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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2010年1月

今日も会社、行けなかった。

でも今日は割と暖かい。東京では梅が咲いたらしい。

よし、チャンスだ。

これよりプチ断眠決行。

4時まで起きて、8時まで寝てからそのまま会社へ行く算段。今からもう外に出られる格好をしている。去年の12月は、8時とはいかなかったが10時くらいに起きてトンネルを脱することができた。今回もうまくいきますように。

正直、体にはこたえるし無茶をやっているとは思っているが、そうでもしないと膠着状態をぶち破れない。なんとしてでもこの状態から抜け出すのだ。

今日も会社を休んでしまった。昨日のように一日中寝ていた、とまではいかないが、昼までは寝ていた。その後はただぼんやりとテレビを眺めていた。ただひたすら小沢氏のことと、あとは小林繁投手の訃報についてワイドショーでとりあげていた。小林繁なんてもう何十年も忘れていた人物だったが、なぜか軽いショックを受けた。最近「人の死」というものに敏感になっているのかもしれない。

私が小学生の頃は、遊びというとまず「野球」であった。軟式ボールを使って近所のグランドで死ぬほど野球ばかりしていた。私自身は特にプロ野球が好きだというわけではなかったのだが、そういう場合、大阪ではデフォルトで阪神ファンということになる。小林投手のサイドスローは、毎日サンテレビ(神戸のUHF局)かKBS(京都テレビ)で必ず試合最後まで放送する阪神タイガースの試合でいつも観ていた。阪神ファンの子どもたちはみんなあのサイドスローを真似したものだ。明石家さんまがブレイクしたのも、小林投手のモノマネがきっかけだったと記憶している。

最近昔を懐かしむことがなんだか多い。歳をとったな、と感じる。

今日はテキサスバーガーどころか、しんどくて朝から晩まで寝ていた。

一日中寝ていたというと、そう今から15年前の1月17日もそうだった。大学を卒業して長年住み慣れた関西から上京した社会人一年目の1月17日、私はインフルエンザにかかり、40℃の熱が出て一日中会社の寮の部屋で寝ていた。その日はしんどくて病院にも行けなかった。

夜になってからなんとか起きてテレビをつけてみた。ニュースでは何か大きなものが燃えている映像が映し出されていた。熱で朦朧とした頭で「どこかの工場で火災でもあったのかな」と思ってい見ているうちに、とてつもなく大変な事態が起こっていることがようやく理解できた。

1995年1月17日。阪神淡路大震災。

大阪出身で京都の大学に通っていた私は、京阪神地区に友達がたくさんいる。ネットにアクセスすると、既に安否情報が飛び交っていた。私は友人に電話した。繋がらない。こういう災害の時は安否確認の電話は、心配かもしれないがしてはいけない、と知っていたのにそのときはそんなことは全く頭の中になかった。人間テンパったらそんなものかもしれない。

次の日、まだ熱の下がらない私はテレビをつけっぱなしにしてベッドで寝ていた。テレビでは地震のニュースを延々やっていて、身元が確認された犠牲者の名前が読み上げられていた。画面は見てないが、テレビの音は聞いていた。そしてある犠牲者の名前が読み上げられたときのことだった。

「神戸市○○区、△△××さん」

私は驚愕のあまり、動けなくてぐったりしていたのが嘘のように反射的に起き上がってテレビの画面を見た。

同姓同名だった。

私の友人と、住んでいる区も名前も同じ犠牲者の方がいたのだ。テレビで見て、字も年齢も違ったのでほっとしたが、あの時の驚愕の瞬間はは未だにスローモーションのように鮮明に覚えている。

私の知人で亡くなった人はいなかったが、家が全壊してしまった人やその他被害を何らかの形で被った人は何人もいる。私の実家は幸いにも大阪でも京都寄りで、震度5くらいだったらしく、大きな鏡が落ちて割れたくらいですんだらしい。

私は今、いつ地震が来てもおかしくないとずっと前から言われつつまだ来ていない場所で暮らしている。私のコンテンジェンシープランは大丈夫か。ハイチの大地震の状況をテレビで観ていて、自然災害の恐ろしさを改めて知るとともに、今一度万が一の事態に備えて今の自分は何をすればいいのか、見直すべき機会であろう。

今朝はあかんかった。いや、ほんまあかんかった。4週に1度の内科への通院日だったのに、行くことができなかった。9時頃に妻に「薬飲みなよ」と起こされて朝の薬を飲んだのはいいが、そのまままた寝てしまって、起きたら13時を過ぎていた。しかたがない、内科へは月曜日にでも行こう。

それはそうと、最近気になっていることと、それとは別に昨日からどうしても気になっていることがあった。昨日から気になっていることというのは、マクドナルドの期間限定商品「テキサスバーガー」である。CMを見た時から、なんかうまそうだな、食いたいな、と思っていた。

実は糖尿病になってから私は一度もマックには行ってない。だが、たまに食べるくらいならちょっとカロリーオーバーしてもまあいいや。これはうまそうだなあと思っていた矢先に、発売開始となった昨日のmixiニュースのトップに「テキサスバーガー超人気」というのを見つけ、記事を読んでますます食べたくなってしまった。

しかしながら、体はしんどくてなかなか動けない。だが食欲とは恐ろしいもので、食べたいよう、食べたいよう、と思っていたら、17時頃だっただろうか、「うおっしゃー」と気合が入り、着替えて外に出てバスに乗って関内のマクドナルドへ。

現実は甘かった。「売り切れ」であった。ああああ、そうか、そうだなあそんな人気で期間限定商品、こんな土曜日の夕方に行っても売り切れて当たり前かあ。メガマックの時も同じ経験をしたぞなもし。それ目当てで来たので他のハンバーガーを食べる気も起きず、結局近くの天下一品で夕食は済ませた。

そして、妻に「目がなんか赤いよ」と言われたのをきっかけに、せっかく外に出てきたら眼科に寄って行くか、ということにした。最近目が疲れやすいし見ているものがかすむのだ。冒頭に書いた「最近気になっていること」と言うのはこの目の疲れである。また以前のようにアトピーで角膜に傷がついているのだろうか。とりあえず年中無休で20時までやっている横浜駅東口のスカイビル眼科へ行った。

診察の結果、意外や意外、40歳になってあきらかになった事実があった。自分の鼻の前30センチメートルくらいに人差し指を立てて何も考えずに両目でそれを見たとき、普通の人はそれが何本に見えるだろうか。普通は1本であろう。しかし、私は2本に見える。それはずっと昔からそうなのだ。ちょっと意識すれば1本に見える。しかし、それがだんだんしんどくなってきた。

いろいろな検査をした結果、私は「右目と左目の焦点があってない」ということがわかった。だから、両目で見たものの焦点を強制的に合わせようとして、目の周りの筋肉を普通の人より余計に使っているのだという。そしてそれは年齢とともに衰えていくので、だんだんしんどくなってきて、焦点が定まらなくなってきたり目が疲れやすくなってきたり、ひどくなると瞼が痙攣したりしたりするらしい。

これは斜視の一種らしく、生まれつきのものだそうだ。見てあきらかな斜視とは違うので本人も他人も気がつきにくいらしい。この歳になってようやくそれがわかったわけだが、根本的な治療法はない。しかし、今かけている眼鏡を自分専用にカスタマイズしたレンズに変えれば、見え方は同じでも目が楽になるという。つまり、目の筋肉で焦点をあわせるのでなく、今の目の状態で自然にピントが合うように、眼鏡の屈折を調整するというのだ。

眼鏡を作った経験のある人ならわかるだろうが、牛乳ビンの底みたいな真ん丸眼鏡に何種類ものレンズを入れ替えて、いろいろ試してみた。そうしたら、普段と見え方は同じなのに、そのようなレンズを使ったときはとても目が楽だった。それを踏まえて、眼鏡を作るかどうかのご判断はお任せします、と言われた。オーダーメイドだとハンパないくらい高いのでは?と思ったのだが、カスタマイズ料は片目のレンズで2000円だというので、「作ります」と即決してしまった。

ということで、今の眼鏡はスペアとして残すことにして、そのまま眼科の隣の眼鏡屋で眼鏡を買ってしまった。4万いくらかだったかな。ちょっと痛い買い物ではあるが、眼鏡としては決して高い金額ではない。最近は格安メガネ店がいろいろあるが、私みたいに近視も乱視もひどいとどっちみちレンズにお金がかかり、5万円くらいかかるのは普通なのだ。目の負担が軽減されるというのは長い目で見てとてもありがたい。

できあがるのは1週間後である。これで少しは死ぬほどつらい肩こりからも解放されるだろうか。それにしても、テキサスバーガーを食べたくて外出したのに、眼鏡を注文して帰ってくるとは。明日こそテキサスバーガーを食べるぞ!昼までには根性で外に出るのだ!

う~ん、結局今日も動けず。家から一歩も出てない。

年末調整の結果が出た。予想通り、所得税は全額返ってきた。よって確定申告の必要なし。この1年、せっせと治療費の領収書をためて、医療費を交通費なども含めてExcelでまとめて来たのが無意味になってしまった。入院をしていつもの年より医療費がかさんでしまった年に限って、なんだかなあ。