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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日はわりとさくさく仕事も進み、久しぶりにNさんと一緒にGメンもやった。ファイル交換ソフトは「使うなといってるだろーが!」というおふれを、もといアナウンスを出したので最近はめっきり減っていたのだが、今日の犯人は、また外国人であった。英語でもアナウンス出してるんだけどなあ。新しく入った人かもしれない。

それはそうと、そこの居室に行く途中Nさんから衝撃の告白。

私、来年の3月でやめるの。

えー!!!!

そ、それは困る。私はまだまだわからないことがいっぱいあるのだ。
技術的なことは、ここの会社(研究所)はかなり最先端のことをやっているので、いっぱい勉強しないといけないこともあって、今でもさっぱりわからんちんのことが多いのだが、それよりも何よりも、私がなくなって困るのは、彼女の頭の中に入っていることなのだ。

5年前にできたこの研究所、その立ち上げ時から彼女はここで働いてきた。ネットワーク関連のいろいろや、そして「ここの研究所ならではの事情」というもの、あそこの組織は「過去の経緯」でちょっと特殊な扱いになっていて、ここだけこうなっている。そういうものがいくつもある。

もちろんいろいろドキュメントはあるし、これからNさんも徐々に引き継ぐモードに入っていくだろう。今日は私が休み中に勉強していたCatalystのレクチャーをしてくれた。

しかし、そういう技術的なことは一人で勉強してわかるが、「過去の経緯」とか、「あそこの部署は」「あそこのチームは」「あそこの誰々は」という、この職場で経験を積み重ねないとわからないことがある。

そういうものまで引き継げるのだろうか。

まあ、NさんがいなくなってもYさんがいるし、組織というのは何とかなるものだ。しかしあと5ヶ月で、私は彼女からできるだけのことを学ばなければならない。

なんか、今日はその話を聞いてから、ちょっと元気がない。昼間には眠たくもなってきた。最近にしては珍しい。昨日のように「そんなの関係ねー」と唱えてみたところで効果はなし。ストレスではなく精神的なショックには聞かないようだ。そもそも「思い切り関係ある」のだから。

このショックで鬱モードに入らないかが今は心配だ。まあ、なるようになるさ。

今日はやっとNさんが出社してくれた。いろいろと聞きたいことがあったので助かった。NさんもYさんもいないうちにどんどん仕事が舞い込んできて、自分なりに進めていたのだが、判断に困るところがいくつかあったのだ。

しかし、Nさんも判断しかねる、という案件がいくつかあった。最終的にはリーダーであるYさんの判断になるというが、Yさんは明日までお休み。しかしユーザは急いでいて、10月頭にでもサービスインしたいという。

しかたがないので、お休み中のYさんの携帯に連絡し、判断を仰いだ。結局ユーザには「こういう条件ならOKだけど、現実的には無理だから実質NGです」と答えることになった。

同じようなケースで、別のユーザで困っている人がいた。それもYさんの判断にしたがうと、「NGです」ということになるのだが、向こうはそれでは非常に困る。困ると言われても、決まりは決まりですから守ってください、と立場上言わざるを得ない。

こういうのが私は苦手なのである。相手が困っているのがわかっていながら、でも立場上相手の困ることを要請しないといけないし、はっきりそれを伝えないといけない。自分が言われたら「そんなこと急に言われたって無茶だよ〜。全くお役所仕事なんだから」と思うに決まっているのに、だからそんなこと言いたくないのに、あくまでも仕事として立場上、言いたくないことを言わなければならない。

実は、そういうのが自分の中で一番のストレスになるのだ。しかし、そういうストレスを解消する方法を最近発見した。それは、頭の中で、できればエアー振り付けで、こうとなえるのだ。

「でもそんなの関係ねー、でもそんなの関係ねー、でもそんなの関係ねー、
 はいおっぱっぴー、ちんとんしゃんてんとん、ちんとんしゃんてんとん」

どこかで聞いたようなフレーズかも知れないが、それは置いておいて、最近はまっているこのフレーズをふと頭の中でそれを唱えたら、不思議と気が楽になったのだ。なぜだろう。自分なりに分析してみた。

まず「そんなの関係ねー」というフレーズ。このぶっきらぼうさがいい。自分の感情をいちいち仕事に持ち込んでいたら、自分の神経がもたない。仕事は仕事と割り切って、ユーザが困ろうがなんだろうが「そんなの関係ねー」と突き放す、それを自分に言い聞かせるのだ。

そして、そのフレーズを3回繰り返すのもポイントの1つ。オウム真理教が事件を起こしたときに、信者を洗脳するときに使ったというフレーズ

「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」

これも短時間のうちに3回繰り返すことによって、潜在意識の中に滑り込ませる効果があったのではないかと推測している。それと同じことで、3回繰り返すことによって自分をより納得させているのではないか。

そしてその後のどうでもいいようなお祭りのようなフレーズ。これをとなえると、なんだか自分がストレスに感じていることがばかばかしくなって、本当にどうでもよくなってくるのだ。それで、「ま、いいや」という心境に落ち着く。

ばかばかしいと思っているものから学ぶこともあると感じる秋の夜であった。でも明日はまだ30℃の予報。でもそんなの関係ねー!

昨日は22時半頃就寝。寝つきはよかったと思う。夜中は何度か目が覚めた気がする。眠りが少し浅いのだろうか。しかし、朝は目覚ましが鳴るより前、6時20分頃に起きた。快調である。今日もちゃんと仕事ができそうだ。でも調子に乗りすぎないように気をつけなければ。

今日は悪い予感はしなかったのに。

8時50分くらいに会社に着き、PCを起動して仕事の準備をしていたら、Skypeから誰かがチャットに呼んでいる。隣の席にいるはずのNさんだった。

「すみません。子供の体調がまだ悪いので、今日も休みます」

がちょーん!

今日は来てくれると思っていたのに…。

そしてもう一つ誤算が。

Yさんは昨日「だけ」お休みだと思っていた。

しかし、スケジュール表を見たら、「今週夏休み」と書いてあった。

おいおい…。

というわけで、今日もひとりぼっちで、せっせせっせと仕事をこなす。わからないことを本部の情シスの人にSkypeで聞いたりメールで確認したり。どうもセキュリティポリシーの具体的基準が、人によって文章のとらえ方が違ってコンセンサスが取れてないことがわかってきた。ああ、もうめんどくせ〜。

とりあえず、やらないといけないことは山ほどあるので、順番に片付けていく。やることがたくさんあっても、以前よりもてんぱることがなくなったような気がする。

自分のできる分だけやればいいさ〜。重要度と緊急度だけきちんと意識して、こなしていけば。

そういうわけで、今日もすぱっと定時で、とはいかなかったが、30分くらいオーバーで帰ってきた。とりあえず、これくらいのペースを超えないように続けていこう。

昨日は22時過ぎに寝たが、寝つきがよくて、夜中も眼を覚ますことはなかった。そして今朝の目覚めもよかった。6時半にばっちり起きて、しんどくはない。昨日は眠りが浅かったから朝しんどかったのだろうか。何はともあれ一安心。毎日「明日ちゃんと起きれるだろうか」と寝るのが怖い、という状態である。