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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

今日はまたしても昼までしんどくて寝ていた。

会社に行かないといけない時間になっても、まだ動けず布団の中でわけのわからない言葉をぶつぶつつぶやいていた。
 
さすがにトイレは我慢できず、なんとか起き上がってトイレに行った。
 
そして、そのまま布団に戻らず
 
「会社に行くのは無理かもしれないけど、せめて着替えてみよう」
 
そう思って、なんとかスーツを着てみた。
 
「仕事をするのは無理かもしれないが、せめて会社の前まで行ってみよう」
 
そう思って、外に出た。
 
しんどかったのと、ちょうどいい時間のバスがなかったのと、車ならまだ定時に間に合うので、タクシーを拾った。前の職場よりだいぶ近いのが幸い。
 
そして会社についた。
 
「しんどかったら早退すればいいから、とりあえず出勤してみよう」
 
そう思ってセキュリティゲートをくぐり、滑りこみで出勤した。
 
意外なことに、行ってみれば仕事ができた。それほど体もしんどくなく、頭も淀んではいない。
 
そして定時になったので帰ってきた。帰ってきたら疲労困憊である。
 
 
昔、体育の授業でマラソンをしたときに、しんどくなったときに「次の電柱まで」「次の電柱まで」を繰り返してゴールまで走ったことを思い出した。
 
まず一番近いところに目標をおこう。その後のことは、その後に考えればいい。
 
一歩ずつ。

今日はなんとか病院へ行き、その足で会社に行くことができた。

 
体調がずっといまいちという話をすると、主治医は思った通り難しい顔をして、そしてまた処方を変えてきた。三環系のトリプタノールに替えて、SNRIのサインバルタを処方された。
 
これで何か変わるのだろうか・・・。

寒くなったり。

暖かくなったり。
 
寒くなったり。
 
気温の変化に体がついていけない、というのをこれだけ実感したことは、今までないかもしれない。暑いんだか寒いんだか、自分でもよくわからないときがある。
 
そして体調はずっと崩したまま。実は先週の月曜日以来、出勤できていない。今日も夕方の4時くらいまでしんどくて寝ていた。
 
明日は通院日だ。そして主治医はきっとまた難しい顔をするだろう。
ここ何ヶ月かかけて、毎回処方を少しずつ変えていってるのだが、あまり効果は出ていないのだ。
 
薬物治療には限界がある。現代の精神医療では、私レベルの患者をコントロールすることはもはや無理なのか。去年鳴り物入りで認可された新しいタイプの抗鬱薬であるリフレックスも、私には効果は全く出ていない。
 
他に頼れるものはないのか。すがりつけるものはないのだろうか。

あかんかった。

昨日よりも調子悪かった。
 
朝、トイレに行きたいのに体が動かない。困った困った困ったちゃん。なんとか這いつくばるように起きて、トイレに行って、薬だけ飲んでまた昼まで寝た。
 
昼になってもしんどくて、会社に欠勤の連絡をした。ちょっと自分で自分にプレッシャーをかけすぎたかもしれない、と思って、明日も休みということにさせてもらった。調子がよかったら行けばいい。
 
夜になってもしんどさは抜けない。何か憑いているのだろうか。

今日もしんどくて会社に行けず、2連敗。明日こそ会社に行ってやる。必ずや。

 
それは置いといて。
 
先日の日曜日、合唱団の演奏会を聴きに行った。私も一瞬だけ所属していた合唱団で、学生時代に入っていた大学の合唱団のOB/OGが中心となって結成された合唱団である。大学は京都にあったので、本家のOB/OG合唱団は京都で活動しているのだが、その関東組であり、姉妹合唱団である。
 
演奏会はとてもすばらしかった。前回よりも人数は減っていたのだが、その実力は更にも増していて、聴いていてとても嬉しかった。
 
嬉しいことはそれだけではない。OB/OG合唱団なので、演奏会には知り合いが多く来ていた。同期の友人や先輩や後輩、とてもたくさんの人たちに久しぶりに会えることができた。それが何よりも嬉しかった。10年以上ぶりの人も何人もいたと思う。本家の関西からわざわざ聴きに来てくれた人たちもいた。
 
そして昨日、もう一つ嬉しいことがあった。
 
今年の2月に母が亡くなったので、喪中につき今年は年賀状は出さない。その喪中欠礼のはがきを毎年年賀状をやり取りしている方々にお送りしたのだが、そのうちの一人から、お悔やみのメールが来た。
 
そのメールをくれたのが、先に書いた大学の合唱団の同期で、私と一緒につるんでよく遊んでいた仲良しの友人であり、私が天才だと思う人間の一人である。彼は東大でしばらく研究をしたあと、別の大学に移って研究を続けていたが、2年前に倒れて生死の境をさまよった。アメリカの科学雑誌「サイエンス」にも論文が掲載された優秀な研究者で前途洋々だったのに、なんで彼が、と私は嘆いた。
 
その後、意識を取り戻して、やっと自分の名前が言えたり、手でグーチョキパーができる状態になったという。しかし、社会復帰にはかなり時間がかかるだろうと言われていたらしい。その後彼が今どうしているか、ずっと心配だったが、怖くて誰にも聞けなかった。
 
そんな彼からのメール。しっかりとしたメールが書けるようになっているだけでも嬉しかったのに、今では大学に復帰して研究を続けているようで、自分の考えていることをつれづれと書いているようなWebページを作成したのでよかったら見てくれ、というので見てみると、、、、、、、、
 
ものすごい量で、まだ全部目を通せていないが、研究のことから音楽のこと、事業仕分けからお笑いに至るまで、実に多岐にわたっていろんなことが彼の言葉で語られていた。私が知っている天才の彼がそこにいた。彼は帰ってきていた。信じられないほどの回復力で、死の底かから這い上がってきていた。天才は復活していた。
 
さあ、今度は彼との再会を果たす番だ。いつの日になるかわからないが、明日を信じて生き抜く力を彼からもらったような気がする。