TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

今週はなんとか3日出勤。実は先週は1日しか出勤できなかった。じわりじわり、3歩進んで2.9歩戻る感じだ。

 
しかしながら、少しずつ状態はよくなっているようなので、今日の診察でまた薬の処方が変わった。もうここ2~3ヶ月くらい、毎回処方が変わっているような気がする。
 
先週はサインバルタを20mgから40mgに増量し、ジェイゾロフトを100mgから75mgに減らした。今日はそれをさらに進め、サインバルタが50mg、ジェイゾロフトは50mgになった。漸増漸減というやり方である。現在服用中の薬を急に中止するのはリスクがあるので、新しく投入した薬を少しずつ増やしながら、他の薬を少しずつ減らしていくのだ。
次の通院は年をまたぐので3週間後。もう少し状態がよくなっていくといいのだが・・・。
 
それにしても、医療費が痛い。我が家の今年の医療費は、今日で25万円を超えた。病気になると、まともに働けなくなって収入が減るのに、医療費ばかりかさんで、全く懐に優しくない。貯金は順調に減る一方だ。
 
今年は年を越せそうだが、来年の年は越せるのだろうか・・・。

今のところ今週は全敗。一日も出勤できていない。

 
明日は12時にメンタルクリニックの予約があって、そのあと出勤の予定だが、果たして病院にも行けるのだろうか・・・。
 
それにしても一気に寒くなったな。

昨日からいきなり寒くなった。最高気温が前日から10℃以上下がった。

そして、その結果というか何というか、昨日は出勤できなかった。昨日はシャツ一枚着替えることもできなかった。
 
しょぼーん(´・ω・`)
 
そして今日は、11時半から目医者で視野検査の予約が入っていた。
 
私の眼の奥は「視神経乳頭陥凹」といって、眼球の奥の視神経が集まっているところがボコっと凹んでいる。そうなっていると緑内障の疑いがあるのだが、緑内障ではなくても凹んでいる人はいる。緑内障になると視野が欠けてくる(狭くなるというのではなく、見えていない部分が広がるといった感じらしい)ので、視野検査をする必要がある。
 
それで、私の場合は今のところ視野検査で異常はなく、1年に1回くらい念のため検査を受けてください、と言われていた。が、2年以上受けていなかった。検査機器が一台しかないため、視野検査は完全予約制である。
 
という訳で、朝11時前には家を出ないといけないのだが、朝はとてもつらかった。寒いししんどいし、ちょっと今日は無理かも、とあきらめかけたのだが、
 
 

「ここで負けてたまるかああああ!!!」

 
 
と雄叫びをあげてそのままの勢いで着替えて準備をして家を出た。眼科には無事に着き、検査結果も異常なしだった。それから昼食を食べて会社へ。
 
しかし、その時点でちょっとへろへろだった。頑張って仕事をしようとしたが、2時間でギブアップ。早退して帰ってきた。
 
今週出勤できたのは5日のうち2日と半分。打率5割と考えると、まあいいとしよう。

今日もしんどかった。昨日や一昨日と同じように、とりあえずシャツ一枚でも着替えて・・・・、

 
そのまま寝てしまった。撃沈。やむなく今日は欠勤した。連続出勤はたったの3営業日で途絶えてしまった。
 
昨日、一昨日は精神的な疲労、というより症状、つまり気力が出ない、「会社に行かなきゃ」と頭ではわかっているのに、どうにも動く気力が出ない、という状態であった。トイレにいく」という動作がその初動を手助けしてくれた。
 
しかし今日は、昨日までと違って身体的にダメであった。昨日、一昨日と会社から帰ってきたら疲労困憊だったのだが、今日は昼間から体が疲れて動けなかった。結局シャツ一枚着替えただけで精一杯だった。
 
 
無理しないで休め、ということか。

今日も昼までしんどかった。昨日よりかはましで、横になってはいなかったが、座椅子に座ってぼ~っとしていた。もうすぐ会社に行く時間が来るのになんにもできない。

 
トイレに行きたくなって、トイレに行った。
 
そこからは昨日と同じである。せめてシャツ一枚着てみよう。そう思って支度を終え、なんとか外に出た。今日はいつも通りバスで通勤。なんとか仕事して帰ってきた。そして疲労困憊。
 
トイレに行くというのは人間の生理現象なので、自然と体が動きやすくなるのかもしれない。会社に行く、あるいはとりあえず何かの目的のために動く、という他のことよりも、心理的抵抗が少ないのだろうか。よくわからないが、ずっと寝たり座っていたりすると、なかなか動き出せない。「トイレに行く」というのは「初動」のきっかけになっている。