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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2001年10月2日

昨日は多分21:00までには寝付いたと思うが、かなり長い時間寝たと思って目が覚めて時計を見たら、まだ23:00頃だった記憶がある。そして、その後はよく覚えてない。5:30頃目を覚まして6:00前に起床したが、それまでの間に目が覚めたような気もするが、覚えてないのだ。そう言えば薬の本の「眠剤の副作用」に「一時的な記憶障害。途中目を覚ましたときのことや、起きてからしばらくのことを忘れる」とあったが、ひょっとしてそれなのだろうか。

テレビを見ていると、NHKのニュースで「うつ病やPTSDなどのメカニズムを科学的に解明するための研究を厚生労働省が始める」というのが出てきた。今の段階では、これらの病気はきちんと解明されておらず、根本的な治療でなく対症療法しか行われていないというのが現状だと言っていた。やはりそうなのか。入院してよくなったとしても、それはやはり「対症療法」に過ぎないのか。もっと早くこの研究が始まっていればよかったのに、と思う。今のところ再発を防ぐには、自分自身で何かしら「自己変革」を行う必要があるのは間違いなさそうだ。それには精神科医だけに頼っていてはだめなのだろう。医者、カウンセラー、自助グループ、ケースワーカーなどいろいろな人や組織がいるが、その住み分けや連携はどうなっているのだろうか。

外泊時に買ってきた本「あくせくするな、ゆっくり生きよう」を読み始めるが、ちょっと読んだところで頭がぼ~っとしてきたので、途中で本を閉じる。やはり集中力がない。

朝食後、なんだか眠い。頭がぼ~っとしている。こういうときは無理せず休んだ方がいいのか、散歩にでも行って体を動かした方がいいのか。どちらがいいのか未だにわからない。

今まではストレス耐性訓練として週に1回外出、月に1回外泊する予定で、今回の外泊に成功したらペースをあげていこうかと思ったが、失敗した。今のペースを維持した方がいいのか、それとも「慣れる」という意味ではもっと頻度を増やした方がいいのか。とりえあえず主治医に相談することにして、面談の希望を看護婦に伝えた。

7:40くらいから散歩に出かけた。廊下にたくさん猫が集まっていて、O嬢が手なづけている。それを横目にグランドをつっきり、音楽堂を目指す。と、一匹の猫が私についてきた。少し私が歩くと、後ろからぴゅっと抜かしてきて先回りし、じっとこちらの方をうかがっている。私が追い抜いてちょっと歩くと、また追い抜かす。どこまでついてくるんだろう?音楽堂に着いて、私がオカリナを吹き出すと、聴いているんだかいないんだか、ともかくずっと音楽堂の「観客席」のあたりをうろうろしていた。コンサートで吹く曲を一通り吹き終えると、いつの間にか猫はいなくなっていた。相手にしてもらえなかったので、あきらめて帰っていったのだろうか。

その後は、短い山道を何回もぐるぐるとリングワンデリング。一周3分という短いコースだ。もうちょっとコースにバリエーションを取り入れてもいいが、今日は半ズボンで来たのと、昨夜雨が降って草が濡れてるのもあって、歩きやすい道だけをぐるぐると回った。

作業棟へ行って、基礎データの計測をすると、やっぱり心拍数はかなり高い。あれだけ散歩してもあまり意味はないのか。なぜなんだろう。ただ、体脂肪率は過去最低を記録した。少しずつ効果は出てきているのだろうか。体重は変わらないのだが。

心拍数が高いまま体力テストを行うと、心拍数はさらにどんどんあがっていって、やはり「6段階中の1。劣る」が出た。前のように少し休んでからもう一度やると違う結果が出るかな、と思ってもう一度やってみた。が、心拍数の上がり方は最初と同じだ。これだとどうせ同じ結果が出るに決まっている。2回目の体力テストは途中で打ち切り、そのまま通常のトレーニングに入った。

今日からは20分でなく、30分を1セットにすることにした。脂肪は20分くらいから燃え始める。20分だけだとあまり効果がない。ということで、30分を2セット。途中のインターバルでは腹筋もした。作業療法の時間は11:00までだが、ぎりぎりだった。

珍しくY嬢が作業棟に来ている。彼女は2年くらい入院しているらしいが、家の事情で退院できないとか聞いた。エアロバイクを漕いだ後、腹筋している。と思ったら、腹筋用の長椅子にそのまま寝そべってしまった。しばらくして病棟から電話が入り、Y嬢は一度作業棟から姿を消したが、また後でちらっと姿を見せた。私が手を振ると、Y嬢も手を振ってくれた。

作業療法士の実習生が、患者と一緒にエアロバイクを漕いでいる。以前にグランドで会った彼だ。彼の来ているTシャツの背中に「あせらず あきらめず あてにせず」と書いてある。ふ~ん、そっか~。てな感じだ。

昼食前に、「医者からもらった薬がわかる本」を私が買ったという話をしたら、みんなが見たいというので喫煙所に持ってきた。みんな「○○は?」「△△は?」と自分の薬について調べてと言うので、片っ端から調べる。本来ならば医者が処方した薬については、医師か薬剤師か忘れたが、その薬についての説明をする義務がある。外来で診察を受けて薬を処方されると、今では必ずそういう説明書きがついてくる。が、入院患者にはぜんぜん説明がない。多分、説明してくれと頼むとしてくれるのだろうが、忙しいのでやってないのだろうか。Mちゃんが飲んでいる薬の「処方目的」の中に「人工冬眠」というのがあって、みんな「何それ~?」と首をひねっている。Mちゃんはとても気になっているようだ。「今度先生に聞いてみよう」なんて言っている。

喫煙所で話していると、2回目の入院のWさんが「前に退院するとき、主治医に『あなたはまた戻ってくるタイプですよ』と言われた」と言って、みんな驚く。「だから気をつけるように」という意味なのだろうが、もうちょっとましな言い方はないものか。

13:00頃から病院内の食堂で、明日退院するKさんの送別会を開く。食堂の外のテラスでみんなでテーブルを囲む。今日は日が照って暑い。Kさんは私の一つ年上で、私と同じように会社員で技術職で、私と同じような性格で同じような経緯でうつ病になったそうだ。そういうわけで一番親近感を持っていただけに、別れは寂しい。くれぐれも無理をしないように、元気でやってほしいと願う。「Kさんは私の旦那さんなんだ」と言っているMちゃんは「行かないで」としきりに言っている。彼女はラブアフェクションの傾向もあり、「異性とデートするにも主治医の許可が必要」らしい。依存症が移行するタイプのようだ。そのMちゃんの退院も近いようなことを言っている。今月半ばにはO嬢も退院予定だ。同世代がどんどん減っていって寂しくなる。

送別会の途中で、Oさんの主治医が来てOさんに告げた。「明日に決まったから」Oさんは転院することになっていて、その日程はまだ未定だったのだが、「早ければ10月3日」ということは聞いていたらしい。だがぎりぎりまでわからないと言っていたが、明日に決まったようだ。Kさんの送別会だったのに、突然Oさんの送別会にもなってしまった。みんなまたまた別れを惜しむ。転院の理由は「この病院の治療方針より、転院先の治療方針の方が彼女にあっていそうだから」だそうだ。ここの病院は、いわゆる普通の精神科的療法、つまり「薬物療法」であるが、転院先では「森田療法」で治療を進めるらしい。薬物に頼らず、自分を変えていく療法だ。Oさんの話によると、最初の一週間は寝たきりで、トイレと洗面以外は起きてはだめ。その後は、次から次へといろいろなことをやらせて「不安を感じている暇がない」「悩んでいる暇がない」状態にさせ、次第に不安を取り除いていくという行動療法らしい。「また戻ってくるかも」彼女は言う。その療法で効果がなかったら、ということである。自分にとってどの治療方法が向いているか、それはなかなかわからない。試してみないとわからないし、試してみてもわからないかもしれない。

送別会の後、15:00のシャワーをはさんで「情報セキュリティアドミニストレータ」の参考書を読み進める。リスク管理はけっこう奥が深い。いろいろなリスク評価法がある。そもそもこれは独立した「リスクマネジメント」というものが前提にあるのだろう。会社の研修でもそういう名前の研修があった。かなり勉強になった。

参考書を読んでいると、16:00ちょっと前に主治医に呼ばれて面談した。外泊でまた蕁麻疹と鬱が出たことを告げ、週1回の外出と月1回の外泊のペースを、ストレスに慣れるという目的では増やした方がいいのか現状維持の方がいいのか相談したところ、「1回外泊して症状が出ないようになるまでは今のペースでいった方がいい」と言われた。あまり無理はさせない医者で、いつも「まあ、あせんないで」と口癖のように言っている。それから、最近は睡眠障害も改善されてきて、夜中に目が覚めたかどうかもよく覚えてないことや、起きてからもまだ頭がぼ~っとしていて、眠剤が残っているのではないか、ということも伝えた。自分としては眠剤を減らしていきたいと思っていて、それを期待したのだが、「まあ、いい傾向ですけど、とりあえずこのままいきましょう」ということで眠剤は変わらなかった。

面談の後、いつもの通りリラックス体操をする。これのおかげで体が柔らかくなったような気がする。心も柔らかくなっていくだろうか。この体操はヨガを基本としているが、ヨガ自身にもちょっと興味を持ったので、先日外泊したときにヨガの入門書を買ってきた。ついでに「気孔」の本も買ってきた。そっち方面にも少し興味が出てきて、いろいろ試してみようと思っているのだ。

夕食後、メールを2通書いた。1通は歌のグループ宛で、外泊は月に1回のペースにしたので、今月は試験を受けるため、その外泊のみで練習には参加できないこと、もう1通は会社宛で、現在の状況を報告し、まだまだかかりそうで、目標としては傷病欠勤の期限が切れる来年の7月頭を目指していることを書いた。会社の人はもっと早く出てくるものだと思っているだろうから、驚いているかもしれない。こちらが長期戦を覚悟した以上、会社の人にも覚悟してもらわねばならぬ。

連絡会で、KさんとOさんが退院の挨拶をしていた。Kさんは「ここでの3ヶ月間を無駄にしないよう、これからの糧としていきたいと思います」と言っていた。私もそう言えるくらいに回復したい。ここでの生活を決して無駄にはしたくない。Oさんは涙ぐんで「みなさん、お世話になりました」と話していた。

夜、Kさんと最後の卓球をする。Kさんは素人ながら、会社の寮で先輩に叩き込まれたそうでかなりうまい。たて続けに「最後に一勝負」とみんなが次々と相手してくるので、Kさんは汗だくになっていた。S君は自分のボールに自分の名前を書いて「僕のサインボールです。これを見て僕を思い出してください」と言って渡していた。不思議な発想をする人だ。

実家の母親から電話があった。ACのことについて両親に理解してもらいたくて、自分が持っているACの本のタイトルと著者、出版社を先日連絡して「とりあえず読んでみて」と言っておいたのだが、「探したけどなかなかなくて、取り寄せになって明日来る予定」だそうだ。正しく理解してもらえるか心配だが、「アダルト・チルドレン」ということ、それから「機能不全家族」について理解してもらいたい。理解してからどうしてもらいたい、というのは具体的にはないのだが、ただ理解してもらいたい、それだけだ。私が読んだ限り、うちの家族が「機能不全家族」と判断できる記述はいくつもあったが、両親が読んで、それをわかってくれるだろうか。「うちはそうじゃない」と思うだろうか。

20:00前から「アダルト・チャイルドが人生を変えていく本」を読み進め、最後まで読んだ。ACから回復し、人生を変えていくためのいろいろな「プロセス」が解説されてあったが、今の自分はまだその「プロセス」を実践することはできない。が、参考にはなった。これらの「プロセス」を実行するには、自助グループやカウンセラーの存在も不可欠になってくる。ACから回復する「プロセス」を実行できる日は来るのであろうか。

続いて「あくせくするな、ゆっくり生きよう」を読み進める。「小さいことにくよくよするな!」の著者リチャード・カールソンの「大ベストセラー」と裏表紙に書いてある。読んでいくと、今までいろんな本で読んできたことと共通するようなことが書いてある。やはり「悩みの種」は自分の思考が作り出した結果であり、思考方法を変えることが重要だと書いてある。そして、自分に取り入れるべき「流動的思考法」について解説している箇所を読んでいるところだ。確かに、ここに書いているような「流動的思考」ができれば、もっと気楽に生きれるだろう。しかし、それが果たして自分にできるか?それは、これから読み進めていくと、どうすればそれができるか解説してあるに違いない。赤線を引きながら読み進めている。

もう20:30になる。そろそろ着替えて就寝準備に入ることにしよう。