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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

朝4時半起床。

って早すぎる!なんて極端なんだ、私の体は。4時半に起きてメール読んだりしていたが、まだ昨日の疲れが残っている感じだったので、もう一度寝て6時半に改めて起きた。まだ体がだるい。メールを書いたり、散らかった机の周りを片付けたりしていたら、疲れてしまった。「疲れたら休め」とロシア人は言ったのでまた寝た。結局11時頃まで寝てた。

昼過ぎから妻と出かけて、私は一昨日行ったばかりのタイ古式マッサージにもう一度足を運んだ。ちょっと出費がかさむが、あれですごく楽になったのだ。ちょっと疲れた今こそもう一度、と思って行った。そして体が楽になって家に帰ってきた。

しかし、その後だんだんしんどくなってきた。なぜだろう。ああ、これは神経から来ているやつだな。私のような躁鬱病やうつ病、その他の精神疾患の人は、共通する症状として「疲れやすい」というのがある。しかし、その疲れは本来の疲れでなく、神経からくる疲れである。体が疲れているわけではないのに、脳が「疲れている」と認識してしまっているのだ。

そこでふと、思いついた。

「走ってみよう」

思えば数年前に通っていた精神科デイケア。毎日スポーツばかりやっていた。運動をするのは精神衛生上とてもよい。それをすっかり忘れていた。カウンセラーも主治医も言っていたのに。

そして、何よりも超メダボなこの体。ダイエット、ダイエッター、ダイエッテストしないといけないのに、何もできてない。でも、「走る」という簡単な方法があるではないか。

そして、とりあえず走れば5分くらいで着くであろう近所の割と近い公園まで走り、そこの公園はかなり広いのでぐるっと一周して帰ってこようと思った。

そして私は走り出した。明日に向かって、未来に向かって走り出した。そして5分経ったら…

公園には着かなかった。

あろうことか、道を間違えていた。どうも私の人生、道に迷うことが多い。

そしてもう一つ愕然としたことが。それは、

5分が限界だったのだ。それ以上走れなかった。こんなにも自分の体力が衰えているとは思わなかった。

そこから道を軌道修正し、歩いたり少し早足になったり軽く走ってみて、また歩いたり、という感じでなんとか公園の入口まで行き、公園には入らずにそのまま帰ってきた。所要時間は20分だった。

そして、帰ってきてシャワーを浴びた後の爽快感!神経の疲れはすっかりとれていて、とても元気になっていた。ああ、こんなに気分が晴れ晴れするなんて!

これからも1日20分、自分のペースで走るなり歩くなりしよう。これが次なる再発を食い止めてくれて、さらに体重を減らしてくれることを期待して。

3週間ぶりに出勤し、仕事をして帰ってきた。おニュー(死語?)のPCが届いていて、大量のメールに目を通しつつ、FreeBSDのインストールとかして、なんだかんだやって帰ってきた。たいした仕事はなかったが、疲れた。やはりいろいろと衰えているようだ。じょじょに慣らしていこう。無理はしないように、と。

それにしても今日は休みのメンバーが多かった。無理もないか。連続した休暇を取りにくい今年のゴールデンウィークだが、今日休めば4連休になる。私はいったい何連休していたのだろうか。ああ、数えたくもない。

今度こそこの調子をキープできますように。

お〜久しぶりだs。やっとトンネルから抜けたっぽい。朝6時に目覚め、元気に動ける。ありがたやありがたや。

3日前から日記をさぼってしまった。単に忘れていただけ、というかまあ、あまり書くことがなかったから、と言った方がいいかもしれない。思い出しながら書いてみよう。

金曜日は、昼頃なんとか会社に行けるかも、と思ったが、「やっぱ無理かも」と思ってやめた。夕方に通院。まだ調子がよくならないことを主治医に話すと、また難しい顔。今度は薬を1つ減らすことになった。

土曜日。1日引きこもり。調子はあまり悪くはなかったような気がするが、午前か午後か寝てしまったような気がする。

日曜日。午前中はつらくて寝ていた。しかし、昼過ぎになんとか回復。実は、以前見かけて行ってみたいところがあったのだ。それは「タイ古式マッサージ」である。とある大きな商店街で見つけたその看板。一度やってもらったことがあって、すごく気持ちがいいのだ。いわゆる「手もみ」とか「指圧」などと違って、体のあちこちをマッサージ師がいろんな体勢で体重をかけて踏んだり揉んだり、それからプロレスの技をかけられているようなごとく、「自分ではそんなところ伸ばせへんがな」という筋肉をぎゅ〜っと引っ張ってくれる。

マッサージが終わったらかなり疲れが取れていた。ちょっと不便な場所であるが、とても気に入ったので、これからも調子が悪くなったら行ってみよう。

今日は珍しく6時半に目が覚めた。と言うか、目が覚めて時計を見たら6時半だった。あ、同じか。一瞬「躁転か好転したか?」と思ったが、あまり元気がない。どうも違うようだ。しかし、起きて動くことはできた。しんどいときは、起き上がることもできないが、起きてしまえば徐々にペースがあがってくることもある。

そう思って起きて朝食を食べたり新聞を読んだり、録画していたテレビ番組を覧ていたら…、

疲れた。

8時過ぎにはもう一度布団に潜り込んで、昼まで寝てしまった。午後もしんどくて横になっている時間が多かった。

まだまだ、だめだめである。

いったい、いつになったらあがってくるのか。明日は通院日だ。先週追加された薬も今のところ効いている様子はない。主治医は次はどういう手を打ってくるのだろう。

今日もだめだ。

朝いちで会社に電話した。庶務の子に、とりあえず今日は休む旨を告げて、メールで周知してもらうようにお願いした。上司はまだ出勤してなかったので、昼にもう一度電話して、体調がまだ回復してないので、もうしばらく休ませてください、と状況報告。

先々週に調子を崩してから2週間。もうこれで3週間目に入る。このまま続いたら、今月の給料はほとんどない。と言うか、健康保険料とか厚生年金保険料とか天引きされたら、逆にマイナスになるのではないだろうか。その場合どうなるのだろうか?普通は銀行に振り込まれのが、足りない分を銀行から引き落とされるのだろうか。

お金のことは心配だが、心配したからと言ってどこかからわき出るものでもない。とにかく体調を取り戻すこと。そのために今自分ができるベストを尽くすこと。とにかく信じること。絶対によくなると信じること。自分を信じること。信じる者は信者なり。信者と書いて儲と読める。信じていればお金の心配はいらないのだろうか。

でもそれって、新興宗教の話のようだ…。