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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:日々の出来事

今日もしんどくて会社に行けず、2連敗。明日こそ会社に行ってやる。必ずや。

 
それは置いといて。
 
先日の日曜日、合唱団の演奏会を聴きに行った。私も一瞬だけ所属していた合唱団で、学生時代に入っていた大学の合唱団のOB/OGが中心となって結成された合唱団である。大学は京都にあったので、本家のOB/OG合唱団は京都で活動しているのだが、その関東組であり、姉妹合唱団である。
 
演奏会はとてもすばらしかった。前回よりも人数は減っていたのだが、その実力は更にも増していて、聴いていてとても嬉しかった。
 
嬉しいことはそれだけではない。OB/OG合唱団なので、演奏会には知り合いが多く来ていた。同期の友人や先輩や後輩、とてもたくさんの人たちに久しぶりに会えることができた。それが何よりも嬉しかった。10年以上ぶりの人も何人もいたと思う。本家の関西からわざわざ聴きに来てくれた人たちもいた。
 
そして昨日、もう一つ嬉しいことがあった。
 
今年の2月に母が亡くなったので、喪中につき今年は年賀状は出さない。その喪中欠礼のはがきを毎年年賀状をやり取りしている方々にお送りしたのだが、そのうちの一人から、お悔やみのメールが来た。
 
そのメールをくれたのが、先に書いた大学の合唱団の同期で、私と一緒につるんでよく遊んでいた仲良しの友人であり、私が天才だと思う人間の一人である。彼は東大でしばらく研究をしたあと、別の大学に移って研究を続けていたが、2年前に倒れて生死の境をさまよった。アメリカの科学雑誌「サイエンス」にも論文が掲載された優秀な研究者で前途洋々だったのに、なんで彼が、と私は嘆いた。
 
その後、意識を取り戻して、やっと自分の名前が言えたり、手でグーチョキパーができる状態になったという。しかし、社会復帰にはかなり時間がかかるだろうと言われていたらしい。その後彼が今どうしているか、ずっと心配だったが、怖くて誰にも聞けなかった。
 
そんな彼からのメール。しっかりとしたメールが書けるようになっているだけでも嬉しかったのに、今では大学に復帰して研究を続けているようで、自分の考えていることをつれづれと書いているようなWebページを作成したのでよかったら見てくれ、というので見てみると、、、、、、、、
 
ものすごい量で、まだ全部目を通せていないが、研究のことから音楽のこと、事業仕分けからお笑いに至るまで、実に多岐にわたっていろんなことが彼の言葉で語られていた。私が知っている天才の彼がそこにいた。彼は帰ってきていた。信じられないほどの回復力で、死の底かから這い上がってきていた。天才は復活していた。
 
さあ、今度は彼との再会を果たす番だ。いつの日になるかわからないが、明日を信じて生き抜く力を彼からもらったような気がする。

はあ。

 
相変わらず調子が悪い。
 
今週中に、年末調整のための各種控除の書類を提出しなければならないのに、ぜんぜん出社できていない。
 
今まで勤務した職場では会社の社会保険に入っていたのだが、今は契約社員でありながら一日4時間の勤務のため、社会保険には入れなかった。つまり、年末調整のための用紙に国民健康保険やら国民年金の控除額を記入する必要があった。こんなのはじめてだ。
 
それで、国民年金に関しては、控除証明書が日本年金機構から送られてきているのだが、健康保険料に関してはそんなものは来ていない。というか今まで来たことが一度もない。はて、どうすればいいのやら、役所に行って発行してもらうのかな。とりあえずネットで検索してみたら、社会保険に関して控除証明書が必要なのは、国民年金だけらしい。
 
うちの場合、基礎控除に加えて
 
社会保険料控除+配偶者控除+障害者控除×2+生命保険料控除
 
となるのだが、よく考えたら5月下旬に入社してから2ヶ月半くらいしかまともに勤務しておらず、その後はずっと休みが続いているので、所得税なんて少ししか払っていないのだった。なのでこれだけ控除があっても意味はない。
 
さらに我が家では、医療費が現時点で20万円を超えているから、10万円を超えた額については控除対象になり、確定申告をすれば普通は得するのだが、どうせ払った所得税は年末調整で全額返ってくるので意味なし。
 
なんか知らんがもったいない気がする。
 

でも、時間の問題です。

私の命は、

もって、あと60年といったところでしょうか。

三連休の初日。三連休と言っても、祝日というのは私のように時給制で働く人間にとっては、一日分の給料を稼ぎ損ねる日でしかないので、あまり喜べない。外出してもお金を使うだけだし、一日家にこもって、溢れている資料の整理をしていた。けっこう時間がかかって、それだけで疲れた。

 

もう必要でないであろう昔のクレジット明細やら病院の領収書、解約したプロバイダの資料。とっくに期限切れの保証書など、出てくる出てくる。これらほとんど個人情報だからシュレッダー行きだが、大変なのでちょっとずつやっていくことにしよう。会社に持って行って機密文書廃棄ボックスに放りこむという手もあるが、さすがにそれはやめておこう。

 

18時半からフジテレビの番組で、先日世界文化遺産に指定された平泉を巡っていた。平泉といえば、去年の5月に高校時代の部活の仲間たち10人で、25周年記念の旅行で訪れた場所である。見事な毛越寺の庭園は私も「これは美しい」と思って何枚もデジカメのシャッターを切った。中尊寺の金色堂は撮影禁止だったので写真は残ってないが、その美しさと神秘さは私の記憶にはっきりと残っている。最近、その姿がテレビで繰り返し放送されている。たった1年ちょっと前のことなのに、ずいぶん昔のことのような気がする。

 

19時半から今度はNHKで、京都は祇園祭の宵山の様子を生中継。それをしばらく見ていたが、これもまた懐かしい。京都市内の大学に通っていた頃に、当時つきあっていた女の子とはじめて行った祇園祭の宵山。圧倒されたものすごい人の群れ、伝統を感じさせる鉾の数々、祭りの盛り上がったムード、彼女の艷やかな浴衣姿。こちらは20年くらい前のことなのに、昨日のことのように記憶がよみがえる。

 

その頃はカメラも持ってなかったし、インスタントカメラを買ってデートで写真を撮るなんてこともしてなかったから、当時の写真は殆ど残ってないが、記憶にはしっかり刻まれている。今日私が家の中でせっせと仕分けたように記録は消すことができるが、記憶は消えているようで消えていない。都合のいい記憶だけ残ってくれればいいのだがなあ。

 

なんだかんだ言って、学生時代とは懐かしいものだ。あの頃は20年後の自分がこんな生活をしているとは夢にも思っていなかったが、だからと言って学生時代に戻りたいとは思わない。今の自分を受け止めて、前を向いて歩いて行く。その中で、また新しい記憶が作られることだろう。

 

それにしても、京都に下宿していたのは3回生から4回生の2年間だけだったが、エアコンもないボロアパートで、よくもまあ高温多湿の京都の夏を我慢できていたなあ。今の自分にはとっても無理である。もっとも、今ほど温暖化は進んでなかったけどね。

梅雨も明けて、夏本番。
最高気温が33℃とか、もう普通になってしまったが、わたしが子どもだったころには考えられない数字である。

私が通勤する時間帯が最も高い気温なのだ。早くも夏バテである。しっかり水分は採っているのだが、弱った体にはボディブローのように効いてくる。

仕事も今までは半分勉強期間だったが、本格的にチームのメンバーとして仕事を一人で任せられるようになって、プレッシャーも増えてきている。

ちょっと心が折れかけている今日この頃。