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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は寝る前にデパスを飲んでみたら、ちゃんと眠れた。
朝も、9時半に起床。少し遅いが、昨日ほどではない。起きるときの辛さも緩和されている。とりあえず一段階、元に戻った。

しかし、それではいったい、どのタイミングでデパスを抜けばいいのか。
錠剤を砕いて少しずつ減らしていくとするか・・・。

今週の通院で、危うく抗鬱剤を増やされそうになった話は先日書いたが、寝る前のデパスのことについては書いていなかった。寝る前のデパスを3mg→2mg→1mg→0.5mgと減薬してきたのだが、今週からデパスを外して様子を見ることにした。ただ、それで眠れなかったり不安定になると困るので、頓服で処方はしてもらっている。

それで、今のところ・・・、

眠れない。

生活のリズムがだんだん狂いはじめている。

今日は起きたのが11時過ぎだった。

目は覚めているのに、そして体をなんとか起こしているのに、そして正座の態勢までもっていってるのに、そこからがなかなか動けないのだ。毎日、朝がとてもつらい。

様子を見るのもちょいと限界。減薬は慎重に行わんといかんな。とりあえず今夜はデパスを飲んで寝よう。

今日も調子が悪い。ずっと調子が悪い状態が続いていて、入院している友人の面会にも行けなかった。

しかし、自分の病院には行かなければならない。一昨日メンタルクリニックに夫婦で通院したばかりだが、今日は皮膚科へ二人で通院。私はアトピー持ちで、妻は妻で皮膚が弱くて、湿疹やらニキビやらお肌のトラブル続き。二人して皮膚科にも通っている。

一緒に通院して二人で診察室に入るというのは、精神科や皮膚科ではメリットが大きい。これは他の科でも言えることだとは思うが。

精神科では、診察といってもほぼ問診なので、前回の通院以降の自分の体調や症状を話すというのがメインになる。ふたり一緒に診察に入ると、本人の話に加えて、一緒に暮らしているパートナーから客観的に見て気がついたことを、お互いに補足できる。

皮膚科の場合、医師の指示をお互いのパートナーが聞くことができる。ふだんから、自分では手が届かなかったり、目で見えなかったりする背中や頭には、お互いに薬を塗ったり塗ってもらったりしている。

こういう状態なので、一緒に診察室に入ったら、「この辺の赤いところはこの薬で、この辺りのかさかさしているところはこの薬で」という指示を、実際に薬を塗るパートナーが聞くことができる。一人暮らしだった頃は大変だったよ。

それはそうと、自分の額の一部が少しでこぼこしてきたので、これはなんだろうと思っていた。これは何で、どの薬を塗ればいいのか今日尋ねてみた。すると、

「老廃物が溜まったものです。綺麗に顔を洗って、何も塗らないでください」

と言われた。アトピーとかニキビとかおできではない。では何故こんなものができるのか聞いてみたら、

「老化です」

の一言。

「老化です」
「老化です」
「老化です」
「老化です」

「寄る年波には勝てない」という噂は本当だったのか。

先月大阪に帰った時に学生時代の友人で集まったのだが、健康の話がやたら多かった。以前はそんなこともなかったのに、アラフォーというよりみんなオーバーフォーティーになってしまうと、自然とそんな話題になってくるようだ。男性陣は腰の話、女性陣は冷え性の話をしたりしていた。

しかしまあ、専門家もいることだし、そこで横槍が入ったりするのがおもしろい。大学病院に勤務し、研究に臨床に教育に忙しい耳鼻科医の友人は、

「ためしてガッテン、とかの医療情報番組、めちゃめちゃレベル低いよな」

と話していたが、そのレベルで踊らされている一般人の多いこと多いこと。

また、生物学の研究者である友だちが、

「コラーゲンなんか口から摂取した所で、美肌効果なんかあるわけないべ」

と話すのに対し、未だ同い年とは思えない若々しさを維持している女性が、

「いや、ある!」

と言い切っていたのがおもしろかった。まあ、彼女はエステにも通っているそうだが。

そうやって人は年老いてゆくのだろうなあ。彼らは学生時代から私のことを「じーさん」というあだ名で呼ぶ。なぜそう呼ばれるのか未だ全くもって理解できないのだが、20年後にはみんなじーさんばーさんになってるんだぞ。

最近、調子がどうもよろしくない。今日も朝からしんどかった。
しかし、今日はメンタルクリニックへの通院日。しんどいけど、なんとか支度をして妻と一緒に病院へ行った。

この2週間、調子が悪い日が多く、昼や夜に急にしんどくなって寝てしまうことが多い、という話を主治医にしたところ、あやうく抗鬱剤を増やされそうになった。危ない危ない。

しかし、毎食後に服用している安定剤について、

「どうもこの薬は効いてないような気がするんだよね」

と主治医は言い放った。

なんやねん、それ・・・・。

結局その薬を、昼だけ別の安定剤に変更して様子をみることになった。減薬している途中だし、効いてないと思うんだったら、少しずつ減らしてほしかったが、う~ん、なんだかなあ。薬の数は変わらないが、種類は増えてしまった。まあ、長い目で見ることにするか。

ところで、先週の土曜日に、うつ仲間から「入院している」との連絡があった。彼も私と同じように鬱で長い間休職して、その後に復職した一人である。その後は波があるものの、仕事を続けられていたみたいだったのだが、やっぱり無理してしまったのかなあ。

入院は今週の金曜日くらいまでの予定らしいので、明日か明後日あたりに面会に行くかも、とメールをしたものの、自分自身の体調が不安定なので、果たして行けるかどうか。彼とももう何年も会ってないから、今日くらい動けたら少し遠いけど行ってみよう。

今日もだ。

先日と同じ。

朝は比較的元気だったのに、昼過ぎ、それも15時頃になって、友人から来たメールの返事を書いたり、その後に調べ物をしたりしているうちに、急にどっと疲れが出てしまった。

そしてちょっとだけ、と思って横になったら、夜まで寝てしまった。ちゃんと夜にも睡眠時間がとれているのに。

これは、体から、いや脳からのシグナルなのだろうか。自分のキャパシティがかなり小さくしまっているため、少しの負荷でオーバーロード状態になり、強制的にシャットダウンをかけられている気がする。

自分の状態を客観的に観測できればいいのだが、何かに集中しているときは自分が疲れているのかそうでないのか、自分でリアルダイムに判断できない。疲れているのに一生懸命。疲れている自分と疲れてない自分が確率論的に重なりあっている。

はたと気がついた時に状態は確定する。本当はずっと疲れていたのに、あとから「ああ疲れていたんだ」と気がついても時すでに遅し。シュレディンガーの猫はここにもいた。