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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:その他諸々

猫の日らしい。

ちなみに、猫の日は世界各国で制定されており、ロシアは3月1日、アメリカは10月29日とのこと。(Wikipediaより)

どうでもいい情報だ・・・。

最近、週に1回くらい金縛りにあっている。昨日の夜もあった。
昔から、学生時代の頃までは頻繁になっていたが、社会人になった頃から、ずっと治まってきた。しかし、最近それがまだ再燃した。

金縛りというのは恐怖である。ただ体が動かないのであれば、そのまま寝てればいい、と思うかもしれない。しかし、金縛りになると、とてつもない恐怖感に襲われるのである。霊が乗っているんじゃないかとか、そういう問題ではない。何が怖いとかそういうものでなく、「訳がわからないが、とにかく恐怖という感情を伴う」のが金縛りの特徴なのだ。

必死に金縛りから逃れようと体を動かそうとする。この時、足の指だけがかろうじて動く。足の指を必死に動かしていると、金縛りが解けることが多いのだが、昨日は必死に「助けて!」と叫んでいたら、妻が起こしてくれた。最初は「うーん、うーん」という唸り声だったが、途中で言葉で「助けて」と言ったらしい。

金縛りがとけても、それに伴う恐怖感はまだ続く。もう一度寝たら、また金縛りになるのではないか、それがとてつもなく怖い。なので、いっぺん起きて、適当にソーセージとか食べて(何か食べるとよく眠れることが多い)、追加眠剤を飲んで寝た。幸い、二度目はなかった。

金縛りのときの恐怖より怖いものはない。なぜ今になって金縛りにあうのか。医学的には「睡眠麻痺」と言われるらしいが、要は体は寝ているのに脳は起きている状態らしい。眠りが浅いのだろうか。

ちなみに、金縛りにあう直前までは、学生時代のサークルの仲間や先輩たちが大勢出てくる夢を見ていた。夢の内容自体は他愛もないものだったが、悪夢でうなされることも以前はしばしばあった。悪夢もまた金縛りの恐怖とは違って、後味が悪くて嫌なものである。

ダメだった。

今日は妻の通院について行くつもりだったのに、しんどくて玉砕した。妻はちゃんと病院へ行けた。CTの検査結果が出るので、またデジカメで撮ろうと思っていたのに。

それにしても、我ながらよく寝る。昨日は朝も昼も夜も寝て、こんなに寝て夜中に眠れるのかと思ったが、よく眠れたし、今日もしんどくてずっと横になっていたが、その間は眠っていた時間が多い。

CTの検査結果は良かったらしいが、次回はまた3ヶ月後にレントゲン、6ヶ月後にCTの検査をしないといけないらしい。これからずっとこれが続くのか。CTの料金もけっこうかかるというのに。でも一度前癌病変ができたということは、またできる可能性が高いということだろう。肺がんは怖いから、早期発見、早期治療のためにはしかたがないということか。

阪神淡路大震災から、もう19年も経つのか。

今になって思い返すと、友だちのことはさんざん心配したのに、家族の心配は全くしてなかったな。なぜだっけ?

まあ、うちの実家は大阪と言っても、ほとんど奈良県だからなあ。

今日は成人の日。テレビでニュースを見ていると、艶やかな着物を着た新成人たちが笑顔で歩いているのが紹介されている。

学生時代の話になるが、自分は4回生になるときに留年することが決まってしまった。自分が所属していた情報工学科では、3回生が終了した時点で、一般教養の単位を全て取得していないと、その時点で留年が確定する決まりになっていた。同じ工学部でも学科によってルールが異なるのだが、うちは厳しかった。そして、自分はドイツ語の2単位だけ取りそこねてしまったのだ。

そういうわけで、自分は同級生とは一緒に卒業しなかった。そして、今になっても自分でも信じられないが、自分が卒業しないためか、「卒業式というイベントがある」ということを忘れて、サークルの合宿に行ってしまった。卒業式がその間にあるというのに。

自分が入っていたサークルのボックスには、卒業式を終えた同級生が集まっていたらしい。情けないことに、その中には当時付き合っていた自分の彼女もいたのだ。お祝いに駆けつけて当然な状況で、なぜそんな大事なことも忘れていたのか、今になっても不可解である。彼女からしたら、当然来るものだろうと思って、きっと待っていたに違いない。「違いない」と書いたのも、そのことについてあとから話をしたかどうかも忘れてしまったからである。重ねて情けない。

ちなみに上に書いた「ボックス」という言葉は、関西ローカルで「部室」と意味で使われている。「4回生」というのも主に関西の大学で使われていて、いわゆる「4年生」のことである。社会人になって上京してから、いろんな言葉が通用しなくてカルチャーショックを何度も受けた。

それはさておき。

4月になって、みんなが社会人になったり大学院生になったりし、新年度が始まった。ある日、卒業式の日の写真が入ったフォトアルバムが、ボックスに置かれてあった。そのアルバムで、同期の連中の晴れ姿を見て自分ははじめて知った。

「大学の卒業式では、女性は着物を着るのか」

いや、マジで知らなかった。知っていたら、卒業式をすっぽかして合宿に行ったりはしなかっただろう。4年間も大学に通っていて、なぜそんなことも知らなかったのか今でも不可解だが、先輩の卒業式はいつも春合宿と重なっていたし、なんか偶然が重なって(←それはちょっと苦しい言い訳だぞ)、とにかく知らなかったのだ。それとも、知っていたけどすっぽり頭から抜け落ちていたのだろうか。今となってはわからない。どちらにせよ、そこではじめて自分の彼女の着物姿を見た自分は

「これはえらいことをやっちまった・・・・・」

と改めて思ったのだった。せっかく晴れ着姿で来たのに、自分の彼氏がいつまで経っても現れないという、不憫な目にあわせてしまった、と自己嫌悪に陥ってしまった。

卒業式ではないが、成人の日に着物姿の女性がクローズアップされるたびに、そのときのことを思い出してしまう。

それから1年後の卒業式の日、自分は東京にいて学会で発表をしていた。当然卒業式には出られなかった。前年の報いを受けたと思っている。

そういうわけで、未だに自分は大学の卒業式というものがどんなものか知らない。うちの大学の卒業式は名物なので、毎年のようにニュースで出てきたりはするけれど、それも卒業してから知った。

過去を引きずってばかりいる自分がまた一人、ここにいる。