ。明日は思い切り現実逃避してこよう。これが終われば私の合唱の、いや合唱を含めたヴォーカルアンサンブルの活動もしばらく停止する。悲しいことだ。決断したのは自分だが、やはり悲しい。だが、いつ調子を崩して本番に乗れなくなるかわからない身である以上、本番を前提とした活動をするグループに身を置くわけにはいかない。もっと気楽にできるところや、ソロで活動することにしよう。歌うことは自分から切り離したくないから。

朝、目覚めたら鬱だった。

あきらかな鬱だった。

体がだるくて何もやる気がしない。

退院してから1週間しかたってないというのに。

あまり飛ばしすぎないように気をつけていたのに。慎重にやっていたのに。

こんなに時間をかけてやっと回復したというのに、あっという間に逆戻りなのか。

もう、会社へは戻れないかもしれない。タイムリミットが刻々と近づく。

自分はどうやって生きていったらいいのだろうか。

1日ぼ〜っとして過ごした。それでも16時頃まではテレビを眺めたりPCでだらだらと掲示板を読んでいたりしたが、その後は布団に横になって寝てしまった。躁のときはじっとしていられない、いや躁でなくても性格上ひとつのところに留まっていることが難しいのだが、鬱のときは全く動くことができなくなる。そして、昼間は過眠ぎみになる。

夕方の浅い眠りの中で、たくさんたくさん夢を見た。いろんな人が出てきた。夢の中でいろんな思いを味わった。懐かしい思い、悔しい思い、自分が封印してきた様々な思いが深層心理の中で爆発したかのようだった。あまりにも短時間にいろんな経験をしたようでとても疲れた。目が覚めたのは18時過ぎ、しばらくは現実世界に戻れなかった。どんな夢を見たかはほとんど忘れてしまったが、覚えていて書き留めておけば、夢判断でいろんなことがわかったかもしれない。

やばい。

昨日、何もしていないのにとても疲れた、と書いた。

そして今日、ほとんど家にいてPCに向かって何かやっていた、それだけなのに、かなりの疲労感を感じるのだ。昼頃に外に出てチャリで郵便局と銀行と文房具屋に行ったが、そのときも少しだるかった。でもその後回復せずにどんどん疲れてきたような気がする。何もしていないのに。

これは鬱のときの症状によく似ている。また鬱になってきたのだろうか。どうしたらよいだろう。とりあえず休むしかないだろう。

今日は退院してからはじめてデイケアに行った。

火曜日のプログラムは午前中がパソコン、午後がセミフリーで、散歩に行ったりビデオを借りてきて見ることが多い。今日は何をやるか知らなかった。しかし、行ってみたら今日は特別プログラムで、先々週にあったバレー大会の祝勝会だった。午前は料理を作って、お昼にその料理をみんなで食べ、午後は大会のビデオを見る、という内容だった。午前中の料理は人手が十分足りていて、私を含め何人も喫煙所でおしゃべりしているだけで終わった。

そしてお昼ご飯(ちらし寿司だったが、ちらし寿司というと関西と関東でぜんぜん違う。関西だといわゆる「五目寿司」のことをちらし寿司と呼ぶが、関東に来てすし飯の上に具が乗っているのをちらし寿司と呼んでいるのを知ってかなり違和感があった)を食べ、バレー大会のビデオを見て15時くらいに終わった。しゃべって食べて見た、それだけである。

それだけなのに、終わったらくたくたなのである。ほとんど何もしていないのに。家から1時間以上かかる遠いところだが、行きの電車も座れたし、いやしかし病院に着いた時点でもう疲れていたかな。とにかく「けっこう回復した」と思っていたのに、実際に「どこかへ行って何かをやって帰ってくる」ということをすると、まだまだダメみたいなのだ。少なくとも毎日は続けられない。やはりどこかで体がかまえてしまっているというか、リラックスできてなくて緊張状態が続いていて、それで筋肉がこわばって疲れてしまうのではないのだろうか。

とりあえず今は、あせらず今の環境に慣れることだ。早く復職したいのはやまやまだが、ここであせっては元も子もない。今日、会社の人事部から来たメールによると、本当の復職の前に3ヶ月の仮出社期間がある(これは以前の面接で聞いて知っていた)が、その間は通院する日以外は休んではいけなくて、また疲れたから早く帰る、ということもダメなそうなのだ。週5日、毎日7時間半、3ヶ月間きっちり働けないと、まだ復職は無理と言うことで休職に逆戻りするそうなのだ。これはきつい。きついというか、それができる状態まで自分をもっていってからじゃないと復職できない。しかし、その判断基準をどうするのかが問題だ。何をもってして、自分は「週5日7時間半働ける」という状態に回復したかどうかを判断したらいいのだ。ああ、どうしよう。