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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

気がつくと記事数が5,000を超えていた。これが5,001番目の記事である。次は6,000を目指そう。無駄にたくさん書けばいいというものではないが。

昨日は22時に寝た。BGMはベートーベンの「ミサC-dur」。C-durというのはハ長調のことである。これは3回生の時に定期演奏会で歌ったミサ曲。懐かしいと思って聴いてると、Agnus Deiが終わってKyrieに戻った。リピートにしておいたからだからだが、この曲は30分くらいだったか、それだけしか入ってないCDだったのか。今調べたら44分のようだ。2回目のKyrieは覚えているがその後は覚えてない。1時間以内には眠れたようだ。

朝は7時の目覚ましで目が覚めて、何度も何度も何度も何度も起きようとしたが、どうしても起きれない。やっと起きることができてやれやれ、と思ってふと気がついたらまた寝ていた、という夢を何回か見た。この夢は昔からときどき見るが、よほど何かプレッシャーを感じている証拠。プレッシャーの正体はわかっている。また来週から作業所通いが始まり、そうすると7時台には起きないといけないのに、ここ最近9時過ぎまで寝てたりするからだ。なんとしてでも早く起きなければ、と焦っているのに、体は動かない。8時半になってやっと起きれた。作業所に行くのには9時に家を出るから、超急いで支度をしてぎりぎりか。

今日は10時から某福祉施設でマインドフルネス講座。去年も4回の特別講座があったのだが、最初の1回だけ出た。今年は3回あるが予約制とのことで、最初は3回とも参加予約したのだが、すぐにキャンセルした。密にならないようにするため定員が5名だけなのだが、最近体調が悪いので朝動けないことも多く、欠席してしまうと申し込もうと思ったのに定員オーバーで諦めた人がいたらその人に申し訳ない。いい加減に申し込むのはちょっといかがなものか、と思ったのだ。当日の朝になって、行ってみて枠があいていたら参加しようということにしていて、昨日センターで職員に聞いたところ、今の所1人分だけ枠があいていたので今日行ってみた。

マインドフルネス講座は、むむむ、よくわからない。要は禅であり瞑想なのだが、う~む、難しい。難しく考える必要はないのだが、難しい。認知行動療法は完全に理論的なものなので実践はともかく理解はしやすいし、SSTはテクニックなのでこれもまたわかりやすい。しかしマインドフルネスは感覚的なもので、ちょっと自分は今日1日で悟りは開けなかった。それはそうか。でもまあこういうアプローチもあるのはおもしろいなと思った。とにかく過去や未来のことを考えず、「今」に注意を向けるのだ。スティーブ・ジョブズもやっていたし、Google、Facebook、Yahoo!といった企業でも取り入れてるとか。そういうので近年一気にブームに火がついたそうな。

福祉施設のプログラムがいろいろ動き出した。通年でやっているリカバリー系プログラムも再開したし、こういう特別プログラムも再開した。今月はマインドフルネスだが10月にNLP、12月にSSTをやるという。おおお、ついにNLPが出てきた。NLPとは「神経言語プログラミング」といって、ちょっと胡散臭いとも言われているのだが、まあなんというか、乱暴に言えば「脳を騙す」的な感じのやつだったと思う。私は昔友達に、NLPを使えば記憶を上書きできると聞いた。ほんまかいな?

お買い物をして帰ってきた。それにしてもあっついな~。中華料理屋のランチメニューのゴーヤチャンプルーに惹かれたが、お買い物をして生ものとか持っていたから、しかたがなく帰ってきた。

お昼ごはんを食べてしばらくしてから、ふと「今日はユニクロの米津玄師Tシャツの発売日じゃないか」と気づく。米津玄師は歌だけでなく絵も描く。MVには自身が描いた絵もたくさん登場する。その米津玄師デザインのTシャツが今日発売されると予告されていたので、これは買わなくては、と思っていたのでユニクロのオンラインショップにアクセスしたら、見事に全種類売り切れ。あああ、やっぱ人気があるのか。残念。次はいつ入るのだろう。もう売らないのかな。

その後は昨日借りてきた「モナドの領域」を読み進める。なんだろう、この小説。最初はミステリーかなんかだと思って読んでいたのだが、どんどん話が斜め上に進んでいく。途中から何の話かさっぱりわからなくなった。筒井康隆が登場人物に喋らせるセリフを読んでると、ときどき自分の化けの皮を剥がれたような気がしてドキッとすることがある。人間の本能をえぐられるような感じがするのだ。なんというか、大脳新皮質を1枚1枚剥がされて、いつの間にか大脳辺縁系が剥き出しにされているような感覚だ。

16時半くらいに読み終えたが、奇々怪々な小説だった。無理にジャンル分けする必要はないが、最初はミステリーなのかと思ったが、そうではなく、なんというか哲学的SFとでもいう話なのか?しかしまあ、筒井康隆の博学ぶりとボキャブラリーの豊富さ、特に哲学の知識には舌を巻く。最初は意味がわからない単語を調べたりしていたが、きりがないので途中から調べるのも放棄した。この話はいったいどこに着地するんだろう、という感じで話は進む。いきなり話がメタレベルになったりもする。その辺はやっぱり筒井康隆。「この世界はいったいなんなのか」「ここは小説の中の世界だよ」「それを言っちゃおしまいやん」みたいな会話が。最後にはこんな論理式まで飛び出すが、まるで意味がわからない。論理学なんてまるでわからないので、もうなにがなんやら。これはでたらめなの?

論理式

最後の最後で、一応自分がぎりぎり理解できる範囲で話は着地した。こういう話を書けるというのは筒井康隆しかいないのではないだろうか。

昨日は22時過ぎに寝た。メンデルスゾーンのオラトリオ「エリヤ」を聴きながら寝た。「エリヤ」は大学の2回生の時に3つの大学のジョイントコンサートの合同曲で歌ったのだが、元気の出るいい曲だった。我々は英語版を歌ったがもともとはドイツ語で、昨日私が聴いたのもドイツ語だった。そのおかげか(?)すぐに眠れたような気がする。夜はぐっすり眠れたのだが、今日も朝が起きれない。7時の目覚ましを止めて起きようとしたが動けない。スヌーズにしてあるので5分ごとに鳴るのだが、今度こそ起きよう、今度こそ起きようと思って止めるが起きれない。結局9時10分に起きた。どうして起きれないんだろう。しくしく。

そして午前中はずっと横になっていた。どうも調子が良くならない。11時半くらいに起きてちょっと早い昼食を食べた。今日は13時から福祉施設で面談なのだが、一番暑い時間帯に家を出ないといけないので憂鬱だった。ご飯を食べたあと、のろのろと準備をする。12時半くらいに家を出て、少し早めに某福祉施設に着いた。

13時になるまでフリースペースで時間をつぶしていた。13時になってそろそろかな、と思ったら私の担当でない職員と他の人がミーティングスペースに入っていった。あれ?と思ったら担当職員に「はまーさん、今日は3時からですよね」と声をかけられた。あちゃーやってしもた。コミュニケーションミスだ。私は普段から時刻を24時間表記で言う癖がある。多分職員が「3時から」と言ったのを「13時から」と手帳に書いたかスマホに記録したのだろう(紙の手帳とGoogleカレンダーの二重管理もどうにかしたいな)。「どうします?今からここで2時間待つのもしんどいでしょう」と言われて、それもそうなので、その場で毎回私が作って職員に渡している面談メモを渡して、かいつまんで説明した。20分くらいで大雑把に説明したが、時間を無駄にしてしまった。コミュニケーションは人間関係の基本なのに、こんな初歩的なミスをするとは、とほほ。また仕切り直して8月24日の16時から面談になった。今度はしっかり確認した。

施設を後にしてバスを乗り継ぎ、図書館へ行って本を返した。もう借りても今週中に読める自信はないし、返しに行く自信もないから借りるのはやめようかと思ったが、読めなかったら読めなかったでいい。返すのも2週間以内に返せばいいし、予約が入ってない本なら延長もできる。作業所の帰りでなくても土日に返せばいい、そう思って借りた。検索機に自分のIDを打ち込んで自分の予約リストを表示し、どれがいいか物色。人気がありそうな本はやはり貸し出し中。1冊だけ借りた。

筒井康隆「モナドの領域」

筒井康隆「モナドの領域」

あまり厚くない本だから読めるかな。今朝とか昨日みたいな寝たきりだとちと苦しいかもな。帰りはいつもの公園の脇道を通って帰ってきた。こっちの道のほうが少しは涼しい。

公園の道

夕方、先日Amazonで衝動買いした本が届いていた。

ちょっとだけこっそり素早く言い返す技術

ゆうきゆう「ちょっとだけこっそり素早く言い返す技術」

最近この本のマンガ版が出版されたらしく、それをFacebookで誰かが紹介していた。ちょっとだけ中身が見れたので見てみたら、けっこうおもしろそうだった。マンガ版というからには元の本があるだろうと思って探したら、当然あった。自分は「言い返す」というのが下手である。自分の言いたいことを言えずに、遠慮してしまったり丸め込まれてしまったりすることが多い。私の課題の一つが「セルフアドボカシー」、つまり自分の言いたいことはちゃんと言うということなので、これはちょっと役に立つかも、と思ってポチってしまった。普通の本なら図書館から借りて読めばいいが、こういう本は手元にお守り代わりに持っておいて読み返したい。何もかもテクニックに頼ればいいというわけではないが、ハウツーやらテクニックもまた時には必要だろう。著者が「マンガで分かる心療内科」のゆうきゆう氏というのも面白そうだと思った理由のひとつである。あのマンガもおもしろい。

まあとりあえず借りてきた本から読んでいる。ミステリーなんだかSFなんだかオカルトなんだかよくわからない。読んでるとどんどんおかしな世界にはまりこんでいくのだが、筒井康隆は思いつきで書いてるのだろうか?という感じだ。

昨日は22時過ぎに寝た。スウェーデンの合唱曲集を聴いていたらすやすや寝てしまったようだ。スウェーデンは合唱大国である。このCDの1曲目に収録されているAlfvénの「Aftonen」は、昔男声合唱版を歌ったことがあるが、めっちゃ美しい曲である。あまりにも美しいから、The Real Group版を貼っておこう。

夜中もすやすや眠れたが、今日も朝がぜんぜん動けない。9時10分になってやっとなんとか起きたが、つらい。つらすぎる。これはなんとかならんものか。朝方目が覚めた時に「冷房が寒い寒い、布団がもう1枚ほしい」と思ったのだが、エアコンを切ればよかった。

午前中に図書館に行くのが今日の目標だったのだが、なんだか動けない。しんどい。朝からめちゃめちゃ暑いというのもあるが、自分の状態もよくない。ちょっとだけ妻のお手伝いでキッチンと廊下にクイックルワイパーをかけただけでよけいにしんどくなってしまった。結局11時過ぎに寝室に冷房を入れて横になった。掃除を手伝っただけで消耗したというより、昨日外出して30分くらい歩いたのが、想像以上に体にダメージを与えていたのか。

昼食後、また寝室に籠もり、横になって音楽を聴きながらスマホでSNSチェック。Facebookでは相変わらず変な広告が出てくる。この「Wish」てのはなんなんだ。多分中国の会社なんだろうけど、興味本位でアクセスしたらまた大量に変な広告が表示されそうなので我慢している。

変な広告

変な広告

変な広告

横になりながら、面接なんて久しぶりだからマナーでもチェックしとくか、と思ってスマホを見る。「面接官の本音」みたいなページがあって読んでると「にんにく臭い…。お昼は中華だったのか?」というのがあって、おおこれは気をつけなければ、と気づく。私は外食から帰ってきたら妻によく「にんにく臭い」と言われるのだ。マスクをつけてると大丈夫かもしれないが、念には念を入れないといけない。面接は昼過ぎだがお昼ご飯には気をつけよう。リモートでは不要な心配である。

結局夜まで横になって過ごした。明日は13時から利用している福祉施設で面談だ。思い切り暑い時間帯だが、行けるのか?その後図書館に行きたいのだが、坂を登って下って登って下って登って下って35分くらい歩かないといけない。どこにも日陰はない。死ぬな。

昨日は22時過ぎに寝た。スマホに取り込んだアルバムの中に、昔買った「500 Years of European Choral Music」という3枚組のCDがあったので、それを久しぶりにかけてみた。ブラームスの「Fest- Und Gedenksprüche」から始まる。学生時代に歌った歌だ。懐かしい。しかし聴いてるとシェーンベルクの「地上の平和」が出てきて、う~この曲苦手、と思って別のアルバムに変えてしまった。子守唄には向かない。何に変えたか忘れたが、それもいまいち、と思って最後は「大英博物館サウンドトラック」に変えた。それを聴いてるとタイマーの1時間が切れた。のどが渇いたのでキッチンへ行って牛乳を飲んで、またコーンフレークを食べてしまった。いかんなあ。その後は眠れた。23時半くらいだったろうか。朝は7時に目覚ましで起きたが動けず、8時になっても8時半になっても動けず、9時10分にようやく起きることができた。来週から起きれるのか心配である。

午前中はずっと読書。「マスカレード・ホテル」読了。最初から最後までホテルの仮面舞踏会で踊り狂う老若男女の話で終わった。

・・・嘘である。殺人予告、ではないが「間違いなく次に殺人事件が起こる」と思われるホテルで、幾人もの刑事がホテルマンになりすまして潜入し、事件を未然に防ごうとする話。フロント係に化けた刑事が、ホテルマンとして成長していくさまが微笑ましい。昨日も書いたが、いろいろ宿泊客に関するエピソードが出てきて、これは石ノ森章太郎の「HOTEL」みたいに「ホテルマンとは」というような話なのか、なにかの伏線なのか、とか思って読んでいたが、その1つが伏線だった。事態は最後の最後で意外な展開を見せて、意外な結果に終わった。先日読んだ「人魚の眠る家」は悲しい結末だったので読んだあとなんだか自分も悲しかったが、今回はなんだかすっきりである。東野圭吾らしいミステリーだ。

読んでしまったから、さっさと返しに行ってまた次の本を借りてこよう。炎天下を歩くのは危険かもしれないが、少しでも体を動かして体のリズムを整えなければ、と思って、図書館のサイトで予めおもしろそうな本はないか、貸出中になってないかチェックしてたら、思い出した。今日は休館日だった。昨日チェックしたばかりで、間違えて行かないようにしないとな、と思ったところだった。危ないところだった。

しかしこの暑さはなんとかならんものか。この前は東京は赤かったが、今日は紫になっている。「極めて危険」で赤よりも危険らしい。この暑さの中図書館まで行ってしまってたら、その精神的ダメージたるや想像に計り知れない。

熱中症危険度マップ

図書館はさておき、行きつけのカレー屋の今週のおすすめメニューが昨日Twitterで発表されていた。「ナス入りロールカツカレー」という新メニューでこれはちょっと食べに行きたいと思ったので、夕方に家を出てバスに乗り、カレー屋へ。私はナスが好きである。ナースは人による。可愛ければいいというものではない。

ナス入りロールカツカレー

名前通り、ナスがあってその周りをカツで巻いて揚げてあるのだが・・・、

ナス入りロールカツカレー

いまいちだった。しょぼーん。

私はナスは、旨味を吸収するから旨いと思っている。ナスの煮浸しにしろ味噌炒めにしろ、ナスが他の素材の旨味を十分吸収するからこそ、その真価を発揮する。それがこのカレーでは、カツに巻かれてはいるが何のエキスも吸収していない。ただ油だけである。噛んでみると、カツはさくさくとしてうまいのだが、中は油を吸った味のないぬるいナスがあるだけ。ちょっとがっかり。

まあいいや、こういうこともあるだろう。お店も新メニューにいろいろ挑戦しているのかもしれないので、今後に期待しよう。帰りは暑さも和らいだので歩いて帰ってきた。できるだけ毎日歩かなくては。明日は午前中に図書館へ行くのが目標なのだ。

昨日は「大英博物館サウンドトラック」というちょっと変わったものを聴きながら寝たので、そのネタを。

私が大学生の時にバイトしていたカレー屋がサークルの溜まり場になっていて、しょっちゅうそこに入り浸っていた。そこにはテレビがあったのでテレビ番組を流してもいたが、マスターが自分の好きなビデオを流すこともあった。NHKスペシャルで大英博物館特集がシリーズであって、それがお気に入りだったらしく、そのビデオを何度も流していたので私も何度もリピートして見た。その番組で流れていた曲が好きだった。

大学を卒業してから、合唱団に入ったりボーカルアンサンブルのグループを結成したりして音楽活動をしつつ、何か楽器をやりたいと思い、一番手軽だと思ったオカリナを買ってきて吹き始めた。それでいろんな曲を適当に吹いていた。譜面がなくてもメロディーを覚えていれば自動的に指が動いてくれるというのは、やっぱりピアノを習っていたおかげで楽しい。

2001年4月のことだった。私が入っていた山岳会の仲間たちと1泊2日で伊豆にタケノコ掘りに行った。車4台で10人以上という大所帯で、タケノコ掘りをしたあとは、廃校となった小学校を簡易宿泊施設に改造した施設で宿泊。そこのグランドで、採ってきたタケノコやその他の持ってきた食材を調理してみんなで食べた。即興の音楽会があったり、天文マニアの仲間が持ってきた天体望遠鏡を覗いて解説を聞いたり。わいわい楽しかった。あの頃が懐かしい。

私はオカリナを持っていったのだが、他にはギターを持ってきた人、太鼓を持ってきた人がいた。太鼓の人はオーケストラでパーカッションをやっていたという本格派。そこで即興でセッションをやったりした。その後私が適当にいろんな曲をオカリナで吹いていたのだが、ふと上に書いた「大英博物館」のメロディーを吹いてみた。すると、山岳会の会員ではないが、三重県からゲストとして参加していた女性がびっくりして言った。

「私、その曲知ってます!」

え?本当ですか?と言うと、大英博物館の曲です。サウンドトラックのCDがあります。「式部」というアーティストが演奏してます。私、持ってます、とのこと。なんと、こんなところでそんなことがわかるとは。向こうもそんなマイナーなCDに入っている曲なんて誰かが知ってるとは思ってもみなかったようで、私がいきなり演奏しだしたから相当驚いたらしい。

帰ってきて、聞いたとおりCDを探してみたら、たしかにあったので買ってみた。聴いてみると、おお懐かしい、確かにこれだこれ。世の中にはこういう偶然があるものなんだなあ。この曲、YouTubeにころがってるかな、と思ったらあった。なんでもあるな。私がオカリナで吹いていたのはこの冒頭の「古歌(Voice of Time)」という曲である。冒頭だけでなく最後にも別のアレンジで出てくる。なお、タイトルが「ダイエー博物館店」となっているのはアップした人のジョークらしい。

私がはじめて入院した精神科の病院は田舎にあって、自然が豊かで広大な敷地で、私は散歩中にオカリナをよく吹いていた。それっきり吹いてない。その病院で知り合った妻の私の第一印象は「オカリナを吹く人」だったらしい(第一印象と言わないか)。今は吹きたくても近所迷惑になるから吹けないのだ。けっこう音が大きいし遠くまで飛ぶんだよな。どこか吹けるとこはないかなあ。