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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

主治医はさっそく眠剤を入れ替えてきた。ハルシオンをベルソムラというベンゾジアゼピン系ではない薬に変更。この薬ははじめてだ。いつもよりかなり早い21時に就寝。果たして眠れるか?

 

少しだけ眠れた。しかしすぐに目が覚める。

23時半と1時半に追加眠剤を貰って飲み、なんとか3時くらいまでは寝ることができた。それでも10回以上は中途覚醒があった。

追加眠剤というのは要するに頓服であるが、出してもらえるか心配していた。外来だと去年の10月から2種類までしか処方できなくなった。入院だとどうなんだろう、と思っていたが、追加で処方できるようだ。ユーロジンとベルソムラ、それに追加のレンドルミンとアモバンを飲んでこの状態。それでも思っていたより出だしはいい。

少しずつ眠れるようになって、リズムを整えていくことができればいい。

無事入院した。2時間半しか眠れなかったのでふらふらだったが、横になっていたら落ち着いた。

病室は贅沢な広い個室。差額ベッド代などはない。

昼食はまさかの醤油ラーメン、餃子と杏仁豆腐。夕食はすき焼き風煮。うまかった。

しばらくのんびりしたいところだが、その「のんびり」ができるかどうか。とりあえずは夜眠れるようになりたい。医師はさっそく薬をいろいろ入れ替えてきた。細かく薬の調整ができるのも入院のメリットである。

さて、またしばらく横になるとするか。

いよいよ明日入院。よりによって新年度のスタートがこんな形で始まるとは。

 

けっこうな大荷物になってしまった。精神科の病棟では他と違って普段着で過ごす。下着類だけでなく、スウェットやら何やら衣類がかさばる。体育館でのOT(作業療法)もあるので、インドアシューズも持っていかなければならない。予備の薬もまとめると結構な量になった。アトピーの軟膏類が大量にあるし(50gカプセル7個+チューブ軟膏たくさん)、アレルギーの目薬、喘息の吸入薬等々。

 

いろいろ不安はある。経済的にピンチなのだ。全ての口座のお金を1つにまとめ、何月何日に口座からいくら引き落とされるか、という表を作った。入院がどれくらいの期間になるかわからないが、万一入院費が払えなくなる事態になると困るので、常に現金、預貯金の総額を把握し、ケースワーカーと相談しながら適切なタイミングで生活保護の申請をしなければならないかもしれない。

 

病気の妻を1人で残して行くのが一番心配だ。妻も決して調子がいいわけではない。いざとなったら近くの実家に行くから、と本人は言っている。実家は実家で大変なのだが、サポートを期待するしかない。共倒れになったら元も子もない。

 

スマホの所持が許可されるだろうか。持ち込めるものに関してもいろいろ制限が厳しい。「連絡手段としての携帯」は許可されているが、自分はガラケーとの二台持ち。通話とメールはガラケーでやっており、スマホはWeb用。スマホが取り上げられたら完全にネットから断絶される。メールも読めない、このブログも更新できない。スマホから日記を書こうと思っていたのだが。

 

他にもいろいろ心配はある。飯はまずくないだろうか。飯はまずくないだろうか。飯はまずくないだろうか。

病院食においしいさは求めていない。まずくなければいい。しかし、まずかったら最悪である。食事のおいしさは入院生活の質を大きく左右するのだ。

 

入院してから2週間は外出許可は出ない。統一地方選の投票にも行けない。

 

あれこれ心配していたらきりがない。とりあえずは流されるままに生きよう。

午前中はずっと寝ていた。昼食ができるまで寝ていた。

午後もずっと寝ていた。夕飯ができるまで寝ていた。

 

だけど夜は眠れなくて、過食に走る。どんどん体重は増える一方。

 

入院まであと3日。気が重いというか、気が軽くなるのか、自分でもわからん。

相変わらず眠れない。

地獄である。

しかし、真の地獄は入院してから始まる。

なんせ、21時消灯なのだ。眠れなくても何もできない。PCや携帯ゲーム機、タブレット等の持ち込みは禁止されている。夜中にピコピコやるのがいけないのだ。

去年の10月から厚労省の通達で、1回に処方できる眠剤や抗鬱剤、抗不安薬の種類が2種類ずつに制限されたため、以前のように追加眠剤をもらうこともできないだろう。

まんじりともせずに9時間過ごさないといけない日々が続くのだろうか。

とりあえず、最強の眠剤を処方してほしい。多少死んでもかまわないから。