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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2013年3月

えー、人生には3つの坂がありまして、
1つは上り坂
1つは下り坂
そしてもうひとつは、「まさか」。

いろんなところでいろんな人が口にしてきた、使い古されたネタであるが、自分の人生、その「まさか」の連続だった。

まさか自分が自殺未遂をするとは。
まさか自分がこんなに経済的に困窮するとは。
まさか自分が精神障害者になるとは。
まさか自分が精神病院に入院するとは。

入院したときは、
「精神病院に入院するはめになるなんて、もう自分の人生どん底だ」
と思って、結婚も諦めていたのだが、その病院で妻と知り合って結婚できたので、それは嬉しい「まさか」ではあった。

しかし、遡っていけばまだまだ「まさか」がある。

まさかあんな人使いの荒い会社に入ってしまったとは。
まさか自分が関西を離れることになるとは。
まさか自分が留年することになるとは。
まさかバブルがはじけるとは。

バブルがはじけたのは自分の責任ではないし、それは関係ないだろうと思うかもしれないが、実はそうでもない。

留年したのは自分の責任であり、人使いの荒い会社に入ったことや関西を離れたことは自分の選択であるが、その選択を迫られることになった背景には、バブルがはじけたことも少なからず関係している。

当初、自分は関西を離れるつもりはなかった。しかし、人生の岐路で発生した、それこそショッキングな「まさか」によって、結果的に自分は関西を離れることになった。その後、こんなに多くの「まさか」が続いてきたのだが、そのたびに「なんでやねん・・・」とぼやいてきた。今では自分もまた時代の波に翻弄された一人だと思うことにしている。

今後はまた「まさか生活保護のお世話になることになるとは」という事態になるだろうが、それを想定している時点で、既に「まさか」ではない。

だが悪い「まさか」もあるが、いい「まさか」だってたくさんあるのだ。結婚できたのもそうだし、今の時点では書けないが、大変ありがたい「まさか」の話も少しでているのだ。人生には何があるかわからないから、「まさか」の全くない人生なんてあり得ない。

上に書いた人生の岐路における「まさか」は前代未聞の事態であり、多分友人には誰にも話していないと思うので、家族以外の人は知らないはずである。しかし、その半月ほど前に、「まさか」ではないが、ある出来事があった。それは逆に家族は知らない(と思う)のだが、上述の「まさか」の後のことに関連してくる。本当の事情を知っているのは、妻と義姉くらいであろう。妻にも義姉にも最近話したばかりだが。

さて、今後はどんな「まさか」が待ってることやら。

うちの団地はコミュニティが密であり、自治会組織がしっかりしている。10棟以上からなる団地なので。世帯数もかなり多い。そして自治会では、各棟から毎年2世帯ずつ「常任委員」というのを出さないといけない。

他の棟ではどうやって選出しているか知らないが、うちの棟では部屋番号順に持ち回り制である。全部で20世帯あるので、まわってくるのは10年に一度なのだが、それが来年度なのである。入って2年目で、まだ右も左もわからないのに、いきなり常任委員である。

しかし、いろいろ話をしてみれば、来年度からペアを組むお隣さんも、最初は入居2年目でまわってきたし、現職の常任委員さんは、入っていきなりまわってきたらしい。うーん、それよりかはましだが、とりあえず拒否権はない。

そして常任委員は毎月「常任委員会」というものに出席しないといけないのだが、3月と4月は引き継ぎも兼ねて新旧両方の常任委員が活動する。その最初の常任委員会が昨日の夜にあった。

常任委員といっても、何をやるかは役割分担があり、いくつかの部会に分かれる。いろいろな部会があるのだが、常任委員は最低「庶務・防犯部」「保健部」「厚生部」のどれかには必ず所属することになっている。昨日はその役割分担を決めた。うちは「庶務・防犯部」で、まあ一番無難なところである。

その後がちょっと大変だった。各部に分かれて、今度は部長と副部長を決めないといけないのだ。部長や副部長になると、常任委員会とは別に「役員会」に毎月出席しないといけない。やることは大したことではないという説明だったが、1ヶ月に2日も夜間に拘束されるのはみんな嫌である。「去年入ったばかり」という言い訳はここでも通用しなさそうだった。

実はこういうものには真っ先に手を挙げたがる性格なので、手を挙げようかどうか迷ったのだが、ただでさえ体調が不安定なのに、さらに首を突っ込んでどうする、と思いとどまった。結局じゃんけんで決めて、うちはセーフ。こんなんでいいのか?と思ったが、いいのだろう。組織はそれなりにまわっていくものである。

昨日は寝る前にデパスを飲んでみたら、ちゃんと眠れた。
朝も、9時半に起床。少し遅いが、昨日ほどではない。起きるときの辛さも緩和されている。とりあえず一段階、元に戻った。

しかし、それではいったい、どのタイミングでデパスを抜けばいいのか。
錠剤を砕いて少しずつ減らしていくとするか・・・。

今週の通院で、危うく抗鬱剤を増やされそうになった話は先日書いたが、寝る前のデパスのことについては書いていなかった。寝る前のデパスを3mg→2mg→1mg→0.5mgと減薬してきたのだが、今週からデパスを外して様子を見ることにした。ただ、それで眠れなかったり不安定になると困るので、頓服で処方はしてもらっている。

それで、今のところ・・・、

眠れない。

生活のリズムがだんだん狂いはじめている。

今日は起きたのが11時過ぎだった。

目は覚めているのに、そして体をなんとか起こしているのに、そして正座の態勢までもっていってるのに、そこからがなかなか動けないのだ。毎日、朝がとてもつらい。

様子を見るのもちょいと限界。減薬は慎重に行わんといかんな。とりあえず今夜はデパスを飲んで寝よう。

今日も調子が悪い。ずっと調子が悪い状態が続いていて、入院している友人の面会にも行けなかった。

しかし、自分の病院には行かなければならない。一昨日メンタルクリニックに夫婦で通院したばかりだが、今日は皮膚科へ二人で通院。私はアトピー持ちで、妻は妻で皮膚が弱くて、湿疹やらニキビやらお肌のトラブル続き。二人して皮膚科にも通っている。

一緒に通院して二人で診察室に入るというのは、精神科や皮膚科ではメリットが大きい。これは他の科でも言えることだとは思うが。

精神科では、診察といってもほぼ問診なので、前回の通院以降の自分の体調や症状を話すというのがメインになる。ふたり一緒に診察に入ると、本人の話に加えて、一緒に暮らしているパートナーから客観的に見て気がついたことを、お互いに補足できる。

皮膚科の場合、医師の指示をお互いのパートナーが聞くことができる。ふだんから、自分では手が届かなかったり、目で見えなかったりする背中や頭には、お互いに薬を塗ったり塗ってもらったりしている。

こういう状態なので、一緒に診察室に入ったら、「この辺の赤いところはこの薬で、この辺りのかさかさしているところはこの薬で」という指示を、実際に薬を塗るパートナーが聞くことができる。一人暮らしだった頃は大変だったよ。

それはそうと、自分の額の一部が少しでこぼこしてきたので、これはなんだろうと思っていた。これは何で、どの薬を塗ればいいのか今日尋ねてみた。すると、

「老廃物が溜まったものです。綺麗に顔を洗って、何も塗らないでください」

と言われた。アトピーとかニキビとかおできではない。では何故こんなものができるのか聞いてみたら、

「老化です」

の一言。

「老化です」
「老化です」
「老化です」
「老化です」

「寄る年波には勝てない」という噂は本当だったのか。

先月大阪に帰った時に学生時代の友人で集まったのだが、健康の話がやたら多かった。以前はそんなこともなかったのに、アラフォーというよりみんなオーバーフォーティーになってしまうと、自然とそんな話題になってくるようだ。男性陣は腰の話、女性陣は冷え性の話をしたりしていた。

しかしまあ、専門家もいることだし、そこで横槍が入ったりするのがおもしろい。大学病院に勤務し、研究に臨床に教育に忙しい耳鼻科医の友人は、

「ためしてガッテン、とかの医療情報番組、めちゃめちゃレベル低いよな」

と話していたが、そのレベルで踊らされている一般人の多いこと多いこと。

また、生物学の研究者である友だちが、

「コラーゲンなんか口から摂取した所で、美肌効果なんかあるわけないべ」

と話すのに対し、未だ同い年とは思えない若々しさを維持している女性が、

「いや、ある!」

と言い切っていたのがおもしろかった。まあ、彼女はエステにも通っているそうだが。

そうやって人は年老いてゆくのだろうなあ。彼らは学生時代から私のことを「じーさん」というあだ名で呼ぶ。なぜそう呼ばれるのか未だ全くもって理解できないのだが、20年後にはみんなじーさんばーさんになってるんだぞ。