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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:日々の出来事

昨日、友だちからメールが来ていた。何やら悩み事があるようだったので、自分でよければ相談にのるからメールでも電話でもください、と返事をしたら、電話がかかってきた。内容としては、自分の将来を左右する急ぎの判断を迫られる話が突然降ってきたのだが、人にはあまり相談しにくくて、意見を聞きたい、ということだった。話を聞いて自分なりの意見を言ってみたりして、1時間くらい話をした。

今日になって、昨日はありがとう、あの件はこうすることにしました、とメールが来た。うんうん、今の段階ではそれは懸命な判断ではないかな、と思って読んでいた。

そのメールの返事に、ふと「前からぼんやりと思っていた」ということを初めて明文化して書いてみた。この日記にもまだ書いてない(と思う)ことなので、頭を整理するつもりで、改めてここに記すことにしておく。

 

自分は、昔から何らかの世話役やら運営やら、あるいは雑用的なことにすぐに首を突っ込んでしまう。今も学生時代の合唱サークルの同期の取りまとめ役として、現役のOB係と連絡をとったり、名簿の管理をしたり、メーリングリストの管理をしたりしている。高校時代の部活の仲間でも、特殊な機能のついた掲示板を自宅のサーバで運営したり、ファイルアップロードのためのグループウェアなんかも作っている。上京してすぐに入った合唱団や、かつて所属していた山岳会でも、入ってからすぐ運営に首を突っ込んだりしていた。そこでも名簿の管理をやっていた。

なんでそんなことにすぐ首を突っ込むのか、雑務をわざわざ引き受けるのか、実は自分でもよくわからなかった。そういうことが好きだから、としか言えなかったが、最近自分の内面についていろいろ考えていて、自分でも「これかな?」という答えが見つかった。

表向きの理由としては「みんなの役に立ちたい」のだが、なぜそう思うのか。それは、「自分を必要としてもらいたい」ということで、必要としてもらうことによって、自分の存在を肯定することができる、という構造が自分の中にあるからだと思う。結局のところ、エゴである。

だから、私はどこへ行っても自分の居場所、というか「自分の存在理由」を無理やり作り出しているのだと思う。そしてそれが、仕事においては裏目裏目に出て、鬱という病に陥る原因ともなってしまったような気がする。勝手に自分で抱え込んでしまうのだ。

今回、友だちが自分にヘルプを求めてきたことが、純粋に嬉しかった。友だちは自分に「ありがとう」と言ってくれたが、自分こそ「必要としてくれてありがとう」と言いたい。持つべきものは友かな、とつくづく思う。
(去年からこのパターンで終わることが多い)

それは19時頃、夕食でさんまを食べている時に起こった。

「ん?喉が痛いな。さんまの小骨でもささったか?」

ま、小骨だしそのうち取れるだろう、と思って食事を終えたが、まだ喉に違和感がある、というか痛みが出てきた。

「やばい、まじで刺さった」

自分、魚が好きで骨までばりばり食べてしまうので、ときどき骨が刺さるが、たいていはすぐに取れる。しかし、今日は違った。さて困った。

魚の骨が喉に刺さった時の対処法として、一番正しいのは「病院に行く」である。昔からよく言う「ご飯を丸呑みする」というようなことは、絶対にやってはいけない。運が良ければご飯と一緒に骨が取れる場合もあるが、逆に押し込む場合もあって危険である。

しかたがないので、救急医療センターに行った。順番を待っている間、待合室で看護師さんに「どうされました?」と聞かれ、「魚の骨が喉に刺さりました」と答えた。すると、「何の魚ですか?」と聞かれた。そんなことまで聞かれるのか、まあいいや、と思って「さんまです」と答えた。

その後、妻と話をしていると、後ろから「ブリです」という声が聞こえてきた。もしかして、けっこう多いのか?

自分の名前が呼ばれて診察室に入り、医師が「口を開けてくださーい」と言うので開けたら、「あ、これは取れるわ」と言って、ピンセットで一瞬のうちに抜き取った。見せてもらったら、小骨ではなく、もう少し太い骨だった。うう、さんまとて侮るなかれ。

そして診察室を出るとき、看護師さんが大きな声で、

「さんま取れましたー!!」

と威勢よく言った。待合室にも筒抜けである。妻は必死に笑いをこらえていた。私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。しかし、さんまの骨が取れたのは本人も医師も当然わかっている。あの看護師さんは誰に向かって言ったのだろう?

その後、お会計で呼ばれたので、窓口に行くと、こう言われた。


4,430円です」

 

(・o・)ハッ?


「よんせんよんひゃくさんじゅうえん!?」

 

びっくらこいた。そんなに治療費がかかるとは思わなかった。

診療費明細を見ると、

医療費領収書

た、確かに4,430円。おとなしく払ってから、改めて診療費明細書を見てみる。

 

 医療費領収書

手術・・・・・・

咽頭異物摘出術(簡単)、とな。

そっか、「処置」でなく、「手術」になるんだ。たった1秒でも。

 

 医療費領収書

その1秒で756点。金額にすると7,560円。その3割だから2,268円。たった1秒で・・・。
それに初診料、休日加算などがプラスされるが、これはまあしかたがない。

魚の骨が喉に刺さって病院に行ったのは、実にこれで3回目である。1回目は子どもの頃、2回目は数年前だが、そのときは行ってみたら骨は取れていて、刺さっていたところが傷になって痛かっただけなので、処置のみ。そのときはそんなに治療費がかからなかった。

それにしても、とっても高い1秒だった。かなりショックである。

最近はまた生活のリズムが乱れ始めていて、昨日も起きたのは10時前くらいだっただろうか。いつものようにスマホでニュースをチェックしたら、

「淡路で震度6弱の地震」

との文字が。

一瞬、かなり焦った。18年前のあの日のことを鮮明に思い出したのだ。

一昨年の3.11では横浜でも震度5弱とけっこう揺れたし、テレビで何回も見た津波の映像も強烈に脳裏に焼きついている。しかし、18年前の阪神・淡路大震災のときの「あの1秒」の衝撃は、それをはるかに上回る。

 

自分が就職して上京したのが1994年。翌1995117日、自分はインフルエンザで40℃の熱を出し、1日じゅう寮の部屋で寝込んでいた。夜になってからテレビをつけたら、何やら燃えている。画面全体が燃えている。火事?なんだろう?と発熱でぼんやりした頭でぼ~っとテレビを観ていて、そのうち「大変なことが起こった」とようやく理解した。

大阪出身の私は、京阪神地区にはたくさんの友だちがいる。みんな、無事なのか?心配になった私は、ふらふらな頭で友だちに電話をかけまくった。しかし、誰にもつながらない。そんなこと当たり前だった。そんなときに電話をするのは却って迷惑になる。そういうことも知っていた。でも電話をせずにはいられなかった。少しパニックになっていたのだろう。振り込め詐欺に騙されてしまう人も、このように冷静さを失ってパニックに陥ってしまうのだろうか。

翌日も熱が下がらず、会社を休んで部屋で寝ていた。テレビはベッドの後ろに置いていたので、寝ている状態では映像は見えないのだが、状況が知りたくて、テレビをつけっぱなしにして音声を聞いていた。

やがて、テレビでは死亡が確認された人の名前が読み上げられていった。そして不意打ちのように、その名前が耳に入った。

「神戸市○○区 ○○☓子さん」

 

神戸に住んでいる学生時代の友だちの名前だった。自分は脊髄反射のごとくベッドから飛び起きてテレビを見た。

 

・・・・・・別人だった。同姓同名だが、名前の字も年齢も違った。

人生であんなに焦った瞬間があっただろうか。あのとき、名前が聞こえてからテレビを見るまでの、わずか1秒ほどの瞬間は、今でもスローモーションのように鮮明な記憶となって脳裏に焼き付いている。

その夜だったか、次の日だったか、その友だちの安否が確認できた。彼女はひとり暮らしだったが、実家に電話をかけてようやく無事がわかった。彼女は神戸市の職員だったので、当時はかなり大変だったらしい。

昨日の淡路での地震のニュースを見た瞬間、18年前の「あの1秒」の記憶と、その時の衝撃が一瞬のうちに自分の中に再現された。

今も神戸に住んでいるその友だちにメールをしたところ、神戸は震度3くらいだったとすぐに返事が返ってきた。大丈夫だろうとわかっていても、心配なものは心配なのだ。

震災というのはこんな形でもトラウマを残すのか。そもそも、これはトラウマと呼べるのだろうか。

昨日、一昨日はえらく寒かった。もう着ないだろうと思ってフリースも長袖Tシャツも衣替えでしまってしまっていた。雨も降って、夕方のニュースを見ると、傘が壊れて飛ばされそうになっている人がたくさんいた。もう傘の体もなしてないし、広げていると風で持っていかれそうになって余計危険なのに、なぜみんな閉じないのか不思議だった。 

一転して今日は暑い。20℃まであがる予報だったが、確かにそれくらい暑かった。今週は月曜日以来、外出もしていなければ着替えてもいない。ようやくいい天気になったので、区役所まで行ってきた。区役所では軽く冷房が入っていた。

 

今日は障害者自立支援医療の受給者証の更新手続きをしてきた。毎年更新手続きをしないといけないのがめんどくさい。いちいち窓口までいかないといけないのだ。いろいろと福祉のお世話になっていたり、減免制度を利用しているのでしかたがない。普通の会社員だったら、区役所なんてめったにいかないだろうなあ。

障害者自立支援医療制度というのは、医者に診断書を書いてもらって役所に申請すれば、自分で指定した病院(精神科や神経科、心療内科として認可を受けた病院に限る)と調剤薬局に限るが、自己負担が1割となる制度である。さらに収入によって、月額の自己負担に上限がある。私は去年から今年にかけては上限が5,000円、妻は2,500円だった。去年は1月から3月までの給料があったので、上限2,500円のラインをオーバーしていたのだが、今年は私も2,500円になるはずである。収入は世帯でなく個人でみるのだ。 

この制度を使わないと、むちゃくちゃ金がかかる。先日のメンタルクリニックへの通院では、自分が払った治療費は460円、薬代が2,690円である。およそ3,000円。妻はもう少し少ないが、それでも薬代は1,810円である。2週間分の薬代が、1割負担でこの金額であるから、3割負担だと凄まじい金額になる。

二人とも2週間分がこの金額なので、毎月上限でストップし、メンタルクリニックでかかる医療費は7,500円と固定されていた。それでも二人ともあちこち体にボロが来ているので、毎月病院巡り。先月の医療費は27,350円かかった。なんてこった。二人して2回皮膚科にかかったり、2人とも歯医者へ歯石除去に行ったり、妻が風邪をひいて内科にかかったりしたので、かなり突き抜けてしまったのだ。

 

区役所の窓口では、担当の方が新任らしい人に教えながら手続きを進めてくれたが、うちみたいに夫婦で障害者で、夫婦で自立支援医療制度を利用していて、夫婦で障害年金を受給しているというケースは珍しいのか、担当の方もいったん何かを確認していってから、改めて新任の人に教えていた。

そう言えば、もう4月に入っている。いつの間にか新年度が始まっていたんだな。人事異動の季節だし、自分の友だちでも転勤になった人が2人いる。自分が失業してからもう1年以上経ったことになる。早いものだ。

去年の今頃は、引越しの準備でもう大変だった。上京してから引越しは5回目だが、あんなに大変な引越しは初めてだった。風呂を自分で購入したり、網戸を自作したり、大変だったなあ。もうあんな引越しはこりごりである。

今日は妻と一緒にラタトゥイユを作ってみた。レンジで手軽にできるが実は初挑戦のこの料理、ちょっとWikipediaで調べてみた。

ラタトゥイユラタトゥユ(フランス語: ratatouille)とはフランス南部プロヴァンス地方、ニースの野菜煮込み料理である。

ふむ、フランス料理なのね。

それはいいとして、最後の方の説明に、

軍隊や刑務所で出される料理であったため、「臭い飯」と同意語として使われることがあり、まずい料理、粗末な料理の代名詞としてフランス人の口に登ることもあるが、新鮮な野菜で作られたものは「ニース名物」の名に恥じないのは勿論である。

臭い飯・・・。

うちではそこそこうまくできた。でも、フランス人に出すときには注意したほうがよいのだろうか・・・。

いや、そんな機会なさそうだけど。