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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日は母の命日。今から8年前、2011年2月16日に母は69歳で亡くなった。早すぎた。もっともっと生きてほしかった。私は何一つ恩返しができてないのだ。母は最後の最後まで病床で私のことを心配していたらしい。ずっと心配ばかりかけてばかりいた親不孝者だった。「親孝行したいときには親はなし」という言葉が突き刺さる。母が亡くなったあとは喪失感でいっぱいだった。改めて母の偉大さを痛感し、母に感謝した。

うちはアニバーサリーみたいなイベントとは無縁の家族で、昔から父の日とか母の日とかに何もやっていなかったのだが、ある母の日、中学生の時だったか大学生の時だったか忘れたが、スーパーで花を売っているのを見て、ふとなんとなくカーネーションを1本買って帰ったことがある。母はそれをたいそう大事にして枯れるまで一輪挿しに挿していた。

母が亡くなる前年、うちの家族にしては珍しく母の日を祝う食事会が実家であった。兄や弟の家族、そしてうちら夫婦が集まったのだが、私は鉢植えの花束を持って行った。養分や水分がゲル状になって入っているお手入れ要らずのやつだ。母はそれがとても気に入って、幼稚園生だった姪が欲しがっても渡さなかった。思えばそれが最初で最後の母に捧げた花束だった。

母の三回忌のときだっただろうか、母が大切にとっていたという手紙を2通父が見せてくれた。そのうちの1通は私が母に送った手紙だった。と言ってもたいしたことは書いてない。お正月に横浜名物の崎陽軒のシウマイを送った時に、「今年もまんねりですがシュウマイ送ります。お体に気をつけてください」みたいなことを書いただけだった(実際はもう少し長い)。よく考えたら母に手紙なんてほとんど書いたことなかったので、そんな手紙でもとても大切にしてくれていたのだろう。兄弟の中では私は一番かわいがられていたし、遥か遠くの地でこんな病気になった私をいつも心配していた。最後の最後まで心配かけっぱなしだったことを申し訳なく思った。

天国の母は今でも私のことを心配しているかもしれない。いつになったら安心させてあげられるのだろうか。今の自分にできるのは、一日一日を一生懸命に生きることしかないのだ。

宇多田ヒカル「花束を君に」。宇多田が自ら死を選択した母親に捧げる曲。「普段からメイクしない君が薄化粧した」という歌詞から始まるが、これはもちろん死化粧のこと。私も次に帰省する機会があれば、母の墓前に花束を手向けよう。

今日は9時半起床。毎日書いてるが、今日も寒い。この寒さはいつまで続くの?天気予報では明日から少し気温が上がるような感じだが、最近の天気予報は当たってないからなあ。

午前中はいつもどおりネット巡回をした後、動画を漁ったり本を読んでいたりしたが、妻が「雪が降ってるよ」と言ったので外を見たら、けっこう降っているではないか。雪が降るなんて言ってなかったよ。寒いわけだ。今日は午前中から暖房を入れてしまった。電気代が怖い。

横浜は雪

昼食後、すぐに生協の配達があった。13時15分。今日は早いな。その後来週配達してもらうものをカタログから選んだ後、どこか外へ行こうと思った。できるだけ毎日行かなくては。しかし寒い。雪はやんでいたが、いかんせん寒い。どこへ行く用事もなく、モチベーションが上がらない。なにか美味しいものを食べに行くという手はこの間使った。お小遣いがもったいないのでそんなに頻繁には使えない。どうしようかな。ずるずると時間は過ぎていく。

ずっと本を読んでいたが、14時半になって動き出した。とりあえず着替えるだけ着替えてみよう。「着替える」というのは自分のスイッチの一つである。「あれもやってこれもやって、その次になにをどうして」と考えると途方もなくつらく感じるが、とりあえず目の前のことを1つ片付けると、じゃあその次、と続けていけることが多い。寒い寒いと言っても取って食われるわけではない(よくわからんな)。着替えることいくらいできるだろう。

そんなこんなで外に出た。吐く息が白い。寒いと白くなるのは当たり前だが、この間までこんなに白かったっけ?今日は特別寒いのか?そう言えば子どもの頃は冬になると吐く息が白くなるのは毎日だったような気がする。それに指がかじかんでシャツのボタンをとめるのに難儀した記憶があるが、最近はそんなことはない。昔より気温は上がっているのだろうか。地球温暖化の影響だろうか。

いつもの公園へ行って1周して帰ってきた。いつもは2周するのだが、1周した時点で「寒いよ寒いよ寒いよ」と体がかじかんでつらかったので挫折した。帰りにローソンに寄ってまた温かい缶コーヒーを買ってしまった。コンビニのドリンクは割高だから買わないことにしてるのに、この間から買ってばかりだ。でも体が芯から冷えていてすぐに温まりたかったので速攻で飲んでしまった。

帰ってきて一息。この寒さ、ほんといつまで続くの?でも去年はもっと寒かったような気もする。凍えそうなうちの風呂に入っていても、去年ほど苦痛ではない。去年は頭を洗ってるとそのまま体が凍りそうだった。寒さに慣れたのかな。それにしても、屋上の防水工事の音がものすごい。まるですぐ天井裏で工事をしているようだ。密閉型ヘッドホンで音楽を聴いていても、音楽がよく聴こえない。早く終わってくれないかな。

ローソンはひな祭り仕様。昨日までは多分バレンタイン仕様だったんだろう。流通業界は次から次へと大変だな。

ひなあられ

今日も寒いし昨日の材料が余っているので、昨日に引き続き鍋。今日はつみれを入れた。

鍋

中島美嘉「雪の華」。言わずとしれた中島美嘉の代表曲。この頃の中島美嘉は普通だなあ。だんだん魔女みたいになっていくのだ。

昨日の夜から清水義範の「接客セブンティーズ」を読み始めた。パスティーシュ作品100選のうちの1冊である。彼のパスティーシュ作品は学生時代からずっと読んでいて、おそらく読み尽くしたのではないだろうか。もう25年くらい前なので、また読み返してみようと借りてきた。

パスティーシュとは「文体模写」と呼ばれる。パロディと似ているが、パロディがオリジナルの模倣をしつつ、その中に皮肉や風刺などの意味合いを込め、それをユーモアにするのに対し、パスティーシュは純粋に真似ることそのものでおかしさを表現する手法である(内容的にシニカルなものはある)。模倣される対象は、有名な文筆家だったり論文だったり取扱説明書だったり入試問題だったり旅の紀行文だったり、と多岐にわたり、清水義範の場合は日常の風景など文章ではないありとあらゆるものがこれまた模写される。どれを読んでも「あるある感」(あるいは「あるわけないだろ感」)満載なのである。そしてその内容がまた滑稽で面白い。爆笑必笑の世界である。

この本の三話目に「秘湯中の秘湯」が掲載されていてひときわ懐かしかった。実は私が初めて手にした清水義範の本が文庫本の「秘湯中の秘湯」で、これは本当に温泉の本を探していたときに、そういう小説とは知らずに間違えて買ってしまったのだ。そして読んでみたら抱腹絶倒だったので、一気にファンになってしまった。こういう勘違いから世界が広がっていくというのもまた楽しい。清水義範はだんだんパスティーシュ作品を離れて違う路線に行ってしまったのでちょっと残念。その方面の小説も面白いんだけどね。

岡崎体育「MUSIC VIDEO」。「MUSIC VIDEO」という名前のミュージックビデオ。それこそMVを見ながら聴かないと意味がない曲だ。岡崎体育の歌って面白いな。業界をおちょくっている曲が多い。この「あるある感」はパスティーシュ作品を読んだときの面白さに近い。

今日は9時40分起床。今日も寒い。スマホで天気予報を見ると今日の最高気温は9℃。この寒さはいつまで続くのだろうか。

宮部みゆき「誰か」読了。自転車でのひき逃げ事件の犯人を探す話。と一言で書いてしまうと身も蓋もないな。主人公が被害者の娘2人と一緒に故人にまつわる本を作ろうとして真実に近づく物語。私が住んでいる辺りでも自転車を飛ばしている人が多くてヒヤヒヤすることも多い。

ぜんぜん本筋とは関係ないが、本文中によく警察が事故現場に設置する「事故を目撃した方がいたらお知らせください」という「タテカン(立て看板)」が繰り返し登場する。その「タテカン」という響きが懐かしい。私は学生時代のサークルでタテカン係をやっていて、みんなを動員して苦労して「タテカン」を作った。うちの大学はその「タテカン」が並ぶ風景で有名だったが、悲しいことに去年全部撤去されてしまった。名物だったのに。

昼過ぎに家を出て散髪。近くて安いという理由だけで通っている千円カット。腕はイマイチで毎回同じくらい伸びた頃に同じ注文をつけるのだが、毎回仕上がりが違う。四角い頭にされることが多いのだが、今日はまあまあだった。

その後、利用している福祉施設に顔を出す。妻が今日から塗り絵をやっているのだ。本当は絵画教室なのだが、利用者の作品が壁にずらっと並んでいるのを見るとけっこうレベルが高くて大変そうだ、という話を職員にしたところ、絵画でなくて塗り絵もあるよ、ということで今回から妻が参加。塗り絵と言っても子ども騙しのものではなく、いわゆる「大人の塗り絵」である。「大人の」と言ってもアダルトな塗り絵ではない(なんだそりゃ?)。何年か前から流行っているらしい、けっこう複雑な塗り絵である。私も4年前に入院した時にナースプログラムで「曼荼羅塗り絵」というのをやったが、けっこう細かかった。妻がやったのはそれよりも複雑そうだった。

塗り絵

妻の作品。けっこう細かいように見えるが、これでも一番易しそうなのを選んだとか。細かいのにはこんなのがある。

塗り絵

塗ってる間はちょっとした修行になりそうだ。集中力を養うのにいいかもしれない。

しばし他の利用者とお喋りした後、妻と一緒に買い物して帰ってきた。スーパーにこんなPOPが貼ってあった。

321.84円

税込価格321.84円である。321円84銭。やけに細かいな。株価かよ。

寒いから今夜の夕飯は鍋。我が家名物のウインナー鍋である。昔友達の家で忘年会をしたときにウインナーに鍋を入れていたので驚いたのだが、それがうまかったので、結婚してからうちの定番メニューとなった。ネギと白菜としらたきと舞茸とエリンギとウインナー。きのことウインナーのだしが出てうまいのだ。

鍋

この写真だと白菜だけの鍋みたいだな。昔はうちにも土鍋があって、テーブルの上にカセットコンロを出して鍋をつついていたのだが、前に住んでいた超狭いアパートに引っ越した時に収納に困って処分してしまった。それ以来鍋をする時は普通の鍋でガスコンロで作り、器に取って食べるスタイルになった。

鍋

今日の動画。昼間アップした記事に載せたからいいかなと思ったけどまあいいや、もう一度載せよう。散髪して夕飯は鍋だから、ずっと真夜中でいいのに。「眩しいDNAだけ」。意味がわからないという人は動画を観てくださいな。ちなみに「ずっと真夜中でいいのに。」がアーティスト名である。

今日はバレンタインデーなので、それにまつわるエピソードを書いてみることにする。バレンタインデーは妻とつきあい始めた頃に手編みのマフラーをもらったりだとか、学生時代に彼女から手作りのチョコクッキーをもらったとかそういう思い出もあるのだが、高校時代の笑い話がある。

高校1年のときだった。私は卓球部に所属していたのだが、2月14日の練習が終わった後、制服に着替えてから下足場で靴を履き替えようとしたときだった。部活の仲間が私に「これ、渡すように預かったから」と一つの包みを手渡して「じゃあ、俺急ぐから」と言って行ってしまた。それは、きれいにラッピングされてリボンがかけられた小さな箱で、手紙が添えられていた。読んでみると、明らかに女の子の筆跡で書かれており、まごうことなきラブレターであった。ただ、差出人の名前はなかった。どう考えても「本命チョコ」である。この時点で頭がお花畑になってしまった。

それを目ざとく見つけた他の部活仲間が「何それ?何それ?」と聞いてきた。私の手元にあるものを見れば何それと聞くまでもない。すると彼らは「それ、開けてみて」と言い出した。私はなんでここで開けなあかんねん、と思ってそれをずっと無視していた。彼らは駅まで歩く途中も電車の中でも「開けてみて」と言い続けて、私が一番最初に電車を降りたのだが、その時に「はまー、ごめんなー」となぜか謝っていた。意味がわからなかった。

家に帰った私は、とりあえずその包みを開けてみた。その瞬間、意味がわかった。出てきたのは私がいつも部活帰りに駅売店で買っている100円のアーモンドチョコ。およそ本命であげるとは思えない代物である。ああ、やられた。毎日そのチョコを買っているのを知っている部活の仲間が私をからかったのだ。それで「開けてみて」と言ってたのか。開けた瞬間「お前らのいたずらかよ!」とその場でなる予定だったんだろうな。

騙されて悔しかったが、まあチョコはもらっておこうと思って開けた瞬間、心底びっくりした。中から出てきたのはチョコレートではなく、石ころだったのだ。

次の朝、授業が始まる前に首謀者と思われる友達の教室へ乗り込んで、そいつの襟首を掴んでこう言った。

「あれ、どうやってん?」

私が包みを開けたチョコは、買ったままのセロハンでラッピングされていた。それを開けるには、よくあるように細い紐みたいなところを引っ張って箱を一周させないといけないのだが、それは開けられていなかったのだ。そいつが話すには、箱の側面のセロハンが糊付けされたところを破れないように慎重に剥がし、これまたセロハンが破れないように慎重に箱を抜いて中身を入れ替え、そしてまたしてもセロハンが破れないように慎重に戻して糊付けしたというのだ。「3個めでやっと成功した」という。あほとちゃうか。

呆れ果てたというか、逆に感心した。人をからかうのにそんな労力をかけるとはなあ、お前らそのエネルギーをもっと有益なことに使え、と言いつつ自分もいつか仕返しをしてやろう、なんて考えていた。そう言えばその時の仕返しはまだだ。そろそろかな。

ちなみにラブレターはもちろん女の子の代筆である。ほんと暇な連中だ。

渡り廊下走り隊7「バレンタイン・キッス」。国生さゆりではなくAKB。