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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:日々の出来事

昨日は寝る前にデパスを飲んでみたら、ちゃんと眠れた。
朝も、9時半に起床。少し遅いが、昨日ほどではない。起きるときの辛さも緩和されている。とりあえず一段階、元に戻った。

しかし、それではいったい、どのタイミングでデパスを抜けばいいのか。
錠剤を砕いて少しずつ減らしていくとするか・・・。

今日も調子が悪い。ずっと調子が悪い状態が続いていて、入院している友人の面会にも行けなかった。

しかし、自分の病院には行かなければならない。一昨日メンタルクリニックに夫婦で通院したばかりだが、今日は皮膚科へ二人で通院。私はアトピー持ちで、妻は妻で皮膚が弱くて、湿疹やらニキビやらお肌のトラブル続き。二人して皮膚科にも通っている。

一緒に通院して二人で診察室に入るというのは、精神科や皮膚科ではメリットが大きい。これは他の科でも言えることだとは思うが。

精神科では、診察といってもほぼ問診なので、前回の通院以降の自分の体調や症状を話すというのがメインになる。ふたり一緒に診察に入ると、本人の話に加えて、一緒に暮らしているパートナーから客観的に見て気がついたことを、お互いに補足できる。

皮膚科の場合、医師の指示をお互いのパートナーが聞くことができる。ふだんから、自分では手が届かなかったり、目で見えなかったりする背中や頭には、お互いに薬を塗ったり塗ってもらったりしている。

こういう状態なので、一緒に診察室に入ったら、「この辺の赤いところはこの薬で、この辺りのかさかさしているところはこの薬で」という指示を、実際に薬を塗るパートナーが聞くことができる。一人暮らしだった頃は大変だったよ。

それはそうと、自分の額の一部が少しでこぼこしてきたので、これはなんだろうと思っていた。これは何で、どの薬を塗ればいいのか今日尋ねてみた。すると、

「老廃物が溜まったものです。綺麗に顔を洗って、何も塗らないでください」

と言われた。アトピーとかニキビとかおできではない。では何故こんなものができるのか聞いてみたら、

「老化です」

の一言。

「老化です」
「老化です」
「老化です」
「老化です」

「寄る年波には勝てない」という噂は本当だったのか。

先月大阪に帰った時に学生時代の友人で集まったのだが、健康の話がやたら多かった。以前はそんなこともなかったのに、アラフォーというよりみんなオーバーフォーティーになってしまうと、自然とそんな話題になってくるようだ。男性陣は腰の話、女性陣は冷え性の話をしたりしていた。

しかしまあ、専門家もいることだし、そこで横槍が入ったりするのがおもしろい。大学病院に勤務し、研究に臨床に教育に忙しい耳鼻科医の友人は、

「ためしてガッテン、とかの医療情報番組、めちゃめちゃレベル低いよな」

と話していたが、そのレベルで踊らされている一般人の多いこと多いこと。

また、生物学の研究者である友だちが、

「コラーゲンなんか口から摂取した所で、美肌効果なんかあるわけないべ」

と話すのに対し、未だ同い年とは思えない若々しさを維持している女性が、

「いや、ある!」

と言い切っていたのがおもしろかった。まあ、彼女はエステにも通っているそうだが。

そうやって人は年老いてゆくのだろうなあ。彼らは学生時代から私のことを「じーさん」というあだ名で呼ぶ。なぜそう呼ばれるのか未だ全くもって理解できないのだが、20年後にはみんなじーさんばーさんになってるんだぞ。

予想通り、今日は筋肉痛。腕と腰。
すっかり体がなまっている。
もっと運動しないといかんなあ。
運動以前に、日常生活でももう少し体を動かすようにしないといかん。
体重もぜんぜん減らないし。

ところで、ここの団地にはお年寄りも多い。
ふと気がついたが、「太ったお年寄り」を見かけたという記憶が無い。
年をとると、自然に痩せていくのだろうか。

それとも・・・、

太っている人は確実に早死にするのだろうか。

痩せなければ。

今日は珍しく朝から調子がよかった。

内科の薬がもうなくなるので病院に行かないといけないと思いつつ、なかなか行けなかったのだが、今日は朝から元気に通院。今月は採血があったのでお値段ちょっと高め。そして薬代が目が飛び出るほどかかる。喘息のステロイド吸入薬が、まあ高いのだ。月2万円にも及ぶ医療費のうち、こいつがかなりを占めている。大人になってから喘息がひどくなるってどういうことだよ。

午後からは生活保護の相談をするため、妻と二人で区役所へ。自分たちの状況を話して、それから制度についての説明を受けた。制度の内容についてはある程度知っているので、確認したいことをいくつか質問した。人から聞いた話で、それは本当にそうなのか?といくつか疑問があったのだ。

Q.貯金はできないと聞いたのですが。
A.申請時に貯金があれば、審査は通りませんが、
  保護費を節約して貯金をするのは問題ありません。

Q.貯蓄性のある保険は解約する必要があるのですか?
A.ケースバイケースですが、ある程度の解約返戻金が戻ってくるので
  あれば、解約していただいて、生活費に充てていただくことになります。
  奥様の場合、保険は解約していただく必要があります。

Q.クレジットカードは解約しないといけないのでしょうか?
A.カードを使うのは借金に当たるので、使ってはいけませんが、
  わざわざ解約する必要はありません。

Q.申請から支給までどれくらいの日数がかかりますか?
A.申請のあと、審査でいろいろ調査をし、決定されるまでには
  およそ2週間です。しかし、毎月の支給日は決められているので、
  すぐに支給されるわけではありません。
  決定してから一番早い支給日が最初の支給となります。

Q.その最初の支給日までにお金が足りなくなったらどうしたら
  よいのでしょうか。
A.なんとか手持ちのお金(最低生活費の半分)でやり繰りして
  いただくのが原則ですが、公共料金の支払などで、どうしても
  足りなくなってしまった場合は、1日1人1,000円を前貸し
  します。この分は初回の支給額から差し引かれます。

てな感じだ。預貯金が最低生活費の半分以下にならないと申請が通らないのはわかっていたが、うーん、なかなかシビアだ。

現在、うちは生活保護になった場合を想定したシミュレーションをしているのだが、なぜかどうしても赤字になってしまう。毎日1円単位で家計簿をつけてきっちり数字を合わせているのだが、その内容を精査してフィードバックしないと何の意味もない。

しかし、けっこう今でも切り詰めているのになあ。自販機で缶コーヒーとか今ではありえないし。あんなちっぽけなものに120円も払えるかっつーの。今は2リットル88円で売っているペットボトルの水を、500mlのペットボトルに移し替えて、外ではその水しか飲まない。コーヒーだとか紅茶だとかジュースだとか、そんなものは贅沢品である。水さえあれば生きていける。先日に大阪に帰った時に、友だちと食事をしてその後お茶したのだが、喫茶店に入るのなんて何年ぶりだろう、と思った。

やっぱ、妻も私も調子が悪い時に、つい外食(マックとかだが)やらお弁当に頼ってしまうので、食費が割り高になってしまっているのだろう。それはわかっているのだが、調子が悪くなると、まずできなくなるのが料理である。だから、ある程度はしかたがないが、なんとかそれを最低限まで抑えたいところである。

1日2人で食費1,000円、月30,000円が理想だが、それは難しいので、まずは月40,000円に抑えるのが目標。みんな食費って、どれくらいかかっているのかなあ。消費者物価指数が日本一高い横浜で、どうやってやり繰りしていけばいいのやら。

昨日の昼、妻に「そろそろ生活保護の相談に行く?」と言われた。

そうだった。先日の帰省で交通費などたくさんお金がかかることはわかっていた。妻の生命保険を解約すればまだ多少延命はできるものの、現時点ではもう貯金は待ったなし。だから、法事が終わったら生活保護の相談に区役所に行こうと言っていたのだ。

しかし、不意をつかれたように言われたその言葉に、自分は動揺した。「今?」と妻に尋ねたら、「今・・・じゃだめ?」との返事。さらに動揺した。とたんに気分がずーんと重くなり、鬱に落ちてしまった。そして、まだ疲れが抜けきってないのと、夜の眠りが浅いこともあってか、そのまま夕方くらいまで寝てしまった。

自分は、まだ覚悟ができていない。

生活保護という制度は、憲法で保証されている基本的人権を守るための、最後のセーフティーネットである。最近では不正受給やら働けるのに働かないやらの問題もあるが、本当に困っている人にとっては最後の命綱であり、自分たちが本当に困っていることは事実である。

しかし、たとえ頭でわかっているつもりだが、現実を見ることを拒否している自分がここにいる。「生活保護には頼りたくない」のが本心であるし、実際に友だちにもそう話している。しかし、みんな口をそろえて「そんな引け目を感じなくても、堂々と生活保護を受けたらいいよ」と言ってくれる。

違うのだ。引け目を感じる、というのとは違う。生活保護を実際に受給している方々には大変失礼だということを承知で敢えて書くが、自分の中には「そこまで落ちぶれたくない」というプライドがまだまだ根強く残っているのだ。

人生、何もかも理想通りに運ぶことはない。とは言え、別にそんなに高い理想を掲げていたわけではない。普通に就職して、普通に結婚して、普通に食べていけるだけのお給料をもらい、2人くらい子どもを作って明るい家庭を築いて、そんな「当たり前の日常」が自分の理想だった。自分が生活に困窮することになるなんて、ゆめゆめ思ってもいなかった。

だが、病気になってから、どんどんその理想から現実が離れていった。

「なんでこんなことに」
「本当ならこんなことには」
「本当ならこんなはずでは」

いつも心の底ではそう思っていた。

本当も何も、今実際に自分に起こっているできごと全てが本当のことなのだが、自分の中の「本当なら」は、上に書いた「平々凡々な家庭」だった。それすらも叶わないどころか、あとは生活保護に頼るしかないということが、最後の最後まで受け入れられない。それを阻んでいるのは、今となっては何の価値もないプライド。

あまりこういう書き方はしたくないが、自分は子どもの頃から優等生だった。
当たり前のように進学校に入り、当たり前のように一流大学に入り、当たり前とはいかなかったが、バブル崩壊の直後、4次面接まで突破して一流企業に入って、ばりばり仕事をしていた。独身時代、それも病気になる前は個人的にはかなりバブリーだった。あまり表には出さなかったつもりだが、エリート意識はかなり高かった。

麻痺してしまった金銭感覚を落とすのにはかなり時間がかかったが、年月をかけて刷り込まれたエリート意識は未だに自分の中に根強く残り、よけいなプライドを落としきることができない。

先日、学生時代の友人たちと久しぶりに会えて、本当に楽しかったのだが、その反面、ものすごく羨ましかった。世界中を飛び回っている優秀な医者もいれば、アメリカの科学雑誌に論文が掲載された優秀な研究者もいる。みんな働き盛りで「超忙しい」人ばかりである。彼らは彼らで大変だろう。しかし、それが私には羨ましかった。

人と比べてもしかたがない。昔の自分と比べてもしかたがない。しかたがないとわかっていても、どうしても比べてしまう自分がここにいる。そして卑下する自分がここにいる。

あるがままを受けれられる覚悟が、自分にはまだできていない。

現実は残酷だ。