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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

昨日も今日も朝起きたのは9時を過ぎてから。起きてから日中はそんなにしんどいというわけではないが、積極的に外にでかける気になるほど元気でもない。

糖尿病のため、以前のように自由に間食ができなくなった。がまん、がまん、がまんしないといけないのに、我慢ができずに最近寝る前にパンを食べたりすることが多くなった。いかん、いかん、いかん。

そして昨日、なんとか我慢して眠剤を飲んで寝た。しかし眠れない。なぜか昨日は眠れなかった。すると、むしょうにパンが食べたくなって来た。食べたい、食べたい、食べたい・・・・。

食べてしまった。

ロールパンを1袋半、魚肉ソーセージを1本、ノンシュガーチョコレートを2箱。

ひとつ手を出したら止まらなくなった。自分で自分をコントロールできない。そして食べてから罪悪感に陥る。

お腹がすいているわけではない。猛烈に「何か食べたくてしかたがない」という欲求に襲われるのだ。そしてそれを抑えることができない。

「自分にとってマイナスだということが頭ではわかっているのにもかかわらず、どうしてもそれをやめることができない」

依存症そのものである。今回の場合は「過食」という依存症にあたる。過食や拒食などの摂食障害は依存症の一つであり、脳内の神経伝達物質の働きなどはうつ病と非常に密接な関係がある。

いくつの病気と戦っていかなければいかないのだろうか。今思えば、食べることは自分にとってストレス解消の一つだった。その自由を奪われた今、ストレスを何か別の方向に向けられないか、有意義になエネルギーにできないか。

「自分の生き方」はまだ見つからない。

今日も朝起きて動けるようになったのは9時過ぎ。再就職活動への道のりはまだまだ遠い。まあ、焦っても無理してもいい結界にはならないだろうから、ここはガマンだ。

そうは言っても、現実問題として経済的にどんどんやばくなっているのもまた事実。これからどうやって食べていけばいいのか。今の段階で考えていることを、少しずつ書いていくことにしよう。

とりあえず今のプランの大枠は、まずはハローワークのみどりの窓口(障害者専用窓口)に行って、最近の精神障害者の雇用状況について情報を集める。体調が安定した頃(できれば躁転してから落ち着いてきた頃)、オープン、クローズド両方の線から仕事を探す、という大雑把なものだ。

そして、どうしようにも手が打てなくなったときは、最後の手段である「生活保護」に頼るしかない。私は日本人である。憲法第25条により「健康で文化的な最低限度の生活をする権利」は保証されている「はず」である。生活保護についてはその最後のセーフティネットの「はず」である。

しかしながら、生活保護について調べていると、この不景気で生活保護を申請する人は増え続けているのに、不景気だから税収が減って財源も減っている。そのため、申請しても通るかどうか審査が厳しくなっているという現実もあるようだ。その点うちは幸か不幸か二人揃って病気である。ただの失業者ではなく「ワケあり」なわけで、審査が通りやすいというありがたいような悲しいような現実もあるようだ。

生活保護は、それを前提にしているわけではない。あくまでも「最後の手段」である。どんなに窮してもこれだけはやるまい、と決めていることがある。

・借金はしない(返すあてのない金は借りない)
・家賃は滞納しない(大家さんに迷惑はかけない。また住むところがなくなったら生活保護も受けられなくなる)
・犯罪は犯さない
・自殺、心中はしない
・テロには屈しない

最近は生活に困って万引きや食い逃げをする中高年やお年寄りが増えているらしい。お金がないからしかたがない、つかまっても留置場に入れられればそこで飯を食わせてもらう。そういう開き直りである。そこまで落ちぶれたくはない。モラルを捨ててはいけない。

私はあきらめない。

今日は9時過ぎと寝坊。朝食を食べて、昼まで寝てしまった。ちょっとしんどい。4月なのに寒いし、その上雨が降っている。早く仕事を探したいけど、こんな調子ではまだまだだ。焦らずに安定するのを待とう。とりあえず失業給付金の受給手続きをしたいのだが、失業認定しようにもまだ離職票が届いていない。派遣会社から郵送されてくるはずなのだが、いつ来ることやら。

ちょっとだるいと思いつつ、今日は川崎まで行って映画「アバター」を観てきた。なぜわざわざ川崎まで行ったか。それは、川崎には日本に4つしかないIMAXデジタルシアターがあるのだ。IMAX(アイマックス)については、Wikipediaの説明でも見て欲しい。「アバター」自体はストーリーは大したことはないと聞いていた。しかし3Dへの好奇心は大いにある。やはりこの目で見ておきたい。

感想はというと、ストーリーは聞いていた通り大したことはないが、観ていて飽きるほどでもなく、子どもでもわかるだろう。およそ3時間という長めの上映時間も長いと感じなかった。

3D映像は自分の予想よりはイマイチ感があった。いや、ちゃんと3Dである。これはちょっと期待し過ぎた自分が悪い。スクリーンから自分のすぐ目の前まで何か飛んで来て思わずよけそうになる、とかそんなレベルを想像していたが、どちらかと言えば奥行がある立体感という感じであった。もちろんこちらへも飛び出しては来ているが、目の前までというほどでもない。それはそれで危ないので、スクリーンから前方へ飛び出して見えるのは何メートルくらいまで、とか決めているのかもしれないが。

それよりも何よりも一番驚いたのが、CGの技術はここまで来てるのか!ということだ。最近は映画館で映画を観ることも少なく、観た作品もそんなにCGを駆使したようなものではない。「アバター」のCGはすごかった。IMAXデジタルの大きな3Dスクリーンで観ても、細部までこまかく綺麗である。金かかってるだろうなあ、すげーすげーと思いつつ、これを3Dでやってるというのはやはりすごい。学生時代に「ジュラシック・パーク」を観た時の感想に近いな。

てなわけで、初のIMAX3Dデジタル体験は、おおむね満足に終わった。これはレンタルしてきて2Dで家で観るものではないな。観に行ってよかった。

昨日は無事、会社の業務を終了し、晴れて今日から私は無職となった。今後の仕事についてはあらゆる可能性を視野に入れて情報を集めているのだが、今の健康状態ではまだ動くことはできない。焦らずにまずはしばらく体と心を休め、安定した状態が一ヶ月くらいはキープできないと動けない。

今まで日記ではずっと「会社」と書いてきたが、私が勤務していたのは民間企業ではなく、実は最近よく耳にする「独立行政法人」という機関である。そう、例の事業仕分けで次から次へと徹底的に叩かれた「独立行政法人」である。独立行政法人といっても官僚OBの天下り先を確保するために作られたようなものとは違い、歴史のある研究機関だったのだ。しかし、独立行政法人の予算は軒並み減らされている。

私は民主党が大勝した去年の衆議院議員総選挙の翌日、8月31日の日記で、

この選挙結果によって今後の自分のクビが危うくなることに気がついた。

と書いた。そしてそれは、

独立行政法人における派遣労働契約は、随意契約から段階的に一般競争入札に移行し、最終的に全面的に入札へ移行

という結果となって現れた。派遣の職員はみんな不安な中、なかなか情報が開示されないまま仕事をしていた。自分はいつ、どうなるのか。派遣会社の担当者に聞いても、「どこの独立行政法人に行っても、現場も派遣会社も混乱している状態」だという。一般競争入札にするということは、すなわち現場で働いている人の「仕様書」を作って公示し、それに対して派遣会社が入札し、あとは価格で落札する派遣会社が決まる。自分が残れるかどうかわからない。現場の人もどんな人が来るのかわからない。2月10日の日記で書いた、

この先どうなるかわからない状況で、それは私が病気を抱えていて休んでばかりだとかいうのとは関係なく、他のメンバーも私と同じ状況なはずなのだが、みんな何ごとも起こらないかのごとく、普通に仕事している。このまま普通に仕事していていいのだろうか。

というのはそのことである。しかし、2月12日の日記で、

今日いきなり「なんともならない」ということがわかったのだ。派遣会社の担当者からはそう告げられた。

と書いたのだが、これは、

「自分に関しては来年度の随意契約による更新はなく、自分のポジションにおける入札も行われない」

ということであった。つまり、事実上のクビである。あえて悪意のあるような書き方をすると、私は独立行政法人派遣切りにあったのだ。

と書けばなんだか私の勤務先が悪いように思えるが、そうではなくて、これはこれで全く正しい判断だと自分でも納得している。

そもそも、私が自分の病気を隠して前の職場に来たとき、ネットワークチームは2人体制だった。しばらく体調は好調をキープして仕事をしていたのに、調子を崩して何週間か休んでしまい、上司にも派遣会社の担当者にも自分の病気のことを正直に話した。隠して仕事を続けるのはどうせ無理だからである。

私はこの時点で「ああ、もうだめだな」と思った。しかし、上司は私を救ってくれた。うつ病に理解のある方で、その後も何度も調子を崩してずっと休んでしまう、というのを繰り返しても、「無理しなくていいから」と言ってくれた。契約更新のときに、人事部から「この派遣職員はなんだ」と言われても、私を守って契約更新してくれた。恩人である。そしていつしかネットワークチームは3人体制になっていた。私が休みまくってもちゃんと仕事はまわっている。私がいなくても業務に支障はない。私は上司の温情で働かせてもらっていた。

しかし、入札となるとそういうわけにはいかない。うちの派遣会社以外のところが落札して、私以外の人が来ても何の意味もないのだ。そういうわけで、私は昨年度で契約終了となった。普通なら更新がなければ次の就業先を派遣会社が探してきて紹介してくるのだが、病気のことがバレてしまっている私にはもう話は来ないだろう。

それにつけても、今回の自分の身に降り掛かってみて、改めて今の政治は何をやってるんだか、と思っている。天下りをはじめとして、独立行政法人が予算を無駄遣いしているのは確かかもしれない。しかし予算を削る事によって、真っ先にそのあおりを食うのは、今回の場合は派遣社員という立場の弱い労働者、しかも私のような病気を抱えた再就職困難者だということを今の政権は少しは考えたことはあるのだろうか。「いのちを守りたい」のではないのか。誰のいのちを守りたいのだ。

高速道路の四車線化を凍結するのも結構。ダム建設を中止するのも結構。しかし、その煽りを真っ先に食らうのは、建設現場で下請けの下請けで汗水たらして働いている労働者という弱い立場の人たちかもしれない。いきなり仕事がなくなり、倒産する企業もあるかもしれない。そういう人たちの雇用は、生活はどうなる?彼らの「いのち」は守らなくてもかまわないのか。そういう問題があるということも今の政権は考えたことはあるんだろうか。「最大多数の最大幸福」でかたづけられてしまうのだろうか。

まあ、毎日ニュースを見ていると、もうしっちゃかめっちゃかで、首相がイエスマンでどうするよ、何がトラストミーだよ、と呆れることばかりで、上で書いたことなんか誰ひとりとして問題として認識してないのではないだろうか、と思っている。年間の自殺者が十何年連続で3万人を超えたとかいうニュースが飛び交い、3月は自殺者が多いから自殺防止月間だとかやってるが、そもそも自殺者がそんなに増える状況をなんとかしようとは思わないのか。「いのちを守りたい」のではないのか?景気対策はどうした。失業率を、就職氷河期をなんとかできないのか。

子ども手当で金をばらまいたって、アンケートでは半分以上の人が貯金すると答えているし、その金をギャンブルに使ってしまうどうしようもない親がいるかもしれない。待機児童が増えている今、子育てを支援したいんだったら金をばら撒くのではなくて、無駄なダムや道路を作ってる人に保育所をばんばん作ってもらい、その保育所に補助金を出したり保育士の育成を助成するのではだめなのだろうか。「コンクリートから人へ」って、人に直接お金を渡してどうする。もっと人が豊かになるようなハードウェアなりソフトウェアなりにお金を回すべきなんじゃないか?

うう、ふだんは自分の知識の浅薄さを露呈したくないから政治ネタなんか書かないのだが、今日一日だけは特別な日として書いてみた。4月1日、エイプリルフールくらいは嘘がまじっててもいいだろう。

今日はなんと6時半に起きることができた。

何年ぶりだろう。

いや、それはさすがに大げさだが、久しぶりである。寒い日が続くが、体は春に向かって目覚めてきたのだろうか。明日で今の職場へ足を運ぶのも終りとなり、明後日からは無職となるのに。皮肉なもんだ。

まあいい。何にせよ、調子が悪いよりいい方がよい。これが1日だけのものなのか、ずっと続くのか、それはわからない。わからないが、じっと「その時」を待つ。まだかすかな足音に過ぎない。