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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:精神科デイケア

昨日も寝付けずに追加眠剤を飲んで、ちょっとだけ懸賞に応募して寝た。いかん、このパターンが続いている。

しかし今日は6時半に起きて、それからずっとネットをしていた。大量に来るメルマガから懸賞の当選発表を見つけて、外れていたら解除していく。いつの間にか時間が経ってしまい、朝食を食べて着替えて、そして今日は朝からデイケアに行けた。久しぶりである。

行ってみたものの、午前中の園芸は雨でできなかった。屋内でちょろっとだけ、カブの種を小さな鉢に植えた。朝早くから起きていると眠い。

午後のプログラムは映画を観る予定だったが、私はパスして13時頃帰った。いろいろやらないといけないことが溜まっているのだ。学生時代に所属していた合唱団の同期の名簿やらHPの更新をしたり、いろいろボーカルアンサンブルの演奏会の宣伝のために、チラシを友達が入っている合唱団で配ってもらうようにあちこちメールしたり。それに、帰った時点で120通くらいのメールが来ている。自業自得だがとにかくメールの量が半端ではない。ひたすら処理していくが、それでも処理しているそばから次か次へとメールが来る。やれやれ。

17時過ぎに歯医者に行って18時半くらいに帰ってきた。夕食を食べたら眠たくなってきた。朝から一睡もしていないのは久しぶりだ。このままうまくリズムを取り戻せるといいのだが。明日も朝早く起きてネットしてからそのままデイケアに行こう。

今日は午後からだが、やっとデイケアに行くことができた。

昨日は22時半頃に寝たが、やはり寝付けずに23時半過ぎに追加眠剤を飲み、眠たくなるまでまたネットをしていた。また懲りずに懸賞に応募していた。もうトータルで2000件以上に応募している。いったい何をやっているんだか。もうやめよう。結局1時過ぎに起きた。

できれば今日は朝からデイケアに行くことにチャレンジしてみようと目覚ましをかけておいた。実は早朝覚醒が起こるようになってからしばらく目覚ましをかける習慣がなくなっていたのだが、久しぶりに目覚ましをかけてみた。だが7時にセットした目覚ましが鳴る30分も前に目が覚め、目覚ましを止めておいてから大量に来ているメールを処理していた。メルマガが大量に来ているので、その中から当選発表のやつだけ探して当たっているか確認し、外れていたらメルマガを解除していく。30分くらいして終わったので、7時半に目覚ましをセットしなおし、もう一度布団に潜り込んだ。その時は体は動く、と思った。

7時半に目覚ましが鳴った。止めたのはいいが、さっきと違ってまるで体が動かない。そのまままた寝てしまった。

お昼になって彼女に起こされ、昼食を食べる。そのあと、のろのろと着替えているうちに「今日はこのまま動けそうな気がする」そう思ってそのままカバンをもって家を出た。久しぶりに病院に行った。

デイケアでは月曜の午後からはミーティングをやっているが、今日は12月に行く鎌倉散策のプランを練っている。3つのグループに分かれてそれぞれプランを練る。私はなんちゃら切り通し、というハイクコースに入ってどこを歩くかみんなと相談した。

15時から3週間ぶりのカウンセリング。今の状態をかいつまんで話した。前と同じ状況に陥ってしまったが、あれだけ注意していたのになぜまた調子を崩したのか。何が原因なのか自分ではわからない。これからどうしたらいいかもわからない。前回は入院という外的手段で元に戻したから、自分でなんとかする方法はまだわからないのだ。

カウンセラーは、調子を崩した原因が心理的なものではない、つまり内的要因ではなくて外的要因にあるのではないかと推測した。あれだけ気をつけていたのに何がきっかけとなって調子を崩したのか。その外的要因となったのが、「職場復帰のリミット」である。このリミットは、本当に最後の最後のリミットではなく、自分が職場復帰の計画としてたてていたリミットである。実際にはまだ1年以上の猶予はあるのだが、傷病手当金が来年の3月からぐっと減ってしまうことなどを考え、できれば来年の1月、遅くとも4月には復帰したい、と計画を立てていた。そして退院してデイケアに3ヶ月通って調子を崩さなければ会社の人事部と復職の時期について相談しよう、そう考えていたし、カウンセラーにもそれを伝えていた。

しかし、実際にそのリミットが近づいてくることを意識したことで、感情面の不安が大きくなり、結果的にその不安が鬱を引き起こしたのだろう、そうカウンセラーは指摘する。ではこれからどうすればいいのか。あれこれ話をしたが、とりあえず自信をつけること。自分もそう思っていたが、カウンセラーもそう言う。それももっと大きなレベルでの自信。たとえ今の職場に復帰できなくとも、自分のポテンシャルを信じて、どんな形であれ何か仕事をしてやっていけるだろう。そういう漠然とした自信を持つことだという。そうすれば不安は消えるだろう。そういうことらしい。

私も数年前まではそういう自信があった。システムエンジニアという専門職の能力には自信を持っていたし、いざとなったら腕一本でフリーで食っていける、と考えていた。しかし、この業界は技術の進歩が激しい。もう何年も現場から遠ざかっている自分にとって、エンジニアとしてこれからやっていけるのだろうか。今の会社に戻れば、私のブランクを考慮して仕事の配置を考えてくれるかもしれない。しかし、他の会社で働いたり、自分一人でやっていくとなると、どうなるのか。自分のできる範囲でできることをやっていくしかないが、そこの自信は以前よりもかなりなくなっている。そして、一番大きな不安材料、それは「この病気は治るのか?」そこにたどりつく。たとえどんな形でも、健康で体が動きさえすればなんとかやっていけるだろう。しかし、今のように体が動かなければ何にもできない。結局一番おおもとの大きな不安「この病気が治るのか?」そこに辿り着くのだ。その不安を消し去ることはできるのだろうか。そして、本当にこの病気は治るのだろうか。

しかし、今日久しぶりに病院に行ってみて、少し自信がついたような気がする。一歩前へ踏み出せた感じだ。「まだ自分は大丈夫だ。ちゃんと外へ出てそれなりにやっていける」そういう小さな自信だが、小さな自信を積み重ねていって大きな自信をつけるしか今の自分にはできない。明日もデイケアに行けますように。

昨日は22時半くらいに寝たのだが、寝付けなくて追加眠剤を飲んだ。最近このパターンが多い。明日の診察でまた相談してみよう。今朝は無事起きることができた。眠たかったが、彼女に7時半に起こされ、ちゃんと支度をして家を出た。家を出てしまえばこっちのものだ。デイケアに行って久々に園芸に参加した。午後からは映画鑑賞。「踊る大捜査線」を観た。2をこの間みたのだが、1は見てなかった。こっちもおもしろかった。今日は途中で調子も悪くならなかった。この調子を維持できればいいのだが。

家に帰ってメールチェックすると、合唱のメーリングリストでスウェーデンのアカペラグループ「The Real Group」の日本公演のお知らせが来ていてびっくり!リアルグループというと昔からのアカペラ信奉者が世界一と認めるスーパーグループだ。貴重な日本公演、さっそくネットでチケットを申し込んだ。楽しみなのだ。

昨日は何時頃寝たかなあ。よく覚えてないや。今日は何時頃起きたかなあ。7時過ぎに起きたような気がする。今日は9時半から診察だが、無事行くことができた。診察では、調子はまあまあだが先週の火曜日に一日鬱で動けない日があったことや、あとなぜか眠たいのと疲れやすいことを話す。まあ、焦らずにこの調子でやっていくしかないことはわかっている。私の主治医は「まあ、もうちょっと様子を見ましょう」と誰に対しても言う、という話なのだが、まあ私の今の状態ではそうするしかないだろう。

その後はデイケアに合流してソフトボール。今日はファーストを守った。だいぶ涼しくなって外でスポーツするにもいい気候になった。午後からはゲームで、スタッフの人が「マジカル頭脳パワー」の本を持ってきて、その中から問題を出したが、私は全問正解した。この辺りはあまり頭が鈍ってなかったので嬉しい。

帰ってきてからも今日はあまり疲れは感じない。薬局に寄って処方箋を出し、薬をもらって帰ってくるとちょうどマンションの前で焼き芋屋に出くわし、思わず買ってしまった。石焼芋なんか食うのは何年ぶりだろうか。その後軽めの夕食を食べ、テレビを観てだらだら過ごす。今週はあと2日、なんとか疲れないように眠くないように。

昨日は23時過ぎに寝たっけな。3時に一度目が覚めてトイレに行き、また寝た。そして朝になって彼女の目覚ましが鳴って目が覚めたが、私はしばらく寝ていた。結局起きたのは7時10分。ちょいと眠い。それでもデイケアに行く準備をして朝食を食べ、家を出る時間までテレビを観ていたところ、腹が痛くなってトイレへ。そしてしばらくしてまたトイレへ。いかん、腹をこわしてしまった。トイレから出ても腹痛が止まらない。もう家を出ないといけないが、正露丸を飲んでしばらく様子を見ようと布団に横になった。そしてそのまま意識を失った。

気がつくと10時。腹の痛みはなくなっていたが、いつの間にか寝過ごしてしまった。私はリーダーなので午前中のスポーツを仕切らないといけないが、当然間に合うはずもなく、電話して遅れる旨を伝える。そしてそのまま行こうと思ったが、なんか眠たくてまた寝てしまった。次に起きると昼の12時。なんだなんだ、朝はそうでもなかったのに、やたら眠たい。結局彼女がバイトにでかける12時40分に一緒に家を出た。今日は月曜日なのでカウンセリングがあるが、それがなければ休んでしまおうかと思うくらい眠たかった。

病院についたら2時20分くらい。ミーティングの真っ最中だった。10月の外出イベントで行くところの最終決定をやっていたが、私が出した「マザー牧場」の案は既に落とされていて、「日帰り箱根温泉ツアー」か、「目黒寄生虫博物館」か、「矢切の渡し&柴又帝釈天」の3つから選ぶところであった。結局矢切の渡しになった。なんか今回は渋いなあ。

その後はカウンセリング。この時点でもずっと眠い状態が続いていて、眠いながらも先週から今週にかけての様子を話す。カウンセラーの話では、私はだいぶ自分のことを把握してコントロールしていけるようになってはいるが、やはり自分に求める理想像、目標が高く、そのギャップを埋めようと無意識に焦ってしまっているという。そのギャップが広がればまた悪循環に陥る可能性があるという。

「焦っている」という行動のあらわれの象徴的なことが、先週の土曜日、前の週に映画を観てその後調子を崩したにもかかわらず、そして夜に自分の結婚を祝ってくれる会があるにもかかわらず、その日の昼に「映画を観る」というイベントを入れたことだという。

普通なら先週映画を観て調子悪かったんだから、今日は夜に大事な会があるのなら今週は控えておこう、と思うはずだろう。しかしあえてそういう予定を入れてしまったのは、やはり「こんなはずじゃない。先週はだめだったけど今週は大丈夫だ」という、自分の中でリベンジしたい、というような思いがあったから。それは「映画くらいで疲れたりしない自分」という理想像に対するギャップを一刻も早く消し去ろうという無意識の決断である。

今回は映画を観てもそんなに疲れを感じずに夜の飲み会に出られたからよかったものの、これが逆の結果になっていたらどうなっていたか。今週もだめだったという失望の思いと、それに加えてもし夜の会に出席できないほど疲れてしまってパスしてしまような状態になっていたら、相当な自責の念が生まれ、そのギャップはますます大きくなり、悪循環に陥る恐れがあっただろう。

こう書くとあきらかに焦っている。焦っていないつもりだけど行動を見ると無意識に焦っている。このギャップを縮めるためには、もう自分で「焦っている」という事実を受け入れるしかない。「焦っている自分」を無意識から意識の表面上にもってくるのだ。無意識の領域にあるものはコントロールできないが、意識の上に出てきたものはコントロールできる。

日曜日に一日中寝ていたのも、今日もこんなに眠たいのも、やはり疲れが自分の予想以上に残っているからかもしれない。それはやはり今の自分の状態、つまり「これくらい活動したらこれくらい疲れて、そして回復にこれくらいかかるだろう」という見積もりに甘さがあるのだ。

自分の状態はまだ自分で思っているほど回復していない。自分のキャパシティがわかっていないから過活動になってしまい、疲れをあとに引きずってしまうのだろう。これからはもっと慎重になって、とりあえずこのギャップを広げないようにしないといけない。焦ってはいけないが、現に自分は焦っている。これを素直に認めるのだ。

カウンセリングが終わって帰るときもくたくただった。途中横浜でおいしいシュークリームを買って帰る。夕食後食べたらうまかったのだ。ささやかな楽しみである。