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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日の日記で電子レンジがぶっ壊れた、と書いたその後の話。

うちは冷凍食品に頼りまくっているので、電子レンジがないと非常に困る。早く新しいものをゲットしなければ。とりあえず昨日の夜のうちに、ネットで調べまくって機能を比較したり、売れ筋のランキングやら価格.comのクチコミやらを参考にして、買う機種を選定した。

幸い今日は朝8時台に起きることができたので、しんどいながらも9時過ぎに家を出て、ヨドバシへ直行。昨日の夜にネットで注文してもよかったのだが、ヨドバシはネットショッピングでは延長保証をつけられない。Amazonもまた同じである。

平日午前中の家電売場はがらがら。お目当ての商品はすぐに見つかったので、店員を呼んでこようと思ったら、向こうから来てくれた。これが休日なら店員をつかまえるのが大変なところである。どうやらこの商品はヨドバシも一押しの商品のようで。「迷ったらこれ」とまで書いてあった。

お会計をしたら、表示価格より900円安かった。店員も「あ、値段下がってますね」とのこと。POPの価格は昨日ネットで調べたのと同じだったのだが、お会計をしてみると値下げされていたのだ。ちょっとラッキーだった。

ネットと店舗で価格が違うことはときどきある。地デジ対応テレビを買った時もそうだった。あの時も同じように、ネットで機種選定し、延長保証がつけられないのでお店まで買いに行ったら値段が違っていた。

その時は、ネットの価格より店頭価格が高かったので、店員を呼んで「ネットの価格より高いんですけど」と話をすると、「ちょっとお待ちください」と確認しに行った。数分後戻ってきて「ネットのお値段でけっこうです」と言われた。調べずに行くと損するところだった。と言うか、とりあえず値切ってみればよかったのだろうか。

午前中に行ったのだが幸いして、当日配送が手配できた。今は電子レンジを待っている。早く来ないかな。

今月は今まで臨時出費がなかったので、せっかく予算内に収まりそうだったのに。(ボソッ)

形あるものはいつか壊れると先人は言う。

10年使ってきた電子レンジが壊れてしまった。

なんてこった。

ネットで調べてみたら、修理したら1万5千円~2万円くらいかかるようだ。

電子レンジの値段を調べたら、2万円出せば新品が買えるではないか。

しかたがない。明日ヨドバシに行こう。

まだお金があるうちに壊れてくれてよかった、と思うことにしよう。

うちにある家電製品は、皆10年以上のものばかりだ。もし生活保護になってから壊れたら、どうすればいいのやら。

今朝、起きたら鬱だった。
何の前触れもなく鬱だった。
何の心当たりもなく鬱だった。

メンタルクリニックの通院日なのに、行くことができなかった。妻に薬だけもらいに行ってもらった。

昨日までは、外に出るのが億劫だとか、いまいち気力がないとか、気が重いとか、「鬱」とまでいかないレベルだった。これらは一般的に言われる「鬱」の症状のように思えるかもしれないが、自分の中では「鬱」ではなく、まだまだ「憂鬱」のレベルである。何度も何度も何度も何度も書いてきたが、「鬱」と「憂鬱」は全く別物である。

どう違うと言われても、説明できない。はじめて「鬱」に陥った時、自分の心身に何が起きているのか、全くわからなかった。今まで体験したことのない感覚であり、それ故に何かに例えることができなくて、言語化することもできなかった。今でも人には説明できない。「鬱」はあくまでも「鬱」なのだ。他の何者とも違う心と体の状態である。

鬱に陥ったのは、おそらく去年ODしたとき以来だろう。なにがトリガーになっているかもわからない。季節の変わり目などに、ホルモンのバランスがちょっと崩れただけで、だだだっと体調を崩すことが多いが、鬱もまたその一つに過ぎないのだと思っている。

鬱は22時を過ぎて、少し落ち着いてきた。それまでは布団にくるまって、目をぎゅっとつぶり、眉間にしわを寄せて、妻に「ごめんよ、ごめんよ」と言っていた。何にもないのに罪悪感や自己嫌悪を感じたり、「自分なんて死ねばいいのに」という希死念慮が出るのも、鬱の特徴である。ちょっとややこしいが、「死ねばいいのに」は「死にたい」と少し違う。違うからこそ去年は油断した。

外では嵐のように凄まじい風が吹いている。自分の鬱も、この風とともに吹き飛んでしまえ。

前回の記事の続きで、昨日参加した心理ワークショップで、「気」を送ってもらった後の話。

カウンセリングの受講生の実習が催眠療法ということで、被験者なる自分は催眠療法を受けた。自分は自律訓練法を昔からやっているので、催眠に対する誤解もないし、その辺の話は早い。まずは先生が自律訓練法を私の左手の温感で行ない、トランス状態に誘導し、言葉で潜在意識に働きかけてきた。

と書いたが、大半の人は???かもしれない。

自律訓練法というのは、たとえば「右手が重たい、右手が重たい」とか「右手が温かい、右手が温かい」とか、頭の中でつぶやきながら、その部位に意識を集中させる、という自己催眠である。この例で言うと、実際に右手がずしんと重く感じたり、本当に温かくなったりする。体をリラックスさせ、心身のバランスを取る効果がある。

自己催眠というと胡散臭そうに思うかもしれないが、医療現場でも用いられている、れっきとした治療法である。スポーツ選手なども取り入れていると聞く。私が教わったのは、ボイストレーニングの先生である。レッスンの最初に必ずこれをやらされた。

その後、受講生の実習として、再び催眠療法を受けた。その前に自律訓練法を行ったばかりだったからか、すぐにトランス状態に入ったような気がする。ヒーラーの話がオーケストラの話だったのだが、オケ伴で合唱曲を歌ってた頃のいろんな場面が、かなりはっきりとしたイメージとして視覚的に頭の中に出てきた。

自律訓練法では体をリラックスさせることはできても、それ以外の暗示を自分にかけることは難しい。訓練すればできるものなのだろうか?

昨日は、1月からお誘いを受けて参加している、心理ワークショップに行ってきた。友人Fがカウンセリングの講習を受けていて、その実習の場として無料で治療を受けている。いわゆる被験者の立場であるのだが、受講生だけでなく先生も治療に加わってくれるので、そこは安心している。

霊的ヒーリングやら気やら、まだまだ自分にはよくわからない世界だが、わからないものはわからないまま、とりあえず受け入れて、自分の反応を見ている、てな状態。

今回は、先月のように「ネット越し」ではなくて、直接「気」を自分に送ってもらった。しかし、正直言って、

「よくわかんない」

状態である。

ただ、3人のヒーラーのうち、1人が私の胸に手を当てた時、なんか「あったかい」を感じた。これは体温の温かさなのか、それともこれが「気」というものなのか、自分には区別はつかない。

私は理系だからなのか、それともそういう性格なのか、ときどき「理屈っぽい」と言われる。(本人の自覚はあまりない)
しかし、以前にも書いたが、「気」というものも含めて、非科学的、超自然的なことやスピリチュアル系のものに関して、頭ごなしに否定するわけではない。納得の行く説明がなくても、「これは自分の役に立つ」と思ったものは取り入れるというスタンスである。レメディーもまたその1つである。

東洋医学やらスピリチュアル系やら、いろんなところで出てくる「気」というものに関して、興味はあるし、実際に自分が体感できればおもしろそうだと思っている。しかし、今のところよくわからない。「気を送っています」と言われても、それを体感できないのだ。

ただ、その後に「ちょっと何かよくなりましたか?」と聞かれると、言われてみるとよくなったような気もする。文字通り「気」のせいなのか、それとも単なる気のせいなのか。

プラシボ的なものかもしれないが、自分自身は「プラシボでも、効けばそれでいいじゃないか」と思っている。まあこれはこれでそのうち、何かを感じ取れる様になるかもしれないし、ならないかもしれない。それはそれでいい。とりあえず続けてみるべ。