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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2013年2月

うちは夫婦揃って病気である。
ひとり暮らしで病気というのはかなりきつかったが、二人そろって、というのもけっこうきついことがある。

ふたりとも午前中は弱いが、妻は特にしんどいことが多く、今日も午前中はずっと寝ていた。

お昼になって起きてきて、昼食を作ろうとしていたのだが、いつもと違って起きてきてからも調子が悪いようだった。

私は昨日から調子がよかったので、お手伝いをして昼食を一緒に作って食べた。

その後、二人で生協のカタログを見て来週分に注文するものを選んでいたら、妻はだんだん元気になっていったのに、自分は逆になんだか疲れてしまった。

そして、しんどくなって布団に横になり、夜まで寝てしまった。「晩ご飯できたよ」という妻の声で起こされた。

昨日は元気だったのになあ。

まあ、二人そろって布団に横になり、
「今日の晩ご飯どうしよう」
と言っている状態よりかはましではあるが。

ひとりぼっちも厳しいが、ふたりぼっちもそこそこ厳しい。

今日は珍しく朝から調子がよかった。

内科の薬がもうなくなるので病院に行かないといけないと思いつつ、なかなか行けなかったのだが、今日は朝から元気に通院。今月は採血があったのでお値段ちょっと高め。そして薬代が目が飛び出るほどかかる。喘息のステロイド吸入薬が、まあ高いのだ。月2万円にも及ぶ医療費のうち、こいつがかなりを占めている。大人になってから喘息がひどくなるってどういうことだよ。

午後からは生活保護の相談をするため、妻と二人で区役所へ。自分たちの状況を話して、それから制度についての説明を受けた。制度の内容についてはある程度知っているので、確認したいことをいくつか質問した。人から聞いた話で、それは本当にそうなのか?といくつか疑問があったのだ。

Q.貯金はできないと聞いたのですが。
A.申請時に貯金があれば、審査は通りませんが、
  保護費を節約して貯金をするのは問題ありません。

Q.貯蓄性のある保険は解約する必要があるのですか?
A.ケースバイケースですが、ある程度の解約返戻金が戻ってくるので
  あれば、解約していただいて、生活費に充てていただくことになります。
  奥様の場合、保険は解約していただく必要があります。

Q.クレジットカードは解約しないといけないのでしょうか?
A.カードを使うのは借金に当たるので、使ってはいけませんが、
  わざわざ解約する必要はありません。

Q.申請から支給までどれくらいの日数がかかりますか?
A.申請のあと、審査でいろいろ調査をし、決定されるまでには
  およそ2週間です。しかし、毎月の支給日は決められているので、
  すぐに支給されるわけではありません。
  決定してから一番早い支給日が最初の支給となります。

Q.その最初の支給日までにお金が足りなくなったらどうしたら
  よいのでしょうか。
A.なんとか手持ちのお金(最低生活費の半分)でやり繰りして
  いただくのが原則ですが、公共料金の支払などで、どうしても
  足りなくなってしまった場合は、1日1人1,000円を前貸し
  します。この分は初回の支給額から差し引かれます。

てな感じだ。預貯金が最低生活費の半分以下にならないと申請が通らないのはわかっていたが、うーん、なかなかシビアだ。

現在、うちは生活保護になった場合を想定したシミュレーションをしているのだが、なぜかどうしても赤字になってしまう。毎日1円単位で家計簿をつけてきっちり数字を合わせているのだが、その内容を精査してフィードバックしないと何の意味もない。

しかし、けっこう今でも切り詰めているのになあ。自販機で缶コーヒーとか今ではありえないし。あんなちっぽけなものに120円も払えるかっつーの。今は2リットル88円で売っているペットボトルの水を、500mlのペットボトルに移し替えて、外ではその水しか飲まない。コーヒーだとか紅茶だとかジュースだとか、そんなものは贅沢品である。水さえあれば生きていける。先日に大阪に帰った時に、友だちと食事をしてその後お茶したのだが、喫茶店に入るのなんて何年ぶりだろう、と思った。

やっぱ、妻も私も調子が悪い時に、つい外食(マックとかだが)やらお弁当に頼ってしまうので、食費が割り高になってしまっているのだろう。それはわかっているのだが、調子が悪くなると、まずできなくなるのが料理である。だから、ある程度はしかたがないが、なんとかそれを最低限まで抑えたいところである。

1日2人で食費1,000円、月30,000円が理想だが、それは難しいので、まずは月40,000円に抑えるのが目標。みんな食費って、どれくらいかかっているのかなあ。消費者物価指数が日本一高い横浜で、どうやってやり繰りしていけばいいのやら。

昨日はメンタルクリニックへの通院日。横浜と大阪を往復して疲れた心身もようやく癒えてきて、かなり寒い中、特にしんどさを感じることもなく、病院に行くことができた。

前回の診察では、3mg、2mg、1mgと減らしてきたデパスを、主治医が一気に抜き去ろうとしたのだが、いきなり0にするのは心配だ、と話して、頓服として1mg出してもらっていた。それを頓服ではなく、普通に寝る前に飲んでいた。

今回の診察でも、またいきなり抜こうとしたので、いやいやいやいや、0.5mg錠ってのがあるでしょう、それくださいよ、というやり取りで、0.5mg錠を処方してもらった。これでしばらく様子を見るつもりである。とりあえずまた頓服ではなく、2週間普通に服用してみよう。減薬は慎重に行わなければ。

それにしても、寒いなあ。

今日は、先月に行ったスピリチュアルな「心理ワークショップ」の2回目。いつもより早起きして、バスと電車に揺られて行かないといけなかったが・・・

起きれなかった(T_T)

それどころか、「多少遅れてもいい」ということになっているのに、起きた後、頑張って行く気力も体力もなかった。大きな声で書けないが、

行きたくねー!!

と思ったのだ。一昨日からむっちゃしんどい状態が続いていて、今日も起きてからしんどいのに、頑張って着替えて外に出てバスに乗って電車に乗り換えて駅から15分くらい歩いて・・・・

果てしなく遠い道のりに思えた。正直、先月のワークショップの感想が、

「なんか実感としてよくわからなかった」

だけに、そこまで頑張って行くだけのモチベーションが上がらなかった。

とは言え、月一で先生が関西から来るのだ。別に自分のためだけにわざわざ、というわけではなく、「カウンセリング東京講座」の受講生のための実習として、ボランティアで治療を行なっている。自分は友人Fのコネでそのわずかしかない枠に入れてもらっている状態。すっぽかしていいものではない。先生にも友人Fや受講生の方にも迷惑がかかる。

とりあえず友人Fに、めっちゃしんどいけどどうしよう、とメール。すぐに返事が返ってきて、午後の部がなんたらとか、いくつか選択肢があるようだったが、昨日、一昨日と同じような状態の自分は、ちょっと出て行くのは無理そうだった。

結局、Skypeのビデオチャット越しに治療を受けることになった。まあ、カウンセリングならそういう手法もある。自分の顔色や表情などもある程度見て取れる。その様子を見て、「背中が詰まっている」とか、「仙骨と喉の奥を楽に」など、先生がいくつかアドバイスをくれたのだが、その後、不思議な不思議なことに、

「これからそちらに気を送りますから」

とネット越しに気を送っていただいた。

ネット越しに、である。

「気」というものは、実に様々なところで出てくる。これに関しては、私も全否定はしない。これは先日に書いた「非科学的なことに関する自分のスタンス」どおりである。(「つらくなったら眼球を上に」参照)

「気」は目に見えないし、本当にそんなものが存在するかどうかもわからない。しかし、体から何かのパワーというかエネルギーが出ていて、特に手からそれが放出され、何らかの作用を及ぼす、ということは、まああり得るだろうとは思っている。

しかし、それをネット越しに送る、と言われると、

???

の世界である。ちょっとわけがわからなかったが、とりあえず、なすがままに5分くらい気を送っていただいた。

その後、「心臓の辺りをさすってください」と言われ、さすってみたところ、

「温かくなっていませんか?」

と言われた。フリースの上からさすっているから、その時点で当然温かい。

「温かいですが、『気』のおかげなのか、今さすったからかはわかりません」

と答えると、「まあ、それはそれでいいです」と笑っていた。

その後、向こうのPCの調子がおかしくなったのか、かなりノイズが入るようになって一旦中断し、向こう側では講義が行われているようだった。

しばらく経ってまたSkypeに着信があり、再びビデオチャットをすると、

「さっきよりも顔色がよくなっているね」

と言われた。それはそれはよかった。でも、何の因子がそうさせたのかはわからない。まあ、よくなればなんでもいいのだ。

自分にとってはその後の会話の方が実があった。

「普段から何か自分でやっていることはないですか。例えば呼吸法とか」

というようなことを聞かれたので、昔ボイストレーニングを受けていたが、それが呼吸法そのものに近い、と話した。さらに、そう言えば先月に教わった体操のうち、肩甲骨を開いたり閉じたりするのを意識する、というのがあったのだが、これに近いことをレッスンでやった記憶がある、とも話した。体の中の空間を広くイメージするためのもので、ほどよく力が抜けていると声に伸びが出る。

そういう話をすると、先生は、

「そういう自分なりの体調のコントロールのしかたを身につけるのがとても大事」

だと仰った。うむ、これに関してはむべなるかな。

正直、今朝起きた時にはあまりのしんどさに「友人Fには申し訳ないが、もうこのワークショップは今後はお断りしようかな」と思ったのだ。だが、今日ネット越しだが二度目をやってみて、やったこと全てを100%受け入れられなくても、少しでも何かしら得るものがあればそれでよし、と思った。

でも、やっぱり「気」の部分はよくわからない。

昨日の昼、妻に「そろそろ生活保護の相談に行く?」と言われた。

そうだった。先日の帰省で交通費などたくさんお金がかかることはわかっていた。妻の生命保険を解約すればまだ多少延命はできるものの、現時点ではもう貯金は待ったなし。だから、法事が終わったら生活保護の相談に区役所に行こうと言っていたのだ。

しかし、不意をつかれたように言われたその言葉に、自分は動揺した。「今?」と妻に尋ねたら、「今・・・じゃだめ?」との返事。さらに動揺した。とたんに気分がずーんと重くなり、鬱に落ちてしまった。そして、まだ疲れが抜けきってないのと、夜の眠りが浅いこともあってか、そのまま夕方くらいまで寝てしまった。

自分は、まだ覚悟ができていない。

生活保護という制度は、憲法で保証されている基本的人権を守るための、最後のセーフティーネットである。最近では不正受給やら働けるのに働かないやらの問題もあるが、本当に困っている人にとっては最後の命綱であり、自分たちが本当に困っていることは事実である。

しかし、たとえ頭でわかっているつもりだが、現実を見ることを拒否している自分がここにいる。「生活保護には頼りたくない」のが本心であるし、実際に友だちにもそう話している。しかし、みんな口をそろえて「そんな引け目を感じなくても、堂々と生活保護を受けたらいいよ」と言ってくれる。

違うのだ。引け目を感じる、というのとは違う。生活保護を実際に受給している方々には大変失礼だということを承知で敢えて書くが、自分の中には「そこまで落ちぶれたくない」というプライドがまだまだ根強く残っているのだ。

人生、何もかも理想通りに運ぶことはない。とは言え、別にそんなに高い理想を掲げていたわけではない。普通に就職して、普通に結婚して、普通に食べていけるだけのお給料をもらい、2人くらい子どもを作って明るい家庭を築いて、そんな「当たり前の日常」が自分の理想だった。自分が生活に困窮することになるなんて、ゆめゆめ思ってもいなかった。

だが、病気になってから、どんどんその理想から現実が離れていった。

「なんでこんなことに」
「本当ならこんなことには」
「本当ならこんなはずでは」

いつも心の底ではそう思っていた。

本当も何も、今実際に自分に起こっているできごと全てが本当のことなのだが、自分の中の「本当なら」は、上に書いた「平々凡々な家庭」だった。それすらも叶わないどころか、あとは生活保護に頼るしかないということが、最後の最後まで受け入れられない。それを阻んでいるのは、今となっては何の価値もないプライド。

あまりこういう書き方はしたくないが、自分は子どもの頃から優等生だった。
当たり前のように進学校に入り、当たり前のように一流大学に入り、当たり前とはいかなかったが、バブル崩壊の直後、4次面接まで突破して一流企業に入って、ばりばり仕事をしていた。独身時代、それも病気になる前は個人的にはかなりバブリーだった。あまり表には出さなかったつもりだが、エリート意識はかなり高かった。

麻痺してしまった金銭感覚を落とすのにはかなり時間がかかったが、年月をかけて刷り込まれたエリート意識は未だに自分の中に根強く残り、よけいなプライドを落としきることができない。

先日、学生時代の友人たちと久しぶりに会えて、本当に楽しかったのだが、その反面、ものすごく羨ましかった。世界中を飛び回っている優秀な医者もいれば、アメリカの科学雑誌に論文が掲載された優秀な研究者もいる。みんな働き盛りで「超忙しい」人ばかりである。彼らは彼らで大変だろう。しかし、それが私には羨ましかった。

人と比べてもしかたがない。昔の自分と比べてもしかたがない。しかたがないとわかっていても、どうしても比べてしまう自分がここにいる。そして卑下する自分がここにいる。

あるがままを受けれられる覚悟が、自分にはまだできていない。

現実は残酷だ。