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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2012年12月

今日、午前中はそこそこ安定していた。安定していた、と言ってもずっと鬱ベースな私なので、「そんなにしんどくはない」というのが実際のところだが。

しかし、昼食時に妻から「今日の通院は・・・」と言われた時、ハッとした。そうだ、今日はメンタルクリニックへの通院日だった。予約は15時。昨日はちゃんと把握していたのに、今日になってからすっかり忘れていた。

普通はそこから外出する準備をしつつ、家を出る時刻まで何かして時間をつぶしているところだが、今日は違った。いきなりドスンと鬱に落ちて、私は布団に倒れこんだ。そしてそのまま固まって動けなくなった。

出発する時刻になっても自分は動けず、やむなく妻に薬だけもらってくるように依頼した。わざわざ行ってもらったわけではなくて、妻も同じく通院なのだ。最近は夫婦ふたりで行って、ふたり一緒に診察してもらっているので、今日は妻の診察のついでに、ということになった。

しかし、なぜ急にそんなに鬱に落ちたのか。やはり「外に出る」ということ自体に相当なプレッシャーを感じているようだ。本当に朝からずっとしんどいとき以外は、これまで病院にはなんとか行っている。行けているのは、前もって心の準備ができているから。今日は直前まで忘れていたから、自分の心と体は活動を停止してしまったのかもしれない。

病院すら通えなくなったらおしまいである。来週にまた予約してもらったから、次の月曜日にリベンジするのだ。

先日友だちが「考えない練習」という本を紹介してくれた。調子が悪い上に、無駄に時間がある最近では、なんだか自分で余計なことを考えすぎて、勝手に悩んで勝手に苦しんでいるような気がする。そこで、紹介されたこの本を買って読んみようとした。

 しかし、1ページ読んだだけで限界。頭がオーバーヒート。と言うかそれ以上読むのを脳みそが拒否している。

それほどに自分の頭は錆び付いている。頭の中に常に白い霧がかかっているような感じで、思考能力がかなり落ちている。自分の専門分野であるIT関連の本や、新聞の記事などは読めるのだが、こういう「頭を使う」「考えさせられる」本が今は全く読めなくなっている。そう言えば最近何年も本を読んでいない。昔は暇があったら本屋に行って、おもしろそうな本があるととりあえず買って、いわゆる「積ん読」状態だったくらい、本の虫だったのに。

そして今日の朝から、また余計なことがぐるぐる頭の中で回りだした。

「自分は何のために生きているのだろうか」

今まで幾度と無く自分の中で繰り返されてきたこの疑問。

昨日の日記では、

この1ヶ月の間に、たくさんの人が自分のことを気にかけてくれていることを実感した。自分はまだ死んではならない。その人たちのためにも。

と書いた。では自分はその人達が悲しまないために生きているのか。それはただ「まだ死んでない」だけのような気がする。そんなことではない。

今、自分は何もしていない。働きもしていなければ、教育を受けているわけでもない。外に出ることも殆ど無く、ただ毎日を怠惰に過ごしているだけで、何の社会的貢献もしていない。誰かのために役に立っているわけでもない。

自分の中では、焦燥感や孤独感、無力感、失望感、罪悪感が混ざり合っている。

みんな平等に歳を重ねていく。自分の友だちは、仕事だったり育児だったり、歳とともにいろんな経験を積み、人間として成熟していく。そうして新しい経験で上書きされた頭の中では、昔のことは陰を潜めてゆく。

その一方で自分ときたら、何にもしていない日が多い。ひねもすのたりのたりしているばかり。何の社会的経験もつまずに、全く精神的な成長もなく、どんどん置いてけぼりにされていく焦燥感に孤独感。調子が悪くて何にもできない無力感と失望感。そんな自分を責め続ける罪悪感。ただただ郷愁に浸り、過去のことをどんどん思い出しては悔やんでいる。過ぎ去りし過去の記憶のほうが鮮明になってきている。

今、自分にできることをやればいい。人はそう言う。しかし、何もできないのだ。まず「外に出る」「体を動かす」ことが、精神的な快方につながり、好循環をもたらすことは重々承知している。わかっているけど、できないのだ。なぜできないかと問われると答えられない。あえて答えるとすると、

「そんな高いハードルを超える気力が今はない」

それだけしか今は言えない。ほんのちょっとの頑張りで、物事が良い方向に向かって行くかもしれないのに、なんにもできない。最近はテレビすら観ていない。新聞もあまり読んでない。ずっとゲームをやっている。もうニート以下である。

いつも同じことを考えて、堂々巡りになる。親からもらった大切な命である。1ヶ月前には自分で捨てようとしたものの、妻が救ってくれた命でもある。もう簡単に捨てることは許されない。では、自分は何のために生きているのだろうか。あるいは生かされているのだろうか。答えは見えない。とりあえず今、自分は何をどうすればよいのか。それが全く見えない。誰か教えて欲しい。

ということが毎日ぐるぐる頭の中を回っている。本気で「考えない練習」をしないと、何かが崩壊しそうだ。

今日は自分が自殺未遂をしてから、ちょうど1ヶ月。

「自殺未遂をする」という言葉に、最近違和感を感じるようになってきた。

あのとき、自分は「自殺未遂をしよう」としたのでない。

「自殺した」つもりだったけど、死ねずに未遂に終わっただけである。

なぜ未遂に終わったか。それは、妻が一刻も早く駆けつけてくれたからである。

薬局で市販されているような薬ではない。精神科で処方された抗鬱剤、精神安定剤、向精神薬などを大量に飲んだのだ。三環系抗うつ剤で最強と言われるトリプタノールだけでも70錠、全部で400錠近くの薬を飲んだ。数はあとから聞いて、自分でびっくりしたが。

ICUに搬送されたときに、医師が3人くらいいて、妻が「助かりますか」と尋ねても、3人が3人とも「飲んだ薬が薬ですから・・・・、命の保証はできません」と答えたそうだ。

しかし、私は臨死体験をすることもなく、この世に舞い戻ってきた。意識が目覚めた瞬間は地獄であったが、あれは本当に突然だった。眠りから覚めた、という感覚とは全く違う。いきなりこの世に自分の肉体と自分の意識が現れた、そういう感覚だった。よくドラマなどで、目が覚めてからなんとなく視界がぼや~っとして、それがだんだんはっきりしてくる、という描写があるが、そういう感じとは全く違う。0からいきなり100へ、という感じだった。「意識を失う」というのは「眠る」とは全く違うんだろうな、やっぱり。

この1ヶ月の間に、たくさんの人が自分のことを気にかけてくれていることを実感した。自分はまだ死んではならない。その人たちのためにも。

今日も二人ともくたっており、二人で枕を並べて、

「ご飯、どうしよう」

という状態。

夕方になって、久々に地震が来た、揺れは少し大きいけど、まあ大丈夫かと思っていたが、えらく長く続いたので二人とも飛び起きて、とりあえず一番安全な玄関に避難。揺れが治まってからテレビをつけたら、何?震源地は東北?しかも津波警報が出ている。

NHKのアナウンサーが必死に繰り返し叫んでいる。

「津波警報が出ました。ただちに避難してください。東日本大震災を思い出してください。振り返らずに、急いで逃げてください。高台に避難してください。近くに高台がないときは、高い建物に避難してください。いそいで逃げてください・・・」

アナウンサーの声が鬼気迫る。横浜防災情報のメールが携帯に来たので確認したら、横浜市は概ね震度3だったのに、うちの辺りは震度4だったようだ。東北地方でも震度4のところが多いのに、横浜でも震度4とは。

あんなにくたっていたのに、いつの間にか体が動いている。妻は夕食を作り始めている。しんどくて寝込んでいても、危機が迫ると体が自動的に動くのは、どういうメカニズムなのだろうか。

今日は調子が悪かった。頭にもやがかかっている。昼過ぎにメールの返事を書いていたら、だんだん頭の回転が遅くなってきた。知恵熱、ではないが、考えれば考えるほど、思考能力が明らかに落ちていく。

夕方になって、しんどくて横になった。最初から横になっていればよかったのに、と思う。今日は妻も調子が悪く、二人して布団に横になって「夕ごはん、どうしよう」という最悪の状態。どっちかが元気だったら、まだお弁当でも買いにいけるのだが。

なんとか夕食は、ご飯とふりかけ、インスタントの味噌汁、冷凍食品でしのいだ。レトルト食品、インスタント食品、冷凍食品は欠かせない。栄養バランスを考えると、とても褒められたものではないが。