TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:精神科デイケア

今日は退院してからはじめてデイケアに行った。

火曜日のプログラムは午前中がパソコン、午後がセミフリーで、散歩に行ったりビデオを借りてきて見ることが多い。今日は何をやるか知らなかった。しかし、行ってみたら今日は特別プログラムで、先々週にあったバレー大会の祝勝会だった。午前は料理を作って、お昼にその料理をみんなで食べ、午後は大会のビデオを見る、という内容だった。午前中の料理は人手が十分足りていて、私を含め何人も喫煙所でおしゃべりしているだけで終わった。

そしてお昼ご飯(ちらし寿司だったが、ちらし寿司というと関西と関東でぜんぜん違う。関西だといわゆる「五目寿司」のことをちらし寿司と呼ぶが、関東に来てすし飯の上に具が乗っているのをちらし寿司と呼んでいるのを知ってかなり違和感があった)を食べ、バレー大会のビデオを見て15時くらいに終わった。しゃべって食べて見た、それだけである。

それだけなのに、終わったらくたくたなのである。ほとんど何もしていないのに。家から1時間以上かかる遠いところだが、行きの電車も座れたし、いやしかし病院に着いた時点でもう疲れていたかな。とにかく「けっこう回復した」と思っていたのに、実際に「どこかへ行って何かをやって帰ってくる」ということをすると、まだまだダメみたいなのだ。少なくとも毎日は続けられない。やはりどこかで体がかまえてしまっているというか、リラックスできてなくて緊張状態が続いていて、それで筋肉がこわばって疲れてしまうのではないのだろうか。

とりあえず今は、あせらず今の環境に慣れることだ。早く復職したいのはやまやまだが、ここであせっては元も子もない。今日、会社の人事部から来たメールによると、本当の復職の前に3ヶ月の仮出社期間がある(これは以前の面接で聞いて知っていた)が、その間は通院する日以外は休んではいけなくて、また疲れたから早く帰る、ということもダメなそうなのだ。週5日、毎日7時間半、3ヶ月間きっちり働けないと、まだ復職は無理と言うことで休職に逆戻りするそうなのだ。これはきつい。きついというか、それができる状態まで自分をもっていってからじゃないと復職できない。しかし、その判断基準をどうするのかが問題だ。何をもってして、自分は「週5日7時間半働ける」という状態に回復したかどうかを判断したらいいのだ。ああ、どうしよう。

と言っても日本代表のことではない。いや、そっちも盛り上がっているが、今日は別のバレー大会があったのだ。今日は神奈川県のデイケア対抗のバレー大会があり、今日から外泊の私も一緒に応援に行って帰ってきた。夕方になって家に帰ってきたらくたくたである。いったん荷物を家に置いてから再び家を出て横浜に出て、久しぶりに寿司を食べて足裏マッサージをして帰ってきた。足裏も久しぶりである。今日は彼女が友達の家に遊びに行っているので夜も暇だ。男子バレーを見ていたらカナダに負けてしまった。今日はバレーの日なのか。

ここ最近7時間くらい連続して眠れるようになってきた。とは言えまだベゲタミンAもイソブロもロヒプノール2mgも飲んでやっと7時間眠れているから、まだまだ睡眠障害としてはかなり強い方だろう。テンションが上がりすぎて躁になることはなくなってきた。今日もハッスル(死語?)したが、テンションは上がりすぎることはなかった。今回の外泊も3泊4日で、月曜日に病院に戻る。特に問題がなければ来週中には退院できる見込みだ。やっとここまできた。ここに来て焦ってはいけない。ゆっくりと行こう。

昨夜は寝つきはよかったものの、3時か3時半頃に目が覚め、それから眠れなくなった。しかたがないのでPCに向かってメールを書いたりなんぞしていたが、4時頃もう一度寝たら6時頃まで寝た。朝食を食べてまた寝た。今日はデイケアのイベントで、9時過ぎには家を出ないといけないが、不思議と今日は二度寝しても起きれる自信があった。

そしてちゃんと目を覚まし、家を出ることができた。昨日朝から体が動いたので、自然と自信が出てきたのだろうか。三渓園で満開の梅を見て、中華街で飲茶のランチ。楽しかったが、なんだかとても疲れてしまった。やはりずっと寝たきり状態だったから、外部からの刺激に対して敏感になっているのか。中華街にできた新スポット「横浜大世界」を出たのほ15時半ころだったか、そこで解散となったが、後頭部と首がとても痛かった。首と肩の凝りが物凄くて痛みを伴っている、という感じだ。そして朝から歩きっぱなしなので足が痛い。帰る途中、「台湾式足裏マッサージ」の看板を見つけ、思わず入ってしまった。いたぎもだった。少し痛いがとても気持ちよく、終わったあとにはすっかり足は軽くなっていた。

しかし、家に帰るまでに頭痛はますますひどくなり、帰って来てからもしばらく頭が痛くて動けなかった。20時前くらいになってやっと動けるようになって夕食を食べた。

今日の疲れを明日に持ち越してはいけない。明日はジョイントコンサートの会議にボーカルアンサンブルA代表として出席する。11時から渋谷なので、10時前には家を出ないといけない。さあて、明日はどうなることやら。

今日はやっとデイケアに行くことができた。しかも朝から。今日は午後から診察があるので、それに行かないと薬も切れるし会社に提出する傷病手当金の書類も書いてもらえない。絶対に行かなくてはならない日だった。先月はそういう大事な日にも動くことができなかった。だが、今日は違った。朝、動いたのである。いつもいったんは朝早く起きるが、立ってられなくなってまた寝てしまう。この「また寝てしまう」より先に、だいぶ時間は早いがもう家を出てしまったのだ。

そして無事1日乗り切ることができた。一度動き出すとその後はスムーズに体が動き、疲れを感じることもなかった。帰ってきたらさすがに少し疲れを感じたが、へとへとという感じではない。

今日よかったのは、朝起きた瞬間から「今日は大丈夫だ」というような感覚ではなかったのに、いつもと同じけだるい朝だったのに、そこからいつものように二度寝せずに体を動かせたことだ。同じ1日のスタートでも、そこからの動き方で1日の内容が全く変わってしまう。以前からわかっていることだが、この病気は朝が勝負なのだ。その勝負にいつも負けてばかりいたのだ。負け癖がついていたのだ。昼頃目覚めても遅いのだ。もうその時点で自分の心には敗北感が漂っており、そこから何かをするという気は全く起きなくなってしまうのだ。昼からデイケアに行けそうだけどなぜだか全く行く気がしなかったのはこのためだろうか?

ともかく、今日の1日はこれからに向けて大きな自信となった。そして明日はちょうどデイケアのイベントがあって、横浜の三渓園に行って梅を見て、そのあと中華街に行くのだ。明日もモチベーションを維持するためのイベントが偶然だが続いて、この調子を続けるいいチャンスだ。やればできる。できるのだ。最近ネットのeグループがYahoo!グループに変わったが、ずいぶん前に登録した自分のプロフィールを見て「思う、動く、叶う」と書いてあって懐かしかった。何の本に書いてあったのだっけ。初心を忘れてはいけない。

今日、やっと病院に行けた。本当にがけっぷちだった。ザイルとギアがあれば懸垂下降で降りるところだが、無事に行けてなかったらそんな冗談も言ってられないところだった。なんとか這うようにして服を着替え、病院に行って診察。予約外だったがすいててすぐに呼ばれた。また薬が1錠増えた。どうしても調子が悪いときはがんばって行こうとしなくてもいいです、焦らないようにしてください、と言われた。焦ってるつもりはないのだが焦ってるのだろうか。動かないといけないのに動けない自分に歯がゆいというのは、すなわち焦っているのだろうか。

久しぶりにデイケアに出た。今年初めてだ。1月いっぱいで他の病院に移る心理のスタッフと最後のゲームをやった。もう何日か病院に行くのが遅れたら入れ違いになるところだった。今日行けてよかった。明日からも行けるといいのだが。帰ってきたらもうくたくただった。首と肩が凝りまくっている。相当体に力が入っているようだ。「リラックス、リラックス」を心がけなくては。入院中に効果があると知ったこのおまじないもすっかり忘れてしまっていた。