だめだ、まだ調子があがらない。
困ったなあ。
ところで、糖尿病で軽い喘息も持っている私は、新型インフルエンザのワクチンを早く受けられるのかな?明日か明後日に内科に行くので聞いてみようっと。
だめだ、まだ調子があがらない。
困ったなあ。
ところで、糖尿病で軽い喘息も持っている私は、新型インフルエンザのワクチンを早く受けられるのかな?明日か明後日に内科に行くので聞いてみようっと。
今日も相変わらずしんどくて気力がなくて、会社を休んだ。そう言えばリフレックスを追加したときに抜いてみたデパスを昨日から服用しているが、まだ目に見える効果はない。デパスは一応頓服として処方されているから、自己判断で無茶をやっているわけではない。とにかく、早く少しでもよくなってほしいのだ。
昼前に、会社から持たせられている携帯に同僚のMさんからメールが。「○○のCD-ROMってどこにある?」電話して場所を伝えたついでに、いろいろ話をした。私がひたすら「みんなに申し訳ない」と謝って、薬を変えたりしていろいろやってるけど、なかなか調子があがらなくて医者も困っていて、なんて話もした。
仕事に関しては、自分がこんな状態だし、そんなにクリティカルなタスクを担当しているわけではないので、私待ちの案件はあるが、なんとかなっている。Mさん曰く、先輩のYさんが「はまーさんがフルで出勤できたら、凄いパフォーマンスを出してくれると思っている」と言っていたらしい。評価してもらっているのは非常にありがたい。だからこそ、活躍の場を与えられているのに、その場所に上がっていけない自分がはがゆい。
ところで、音楽プロデューサーの加藤和彦さんが首をつって自ら命を絶った。「おらは死んじまっただ~」が本当になってしまった。全くしゃれにならない。先日クレヨンしんちゃんの著者が事故で亡くなったときに、しんちゃんの真似をして「おら、死んじまったぞ~」と言ったら妻に「不謹慎」と言われた。全くその通りであった。この場をお借りして関係各者にお詫び申し上げるしだいです。
それはそうと、加藤氏もうつ病だったそうだ。奇しくもつい数日前、「希死念慮」とはという日記を書いたところであった。http://news.livedoor.com/article/detail/4401482/ によると、遺書や友人の話で、
「自分の思うようなものができないと悩んでいた。若い時には当たり前のようにできたことができなくなり、そのジレンマが卓越した創造性を侵していき精神的に追いつめられていった」
「うつで仕事が進まない。作品を書こうと思うとダメなんだ」
という状態だったという。理想と現実のギャップ。自分のことを「ダメなんだ」という自己否定。自分を自分で追いつめてしまい、やはりそれが希死念慮につながってしまったのか。うつ病が「死に至る病」であること、そして時として死の選択をほのめかすようなサインを出していることをみんなに知ってもらいたい。この病気の「犠牲者」が一人でも減るように。
今日も昨日と同じく朝は早く起きた。まだ6時半くらいだったと思う。しかし、起きたのはいいが「こりゃだめだな」と自分ですぐわかるしんどい状態。とりあえず朝食を食べてまた寝た。
そして、う~んと何をやって過ごしていたか覚えてない。テレビを観ていたっけな。そうそう、いつか録画した、小中学校の教科書の内容を題材にしたクイズ番組だった。けっこう忘れているものだ。「酸素と二酸化炭素、吐く息に多く含まれているのはどっち?」解答者は元NHKアナウンサーの宮川さん。「二酸化炭素」と答えたが不正解。私も同じく不正解。「酸素を吸って二酸化炭素を吐いてる」と習ったが、でもやっぱり酸素の方が多いんだ。習ったっけな?
そんなこんなでだるだるな一日は終わり、また明日から平日になる。こんな調子で会社に行けるのだろうか。
今日は朝7時過ぎに起きることができた。なんでまた休日に限って、と思いつつとりあえずパジャマから部屋着に着替えて朝食を食べて、そして昨日の「そらみみ」の編集。HDDレコーダーを買ってから、編集機能がこりゃ便利だと思って「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」の部分を毎週編集して残してある。2年分くらい溜まったかなあ。
しかし、その後にテレビを観ていて、しんどくなってしまった。しかし今日は皮膚科へ行かないといけない。電話受付をすべく、8時45分を過ぎて皮膚科へ電話攻撃。今回は5分くらいでつながって、12時20分頃になりそうです、と言われた。そしてそのまま布団へ直行。
起きたら11時半。調子は・・・しんどい。しんどいけど薬がなくなるから皮膚科へ行かなくてはならぬ。薬だけ出してもらうことも可能で、妻に代わりに行ってもらったりもするのだが、3ヶ月に1回は必ず受診してください、と言われているので、今日は行かなければならなかった。なんとか着替えてしんどい体を引きずって10分ちょい歩き、病院へ。
アトピーの体を見せて、自分では気がつきにくい首の部分にちゃんと薬を塗るように言われた。痒いとちゃんと塗るのだが、痒みがおさまると薬を塗るのをつい忘れてしまう。いったい何年アトピー患者やってることやら。
そしてしんどい体をひきずって家へ帰ってきた。せっかくの休日だからおでかけでもしたいところだが、そんな元気があるのなら昨日まで会社へ行って仕事をしている。今日もしんどくて家で休んでいた。でも昨日は妻に悪いことをしたと思って、昼のうちから「今日は夕飯作らなくていいから」と言っておいた。今日は皮膚科へ行けたから最低でもコンビニくらいは行けるだろうと思っていたのだ。
夕方になって、自分の状態をようく観察する。少し低い。低いけど、なんとか体は動きそうだ。しばらく呼吸法をやってみると落ち着いて少し楽になってきた。よし、いくぞ!ということで横浜へ繰り出して外食して帰ってきた。いかん、ちょっとカロリーオーバーだ。
まあでも体重については自分の傾向はわかってきた。今のところ体重は微減傾向。たまにカロリーオーバーしても、一時的にその分体重は増えるが元の水準にはすぐ戻る。血糖値も今のところ問題ない。糖尿病やら経済面やらいろいろな制約が多い生活を送っているが、自分の様々な「数値」をきちんと管理していれば、たまには制約からはずれて、多少の「ぶれ」は許されるであろう。
言い切ろう。
「私は、ブレる」
だめ、今日も動けず。皆欠勤3週連続達成。
夕方、少し調子がよくなってPCに向かってLinuxで遊んでいた。ところが、妻に「セブンイレブンまで行く元気ある?」と言われた。妻も体調が悪いときは無理をせず、夕食を作るのを省略してコンビニの弁当にすることはよくあるので、今日もそれでいいやと思って椅子から立ち上がった。
だがしかし。
動けなかった。
なぜかわからないが、いきなり動けなくなった。コンビニに行くくらいは大丈夫だと思ったのに、とりあえず部屋着から着替えなくては、というところでフリーズしてしまった。
妻はそれほど調子が悪かったわけでもなく、夕食を作ってくれた。あああ、ごめんよ。稼ぎもなければコンビニにも行けない、ダメダメな旦那である。仕事もせずに一日中ぶらぶらしているだけで何の手伝いもせず、病気の妻に家事も任せきっているダメダメな自分に罰を与えてください。だめな人間なんです。だめなんです。自分はだめなんです。
いかん、自己嫌悪モードになっている。鬱になるととにかく自分を責めにかかるから気をつけなければ。
ところで、この「自己嫌悪モード」という鬱の症状は気をつけないといけない。
たとえば私の場合、もう3週間も会社を休んで、職場の人にも迷惑をかけて本当に申し訳ないと思っている。みんな優しいから私を責めるようなことは言わないが、実際にタスクをアサインしたり一緒に仕事をしている人は、「事情はわかっているけど、やりにくいなあ」と思っているかもしれないし、そうでないかもしれない。
しかし、周りの人がどう思っているとかに関係なく、休んでいる本人は、
「とにかく申し訳ない」
と思って、それがどんどんエスカレートすると、
「いっそ自分はこの仕事から外れて、代わりにもっときちんと出勤できる人を雇ってもらった方が、みんなのためになるだろう。」
「じゃあ仕事やめてしまおうか。」
「でも仕事やめてどこへ行く?」
「こんな状態ではどこへ行っても迷惑をかけるばかりだ。」
「じゃあ自分はいったい何のために生きているんだろう。」
「自分がいても世の中には何の役にも立たない。自分なんかいなくなった方がいいんだ。」
こんな思考に陥ったりする。そして、時として自らの命を絶つ者も少なくない。こういう思いを、
「希死念慮」
という。ドラマ「救命病棟24時」の最終回でも出てきた言葉で、聞いたことがある人もいるかと思う。一般的に「希死念慮」は「自殺願望」と同じ意味合いで使うことも多いが、うつ病においては少し違う。
「自殺願望」は、もっと広い範囲の意味で「死にたい」という思いであり、理由は「いじめにあって現実を生きるのが辛いから」とか、「失恋してもう生きていくのがいや」とか人それぞれで、とにかく「死にたい」ということ全般を指す。
しかし、「希死念慮」は「死にたい」ではない。「死ななければならない」である。「自分には生きていく資格はない」という、鬱特有の自己否定、自己嫌悪、自責の念からくる。うつ病で一番怖いのが、希死念慮から自殺してしまうことである。間接的にではあるが、(躁鬱病も含めて)うつ病は「死に至る病」と言えるだろう。
私の場合、カウンセリングなどを経て、「自己嫌悪モード」に入っても、そこからはい上がってくるのにだいぶ慣れた。結局のところ、どこまで開き直れるか、という感じなのだが。それにしても、久々にこのモードに陥ると、やっぱつらいや。こうやって日記書いていると、頭が整理されて落ち着いてきた。うん、これも認知行動療法の一環である。これでよし。