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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

昨日は22時半頃寝て、寝つきはよかったが、夜中に何回も一瞬だが目が覚めて「寒いなあ」と思った記憶がある。朝は7時の目覚ましは止めただけ。その後何度も目が覚めたが動けず、9時半になんとか起きた。ほんと、だんだん起きるのが遅くなっていく。活動レベルが下がっていく。

しかし、朝はいったん起きたものの、体を縦にすることができなくて、やはりまた寝てしまった。昼過ぎまで寝ていて、妻に起こされて昼食を食べた。14時頃、なんとか体が動くようになったので、散歩がてら妻と歩いて20分ほどの図書館へ行った。1、2ヶ月前くらいのAERAに「うつという人材」という記事が載っていた、という情報を友人からのメールで知り、調べたところ11月20日号とわかったので、図書館へ行ってバックナンバーを探そうと思ったのだが、残念ながら貸し出し中であった。また今度行くことにしよう。

その後歩いて伊勢佐木町まで行き、ダイソーに寄ってからバスで帰ってきた。2時間くらいのお出かけだったが、妙に体が疲れた。やはり体調はよくない。できるだけ外に出て太陽の光を浴びて歩いた方が健康のためにもいいのだが、無理もできない。30分くらいの散歩はできるだけ毎日することにしよう。

昨日は何時頃寝たのかも覚えていない。やはり23時近くになってしまったような気がする。でも眠れなくて、しばらくしてホットミルクと追加眠剤を飲んで寝た。起きたら9時過ぎだった。だんだん起きるのが遅くなる。起きても頭にもやがかかっている。

1時間くらい起きていたが、しんどくなってまた寝てしまった。13時過ぎに起きてパンを食べ、少しだけPCに向かうがまたしんどくて寝てしまった。そして14時半頃起きた。今日はだめだめである。そう言えば去年も12月に入ったとたんに調子が悪くなり、会社を1週間休んだ。あれが退職のきっかけになってしまった。冬、というのは動物の本能として活動レベルが下がるのだろうか。

少し休んでから区役所に行った。7月に国民健康保険の減免の相談に行って、とりあえず暫定額を毎月払っていたのだが、所得が確定する12月に入ったらまた来てください、と言われていたのだ。本来なら7月に計算した時点でかなり減額される見込みだったので、そのとき発行された納付書で暫定額を払っていれば、そんなに追加で払わなくてもよいはずだった。

しかし、妻と籍を入れてしまったので、世帯としては妻の収入が合算されることになってしまった。これは入籍の時に区役所に行ってわかったのだが、予想GUYだった。それから10月から雇用保険をもらっているので、その収入も合算される。なんだかんだ世帯としての収入が増えてしまったので減免は無理か、と思ったが、計算してもらったら、残りの半分くらいの額は減免されることがわかった。全額一気に払わないといけないとなるとけっこうきついところだったので、ちょいとほっとした。

夕方に家を出て病院へ。今日は通院日。いつも2時間とか平気で待たされるのに、今日は割と早く呼ばれた。だんだん調子が悪くなってきたことを話したが、医師は難しい顔。「こういう病気は波があるから、しかたがないんだよね〜」そうなのだ。それはわかっているのだ。だから私も「そこをなんとか」とは言わない。「まあ、季節的なものもあるだろうし、調子が上がってくるのを待つしかないでしょうね」」と言われたが、確かに今はそれしかない。できるだけ生活のリズムを崩さないように気をつけて、無理をしないようにしなければならない。しかしながらリズムは崩れまくりな今日この頃。

昨日はまたまた23時頃就寝。なんでこんなに遅くなるのか。夜はまあ眠れたが、朝がやはりつらい。8時20分になんとか起きた。起きたけどつらい。今日は調子が悪い。午前中はずっと寝ていた。雨が降っているせいもあるのだろうか。最近、以前より天気の影響を受けやすくなっているような気がする。昼頃起きたものの、全体的にあまり何もやる気がでない。うう、ちょっとやばい傾向だ。ちっとも状態がいい方向に向かない。

そして昼もぼんやりネットをしたりマンガ雑誌を読んだり。あまり頭に入ってこない。今日は妻が外で仕事仲間と食事してくるというので、夜になってからこの近所で唯一のまともな飲食店のラーメン屋に行って戻ってきた。今日は寒い。頭の中にはまだもやがかかっている。

昨日はまたまた寝たのが23時くらいになってしまった。なんで遅くなってしまうんだろう。寝つきはよかったと思うが、夜中何回か目が覚めた。また布団が1枚どこかへ行ってしまって寒かった。8時半になんとか起きた。やはりこのくらいにならないと起きることができない。無理やり起きると昨日みたいなことになるのだろう。起きても、ちょっとしんどい状態。午前中はつらい。

今日は、セールの牛乳を買いにスーパーに行って、その帰りにコンビニで昼食の弁当を買っただけ。ほんとんど何もしていない。これでいいのだろうか。相変わらず午前中は低い。

昨日は22時半に寝ようとした。しかし、眠れない。妻も眠れないようで、30分くらい2人で喋っていただろうか。いつもなら喋っているうちに寝てしまうのだが、昨日は眠れなかった。23時を過ぎてから妻にマッサージをやらった。そして再び寝ようとするも、2人とも眠れない。「ミルクティーでも飲もうかな」と妻が言うので自分の分もいれてもらい、ミルクティーと、久々に追加眠剤を飲んだ。

その後、ちょっとネットをしていて、結局寝たのは0時半をまわってからだっただろうか。それからはすぐに寝つけたと思うのだが、朝がお起きれなかった。今日は失業認定日で、9時半までにハローワークへ行かなければならいから、7時に絶対起きよう、と目覚ましをセットして、7時になんとか必死に起きた。起きてPCを起動してメールチェックしたところで力尽きた。天井がぐるぐる回っている。だめだ、起きていられない。体を縦にしていることができない。やはり調子が悪いのだ。無理やり早く起きて動いても、体がストップをかけている。とにかくいったん寝た。

9時頃起きて、とりあえず着替えるだけ着替え、妻と一緒にタクシーを拾ってハローワークへ。なんとか9時半に間に合って、失業認定を終えた。その後みどりのコーナーに行って障害者担当のお姉様(と一応書いておこう)に近況報告。2回連続、書類で落とされたと話したら「やっぱあなたのキャリアが凄すぎて、みんなひいちゃうんじゃないの?」と言われた。そうなのかなあ。それとも履歴書や、私が「精神障害者の現状をわかってもらいたい!世間に訴えたい!」と思って書いた職務経歴書の書き方がまずいのかなあ、と思ってお姉様に見てもらった。

お姉様曰く、履歴書は「ちょっと高飛車に思える」とのこと。もっと低姿勢で書かないといけない。自分ではそんなつもりではなかったのだが、そう読み取れるらしい。「勤務地は横浜近辺以外は厳しい」ではなく「横浜近辺を希望」と書いた方がいい、とかそういうことである。

そして職務経歴書はもっとだめ出しを食らった。単なる自分の職歴だけでなく、いかにうつ病患者が、精神障害者が理解されずにいるか。どれだけ苦労してきたか書いている。「自分は病気だけでなく、社会の無理解とも闘ってきた」などと書いているのだ。

自分は訴えたかった。社会に向かって訴えたかった。そして最初に特例子会社を受けたとき、面接でこの職務経歴書は誉められたのだ。私が「型破りの職務経歴書になってしまいましたが」と言うと「いや、これはこれで現状がわかって非常にいいです」と言われたのだ。だからその職務経歴書を今まで出してきた。

しかし、それは特例子会社だから評価されたのであって、お姉様曰く「この内容では前の会社や社会に対して反感を持っている、という人間と見なされて、そういう人は敬遠されるのじゃないかしら」とのこと。うむ、やっぱそういうことなのか。実は妻からもそれは言われていたのだ。でも私の中では、ここまで書いて、それを受け止めてくれた上で雇ってくれるところでないとやっていけない、と思っていた。だからあえてこれでやって来た。

その他いろいろと精神障害者のことについて話をした。ハローワークの職員にも精神病になった人がいて、実際に一緒に働いてみるとすごく苦労したとか、企業の方もやはりまだまだ理解が浅いとか、精神障害者が社会に理解されるには、まだまだ時間がかかるだろうという話をした。それから、今日も調子が悪くて朝タクシーで来たことを話すと「時間が決まっているのは効率よくさばくためなので、別に遅れてもいいの。体調が悪かったから、て一言言えばいいから、とにかく失業認定日には17時15分まで来ればいいから」と言われた。なんだ、そんな焦ることもなかった。妻に代理で行ってもらうことは可能か尋ねたら、それはだめとのこと。

ここに来て私は方針変更した。履歴書と職務経歴書は全面的に内容を見直して書き直す。昨日書いたのは全部没だ。用紙をまた買ってこなければ。しかし、急ぐ必要はない。ここでいったん求職活動は休止だ。今日みたいに7時に無理やり起きても、実際に動くことができない今では、就職が決まってもまともに出勤できない。とりあえず朝から動けるように体調が回復してから再開しよう。お姉様もそれでいいと言っている。「失業認定日にさえ来ればいいのよ、障害者は」とのことだ。

とりあえず、今は回復を待とう。