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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

3d_glass.jpg

今日、嵐の番組で「3D映像生ライブ大実験」というのがあった。
日本に1台しかないという3D映像を生で撮影できるカメラで、嵐のライブの途中で実験をする、というのだ。

それを新聞で見たうちの妻は、文房具屋へ行ってセロハンを買ってきて、昔懐かし3Dメガネを作ってしまった。

実験の結果は、、、

大成功。

原理なんて思い切りわかっているし、今どき赤青メガネなんて、今ではメガネなしでも3D映像を見れる技術がある、とか思ったが、多分「リアルタイムで」というところが難しいところなのだろう。

メンバーの手がテレビの画面からこちらに出てきて、これが貞子だったら怖いよな、と妻と話したのであった。

今日もなんかだるい。

外には出ずに、せっせと家でプログラミングをしていた。VPNで会社のネットワークに接続し、アプリを改良する。

なんで家に帰ってまで仕事をやってるかって?

いや、おもしろくてしかたがないんっすよ。プログラミングが。趣味と仕事をごっちゃにしている。

いい仕事にありつけた。世の中悪いことばかりではない。好きなプログラミングをやってお金がもらえるなんて、こんなラッキーなことはない。

それではまた、明日からの一週間、無事に過ごせますように。

今週は頑張った。

頑張りすぎたのかな。。。。。

今日はえらく疲れがたまっていたようで、一日ばててた。会社から借りてきたCatalystの本も少ししか読んでない。日本語すら読む気がしないのに英語なんて全然進まない。しかし、最初の方を読んだだけで、どうやら私はこの本を読むための前提知識に乏しいということはわかった。

As you know, honyarara honyarara….

いや、知りません。

というわけで、英語の本は斜め読み。前提知識の部分は日本語のドキュメントが本でもネットでも山ほどあるから、そこから手を着けることにしよう。とりあえず休みの日は休むのだ。

一週間終わった~!!

今日は9時から20時半まで働いたぞ~。アプリがようやく公開できそうなところまでこぎつけたところで、さあもう少ししたら帰るか、と思ったところにMさんとMさんからいろいろと横やりが。これはどうなってんの?これはどういうインプリメンテーションなの?

MさんもMさんも、ああああ、MさんとかMさんとかややこしい。同じネットワークチームのMさんはMさんで、サーバチームのMさんはM姉さんと書くことにしよう。Mさんは、そもそもの要求仕様がどうだったか、とかその辺を突いてきて、M姉さんは私のCatalystのコーディング方法がMVCフレームワークの正当的なやり方ではないという。

要求仕様。いや~今さら言われてもなあ。「前任者が作ったけど使ってないのがあるから、使えるか試してみろ」と言われて、動かしてみたら作りかけで、それを完成させただけなのになあ。まあ、製品版を買うか、自前で作るかどっちがいいのか、それを比較検討するためのタスクだったわけで、対抗馬の製品が持っている機能をある程度持っている必要はあるが、どこまで必要なの?どれだけ工数をかけたらどこまでできるの?落としどころはどこになるのか。そんな計算が必要なのだろう。

M姉さんはプログラミングに詳しい。いや、プログラミングだけでなくサーバやらネットワークやらセキュリティやらロボットやら、ありとあらゆることに精通している、スーパーウーマンなのだ。MVCフレームワークでは本来なんたらかんたら、ビジネスロジックはモデルに記述すべきなのにコントローラーに云々、これでは単なるO/Rマッパーがどうたらこうたら。話をしていたら、すっかり夜遅くなってしまった。

私はMVCフレームワークはちゃんと勉強したわけではないし、Catalystもこの会社へ来てうはじめて触ったし、ただただ先人が書いたソースを真似して書いてきただけなのである。まだまだドシロウトの域を出ない。よし、ここらでいっちょ本腰を入れて勉強するか。

と思って、週末に読もうと会社から本を一冊借りて帰ってきた。数少ないCatalystの本である。わかる人はわかっていると思うが、CISCOのルータやスイッチのCatalystではなく、PerlにおけるMVCフレームワークのCatalystである。

Catalyst.jpg

英文で300ページ。学生時代なら2~3日あれば読めたと思うが、今ではどうだかなあ。

朝7時に目が覚めた。とてつもなくしんどいが、頑張って起きた。多分そのまま会社に行くのは無理だろうと思いつつも、行けるところまで行ってやれ、みたいな感じで服を着替えて朝食を食べて、ゴミを出して、会社に行く支度がすっかり整ったら、そのまま布団に倒れ込んでしまった。

そして爆睡。

目を覚ますと10時前。うわ、寝過ぎた、と思って急いで会社へ。しんどいけど頑張って行くのだ。頑張れ頑張れ自分。

あれ?うつ病の人に「頑張れ」は禁句でなかったのかな。なんで自分に「頑張れ」なんて言ってるんだ?でも頑張れば会社に行って仕事をしてお給料をもらえる。頑張れば会社に行けるときは頑張らなくてはいけないだろう。スポーツでも勉強でも、ここ一番というときは頑張らないといけない。

そう言えば山岳会に所属していた頃に、インドアクライミング(室内でやるロッククライミング)で壁を登っていると、「ガンバ!」というかけ声が飛んできたものだ。次のホールドまであとちょっとだ、がんばれ!そんな時に下から叫ぶのだ。ちょっと懐かしい。でも手の力が限界に来ているときは、どんなに頑張っても無理なんだな、これが。ちなみにロッククライミングは手だけで登るわけではない。重要なのは体全体でバランスをとって、重心を足にかけることで手の負担を少なくしつつ、ホールドからホールドへ移っていく。これを「ムーブ」という。ああ懐かしや。また登りたいなあ。でも装備は売っちゃったし、体重はあと20キロは減らさないと無理だろう。ああ、話がどんどん脱線する。

そうか。頑張ることが悪いんじゃないんだ。「頑張りすぎること」が悪いんだ。自分のキャパを超えたことはしちゃいかん。その「自分のキャパ」は自分自身のコンディションだけでなく、周囲の環境も含めて変動する。それを見極めるのは難しい。同じくらいしんどくても、いざ外に出たら暖かくていい陽気のときと、寒くて雨が降っているときとでは、その後の体調も変わってくるだろう。

「頑張らなくてもいいんだよ」という言葉に甘えてはいけない。自分のできる範囲のことはできる。「自分はうつ病だから頑張らないのだ」などと開き直ってしまうと、いやある程度の開き直りは必要なのだが、それも度が過ぎるといつのまにか自分を甘やかしてしまいそうだ。

こんなことを書いてる自分って、やっぱり自分に厳しいのかなあ。至極当たり前のことのようだが、自分ではわからないや。