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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は友だちのホームパーティーへお誘いを受けていたが、ノロにかかった妻一人を残して旅立つわけには行かないので、やむなく欠席した。本当に久しぶりの人ばかり来る予定だったので残念だったが、少しだけだがSkypeのビデオチャットでみんなとやり取りした。懐かしい山の仲間たちの顔ぶれが液晶モニタの向こう側に並ぶ。同時にその小さなお子様たちも。

私が山岳会で実質的に活動していたのは、もう10年くらい前のことだ。あれからみんな変わってないように見えるが、あの頃はみんな独身だったのに、今はみんな結婚して子持ち。ほとんどが山岳会の仲間どうしの結婚。合唱団もそうだが、サークルって結局出会い系になるんだよな。

昔は山に登って火をおこしてご飯を炊いていた仲間たちだが、今では子ども連れのホームパーティー。Skypeで話す友だちの声よりも、その後ろで高周波を発生させるギャングたちの声のほうがうるさいくらい、元気な子どもたちだった。

またいろいろイベントにも声をかけてもらいたいし、家にも遊びに来てもらいたい。せっかく人様をお呼びできるくらいのところに引っ越せたのだから。

先日ひいた風邪はすっかりよくなった。医師は勝手にノロだと決めつけてたが、結局ノロではなかった。

しかし、事態は思わぬ方向へ。

昨晩、妻がいきなりトイレで嘔吐した。その後もトイレを行ったり来たり。

「間違いなくノロ」

彼女はそう言いきった。実は2006年にノロが大流行したときにも、妻はノロにやられているのだ。そのときと全く同じ状況であった。

私が風邪をひいたときには、妻は一生懸命看病してくれたが、自分は今何もできない。熱を出して寝込んでいるわけでもなく、要は食中毒のようなものだから、ノロには太刀打ちできないのだ。

今日になってもまだ症状は続いている。あまり続くようだと、病院へ行って点滴をうってもらわなければ。前回も2日目の夜になってから、マーライオンのようにがばーっと嘔吐してしまい、妻はそれですっきりした、と言っていたが「いやいやいやいやダメダメダメダメ」とタクシーを呼んで夜間急病センターに連れて行った。そこで点滴を受けて回復した。出すものを出しても、今度はすぐに常食を食べられるわけではないので、点滴で栄養補給しなくてはいかん。

そして自分は必死に手を洗い続けるのであった。ノロウイルスにはアルコール消毒も効かない。ひたすら石鹸と水で手を洗うしかないのだ。ただひたすらに。ひたすらに。

と昼間にここまで書いたが、夜になって落ち着いたようだ。とりあえず一安心。とんだクリスマスイブになった。

昨日になって、ようやく熱も平熱まで下がり、しんどさも抜けた。
どうも年末年始に風邪をひくことが多い。
そういう体質なのだろうか。

今日は復活したものの、昼食を食べた後、少し眠くなった。しかし昼に寝たら夜に眠れなくなるので、ゲームをして気を紛らわせていた。

そのうち、頭と体全体がどよ~んとしてきた。
レメディを飲んでみた。気がつくと気分は晴れていた。
不思議なお守りである。

ようやく年賀状も準備できた。

来年は出せるかわからない。(経済的な面で)

“New Year’s Card – The Final -“

と映画のタイトルっぽく言ってみる。

一昨日の夜、夜中に眠れなくなって、喉がやたら乾いて、体の節々が痛くなってきた。

そして朝になってから、嘔吐した。かなり苦しかった。熱は38℃を超えていた。

なんとか這うように近くの内科クリニックへ行って、診察を受けたが、最初に「嘔吐した」と話したら、

「最近お腹の風邪がとても流行っています。その半分はノロです。現時点ではノロかどうかわかりませんが、お腹も張ってますし、とにかく出しきってください」

と言われた。

しかし、その後は嘔吐することもなくお腹を下したりすることもなく、ただひたすら熱にうなされていた。熱はずっと38.7℃くらいで、むちゃむちゃしんどかった。

一晩経って、ようやく熱が37.2℃まで下がって、関節の痛みも和らいだ。けっきょくただの風邪だったようだ。

しかし、けっこう腕のいい先生で評判なのだが、最初に「嘔吐した」と話しただけで、お腹の風邪かノロと決めつけられるとは・・・。そう言えば喉の奥を見ることもなく、聴診器をあてることもなかった。なんなんだかなあ。

今もまだ関節がちょっと痛い。早くよくなってくれ。

今日は昨日のリベンジ。メンタルクリニックへの通院だった。

しかし、調子は朝からあまりよろしくない。と言うか、昨日の晩からずっと悪いのだ。昨晩、妻が言った一言に「イラッ」とした。今まではそんなことくらいでイラッとしなかったのに。ああ、まだ自分は精神的に不安定だ。

とりあえず頓服の鎮静剤を飲んで横になった。そしてそのまま寝てしまった。レメディーを飲むという選択肢もあったが、その時はそこまで頭が回らなかった。

夜中に目が覚めて、寝る前の薬を改めて飲んで寝た。しかし、朝起きてもしんどい。昨日の沈んだ自分を引きずっている。

今日は主治医に、2つのことを相談するつもりだった。しかし、2つとも話すと長くなりそうだし、どちらも先生のご機嫌を損ねかねない内容なので、気が重かった。とりあえず今日は1つだけにしておくことにした。減薬の相談である。

当初は「こんなにたくさんの薬を飲んでもちっともよくならないので、減らして欲しい」という切り口で入ろうと思っていたが、それは角が立つので、できるだけ謙虚に攻めることにした。

先月ODして搬送された病院で、お医者様たちが私の処方を見て、びっくりして、
「毎日がプチ
OD状態ですね」
「こんなにたくさんの薬を飲んでいたら、どの薬が効いていてどの薬が効いてないか、わからないでしょう」
などと言われて、

こう言われたのは事実である。

自分でも、こんなにたくさんの薬を毎日飲んでいて大丈夫なんだろうか、と不安になりました。

と続け、

先日たまたま友だちから、日本うつ病学会が多剤投与を見直すようなガイドラインを発表したことを知り、他にもいろいろ調べたら、ベンゾジアゼピン系の薬の依存性が問題になっているようで、

先日の日記に書いたYOMIURI ONLINEのサイトの内容である。

自分はベンゾ系の薬をかなりたくさん飲んでいるので、ますます怖くなってきてしまいました。こんなにたくさんの薬を飲んでいて、大丈夫なんでしょうか。減らせる薬はないでしょうか。

と続けた。その後のやり取りは、

うーん、確かにそういう方針が出ていることは事実だし、まああなたの場合は今までの経緯があるから、少しずつ増えてきてしまったんだけど、いきなり減らすというのは危険なんですが。

いえ、すぐに、というわけではないです。いきなり減らすのが危険というのは自分でもよくわかっていますので。

と話が進み、とりあえず年末年始を挟むので、

年が明けてから、少しずつ薬を調整していきましょう。

と合意に達した。

まず、第一歩である。

仕事している頃を思い出した。交渉術が得意なわけでも弁が立つわけでもないが、とりあえず下手に出てみたら、うまく誘導できたようである。

続きはまた来年。