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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日は昨日より出足が悪かった。昨日は11時頃には会社に着いたのだが、今日は11時頃まで寝ていた。朝いったん起きたのだが、しんどくてまた寝てしまった。ああ、また逆戻りか、と思ったのだが、目が覚めたら動けたので会社へすっ飛んでいった。

行ったら昨晩ネットワーク障害が起こったようで、その調査中という状態。待機系に切り替えてとりあえず復旧し、障害が発生しました、というアナウンスメールは出したところ、という状態であった。社食でネットワークチームのMさんDさんと合流。

それでもって、昼を過ぎてだが、Mさんに、

「はまーさん、いつもなら予告メールなんですが、さっきちょっと作業やってしまって、事後報告なんですけど、瞬断が発生したと思うからアナウンスメールお願いしていいっすか?」

と頼まれ、久々に必死に英文をひねり出した。計画的なネットワークのメンテナンス予告とか緊急メンテ予告のアナウンスなんかは英文の雛形があるのだが、「事後報告」メールは出したことないぞ。ネットワークが瞬断しても、通信にほとんど影響はないのだが、それを説明した文章で、

It might had few impact on usual data communication.

なんて書いてしまった。しかしここは few ではなくて little だろう。いや、パケットは数えられるから few でいいのか。でもネットワークの通信なんて一般的な感覚からいうと「数」でなくて「量」だろうから、やはり little か。

それから、そもそも a few でなくて few って書いてるから、might なんてつける必要はなかった。自信ないんかい、と思われそうだ。それからこの場合の「影響」は impact でよかったのか?

まあ読んでいる外国の方も書いてるのが英語素人だとわかっているだろうし、だいたいの意味が通じればそれでいいや。

何とか行けた。
会社に行けた。
久しぶりに行けた。
遅刻したけど午前中に行けた。
おなかの音を聴いてたら行けた。

おなかの音って?

今度時間があるときに、じっくり書くことにしよう。

今日も調子が悪い。いっこうに良くなる兆しを見せない。夕方になってもしんどくて、内科に行くつもりだったのに行けなかった。近所なのに。

今回の不調は今までと違う。つらさが違う。一昨年に再就職してから、調子を崩してもここまで「しんどい」「だるい」「つらい」という状態に陥ったことはない。本格的な「鬱」に入ってしまった。「こじらせた」とはこういうことを言うのか。

会社のメールをしばらくチェックしてなかったが、夕方にまとめてチェックしていたら、テーマ管理システムに書き込むと同報で送信されてくるメールに、同僚のDさんからこんなのがあった。

> ・××管理システム(はまーさん)
はまーさんダメそうなのでとりあえず私の方で着手しました。

あああああああ、ごめんなさい、ごめんなさい、すみません、すみません。私がずっとこの日記でも「手をつけなくては」と書いていたやつだ。申し訳ない。Dさんごめんよ。私がずっとこの調子だから。私が悪いんだ。私がこの会社で働いていたばっかりにこんなことに。私が何もできない癖にのうのうと生きているからこんなことに。私なんかやっぱりはじめから存在しなければ良かったんだ。産まれてすみません。すみません。すみません。

はあ、思い切り凹んでしまった。大袈裟かと思っただろうか?本人にとってはちっとも大袈裟ではないのだ。鬱で心が弱っているところに、傷に塩を塗り込まれたような感じで、とてもつらくなる。

調子が悪いとはいっても、もう少し自分の状態がよければ、これくらいのメールは

「ああ、迷惑をかけてしまっているなあ。でも調子が悪いし、しかたかがないか」

と開き直れるのに、今のような鬱が強い精神状態では、

「他人に迷惑までかけて生きていくのはもう嫌だ。消えて亡くなりたい!」

そういう思いに駆られる。最近話題にしている「希死念慮」である。

別に悪意があって「ダメそうなので」なんて書いているわけではないのだろうが、精神的に参っている人間にとっては、これくらいのちょっとしたことに非常に敏感になってしまう、ということを、周りにうつ病の人がいる方々は注意してほしい、と思うしだいである。うつ病の患者と接するのは難しい。何年も連れ添っている妻もそう言うし、自分自身もそう思う。だからこそ自ら伝えたい。知ってもらいたい。理解してもらいたい。

その思いこそが、私がこの日記を書き出した原点なのである。

だめだ、まだ調子があがらない。

困ったなあ。

ところで、糖尿病で軽い喘息も持っている私は、新型インフルエンザのワクチンを早く受けられるのかな?明日か明後日に内科に行くので聞いてみようっと。

今日も相変わらずしんどくて気力がなくて、会社を休んだ。そう言えばリフレックスを追加したときに抜いてみたデパスを昨日から服用しているが、まだ目に見える効果はない。デパスは一応頓服として処方されているから、自己判断で無茶をやっているわけではない。とにかく、早く少しでもよくなってほしいのだ。

昼前に、会社から持たせられている携帯に同僚のMさんからメールが。「○○のCD-ROMってどこにある?」電話して場所を伝えたついでに、いろいろ話をした。私がひたすら「みんなに申し訳ない」と謝って、薬を変えたりしていろいろやってるけど、なかなか調子があがらなくて医者も困っていて、なんて話もした。

仕事に関しては、自分がこんな状態だし、そんなにクリティカルなタスクを担当しているわけではないので、私待ちの案件はあるが、なんとかなっている。Mさん曰く、先輩のYさんが「はまーさんがフルで出勤できたら、凄いパフォーマンスを出してくれると思っている」と言っていたらしい。評価してもらっているのは非常にありがたい。だからこそ、活躍の場を与えられているのに、その場所に上がっていけない自分がはがゆい。

ところで、音楽プロデューサーの加藤和彦さんが首をつって自ら命を絶った。「おらは死んじまっただ~」が本当になってしまった。全くしゃれにならない。先日クレヨンしんちゃんの著者が事故で亡くなったときに、しんちゃんの真似をして「おら、死んじまったぞ~」と言ったら妻に「不謹慎」と言われた。全くその通りであった。この場をお借りして関係各者にお詫び申し上げるしだいです。

それはそうと、加藤氏もうつ病だったそうだ。奇しくもつい数日前、「希死念慮」とはという日記を書いたところであった。http://news.livedoor.com/article/detail/4401482/ によると、遺書や友人の話で、

「自分の思うようなものができないと悩んでいた。若い時には当たり前のようにできたことができなくなり、そのジレンマが卓越した創造性を侵していき精神的に追いつめられていった」

「うつで仕事が進まない。作品を書こうと思うとダメなんだ」

という状態だったという。理想と現実のギャップ。自分のことを「ダメなんだ」という自己否定。自分を自分で追いつめてしまい、やはりそれが希死念慮につながってしまったのか。うつ病が「死に至る病」であること、そして時として死の選択をほのめかすようなサインを出していることをみんなに知ってもらいたい。この病気の「犠牲者」が一人でも減るように。