まだ旅行の疲れが残っている。朝は7時台にいったん起きたのだが、しんどくて朝食を食べてからまた寝てしまった。結局午前中は寝てしまった。
いろいろやりたいこと、やらないといけないことがあるのに、全く気力が起きない。どうしたもんかなあ。
まだ旅行の疲れが残っている。朝は7時台にいったん起きたのだが、しんどくて朝食を食べてからまた寝てしまった。結局午前中は寝てしまった。
いろいろやりたいこと、やらないといけないことがあるのに、全く気力が起きない。どうしたもんかなあ。
今朝は起きて朝食を食べて、しんどくてすぐまた寝てしまった。いつもならもう少しは起きていて、やっぱりつらいから寝る、という感じだったが、今日は完全にダメだった。
午後からメンタルクリニックに通院。ここ2週間の状況を話したが、結局は薬はそのままで様子をみるしかない。調子が上がってくるのを待つしかないのだ。
さて、こんな調子で明日はみちのくツアーに行けるのだろうか。まあ、現地の移動はレンタカーなので、なんとかなるだろう。しんどかったら自分だけ車に残って休んでいればいいや。とにかく朝起きて新幹線で新花巻駅まで辿りつければそれでいいのだ。
一番の問題は、朝に動けるか。動くしかない。今日はもう寝よう。
そういや今朝、派遣会社から仕事の紹介の電話があった。まさか私に再び仕事の話が来るとは思わなかった。実は、派遣会社の担当営業さんから契約の更新がないという話を聞いたとき、私は尋ねた。
「正直、自分の健康状態、勤怠ではお仕事を紹介してもらうのはもう無理ですよね」
担当者は少し戸惑っていたが、こう切り出した。
「正直に申し上げると、普通のルートでは紹介することは難しいです。ただ、こうやってお話させていただいてお人柄もよくわかっておりますし、職場での評価も高いので、もしそのつもりがあるなら、ある方法があります」
ある方法とはなんだろうか、と思ったら、
「ある種のニーズがあるのです。障害者枠での採用というものです」
おお、そう来ましたか。
障害者の雇用促進に関する法律で、会社は全社員の1.8%以上の障害者を雇わないといけないことになっており、その人数に達していない会社はペナルティを払わなければならない。企業を評価するときの目安の一つともなる「法定雇用率」と呼ばれるその数字を達成させるために、「有能な障害者」を雇いたい、というニーズはあるのだ。そして、最近この派遣会社では障害者雇用にも力を入れていて、そのセクションもあるという。
今のようにフルタイムで勤務するのが厳しい状態であれば、障害者手帳を取得できる可能性があるので、もし自分の気持ちを割り切ることができるのであれば、障害者手帳を取得し、障害者枠での仕事の紹介はできると思う、というのが上に書いた「ある方法」であった。
そこまで聞いて、そこまで考えてくれているのであれば、話すべきだろうと思い、実は自分が障害者手帳を持っていることを話した。法定雇用率のことも知っており、以前は障害者枠での就職活動をしていたことも話した。
しかし、精神障害者の雇用の実情に関しては、おそらく派遣会社の担当より私の方が詳しいかもしれない。自分の経験から言って「障害者」というと、ほとんどの会社は「身体障害者」しか想定しておらず、私のような「精神障害者」が応募してくるというのは想定外なのだ。メンタルヘルスが社会的問題になり、どの会社もうつ病になってしまった社員をどうケアしていけばいいのか模索しているのに、新たにうつ病の人間を雇うということはしない。
そういう私自身の持っている情報を話し、実際にその障害者雇用のセクションで私のような精神障害者の派遣を受け入れてもらえた実績があるのか尋ねたところ、
「なくはない、という話を聞いています」
との返事。「なくはない」って1例でもあれば「なくはない」だよなあ。それってほとんど期待できないなあ、と思いつつ、その派遣会社では私をその障害者雇用のセクションの方にまわして、その線で仕事を探してもらうことになった。正直、まったく期待はしていなかった。
はずだったのに、仕事の話が来た。しかし、障害者雇用の話ではなかった。案件自体は、
「自分の最寄り駅から2駅、そこから徒歩15分くらいの会社。200人くらいの何かの市場の会社で、それまで各部署でばらばらにExcelやらAccessで作っていたシステムやら何やらを、WEBアプリにしていくという社内SE」
という、私が元気ならばうってつけな内容であった。しかし、市場である関係で朝は8時から、月末になると週休1日になるとのこと。前の担当者から自分の健康状態に関する情報は聞いてないのか、とか、そもそも障害者雇用のセクションでの紹介をお願いしていたはずだった、という話をすると、その辺の情報共有ができていなかったようだ。どちらにしろ、今の健康状態では無理な案件だ。
失業給付金は300日支給されるので、焦ることはない。下手に不安定な状態で焦って就職し、新たに雇用保険に加入して、すぐクビを切られたら、失業給付金もリセットされて受けられなくなる。失業給付金は1年以上雇用保険に入っていないと給付されないのだ。
また状態が安定したら、他の派遣会社に登録してクローズドでどこかに潜り込み、ある程度実績を作って、そこに置いてもらう。前と同じ作戦で粘ることを今は考えている。じっとその時が来るのを待とう。
どうもしんどい。
朝は8時頃起きたのだが、しんどくなって昼前にまた寝た。1時間半くらい寝たところで、妻に昼食だと起こされた。
夕方も1時間くらいだろうか、またしんどくて横になったら寝てしまった。
こんな状態で週末に旅行なんて行けるんだろうか。出発は明後日だ。たいして持っていくものもないが、準備をしなければ。
ん~、どうも昨日、今日と調子がいまいちである。めちゃくちゃしんどいわけではないが、なんかしんどい、そんな感じがずっと続いている。今週末は高校時代の部活の友人と東北地方へ旅行へ行く予定なのだが、こんな調子では楽しめないじゃないか。
高校時代は卓球部に所属していた。同期は自分を含めて11人。高一の春に部活で出会ってからの腐れ縁。この仲間たちは、我が人生において最大の悪友にして親友たちである。卒業してからも旅行やらスキーやらドライブやら、よくもまあ一緒に遊んだものだ。高校は大阪だったが、私が大学を卒業して上京してからは、あまり頻繁に遊びには参加できなくなった。それでも若いうちには夜行バスで帰阪して旅行に行って新幹線で戻ってきたりしていた。
1995年に10周年記念パーティーを開いたのをきっかけに、5年ごとに記念のイベントをやっている。しかし5年前の20周年には私は参加しなかった。いや、参加できる状態ではなかった。「25周年には必ず出る」と切に願っていた。
友人たちはそれぞれ偉くなって、弁護士になって法律事務所を開いた奴もいれば、サラリーマンをしながら勉強して弁理士の資格をとり、特許事務所を開いた奴もいる。東大の大学院を出てからずっと物理の研究をやっている奴もいれば、一級建築士の試験に合格した奴もいる。
11人のうち9人が関西在住とあって、この25周年の企画は、関西組が飲み会で打ち合わせて決めたらしいのだが、みんな経済的に余裕があるのか、「5月に第一弾でみちのくツアー、夏に第二弾で海外旅行」という企画になった。その企画の内容を聞いたとき、私は既にリストラ宣告済みだった。
「あかん、金かかるからこの話、断るよ」
そう言った私に妻は、
「行ってきなよ。これが最後になるかもしれないじゃない」
と言ってくれた。そう、まだまだこの先どうなるかわからないが、下手したら本当に最後になるかもしれない。今ならまだ国内旅行に行くくらいはできる。仕事に子育てに忙しい40歳の11人のうち、今回のみちのく旅行は10人が揃うのだ。10年くらい会ってない友もいる。妻の言葉に甘えて、参加することにした。夏の海外は多分無理だろうだが、この旅行には行きたい。
四半世紀のイベントである今回の旅行に備えて、なんとか今週中に体調を整えなければ。