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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2013年9月7日

先の日記で、この団地では所得制限があり、社会的弱者の集まりである、と書いた。この「所得制限」についてちょっと触れておこう。具体的な金額を記述してるが、「県営住宅 募集のしおり」や県のWebサイトにも書いてあるので差し支えないだろう。

所得制限の基準となるのは「月収」の金額で、この金額は世帯全員の所得から控除額を引き、それを12で割って算出する。所得税の計算に似ているが、基礎控除や社会保険料の控除、生命保険料等の控除がないので、税金の計算よりもシビアである。うちは扶養者控除1人分と2人分の障害者控除があるが、この障害者控除が大きいので助かっている。

具体的な所得制限の金額だが、普通の世帯では上記の月収の上限が158,000円、高齢者世帯や障害者世帯(うちはこれ)の場合は少し緩和されて214,000円となっている。共働きで子ども1人の普通の世帯で年収を逆算すると、税引き前の年収は2,656,000円が上限となり、そこから所得税などが引かれるので手取りはもっと少なくなる。なかなかシビアだ。

そして毎年必ず前年の収入調査があり、3年続けて収入超過があれば退去を命ぜられる。1年だけではないのは、たまたま会社が儲かって去年だけボーナスが多かった、というようなケースもあるので、継続的に収入額が上がったかどうか判断するためだろう。

そういうわけで、うちの場合は収入が低いのは「ワケあり」なわけだが、ずっとこの団地に住んでいる人たちは、やはり「ワケあり」の人が多いようだ。ざっと辺りを見渡したところ、シングルマザーが3人、独居老人が2人いる。団地全体での高齢者率はかなり高く、その他の世帯でも何らかの事情を抱えているところは少なくないかもしれない。

夫婦揃って精神障害者、というのは少しレアケースかもしれない。うちの「ワケ」は、そのうち理解してもらえるのだろうか。

昨日の日記で、「病気なのに病気に見えない」「まだ若いのに仕事もせずに昼間からぶらぶらと、と思われる」ということを気にしている、と書いたのだが、どうしてそれを気にするのか、その背景を書いておこう。 

最近では、同じマンションにやアパートに住んでいても、隣の人や、さらにその隣の人がどんな人で、何をしているかよく知らない、ということが多いかと思う。必要以上に周りの住人に干渉することもなく、逆に干渉されることもない。

しかし、この団地ではコミュニティが密であり、干渉されまくりである。否応なしに自治会組織に組み込まれ、回覧板が回ってきたり、自治会費の集金当番が順番に回ってきたり、自治会の常任委員が順番に回ってきたり(今年はうちとお隣さん)する。夏祭りには露店もやった。ご近所との付き合いが深いので、だからこそ「どう見られてるか」がいろいろと気になる。

 

入居したての頃に、ちょっと驚いたことがある。うちの棟の掲示板に「4月の清掃は29日(日)7:30からです」と貼ってあったので、詳細は何も聞いてなかったが、とりあえず汚れてもいい格好をして7時半に団地の前に出てみた。

何人か先に出ている人がいて、そのうち人が集まってきたのだが、「○○さん、出てきてないわね」とみんなが話していた。そりゃそうだろう。自分も子どもの頃は自治会で公園の草むしりとかやったが、みんながみんな出てくるわけでもない。そう思っていたら、

「まだ寝てるのかな?」
「起こしましょうよ」

という会話があって、1階に住んでいるその人のドアをドンドンドンと叩き、

「○○さ~ん、朝ですよ~、お掃除ですよ~」

と起こしに行ったのだ。

「この団地では、他の住人に起こされるのか」

と正直びっくりした。

 

後からわかったのだが、原則として清掃は各世帯から1人は参加しないといけないが、やむなく欠席した場合は「清掃欠席代」として後から1,000円徴収される。毎月このペナルティを払ってでも出ない人もいるのだ。先ほどの起こされた人は、毎月ちゃんと出ているのに来ないので、起こしに行ったらしい。

また、この団地は低所得者向けの県営住宅で、当然ながら所得制限がある。みんな生活に余裕がない人ばかりで、社会的弱者の集まりと言ってもいいだろう。弱者の集まりだからこそ、みんなで助けあうわけだが、その代わりに同じ弱者に対しても厳しい。夜勤の人で、どうしても毎月の清掃には出られない人がいる。そういう人は事情が事情なので免除、というわけではなく、どんな事情があれ、清掃欠席代は容赦なく徴収する。そういう世界である。

こういうご近所との関係は、優しくもあり厳しくもある。そんな環境で生活するのは子どもの頃以来で、昭和にタイムスリップした気分だ。