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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2003年6月29日

昨日は結局0時過ぎまで起きていた。またハイテンションが続いているような気がして、眠剤を飲んでも眠れるかなあと心配だったが、目がさえて眠れない、ということもなくすぐに寝ついたようだ。しかしいつもの通り2時半に目が覚めた。病院からちゃんともらってきている追加眠剤を飲み、もう一度寝る。その次は4時半に目が覚めた。なんとなくこれ以上寝たくなかったので起きてきて日記を書いている。

少し頭が寝ぼけているような気がする。体もだるい。これが入院前に調子が悪かったときの悪循環の始まりかもしれない。外泊訓練でそれを断ち切る訓練もするのだ。最近読んだ早起き健康法の本に書いてあったのを参考にして、早朝散歩に出かけることにする。今日一日、調子がいいか悪いか、すべては朝にかかっている。最近そう思う。朝の気分はどうなのか。朝、何をどうすれば気分を上向きにもっていけるのか。早起き健康法に書いてあった「できる範囲でいいから体を使う」というのは、そうかなるほど、と思った。本には散歩だけでなくヨガも載っていた。

早朝散歩に行ってきた。と言っても家のあたりをぐるっと一周しただけである。本当はもう少し遠くの公園まで歩こうかと思ったが、少し小雨がぱらついているような感じだったので、少しにとどめておいた。深呼吸やのびをしながら涼しい朝の新鮮な空気を吸い込んで歩いていく。とても気持ちがいい。今日は短時間だったので戻ってきてから頭のぼんやり感は少し残っているが、もう少し時間をのばせばもっとすっきりするに違いない。また新しいキーワードが出てきた。「朝、どうするか」。すべては朝の行動にかかっている。朝の気分、朝の体調、そのときそのときに応じて一番自をがいい状態に持っていける何かをやろう。その日一日が上向きか下向きか、それはすべて朝にかかっている。

散歩の後、昨日の続きでヴォーカルアンサンブルのHPの更新作業を行う。なかなか地道な作業だ。6時半になったので中断し、病院の日課でもあるラジオ体操を行う。けっこうこれ、体を目覚めさせるのにはいい効果があるみたい。

ラジオ体操の後はHP更新作業の続き。7時過ぎにやっとこさ完成してアップし、アナウンスを掲示板に出す。そして朝食。今日も躁がが続いているようだ。今度は掃除を始めた。まあ掃除はやった方がいいが、休みを取らずに次から次へと体が動くのである。頭では「ちょっと休まなきゃ」と思っているのに体は止まらない。部屋の隅から隅まで掃除機をかけてまわり、雑巾で拭いてまわる。いくらやっても一息入れるということがない。いっぺん動き出した体がぜんまいじかけのように止まらない、止まらない、止まらない、誰か止めてくれ!

疲れ果てて頭の中では休まなきゃと思っているのに体が止まらない。8時半に彼女が家に来て、やっと収まった。人がいると落ち着くのだろうか。彼女が合い鍵で家に入ってきた瞬間、自分が発した言葉は「止めて!」であった。落ち着いた、と言っても表面上だけで、自分の中ではまだ何かがかけめぐっている。疲労感が強いのになぜだ。完全に躁状態なのだろう。昨日いつの間にか躁転したのか。

その後、彼女とゆっくり話をしながら時を過ごす。お昼になったので昼食を買いに行こうとした。彼女はコンビニまで行くと言うが、なんだか疲れがどっとでてきた私は斜め向かいのパン屋でパンを買ってきた。

昼食後からおかしくなった。ここにきて疲れがピークに達している。吸い込まれるように寝てしまった。でも熟睡ではなく、内容は覚えてないがなんだかいや〜な感じの夢を見ていた。浅い眠りだ。何度か目が覚めて時間を確かめた。14時半の電車に乗らないと、規定の16時までに病院に戻れないのだ。

14時頃、携帯のメール着信音がなった。ヴォーカルアンサンブルのTちゃんからのメールで、今朝アップしたHPのリンクが一部間違っているという。ちょうどいいタイミングで起こしてくれたもんだ。すぐに修正してアップする。

私が寝ている間、彼女もうとうと寝ていたらしい。それにしてもこの疲労感はなんだ。病院でもけっこうハード(でもないか?)なスケジュールをこなしているのに、こんなに疲れることはない。疲れの質が違う。これだ、私が入院する前にずっと調子が悪い状態が続いていたときに慢性的に感じていた疲れがこれだ。これはなんなんだ。入院する前は躁転することはなかったという違いがあるが、疲れの種類は同じだ。この疲れは、この1週間の疲れが溜まっていてそれがどっと出たのか、それとも昨日から今朝にかけての過活動による疲れなのか。この疲れの正体をつきとめて、考え方や療法、行動によってその疲れがたまらないようにコントロールできるようになればいいのだが。また一つ大きな課題ができた。

14時半の電車に乗るために家を出る。昨日買ったお気に入りの帽子とウェストポーチを身につけて、昨日買いだめしたたばこやらVAAMやらを紙袋につめて。自分の中にも何かを詰め込みすぎているのだろうか。

病棟に戻り、とりあえずゆっくり横にでもなればいいのに、あわただしくかばんの中のものや買ってきたものを整理し始める。まだ躁状態が続いているのか。とりあえず休めよ。自分にそう言いたい。

片づけが終わってやっと一服。その後音楽を聴きながらようやくごろんと横になる。しばらくしてもう一度ホールに出てきて一服しながら、躁鬱病の女の子と話す。お互いの話をしていると、いろいろと共通点があり、話がよくわかる。やっぱり同じ病気を抱えている人でないと実感を伴って共感することはできないだろう。入院しているメリットの一つは、このように自分と同じような人と悩みを分かち合える、自助グループのようなことができることだ。

夜になっても疲れはとれない。明日になれば疲れはとれているだろうか。入院前の場合は、ずっと疲れを持ち越すことが多かった。前の入院では外泊から帰ってきた次の日によく調子を崩した。明日からの一週間がちょっと不安だ。明日のカウンセリングと、主治医の面接でよく話をしよう。