TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

今日は昨日のリベンジ。メンタルクリニックへの通院だった。

しかし、調子は朝からあまりよろしくない。と言うか、昨日の晩からずっと悪いのだ。昨晩、妻が言った一言に「イラッ」とした。今まではそんなことくらいでイラッとしなかったのに。ああ、まだ自分は精神的に不安定だ。

とりあえず頓服の鎮静剤を飲んで横になった。そしてそのまま寝てしまった。レメディーを飲むという選択肢もあったが、その時はそこまで頭が回らなかった。

夜中に目が覚めて、寝る前の薬を改めて飲んで寝た。しかし、朝起きてもしんどい。昨日の沈んだ自分を引きずっている。

今日は主治医に、2つのことを相談するつもりだった。しかし、2つとも話すと長くなりそうだし、どちらも先生のご機嫌を損ねかねない内容なので、気が重かった。とりあえず今日は1つだけにしておくことにした。減薬の相談である。

当初は「こんなにたくさんの薬を飲んでもちっともよくならないので、減らして欲しい」という切り口で入ろうと思っていたが、それは角が立つので、できるだけ謙虚に攻めることにした。

先月ODして搬送された病院で、お医者様たちが私の処方を見て、びっくりして、
「毎日がプチ
OD状態ですね」
「こんなにたくさんの薬を飲んでいたら、どの薬が効いていてどの薬が効いてないか、わからないでしょう」
などと言われて、

こう言われたのは事実である。

自分でも、こんなにたくさんの薬を毎日飲んでいて大丈夫なんだろうか、と不安になりました。

と続け、

先日たまたま友だちから、日本うつ病学会が多剤投与を見直すようなガイドラインを発表したことを知り、他にもいろいろ調べたら、ベンゾジアゼピン系の薬の依存性が問題になっているようで、

先日の日記に書いたYOMIURI ONLINEのサイトの内容である。

自分はベンゾ系の薬をかなりたくさん飲んでいるので、ますます怖くなってきてしまいました。こんなにたくさんの薬を飲んでいて、大丈夫なんでしょうか。減らせる薬はないでしょうか。

と続けた。その後のやり取りは、

うーん、確かにそういう方針が出ていることは事実だし、まああなたの場合は今までの経緯があるから、少しずつ増えてきてしまったんだけど、いきなり減らすというのは危険なんですが。

いえ、すぐに、というわけではないです。いきなり減らすのが危険というのは自分でもよくわかっていますので。

と話が進み、とりあえず年末年始を挟むので、

年が明けてから、少しずつ薬を調整していきましょう。

と合意に達した。

まず、第一歩である。

仕事している頃を思い出した。交渉術が得意なわけでも弁が立つわけでもないが、とりあえず下手に出てみたら、うまく誘導できたようである。

続きはまた来年。

今日は朝は7時に起きて、午前中は割と調子よく過ごせた。あいかわずゲームに熱中している。早く起きたなら散歩でもすればいいのだが、寒いし雨も降っているし、まあいいのだ。

しかし、昼くらいにしんどくなって、布団に横になったら、そのまま寝てしまった。いかん、今日は15時にメンタルクリニックの予約が入っている。先週は急に調子が悪くなって、妻に薬だけもらいに行ってもらった。今日は主治医と相談したいこともあるし、今日こそは行かないといけない。

そろそろ準備をしないと、という時間に妻に起こされたが、しんどさは抜けていない。いや、体のしんどさではなく、心のしんどさだ。どよ~んと鬱に落ちている。ため息は出るが気力は出ない。頑張って着替えて外に出てタクシーでも拾うか、無理はしないでおくか。無理はしないことにして、病院に電話した。明日の15時でも空いていたので、明日に予約を変更してもらった。

 

話はいったん逸れるが、数日前の日記で「精神科医のブログ」を紹介した。ときどきそのブログを読んでいるが、この医師は変わった処方をする人みたいで、単剤とまではいかないが、これだけの薬で安定するんだ、不思議な名医っぽい、と思っていた。

そして彼が使うのは薬だけではない。ときどき「レスキューレメディー」というものが出てくる。これはいったいなんだろう、と思っていた。もちろんネットで調べればすぐわかるのだが、ホメオパシーの思想を汲んだ「バッチフラワー」という代替医療で使われるものらしい。

バッチフラワーとは、Wikipediaによると、

植物の持つなんらかの性質をエッセンスという形態で身体に取り込むことにより、気分の改善を図ることができる

という考え方で、そのエッセンスが38種類あり、それらをレメディーと呼ぶ。

これらのレメディーは単体で使われるよりも、数種類を調合して、その人のその症状に合うものを使われることが多い。その中でもよく使われおり、調合済みのものが販売されているものの一つが「レスキューレメディー」とのこと。

こういう代替医療を私は真っ向から否定しているわけではない。「毎日がプチOD」と搬送先の病院で言われたほど大量の薬を何年も飲んでいるのに、ちっとも状態が安定しない。こんなに大量の薬をのむ以外に、何か突破口というか、状態を改善させるものはないだろうか。そういうアンテナは張り巡らせていたつもりである。

しかしながら、そういう心のスキをついて、怪しいものが飛び込んできたりすることも多々ある。つい先日にも「善意の押し売り」お断りというタイトルで書いたが、もしレメディーを人から勧められたら、まっさきに「うさんくせー」と思うところだったろう。

だが、これに関しては人づてに聞いたわけではなく、上に書いた精神科医が使っていて、それで症状が安定した患者がいる、と書いている。自分にはどうなんだろう。そういう好奇心から、逆に自分が興味を持っていた。しかし、ネットで検索してもレメディーと精神科医療との接点が見えない。

先週の水曜日に友だちがうちに来てくれたのだが、彼女は仕事と育児のかたわら、カウンセリングの勉強もしている人で、なんというか、一言でいうと「スピリチュアルな女性」である。利発で情報収集力もすごく、物事の真贋を見抜く力を持っている、と自分は感じている。メンタルヘルスに関する知識やいろんな療法の知識も半端ない。

その数日後に、レスキューレメディーのことを思い出して、これについてなにか知っているか聞いてみた。すると、

「バッチフラワーのレメディーね。全種類持っているよ。今度臨床で試そうと思っていたの」

との返事。

おおおおおおおお、なにか知ってないか聞いたら、まさか持っている?全種類?

レメディーは10mlとか20mlの小瓶に入っていて、使い方としては、コップ1杯のミネラルウォーターに専用のスポイトで2、3滴たらして飲む。朝晩飲むというようなものではなく、調子が悪い時に使う、というものらしい。お守りとして持っている人もいるとのこと。

レスキューレメディーをAmazonで調べたら、10ml1,800円ちょっと。決して安くはないが、ときどき2、3滴使うだけなので、1本でけっこう長持ちするらしい。

彼女が持っているとまで言うのなら、試してみる価値はある、と思った私は、さっそくAmazonでレスキューレメディーを購入した。それが今日の午前中に届いた。

ここで話は最初に戻る。結局しんどくて病院に行けなかった自分は、さっそくこれはレメディーを試してみる機会だ、と思ってミネラルウォーターに垂らして飲んでみた。少し横になっていたら、なんだかふわ~っと体が軽くなってきて、そんなに時間はかからなかっただろうか、気分もなんかすっきりしてきて、曇った頭の中も晴れやかになってきた。どうやら自分にとって「効いた」らしい。おそろしく素直に。

いったい何がどうなってそうなるかわからんが、病気がよくなったり症状が緩和されれば、なんだっていいのだ。

今日は朝から団地の清掃。基本的に月に1回だが、秋以降は3ヶ月に2回というペース。毎回「朝ちゃんと起きて7時半に行けるかな」と心配になるのだが、今のところ皆勤である。欠席すると1,000円のペナルティが課せられる。

いつもは朝がしんどいのに、こういう「絶対」とまではいかないが、義務的なことに対してはきちんと朝ちゃんと起きれる。起きれるけどしんどい。しんどいけど起きれる。これを毎日、と言われると途端にプレッシャーになって、しんどくて起きれない、に変わってしまう。この境界線はどの辺りなのだろう。

1時間ほど団地の周りの落ち葉を竹ぼうきや熊手でかき集め、先月伐採して乾かしておいた大量の木の枝を、ばきばき折っては束ねていく。こうやって体を動かして、木のぬくもり(冷たかったが)を感じていると、山を登っていた頃を思い出す。まあ、山は逃げないから歳をとってからまた登ればいいさ。

一仕事終えて帰宅し、朝食を食べて一息ついてから選挙の投票へ。投票所がこの団地の自治会館なので、歩いて100メートルほど、もちろん走っても100メートルほどの近さ。いい天気だし、投票所が近いし、この団地の住人は低所得者層なので政治に不満を抱いている人は大いにいるだろうし、この団地に限っては投票率が高いのではないだろうか、と勝手に想像した。

自分はいわゆる無党派層である。今回はどこへ投票するか検討する精神的余裕もなかった上に、政党が乱立して何がなんやら。消去法で決めようとしたら全部消えて、でも投票に行かないのは、国民に与えられたわずかばかりの参政権を自ら放棄することになるので、とりあえず選挙公報に軽く目を通してから、ベストでもベターでもなく、ワーストでもない候補者と政党に投票した。

市議会議員の補欠選挙も同時にあったのだが、こちらは全くもって何を判断基準にすればいいかわからないので、選挙公報に「趣味:登山」と書いている候補に投票した。山に登る人に悪い人はいない。ああ、なんていい加減な自分。

最高裁判所裁判官については、日頃から「こんな人知らねー」だし、デフォルトで「信任」ということになっているし、なんでこんな制度になっているのか。憲法で規定されているから、というのは当然知っているのだが、そもそもこの憲法自体が今の時代に即しているのか。9条に関してはいろいろと議論されているが、他の条文はどうなのよ、と感じる。まあ、それよりも優先してさっさとやってほしいことは山ほどあるが。

このブログではあまり政治のことは書かないようにしたので、これ以上はやめておこう。「飲み屋で野球と政治の話はするな」というのをどこかで聞いたことがある。

先月にODしたときに、搬送された病院のお医者様が私のお薬手帳を見て、

「毎日がプチOD状態」

と言った。それくらい大量の薬を毎日毎日飲み続けている。

それなのに、全く状態がよくならないのはどういうことか。

先日おうちに来ていただいた友だちが、いろんな情報をくれた。そのうちの1つを紹介しておこう。

まず、日本の精神科医療では多剤投与が多く、どんどん薬が追加されていくのが当たり前(自分もその状態)だが、その方針が見直されつつあるらしい。

私は以前主治医に、

「欧米では基本的に単剤投与らしいですが、こんなにたくさんの薬は必要なのですか?」

と聞いてみたことがある。そのときの主治医の答えが、

「単剤で効果が出たらいいんだけどね。1種類で目立った効果がないから、他の薬と組み合わせるんだよね」

とのこと。効果がないなら他の薬を足すのではなく、単に変えればいいのでは?と思うのだが、それ以上つっこんでも仕方がないと思ったのでやめておいた。この先生は患者の話をよく聞いてくれる。聞いてくれるが、最後は薬を増やしたり変えたりするだけなのだ。

私の場合、抗鬱剤だけでも三環系を2種類と、SNRINaSSA、精神安定剤ではベンゾジアゼピン系を2種類、チエノジアゼピン系、そしてその他に抗てんかん薬、様々な系統の眠剤を服用している。いったいどの薬が効いていて、どの薬が効いてないのかさっぱりわからない。

薬を飲み忘れたら調子が悪くなることが多いのだが、それは薬の効果が切れたからか、それとも薬物依存の禁断症状なのかもわからない。こんなにたくさんの薬なんて意味がないと思ってても、急にやめることはできないのだ。

それが最近、日本うつ病学会で薬偏重の治療を改めるような指針が示されたらしい。読売新聞に記事が出ていたらしいが、それと同じ物がYOMIURI ONLINEに掲載されている。

「うつ病学会が治療指針・・・薬偏重やめ面接基本に」

この元ネタのガイドラインが、日本うつ病学会のサイトにある。これ自体はかなりのボリュームがあるので、私もまだ目を通せてはいない。

上のYOMIURI ONLINEでは、この他に、

「抗不安薬依存 深刻に」

の記事でもこの指針を紹介している。

しかしこれはまだ学会レベルの話。これが、お役所やらなにかしらのしがらみを乗り越えて、臨床レベルまで降りてくるのか。降りてくるとしても、いったい何年後になることやら。

だが、自分もただ手をこまねいているわけではない。「じゃあどうする」ということに関するヒントをいろいろ彼女から得たので、それはおいおい紹介していこう。

そう言えば彼女から聞いたものだけではなく、自分が以前から購読している「精神科医のブログ」にときどき登場するものもある。普通の精神科医では使わないようなものである。逆にこれについてなにか知ってないか、彼女に聞いてみようっと。

私のように病気を抱えていると、いろんな人が「これが鬱に効くらしいよ」という話を持ってくる。アトピーがひどかったときもそうだった。「実際に誰々が治ったから」「偉い先生が薦めているから」などと、健康食品やらサプリメントやらなんとか還元水やら怪しいスピリチュアル系のものやら宗教やら、もう様々である。病気が病気だけに、うさんくさいものも多々ある。みんな善意で勧めてくれているのはわかるが、正直言って、

「ありがた迷惑」

以外の何物でもない。ネット上でのコミュニティでこういう話題が上がると、

「善意の押し売り」

という言葉が必ず出てくる。

いくら今の自分の状態が悪くて、医者にかかっているのに状態が好転しなくてじれったくても、人から勧められるものを次から次へと試せるかっつーの。そして、だいたいそういうものはお金がかかる。

一番最近に持ち込まれたバカみたいなやつは、プロテイン1キログラムで6,000円とか。これを毎日飲めば健康になること間違いなし、とのこと。資料をもらったが、一食15グラムずつ摂取と書いてあり、すなわち1日で45グラム、1ヶ月で1,350グラム。金額に換算すると8,100円。奥様もご病気ならご一緒に、と勧められたら(たいてい勧められる)、二人分で16,200円。もうアホとちゃうかと。そんなわけのわからないものに払う金などない!

こういうときに一番に頭を悩ませるのが、「どうやって波風立てずに丁重にお断りするか」ということである。向こうからしたら、せっかくいいものを紹介したのに、という気分になるのは当然だろうが、取捨選択する権利はこちらにもある。

私の場合、基本的には、

「現在、専門医の方針にしたがって治療中であり、他のものを併用すると、状態が良くなっても悪くなっても、どちらの何が原因なのかもわからなくなるので、今回のお話はご遠慮させていただき、今後また何かありましたら参考にさせて頂きます。」

という感じでお断りするのだが、なかなか相手も食い下がってくることが多く、「そう言わずに、とりあえず1ヶ月でも試してみませんか」と反撃する。正直、疲れる。最近は本当に経済危機なので、上のお断り文に加えて、「そういったものを試す金銭的な余裕はありません」とつけ加えるのだが、それでもしつこいと、

「誰々の病気がよくなったとか、何人の人がよくなったとか、よくなった人だけの情報は信頼できません。何人中何人がよくなったのでしょうか。薬の治験で例えれば、プラセボを用いた二重盲検法といった方法で、科学的で統計的に有意差があるという、効果の裏付けとなるデータをいただけないでしょうか」

と突っ込んだりする。

正直、最近こういうのが立て続けに来て、もううんざりである。なんでメンタルな病気の人を、メンタルに追い詰めるかなあ。