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鬱るんです
躁鬱病の元ITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、派遣のエンジニアをやったり小さなIT企業でほそぼそと働いたり、Web制作事業を立ち上げようとしたりしたが、今は就労継続支援B型事業所でリカバリーを頑張っている毎日。

月別アーカイブ: 2018年1月

また体のトラブルの話。

昨年の5月頃、急に声が枯れるようになった。すかすかな声しか出ず、妻にも「なんて言ってるかわからない」と言われる始末。こんな生活なのであまり人と話す機会はないのだが、それでも飲食店でオーダーすると「え?」と聞き返されるし、医者と話すのも一苦労という状態だった。

耳鼻科に行って診てもらうと、「アレルギーですね。お薬出しておきますから吸入していってください」と言われた。それから飲み薬を飲み、トローチを舐め、2週間おきに通院したのだが良くならない。2ヶ月くらい経った頃、「まだ良くならないんですかねえ」と話すと、「もう少しですねえ。アレルギーだから、荒れやすいんですね」との答え。

4ヶ月ほど経ってもまだ良くならない。調剤薬局で薬剤師の方が「調子はどうですか?」と聞いてきたので、これまでの経緯を話したら、難しい顔をして「4ヶ月経って良くならないのはおかしいですね」と言われ、薬の副作用とかいろいろ調べてくれた。それでもわからなかったので、「喉専門の他の耳鼻科に行ってみたほうがいいですよ」と言われた。「声が枯れるということは、単なるアレルギーではなくて声帯自身に何らかのトラブルが起きている可能性がありますから」とのことだった。それは自分も考えていた。

それで、10年ほど前に1回だけ行った、声楽家を兼業としている耳鼻科に行ってみた。声の専門の先生で、カメラを使って直接声帯を見てくれる先生だ。発声に関するアドバイスもくれる。前回も撮影した写真を自分にくれた。果たして今回の結果は、何も異常はなかった。普段の話し方も腹式呼吸を意識してみると、多少聞きやすい声が出るでしょう、と言われた。

その後、もう放ったらかしにしていたら、いつの間にか治った。いったいなんだったんだろう。それにしてもはじめに行った耳鼻科、近いことだけが取り柄で評判はすこぶる悪かったのだ。また何かあったときに、耳鼻科に行くのが嫌だなあ。この辺には他に評判のいい耳鼻科はないのだ。先の声楽家の耳鼻科も通うにはちょっと遠い。いい病院できないかなあ。

毎月内科に通っている。診察では血圧を計るのだが、血圧計には心拍数も表示される。去年の9月だったか、その心拍数が37だった。60~70が標準で、40を切ると危険らしい。ここ最近は不整脈が多かったので、その場で心電図の検査をした。やはり不整脈だったので、久しぶりに24時間心電図検査をやることになった。小型の心電計を体に貼りつけて24時間行動し、その結果を解析して異常がないか調べる検査である。検査結果によっては大きな病院で診てもらう必要があるかもしれない。

その結果、24時間の間に心拍数が30まで落ちている時間帯が2回あった。1回目は夜に寝ているときだったが、2回目はお昼の12時。ばりばりに活動しているときだ。脈が極端に遅いと、脳に酸素が行き渡らなくなって意識がなくなり、いきなりバタンと倒れたりして大変危険とのこと。最悪の場合、心臓ペースメーカーを埋め込まないといけないかもしれない、と言われていてちょっとびびっていた。とりあえず今はめまい、ふらつきなどの自覚症状がないので経過観察となった。また不安要素が増えちったよ。

心臓がさぼってるのか?

一昨年の7月頃だったか、いきなり右膝が痛くなった。曲げるとめちゃくちゃ痛い。整形外科に行ってレントゲンを撮ったのだが、その結果の画像を見て医者が、

「始まってるなあ」

と言った。な、何が始まってるんだ~。

どうやら軟骨がすり減ってきてるらしい。ずっと寝てばっかりいるせいで筋力が衰え、骨に負担がかかっているのだろうか。「変形性膝関節症」と診断された。それからしばらくリハビリに通い、装具も作ってロボットのような足で歩いていたりした。リハビリはめんどくさいのでそのうち行かなくなってしまったのだが、幸い少しずつ膝の痛みは和らいでいた。今はだいぶ良くなったが、まだ走ったりはできない。

 

一昨年の9月頃だったか、いきなり腰が抜けた。ぎっくり腰というやつだ。前から腰は悪かったが、ぎっくり腰はぜんぜんレベルが違う。本当に動けないのだ。これはこれは困った。なんとか数日で回復したが、またなったときのことを考えると非常に怖い。

 

一昨年の11月頃だったか、左腕が上がらなくなった。上だけでなく、いろんな方向に大きく動かそうとしても痛くて動かなくなった。医者には四十肩と言われた。それからとても不便になった。一番難儀なのが着替えることである。特に前開きのシャツを着るのにものすごく苦労する。外に出るのにまず着替えないといけないが、そのハードルが上がってしまっている。

 

去年の7月頃だったか、右腕が上がらなくなった。上だけでなく、いろんな方向に大きく動かそうとしても痛くて動かなくなった。医者には五十肩と言われた。ああ、四十肩と五十肩が同時に来てしまった。これら2つの違いは、特にない。呼び方の違いだけである。幸い左肩はだいぶ良くなっていたが、右肩は今でも良くなっていない。相変わらず着替えるのが非常にめんどうだ。夏になるとずっとTシャツ一枚で過ごせるので楽なのだが、この季節はそうはいかない。

 

なぜこんなに関節ばかりやられるのか。アラフィフとなった今、「老い」は容赦ない。

一昨年から「生活支援センター」という施設に月1~2回通っている。生活支援センターという名前では何のことかよくわからないが、横浜市の各区に1つずつある精神障害者の生活をサポートする場所、人たちで、NPOによって運営されている。

そこで何をするかというと、利用者がただ集まってお喋りしたり、ガーデニングやスポーツなどの活動があったり。その他には、職員がいろいろな相談に乗ってくれたり、家を訪問して話を聞いてくれることまであるという。活動内容は多岐にわたるが、いわば精神障害者の駆け込み寺のようなものである。

このセンターの存在は現在の主治医から聞いて知った。「できるだけ外に出なさい」という主治医は、「生活支援センター」を利用しなさい、とやたら勧めてくる。まあ、確かに何らかの目的があった方が外に出るモチベーションが上がるだろう。

しかし、どうもこのセンターに行くのはためらわれる。他の利用者と馴染めないのだ。昔はおしゃべりが好きな自分だったが、今は行くだけでしんどくて、着いたときには常にテンションが低く、人と話すのが苦手になっている。一方、他の利用者の人たちは皆テンションが高く、入っていけそうにない。今は妻と2人で行って、みんなとは少し離れて座って二人で本を読んだりひそひそ話をしている程度。

だいたい最近では月に2回通っている。自分たちが通っている皮膚科がすぐ近くにあって、いつも待ち時間が2時間くらいあるので、その間の時間を潰させてもらっている。それから月1回、職員と面談をしている。主治医の診察とは別に、自分たちの体調や生活の状況を話して、いろいろアドバイスをもらったり、その他雑談めいたものだ。自分がなかなか通えないので、面談という予定があれば外に出るきっかけになるのでは、と職員に提案されて始めた。

それでも去年の12月はしんどくて行けなかった。今月は先日なんとか行けた。自分のペースで続けたい。

夢を見た。

昔に働いていた会社の同期の連中と、レストランみたいなところで食事するところだった。「お前、今どうしてるんだよ」と聞かれたが、答えようがない。「言ったらみんな引くから」と言うのだが、「教えろよ」と言うので、今までのことをだーっと喋った。みんな引いていた。いたたまれない気持ちになった。

場面が変わって、今度は会社の中だった。なぜかわからないが、会社がそのビルから撤退する様子だった。自分は右往左往していた。女性の社員が自分のことをひそひそ噂している。

この会社はたびたび夢に出てくる。懐かしがってるのかな。

自分の夢には、最近会う人や場所よりも、しばらく会ってない人や、行ってない場所の方がよく出てくる。夢を分析すると何かわかるのだろうか。