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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は22時に就寝。夜はぐっすり眠れたようだ。目が覚めると5時半くらいだったかな。それからまた寝たが、6時10分に起床。もう少し横になっていてもよかったが、8時間寝たからまあいいや。

そして朝から自分宛にメールを書く。自分宛に何を書いているかと言えば、仕事で関係各所に送らないといけないメールを朝のうちに書いておき、会社の自分宛のアドレスに送っておくのだ。

仕事がただならぬ状況なため、朝も早く起きたから今日は8時出社。相変わらず降り積もる仕事を突っ走ってこなしているところ、16時過ぎだろうか、一本の電話が入った。人事部からだった。

残業したらだめじゃないですか!

きつ〜く怒られてしまった。しょぼ〜ん。締めのタイミングで人事部のチェックが入ってしまった。

残業しない、そう言う約束でしょう。文書も交わしましたよね、医者からもそう言う診断書が出てますよね、あなたに何かあってもこんな状態では会社は責任取れないですよ

こちらが弁解する隙もなく、かなりご立腹の様子。ただただすみませんと平謝り、でも…と続けようとしても何も言わせてくれない。

部長にも連絡して、これはどういうことなのか説明してもらうように言ってます。いいですか、仕事は断ってください。明日からは絶対17時半に帰ってください。

有無を言わせぬお言葉。明日は休みなのだが、とりあえずそれは黙っておいた。しかたがなく「わかりました、これからは必ずそうします」と言って電話を切った。まあ、本当に怒っているのかどうかはわからないが、これくらいきつく言ってやらないとまた無理して体調を崩すから、という愛の鞭かもしれない。なんだかよくわからん例えになってしまった。

とりあえず上司にその旨伝える。「う〜ん、しかたがないから、じゃあこれから17時半に帰って」と言われた。最近の状況は自分でもやばいと思っていたが、上司もやばいと思いつつ、でも割と楽観視していたようだ。何週間か前に「残業が増えると○○さん(上司)や△△さん(部長)が人事部から怒られるんじゃないですか?」と話したときに「それはないでしょ」と軽く流していたくらいだ。

最近でも、残業が増えてきて、毎日書いてメールしている日報の返事に「ちょっと今大変だけど、ここが正念場だから何とかこのプロジェクトを乗り切ろう」と返事が来たくらいだった。「無理しないように」「細く長くやろうよ」と言ってくれているのだが、でも今のプロジェクトも相当やばい状態にある。上司もその板挟みなのだろう。まあ、そもそも残業制限がある社員に、ここまでクリティカルな部分を握らせると言うのもリスクのある話だ。いつぶっ倒れるかわからないのに。

正直、今週末から年内にかけて、このプロジェクトは最大の山場を迎える。それに向けての準備で東奔西走全力疾走孤軍奮闘無我夢中麻婆豆腐な状態な私が、毎日17時半に帰ってプロジェクトは無事着地するのだろうか。うまく私の負担分を誰かにスライドしてもらうよう、調節してもらわないといけないが、個人に依存する度合いの強いこの仕事、それがなかなか難しい。なんとかならんかなあ。

今一番心配しているのは、今のそのプロジェクトがうまくいくか、ということもそうだが、それより「残業は禁止という旨を書面でも交わしたのに、かなり残業している」という点で自己管理能力の低さが問われ、来年1月からの勤務にどう影響するか、だ。主治医に昨日託した診断書の内容にもよるが、下手をすると「この社員はもう置いておけない」という最悪の事態にもなりかねない。と悪い方へ考えるときりがないから、とりあえず明日は勤労に感謝して休むのだ。

昨日は22時半頃に寝た。多分すぐに寝つけたかと思う。朝方に目を覚ましたような気もするが記憶は定かでない。気がつくとサンライズクロックが明るくなっていた。アラームが鳴る前に止め、6時40分に起床。気分はまあまあ。体はしんどくない。

そして会社に行って怒濤のように仕事をした。先週末にお客さんの本部のネットワーク工事があって、新しいセグメントが追加されるとともに、DHCPリレーの宛先を変更し、独自のDHCPサーバからでなく、グループ共通のDHCPサーバにIPアドレスをもらいに行くように変わった。その影響で障害が発生してないといいが、と思ったら案の定発生した。本部とは別のフロアの会議室のPCや親会社からの出向者のPCがネットワークに接続できないという。調べまくった結果、こちらのコンピュータセンタの方にルーティングがされていなかった。通信要件としてこれらのセグメントが漏れていたのだ。完全にこちらの失態である。本部の新セグメントばかりに気を取られて、他のセグメントのことが抜け落ちていたのだ。しかし、ネットワークチームも一緒に入って、というか彼らが主導でやっていたのだから、気づいてほしかったなあ。

それをとりあえず暫定対応で、急遽本部のスイッチの定義を変更してセカンダリーとして現行のDHCPサーバを加え、非アクティブ化した現行のDHCPサーバを再度アクティブ化して、とりあえず障害は復旧した。本格対応は、もちろんセンターにルーティングを追加すること。本部と同様の確認環境を構築するためのネットワークのルータの設定作業をやる今週の木曜日の夜、同時に行うことになった。

そして怒濤のように他の仕事が舞い込んできたり押し寄せてきたり降ってきたりする。とりあえずさばいてさばいてさばいて、そして今日やらないといけないぎりぎりのところで終えて17時半に会社を出て病院へ。今日は通院日なので、残業できない。本当にぎりぎりだった。今夜の日次バッチ処理で更新されないといけないデータをぎりぎりにぶち込めた。ふぅ。

病院へ行って主治医と話す。最近は忙しくて残業もしているが、調子は悪くなく、なんとか状態をキープしていること、夜も眠れていることを話す。夜にちゃんと眠れているのは調子がいい証拠だと言う。そう言うと「ぜんかれん」にも書いていたが、睡眠と言うのは精神病に共通するバロメーターだとか。

そして、会社所定の書式の診断書を返信用封筒とともに渡して、書いて送ってもらうようにお願いした。12月いっぱいまでは残業禁止令が人事部から出ている。それは最長6ヶ月までで、そのリミットは12月いっぱい。その後の判断のために人事部から主治医に書いてもらってください、と言われたのだ。ここで「残業は見合わせた方がよい」と書かれていると、私はアウトである。一応、会社の制度上自分はそういう状態にあること、最近は調子が安定していることを前提に、そこを配慮して書いていただくよう、お願いしますと主治医に託した。どういう診断書を書いてくれるのだろうか。

待合室でも書類にチェックを入れる。明日キッティングチームに渡すアプリのインストール手順書をプリントアウトしたものに赤入れしていく。協力会社さんに任せていてチェックが遅れていたが、実際読んでみると突っ込みどころ満載で、赤がいっぱい入った。ああ、こりゃ早急に修正しなくては。う〜ん、自分がこれだけしか働けないのがもどかしい。

昨日は寝たのは何時頃だったかな。22時から23時の間だったろう。割と寝つきはよく、夜中も目を覚まさなかった。朝は7時に起床。

朝9時から近くのスーパーへ日曜の朝市へ。今日もすごい並んでいた。4割引の冷凍食品とアイス、それからセールの牛乳をゲットして帰る。帰ってきて「きょうの猫村さん」を読んだ。シュールな脱力系マンガで、1ページに2コマずつしかないので、あっと言う間に読んでしまったが、う〜ん、続きが気になるぞう。

その後、昼まで昨日の続きで資料作成。資料を作成するのに必要な資料を会社に忘れてしまったが、休日出勤している同僚にメールで送ってもらい、資料を作成。2時間くらいで終了。今日の仕事はこれでおしマイケル。

昼はずっと本を読んでいたのだが、なんだかだるくなって布団に潜り込んだ。17時くらいまで2時間ほど寝てしまった。やはり疲れが溜まっているようだ。起きたとき、自分がどこにいて、何をしているのかわからない、不思議な感覚だった。多分、何かの夢を見ていたのだろう。どんな夢か覚えていないが、昼寝で見る夢はいつも後味が悪い。

明日からまた怒濤の1週間か。非常にスケジュールは厳しい。来週末、というかもう今週末にお客さんの本部に導入するPC先行6台に向けて、キッティングが始まる。と言ってもキッティング自体は端末チームがやるので、それまでにモジュールと手順書を渡さなければいけない。その手順書も先週までに作ったのだが、インストール後の確認ポイントが入ってない、と指摘を受けて協力会社に急遽追加してもらった。もらったけど私がチェックしていないし、検証もしていない。と言うか検証はもう無理だべ。明日中にチェックして、端末チームに渡さないといけない。

いろんな登場人物が出てくるこのプロジェクト、結局私がコントロールしている、と言えばかっこいいが、要は調整ばかりやっているのだ。他のチームに「原則3営業日前に申請」とされている登録作業を「急ぎだから今日中にお願いします」と頭を下げてごり押ししたり、逆にネットワークチームに「見積もりはまだか、スケジュールはまだか」とプッシュしたり、そんなことばっか。明日からまたそれが始まるよ、ふぅ。

関係ないが、横浜駅西口の相鉄ムービルが来年なくなるらしい。便利だったのになあ、横浜駅周辺に映画館がなくなってしまうよ。みなとみらい方面に客を奪われているみたいなのだ。そういや最近映画を観てない。映画館で観ると、なんだか疲れるのだ。ごろっと横になることもできなければ、ちょっと止めて休憩、ということもできないし。邦画でないとこれに字幕を追う、という作業も入るのでよけい疲れる。今度DVDでも借りてこよう。

昨日は23時過ぎに寝た。くたくただった。夜は多分ぐっすり眠れたのだろうか。6時頃に目が覚めた記憶がある。8時10分に起床。疲れはさほど残っていない。

午前中はずっと仕事をしていた。インタラプトが入らないと、さくさく進むものだ。それでも2時間くらいかかって半分ほど。

資料の次はアイコンを探してまわる。お客さんの社内システムのランチャーに登録するメニューのアイコンを作るか拾ってくるかしないといけないのだ。他のシステムから流用できるものもたくさんあるが、いまいちどれもピンと来ないものが多い。フリーの素材なんかがいっぱいWebに転がっているだろから、ネットで探しまくるが、あまりそう言う業務的なものはない。Web素材ばかりだ。「発注」とか「マスタ登録」なんかイメージしたアイコンなんてネットに転がっているわけはないか。しょぼ〜ん。

午後から、昨日オープンしたヨドバシマルチメディア横浜に行ってみた。大きさという点では既にマルチメディアアキバを見ていたので驚きはしなかったが、まあでかい。前の3店舗をあわせたよりずっとでかいだろう。携帯のストラップのクリップ部分が壊れたので買おうとしたら、それだけでずらりと4列くらいの棚がある。選び放題といった感じだ。仕事で使えそうなアイコンが入っているような素材集がないか、PCソフトのコーナーに行ってみたところ、素材集だけで膨大な数。でも、Webの素材用とかプレゼンやら資料のイラスト用など、32×32ピクセルの256ビットでの業務をイメージしたアイコンなんて、どの見本にもなかった。しょぼ〜ん。

いろいろ見て回りたかったが、ものすごい人人人で、エスカレータも大行列。今日はさらっと流すだけにした。全体を通して、アキバよりこじんまりしていると言えよう。アキバはタワーレコードやら、どこの本屋だったか忘れたが、けっこう大きな本屋が入っていたりした。レストラン街も充実していた。建物全体がマルチな商業施設な雰囲気だったが横浜はそれほどでもない。でも地下のレストラン街はいろいろ店があった。「若槻千夏」「ラモス瑠偉」「乙葉」から「開店おめでとうございます」との花輪が飾ってあったラーメン屋に、その花輪につられて入ったが、たいしてうまくなかった。しょぼ〜ん。

昨日は22時半くらいに寝ようとしたが寝つけない。23時もとっくに過ぎていたことは覚えているが、追加眠剤を飲んだかどうかは覚えていない。会社で仕事をしている夢を見た。なんだか損をした気分だ。朝はサンライズクロックの灯りで7時に起きたが体が重い。昨日の疲れが抜けていない。これは明らかに注意信号、体からのメッセージだ。

重い体をひきずって会社に行き、鈍い頭で一生懸命仕事をした。お客さんの本部でのテストがうまくいかない。本部と連絡を取りつつ、他のいろんなことを裁きつつ、必要な申請書類を作成する。あっちもこっちもうまくいかず、なかなか進まない。そうして抱えているものがどんどん膨大になっていく。

テストのリミットである今日の夜、もうこれ以上はお手上げだということになり、とりあえず対策前進ということでキッティングに入ることにする。後追いで配布リリースだな、こりゃ。私はというと、月曜日に大量に出さないといけない申請書類がまだ残っているが、もう限界なので21時になって会社を出た。USBメモリに書類を暗号化して持ち帰り、土日に家でやることにした。いかんなあ。いかんのだが、いかんともしがたい。「今倒れられると困るんだけど」と上司に言われたが、こっちは既に困ってるんだけどなあ。

この土日にゆっくり休めるだろうか。今日オープンしたヨドバシマルチメディア横浜店にも行ってみたいのだが、書類を作ってあとはぶっ倒れているかもしれない。今後はどうなるのだろうか。まだまだ佳境は続く。うちの会社にいる限り佳境は続くのだ。