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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:入院生活

耳栓の勝利だ。よく眠れた。と言っても、昨日は2:30から起きていたし、けっこう運動もして疲れていたのに昼間寝ないようにしたためでもあるだろうが、とにかくよく眠れた。とは言え、中途覚醒がなかったわけではない。21:00消灯後、0:00に目が覚めるが、また眠れそうだったのでそのまま寝た。次は2:00に目が覚めて、今度は寝ようとしても眠れなくなったので、2:30に追加眠剤をもらう。すると4:00までぐっすり眠れた。眠れなかった30分を除けば、トータルで6時間半は寝たことになるし、眠りも深く熟睡感があった。4:00から早起き組でいつものひそひそ話。

暖かいコーヒーを飲みながらTさんとお互いのことについて話す。「自分の苦しみをずっと誰にも言えなかった。家族にも言えなかった。大量服薬をして部屋中に嘔吐したとき、自分が精神を病んでいることをはじめて家族が知った」そう彼女は言った。私の場合、鬱がひどくて3日間無断欠勤し、会社からの「大丈夫ですか、連絡ください」という留守電にも応答できなかったとき、会社から実家へ連絡が行き、父親が「あの子は絶対に無断欠勤なんかするはずない。きっと事件に巻き込まれたに違いない」と思って警察に捜索願を出し、部屋に警官が入ってきて、はじめて親が知ることになった。

朝、状態が安定して気持ちがいいので、お休みにしていたストレッチを行う。すると、一度も話をしたことのないUさんが「あら、体固いわね~」と話しかけてきた。ストレッチのこととか、「こういう腹筋運動もありますよ」とか教えてあげて(それは足上げ腹筋で、足で1から10の数字を書くというものだが、かなりつらい)、いろいろ話をした。彼女はいつも不機嫌そうな表情で、挨拶もしなければ、誰ともしゃべっているところをみたことがない。私には心を開いてくれたようだ。

水曜日の朝はシーツ交換。ついこの間やったばかり、という気がする。一日は長いのに、どうして一週間は短いのだろう。手早くシーツや枕カバー、包布、タオルケットを交換する。きれいなシーツは気持ちがいい。

喫煙所で煙草を吸っていると、いつも一人で来て一人で吸って一人で帰っていく女性がきた。名前は知らないが、顔に全く表情がなく、いつも同じ服を着ていて、そして一言もしゃべらない。一つ一つの動作がものすごく遅い。どういう病気か知らないが、みんなどう扱っていいのかわからない、という人だった。その人がやってきて椅子に座り、しばらくしてからぽつんと言った。「部屋に煙草忘れちゃった」彼女が喋るのをはじめて聞いた。そのとき喫煙所には私しかいなく、「これあげますよ」と言って一本差し出すと「ありがとう」と言った。うん、コミュニケーションはできるようだ。彼女が履いていたハムスターの絵柄のスリッパを指して「スリッパかわいいですね」と言ったら彼女は少しほほえんだかのように見えた。「ハムスター好きなんですか?」と尋ねたら、だまってうなずき、その後彼女は部屋へ戻っていった。

さっき煙草をあげた女性が看護婦さんに怒られて泣いている。しばらく見ていたが、彼女は甘やかしてはいけないのだろうか。さっき煙草をあげたのもよくなかったのだろうか。後からその看護婦に聞いてみた。「さっき彼女が煙草を忘れたと言ったので一本あげたんですが、よくなかったでしょうか」「患者同士でものをあげたり貸し借りするのはトラブルの元になるので、できるだけやめてください」「いや、そういうことじゃなくて、私もいろいろ本で読んだんですが、病気によっては厳しく接した方がよかったり優しくした方がよかったりするそうじゃないですか」「本に書いてあるのはあくまでも理想論です」「いや、だから看護婦さんに彼女の場合はどうすればいいか聞いてるんです」「できるだけ他の患者さんとは関わらないでください。そうやって巻き込まれて自分が調子を崩した例をもうたくさん見てますので」なに、巻き込まれる。そういうことがあるのか。「でも、関わるなと言われても、ここでは集団生活だから、自然とコミュニティが発生するじゃないですか。どうしても関わらざるを得ないんですけど」「でも、あなたも自分の病気を治しに来ているんでしょう。自分の病気を治すことだけ考えてください」「じゃあ、彼女は無視していいんですか」「それでいいです。自分を大事にしてください」看護婦の言うことはわかるが、何か釈然としないものを感じる。

9:00からは環境整備で、身の周りを雑巾がけ。Yさんが外泊でいないので、彼のベッドの周りもついでにやってしまった。次に窓拭き。高い所に手が届かないが、踏み台になる椅子などがないので、窓枠に上ってアウトサイドエッジをきかせながらバランスを取り、窓を拭く。こんなところでクライミングの技術が役に立つとは思わなかった。

いびきのNさんが別室に移っていった。入院するときから看護婦に「自分はいびきがうるさいんで、周りの人に迷惑かけると思います」と言っていたので、4人部屋に入ることになっていたらしい。昨日Hさんが退院したので、それまで暫定でうちの6人部屋に入ってたそうだ。せっかく耳栓を用意したが、これはこれからも無駄にならないだろう。

昼食後、喫煙所で「不安」が話題になった。なぜ人は不安を感じるのだろう。誰にだって不安はある。しかし、ここにいる人達すべてに共通した不安は「社会復帰」ができるか、だ。昨日退院したHさんも「まず仕事を探さないといけないんだが、この病歴ではどうだろうなあ」と言っていたし、生活保護を受けないと生きていけない人もいる。幸い私の場合はまだ戻る会社がある。だが、無事戻れたとしても、また同じことを繰り返さないか、それもここにいる皆に共通した不安だ。

Kさんが詩を紹介してくれた。あいだみつをの詩だが、彼が禅師の元で悟りを得たときの詩だそうだ。

 昨日は過ぎてしまってもうない
 明日はきてみなければわからない
 たいせつなことは今日只今の自分自身がどう生きるかとういうことである

それから、私が「いがらしみきおの『ぼのぼの』って、けっこう哲学的だよね」と言うと、賛同者がいて、彼が一番印象的だったセリフは、ぼのぼのがフェネックギツネに何か言われて、「だって後で困るといけないから」と答えたのに対してフェネックギツネが言った、

「後で困ればいいことは、後で困ればいいんだよ。後で困ればいいことを、なんで今困るんだよ」

というものだそうだ。これは確かに私も読んだ記憶があり、そのときなるほどと感じたのを思い出した。読んだのはまだ学生の頃だっただろうか。我々には「後のことを困る」余裕はない。とにかく「今」をなんとかしないといけないのだ。

WindowsCEのメールマガジン「WindowsCE FAN」が来た。まさにこの日記を書いているハンドヘルドPC「シグマリオン」の後継機種が9月7日に発売されるらしい。ゼロハリバートンのかっちょいいボディは踏襲されつつ、CPUは高速化され、メモリも32MBから48MBに増え、次世代携帯電話のFOMAを接続できる端子もついているという。うぅ、とてもほしくなってきた。

夕食前のだんらんで、今度はドラえもんやらのアニメの話になった。アルコール依存症の中年女性Kさんは「私はアル中から鬱になったときに、自分は人間ではないんじゃないかと思った。私は妖怪人間ベラだと思った」なんて話していた。「早く人間になりたい」それはなんだか今の自分たちの心境に近いような気がする。彼らは指が3本しかなかった。今ではもう再放送されないだろう。

夜は定番の卓球大会。私が少しずつ初心者に教えているため、みんなだんだんうまくなってきた。私と同じく元卓球部のS君は、初心者相手にもサーブに回転をかけたり厳しいコースをついたりするのでみなぶーぶー言ってるが、私は相手のレベルにあわせてできるだけ打ちやすい球を返しながら、「この人はこのくらいまでは大丈夫だな」と思うと、左右や前後に振ったりスピードをあげたりして、相手も楽しんでもらえるようにしている。自分が教えてあげて上達していくのを見るのは楽しい。

20:00になったので卓球はおしまい。いつものように薬を飲んで就寝準備。今日は大いびきの主もいないことだし、安眠できますように。

昨日、かなり大きな鬱が入ったため、眠れるか心配だったが、案の定睡眠障害はひどくなった。21:00の消灯後、いったんは寝たが23:00頃だろうか?目が覚め、その時はそのまま眠れたが、0:00頃目が覚め、眠れなくなったので0:30頃追加眠剤をもらって飲んだ。それでいったんは眠ったものの、2:30にまた目が覚め、かなり目がさえていて眠れそうになかったので、2回目の眠剤をもらった。喫煙所で一服しようとすると、何人か先客がいる。昨日他の看護婦と一緒に騒いでいた看護士さんががいて「昨日はご迷惑をおかけしました」と謝ってくれた。「あの後すごい鬱が来たんですよ」そう言うと「あれでパワーを使い果たしてしまったのかもしれませんね」と看護士は言った。

2回目の眠剤は効かなかった。眠気は来ず、じっと横になって夜が明けるのを待つ。この時間帯が一番つらい。普段は気にならない他の人のいびきが気になる。私の部屋はいびきがすごいのだ。4:00頃、ホールに行って煙草を吸いながらぼ~っとする。やたら口が渇く。多分、薬の副作用だろう。他にも薬の副作用で、ろれつがまわらなくなったり、手が震えたりする人もいる。

5:00になった。ポットが準備されたので、コーヒーを入れる準備をしてお湯が沸くのを待つ。昨日買ったビン入りのコーヒーフレッシュを開けたら、栓抜きでないと開けられないキャップがついていた。看護士にお願いして栓抜きを借り、無事コーヒーを飲む。朝一番の一杯はうまい。

夜が明けるまでTさんやS君と話をしていた。二人とも昨日は落ちていたらしい。Tさんはまたリスカをやってしまったそうだ。今度はヘアピンで。「それも取り上げられちゃった」寂しそうな目で彼女はつぶやく。S君は同居しているお兄さんが、病気のことを全く理解してくれていなく、電話で「早く退院して働け」と言われてから落ちたらしい。理解のない人と一緒に暮らすのでは絶対によくならない。「退院しても、兄とは一緒に住みたくない」S君は言うが、私もその方がいいと思う。

ずっと頭はぼんやりしているのに、こういう日記は書けるというのは不思議なものだ。頭の中に浮かんだことが、勝手に指が動いて文字になる。ネット族の習性というものなのか。

ストレッチも今日は全くやる気が起こらない。ラジオ体操をのろのろやる。

朝食はほとんど食べられなかった。昨日の夕食もほとんど食べてないのに、ぜんぜん空腹感がない。何を食べても味がしない。

調子が悪い。ベッドに横になってヒーリングのCDを聴きながら休む。目を閉じていると、何も見えてないはずの視界の右端からいきなりYさんが現れて手を伸ばしてきた。びっくりして目を開ける。いつもと何も変わりのない病室が見える。あれは幻覚だったのか。調子が悪い。またじっと横になる。

少し調子があがってきたので、暖かいコーヒーを入れ、喫煙所に行く。コーヒーを飲みながら話をしていると、しだいに調子が戻ってきた。そのうちに作業療法の時間が迫ってきたので準備をする。バンダナを頭に巻き、タオルを用意し、昨日買った粉末のVAAMをペットボトルに溶かす。畳で入念にストレッチを行い、作業棟へ。

とりあえずエアロバイクにまたがって「体力測定」コースで漕ぐ。なんだか表示されている心拍数が低いような気がする。漕ぎながら作業療法士にそう言うと、「そのマシンだけセンサーがなんかおかしいようなんですよ。奥にあるマシンなら新しいので、そっちの方がいいかもしれません」とのこと。やり始めてしまったものはしかたがない。そのマシンで体力測定を行った結果、「10段階中の10。非常に優れている」おいおい、そんなはずはないだろ。今までどれだけトレーニングをさぼっていたと思ってるんだ。やはりこのマシンはおかしいらしい。20分ほど休んでから、奥にある新しいマシンでもう一度試してみることにする。お、私が通っていたジムにあったのと同じ機種だ。これなら以前と比較しやすい。さっそく体力測定コースで漕ぐ。結果はなんと「6段階中の1。非常に劣る」がーん、なんじゃそりゃあ。そこまで体力は落ちてるのか?やはりさっき漕いだばかりなので息があがってるのか、本当にそこまで落ちてるのか。プリントアウトされた結果を見ると、評価値72W。むむ、今から一年くらい前は150Wだったのに。

この作業棟、昨日は気がつかなかったが、他にもいろいろなものがある。マッサージチェアもあれば、ギターもある。体脂肪計もあるのでこれから最初に測定しよう。そうそう、カルテを作るんだった。すっかり忘れていた。病棟に戻ってきて、ハンドヘルドPCに付属のPocket Excelでさっそくカルテを作り、今日の分を記入する。

昨日は調子が悪かったことだし、今日はこれくらいで終わりにする。無理は禁物だ。病棟に戻ると看護婦さんに呼びとめられた。今日の早朝に、昨日アトピーが少しひどくなったという話を看護士に話しておいたら、婦人科の先生が皮膚科もみてくれるというので、話をしておいてもらうことになっていたのだが、今まで皮膚科に通院していたのであれば、できればそちらに行ってほしいということだ。まあ、今日になっておさまったし、外出か外泊のついでにでも行くことにしよう。

部屋に戻ると、先週Kさんが退院して空になっていたベッドに新しい患者さんが入ってきている。挨拶してからの彼の最初の言葉が「私、いびきかくんです。すみません」おいおい、最初の一言がそれかよ。と言うことは、相当すごいいびきなのだろうか。やだなあ、ただでさえ睡眠障害なのに、これで眠れなかったら入院している意味が全くない。とりあえず今夜はどんな感じか様子見だ。もしひどいようだったら、耳栓でも用意しよう。外出すると疲れるし、しばらくはあまり外に出たくないので、誰かに宅配便ででも送ってもらうことにしようかな。

この新しく入ったNさん、周りに寝ている人がいるというのにでかい声でしゃべりかけてくる。単にそういう性格なのか。前にいたKさんがすごくおとなしい人だったし、病室の他の人もおとなしい人ばかりなので、ちょっとこれから先が心配だ。

ホールに行くと、何かビデオを見ているようだ。少年が更正していくドラマらしい。私も今度何かビデオを持って行こうかな。いっこく堂が好きで、ライブのDVDを4本持っていると以前Eさんに話したら、見たいと言ってたので今度ダビングして持ってこよう。もうすぐ昼食の時間だ。昨日の夕食も今朝の朝食もほとんど食べられなかったが、ようやく食欲が出てきた。

Nさんは閉鎖病棟から移ってきたらしい。話を聞いていると、やはり閉鎖の方が制限がはるかに厳しい。所持品はすべてチェックされ、危ないものはすべて取り上げられる。ライターを持ってないので貸して、と私に言ったくらいだ。こちらはそこまではやらない。自己申告か、何かやらかしたときに取り上げられる。私は最初に「携帯電話は持ってますか?」と聞かれたときに、正直に「はい」と答えてしまったために取り上げられてしまったが、隠れて使っている人はたくさんいる。こちらでは入浴は週3回だが、閉鎖病棟では2回らしい。これはなぜなんだろうか。病棟外に出るのも制限されている。うちは開放病棟だから、一時間以内なら病院の敷地内のどこにでも一人で行っていい。だが閉鎖病棟では、外に出られるのは週2回、30分以内、2人の監視つきらしい。「でも設備はいいんですよ」とNさんは言う。「なんせ扉が二重ロックですから」そりゃ「厳重」って言うんだよ。

このNさん、ちょっとやっかいなことがわかってきた。とにかく話しかけてくるのである。さっきも注意したのに、寝ている人がいるにもかかわらず、また話しかけてくる。私も静かに本を読みたいと思って本を広げたところなのに、そんなことおかまいなしに話しかけてくる。無視するのもなんだし、答えて喋ってると寝ている人に迷惑だ。ホールに行って本を読むことにしたが、ホールはテレビがついてたり、みんながおしゃべりしていて、やっぱり集中できない。だめもとで耳栓が売ってないか売店に行ってみたら、ちゃんと売っていた。「けっこう売れるんですよ」と売店のおばちゃんは言う。他人のいびきで悩まされている人は結構いるってことだ。耳栓を試してみたが、結構具合がいい。これで安眠できるかな。

しばらくして部屋に戻てみると、Nさん自身が寝ている。ほっと一息、と思ったのも束の間。彼のいびきである。予想どおりすさまじい。さっそく耳栓の出番だ~。使用感としては、完全に聞こえなくなるってことはないが、まあ緩和されるかな。しかし低い周波数の音波が重低音のように響いてくる。

みんな今日は暇らしく、喫煙所に大勢集まって延々と話をしていた。なぜか駄菓子の話とか、昔遊んだ遊びとか、「これ知ってる?」「あ~、あったあった」という会話で盛り上がった。年代は多少幅があるものの、子供の頃の娯楽はそんなに変わらないらしい。もっとも、今の子供はどうか知らないが。

夕食後も喫煙所でおしゃべりの続き。薬の副作用でろれつの回らなくなったKさんが必死に早口言葉の訓練をしている。「ブスバスガイドバスガス爆発」けっこうみんな言えてない。「看護婦さんて参勤交代なんだっけ」S君がおおぼけをかます。それを言うなら「三交代」だよ。江戸時代の大名行列じゃねーんだから。たわいのないお喋りは続き、夜は更けていく。

20:00 眠剤を飲んで就寝準備。今日入ったNさんと新兵器の耳栓、どちらが勝つだろうか。

最近寝つきがいい。これは薬の効果かもしれないが、前はベッドに横になって寝ようとしても全く眠りに入れず、1時間も2時間も3時間もじっとしていたものだ。

昨日は21:00の消灯後にすぐに寝てしまったが、また0:00に中途覚醒。もう一度寝ようと思ったが眠れず、0:30に追加眠剤をもらいにいく。その後は眠れたが、2:30にまた目が覚める。また寝ようとしたが、またまた眠れず、規定の3:00より少し前に2回目の追加眠剤をもらって飲む。その後は眠れて4:30起床。中途覚醒が2回というのはずいぶん進歩したものだ。最初は最低でも5回、多いときは10回くらい一晩に目が覚めていたのに。

喫煙所に行き、早朝覚醒組といつものぼそぼそしゃべり。ポットが出てくるのを待ってコーヒーを入れる。病院の売店で買った小さなビンのコーヒーはもう残り少ないし、クリープはなくなってしまった。今日の午後に買い物に行くので大きなのを買ってこようかと思ったが、かさばるのでやめよう。身のまわりのスペースは限られているからできるだけコンパクトな方がいい。クリープはやめてフレッシュを買ってこようっと。

朝のストレッチは今日は気が乗らないのでパスして、ちんたらラジオ体操をする。ストレッチは日課にしてたのだが、「毎日必ずやらなきゃ」と思うと、また自分で自分をしばってしまう。誰に迷惑をかけるわけでもなし、気が乗らないときはやらないでいいのだ、と最近思えるようになってきた。この調子で気楽にものを考える心の癖をつけよう。

今日から作業療法が始まる。作業療法は、この病棟は月・火・金の9:30~11:30で、「体力作り」「木工」「陶芸」「皮細工」「ピアノ」の中から自分で種目を選ぶ。曜日ごとに変えてもいいし、途中で他の種目に変えてもいいらしい。最初はそれぞれの種目を実際にやっているところを見学し、その後でどれにするか決めさせられたが、とりあえず私は全部「体力作り」にした。「陶芸」を見学して、ろくろを回しているのを見ておもしろそうだなと思って、それも選ぼうと思ったのだが、台数が限られていて、今は定員いっぱいらしい。ピアノも一台しかないので同じだ。作業療法士に「さっそくやってみますか?」と言われたので、さっそくエアロバイクをこぐ。思えば今から一年前は週に3回くらいジムに通って、ピーク時には心拍数150で一時間はこげたものだが、今はすっかり衰えていることだろう。とりあえず定心拍数コースで心拍数を135にセットし、20分漕いだ。消費カロリー96.7。どれくらい落ちているのか、ジムのカルテがないとわからないが、思ったよりも体力は落ちてないような気がする。ここでは自分でカルテを作ることにしよう。2時間もやってられないのだが、作業場が空いていれば途中から木工などをやってもいいらしい。いつも自分の部屋に雑誌が散乱しているので、マガジンラックでも作るか。

昨日は眠りが浅かったようで、作業療法の説明を受けるまで頭がぼ~っとしていたが、エアロバイクを漕いですっきりした。うむ、「作業療法」の効果ありか。それにしても汗をかいた。初日は見学だけと聞いていたのでタオルも飲み物も持ってきていない。私は汗かきで、エアロバイクを漕いでると汗が額から垂れてきて目に入るので、いつもバンダナをまいていた。これからはタオルとバンダナとペットボトル持参で行こう。

ピアノをEさんが弾いていて、「ちょっと弾く?」と言うので弾かせてもらう。ピアノは幼稚園から中学一年まで習ってたが、もうぜんぜん指が動かない。「別れの曲」を弾こうとしても数小節でもう忘れてしまっているし、「エリーゼのために」すら途中から弾けなくなっている。ずっと続けておけばよかった。

作業療法士の人をよく見ると、私も使っている、登山者が愛用しているカシオのプロトレックを腕にはめている。さらにTシャツはモンベルだ。「山に登るんですか?」と聞いたら、「いや、私はパラグライダー専門です」だと言う。パラならうちの山岳会にもやる人はいるし、ときどき体験講習会もやるらしいので、私も一度やってみたいと思っている。

この作業療法棟には、他にもスーファミがあったり雀卓があったり、本がいっぱい置いてあったり、いろいろ遊べそうなものがあり、作業療法の時間内なら自由に使っていいそうだ。私はゲームはやらない人間だが、TさんとS君がテトリス2をやっていた。ゲームをやることも「作業療法」になるのかな?

Yさんから「丘で歌を歌わないで」と注意された。なんでも、海との間の道路までまる聞こえらしい。自分の声がそんなに飛んでいるとは思わなかった。裏山の方のグランドなら、周りに誰もいないので、そこなら別にかまわないらしい。「オカリナはいいんだけどね、歌はちょっと」ということらしい。これからはそっちで歌うことにしよう。それはそうと、自分自身が悪いのを、別にきつい口調でもなく注意されて、想像以上に自分がへこんで鬱に入りかけるのを感じ、驚いた。自分の心はこんなに弱ってるのか。

午後からは外出して買い物に行く。駅前のドラッグストアやスーパーに行って、売店や日用品を買う。その次は本屋に行ってぶらぶらブラウジング。本屋ブラウジングは楽しみの一つだ。その後、駅前に100円ショップがあったので、そこでもブラウジング。ちょっとしたものを買いこむ。と言っても全部で315円だったが。

その後、一時間に2本しかないバスを待つ間、喫茶店でこれを書いてるが、思いのほか自分が疲れていることに気がついた。人混みの中をうろうろすると、気が疲れるのだ。前に外泊したときと同じだ。病棟にいると感じないが、やはり色々な外部刺激に対して、神経がうまく順応してくれないのだろうか。バスの時間までここで目を閉じて神経を休めることにしよう。

バスに乗る前に、銀行に寄ってお金をおろし、さらに今日はサマージャンボ宝くじの当選金払い戻し開始日なので、駅構内の宝くじ売り場に行って調べてもらう。みごとに末等しかあたらなかった。一昨年は5万円当たったのに。もっともその時は躁状態で、職場のみんなで飲みに行ってぱーっと使ってしまったけど。上司や部長にまでおごってやったのはあれが最初で最後だろう。

病棟に戻るとちょうど主治医が来ていて、「ちょっと話をしよう」と言うので、最近の睡眠の状況と、少しのことですぐへこむ、鬱になりそうになる、人混みに出たらものすごく疲れた、そういうことを伝えた。「まだまだ様子見が必要だね」そう言われた。ついでに今飲んでいる薬の名前を確かめた。抗鬱剤はトレドミン、安定剤はソラナックスだった。

疲れたのでベッドで横になって休んでいたら、ホールの方がやたら騒がしい。あまりのうるささにホールに行ってみると、看護婦まで総出で高校野球を見て盛り上がっている。あきれ果てた。試合の山場が過ぎたらしく、看護婦がナースステーションに戻ったのを見計らって、私は「一言言いたいんですけど」とナースステーションに入って行き、

「僕は今日外出してすごく疲れたので部屋で休んでたんですけど、あんまりうるさいから見てみたら、看護婦さんまでみんな騒いでるじゃないですか。休んでいる患者もいるというのに、看護婦がそんなに騒いでいいんですか?」

そう言った。高校野球の興奮でまだにぎわっていたナースステーションは一瞬にして凍りつき、みんな無表情になって「すみません」と小さな声で言った。「言いたいことはそれだけです」そう言って私は病室に戻った。

そして大きな鬱がやってきた。

無気力。無気力。無気力。

自分の存在が自分から遊離する。

ヒーリングのCDを聴きながら、ひたすら耐える、耐える、耐える。

夕食の時間を過ぎても私が来ないので看護婦が呼びに来たが、「鬱が来てます。動けません」そう言うのが精一杯だった。

ピークが過ぎた。動けるようだ。私はのろのろとホールへ行き、とっておいてくれた夕食の盆を受けとって自分の席についた。が、ほとんど食べられずに残してしまった。のろのろと喫煙所に行き、のろのろと煙草を吸い、のろのろと病室へ帰っていくうちにだんだん回復してきた。

本調子でないものの、ようやく安定してきたので喫煙所へ行ってみんなと話をする。ここへ来てからこんなに落ちたのははじめてで、「ぜんぜん病気に見えない」と言った人もいるくらいなので、みんな驚いたようだ。Tさんはものすごく心配してくれた。この落差が怖いのだ。さっきまで元気だったりしても、ふとしたきっかけで落ちて行く。今日は、外出前に注意を受けて少しへこんだこと、そのまま外出して疲れ果ててしまったこと、戻ってきて休みたいのにみんなうるさくて落ち着けなかったこと、そして普段あまり人に強く出ない私が頭に来て看護婦に文句を言ったこと、これらが積み重なって、どん底に落ちてしまった。

少し調子が上がり気味のときは、自分の好きなこと、特に体を動かすことがいい。初心者相手に軽く卓球をやっているうちに、すっきりしてきて、だいぶ落ち着いた。気がつくと自分が食事したときの箸も洗ってなかった。それほど思考能力も落ちていたのだ。

20:00眠剤を飲む。これだけ鬱が入った今日、果たして眠れるのだろうか…。

昨日は21:00前にもう眠気がきた。これは入院してはじめてだ。このチャンスにベッドに潜りこみ、眠りに入る。目が覚めると0:30。相変わらずこのくらいの時間に目が覚める。でもまた眠れそうだったのでそのまま寝る。今度は2:00過ぎに目が覚め、また眠れるかな、と思って寝ようとしたが、今度は眠れない。2:45に追加眠剤をもらって飲んだところ、ようやく眠れて4:45起床。少し頭がぼんやりしているが、「どうでっか?」「まあ、ぼちぼちでんな」というところだ。

暖かいものが飲みたいのでコーヒーを入れようとしたら、ポットに水を入れたばかりでまだ沸いてない。Tさんがポットの前でお湯が沸くのを待っていたので、隣に座って同じく待つ。その間Tさんと話をした。彼女は今は鬱と拒食症だが、過食のときの癖で、ものを食べるとすぐに吐いてしまい、ほとんど病院の食事を食べてない。カロリーメイトの缶やウィダー・イン・ゼリーなどの流動栄養食で栄養分を補っているが、体力がとても落ちているそうで、すぐに立ちくらみが起こるらしい。リストカットはもう何回もやって、病院に入ってもやったらしいが、その前は自殺未遂も2回したという。大量に薬を飲む、いわゆるODというやつである。本当に死のうとしてやったらしい。「でも、睡眠薬じゃ何百錠も飲まないと死なないんだよ」と、「完全自殺マニュアル」が発売されて話題になった頃に興味本位で読んだときの知識でしゃべると、「うん、だから完全自殺マニュアルに書いてある、死にやすい薬を飲むの」とこたえた。びっくりした。私は学生時代に興味本位で読んだだけだったが、本当に「自殺の手段を知るため」に読んで実行する人が、やはりいたのだ。病院では薬は服用ごとに一回分を手渡され、看護婦の目に見えるところで飲まなくてはならないので、ODをやる心配はない。「でも退院したらまたやっちゃうかも」そう言うので「じゃあ、病院みたいに薬を親に預かってもらって、飲むときだけ渡してもらったら?」そう言うと、「自分で買いに行っちゃうの」そこまでやってしまうものなのか。私は自殺未遂は、発作的に歩道橋から飛び降りようとしたことがあるくらいで、基本的に自殺願望はないので、そこまでして死にたい、という人の気持ちはやっぱりわからない。同じ鬱でも、自分より悪化した人の心理は自分でもわからないのだから、うつ病でない人にとって、うつ病を理解するのはやはり難しいだろう。

起床時間になり、洗面所にいくと、またTさんがいて、ドライヤーを使っていた。「それ、自分のドライヤー?」「そうだよ」「それは取り上げられないの?」「うん、首はつらないから」自殺願望でも、どんな方法でもいいから自殺したいというわけではないらしい。首を吊る人の場合は、電気コードのついたドライヤーをはじめ、ひも類は全部取り上げられる。

テレビで天気予報をやっている。いや、NHKだから「気象情報」だ。民放は「天気予報」と言ってるが、NHKは何年か前からか「気象情報」と言っている。なんだか言い逃れっぽいニュアンスを感じる。台風が上陸しそうだ。火曜から水曜にかけてが危ない。やだなあ、買い物くらい行きたかったのに、三段式のよれよれの折りたたみ傘しか持ってきてない。台風のときは外へ出なければいいが、普通の雨のときでも三段式の折りたたみでは、ちょっと風がふくとすぐに曲がってしまうし、小さいので必ず肩が濡れてしまう。外泊時にちゃんとした傘を取ってこようかと思ったが、退院時に持って帰るのも面倒だ。駅前の100円ショップに、割と使えそうなちゃんとした傘が売ってるらしいので、それを買って使い捨てにでもするか。それはともかく、縦走に行っている仲間が心配だ。

今日は晴れているのでお洗濯。ここの洗濯機は100円を入れて、ふたをしめてスイッチを押すとまず30秒間浴槽を洗浄し、その後タイマーが動き出して、そこで洗濯物と洗剤を入れる。だが今日、私は大失敗をしてしまった。浴槽の洗浄が終わってふたを開けたら、なんと他の人の洗濯物が入っていたのだ。洗濯が終わって取りに来てなかったらしい。あちゃ~やっちゃったと言う私の隣にいたKさんが、「あ~やっちゃたね」と言って、一緒にしぼるのを手伝ってくれた。Kさんも同じことをやったことがあるらしい。シャツやズボンからして、どうもP君の洗濯物らしい。P君に謝って、ちゃんとしぼったから、と言うと「うん」答えた。彼とはほとんどしゃべったことはない。彼は何の病気か知らないが、いつも無表情で、ほとんど誰とも会話をしないのだ。

朝食後、7:30になるのを待っていつもの丘に行ってオカリナを吹く。今日はいい天気で日差しがきついが、風が吹いているので気持ちがいい。洗濯が終了していたので中庭に干しに行く。今日はよく乾くだろう。

さっき洗濯で迷惑をかけてしまったP君が畳のところに座ってぼ~っとしている。看護婦さんが「P君、大丈夫?元気?」と聞いても全く動かず何も答えない。だが、私が「P君大丈夫かい?」と話しかけた瞬間、走って逃げて行ってしまった。彼に嫌われてしまったのか、ひどく精神状態を乱してしまったのだろうか。

私は看護婦に一部始終を話し、相談した。「私はP君の病気は知らないけど、私はP君にどう接すればいいのでしょうか」看護婦さんは、「話はわかりました。普通にしてくれていていいです」と言ってくれた。だが気になる。私自身、他の人が気にしないようなことが気になったりするたちであり、病気でもあるので、彼に対してもどう接すればいいのか非常に悩むのだが、本当に「普通にして」いていいのだろうか。

昨日、私が仕事がうまくいかなくてストレスを溜めていったことを書いたが、実はちょうどその頃、趣味でもストレスを抱えていた。所属していた合唱団の練習がつまらなかったのである。指揮者の指導方法に疑問を抱いていたのだ。練習中の注意が発声に関する指摘ばかりで、それもその頃私が個人レッスンを受けていたボイストレーナーとのやり方と反するものだった。誉めるということもしない。叱られてばかりだった。歌い手が楽しく歌えるような練習ではなく、歌い手の音楽性を向上させるような練習でもない。練習中はひたすら苦痛だった。練習後にみんなで食事に行っておしゃべりするのが楽しみで、それだけのために練習に行っていたようなものだ。

だが、私がヴォーカルアンサンブル活動を始め、アメリカのプロのヴォーカルアンサンブルグループを講師に招いて2泊3日で実施された講習会に参加したりしているうちに、こちらの方がだんぜん面白いと思い、私はその合唱団をやめた。やめたこと自体は別にかまわないと思ったが、やめ方がまずかった。仕事で正月も実家に帰れず、仕事のストレスでうつ病の前兆が起こりはじめ、すでにおかしくなりかけていた私は、合唱団のメンバーに「今の練習なんてぜんぜんおもしろくない。指揮者がだめだ。ヴォーカルアンサンブルは楽しいので、そっちだけにするよ」という内容のメールを送ってしまった。わざわざそんなこと言わずに静かにやめればいいのに、そのために私は合唱団の仲間からものすごく反感を買ってしまい、その結果たくさんの友人を失った。未だにその合唱団の演奏会を聴きに行って、終演後にロビーにいても、みんな私を無視する。自分のまいた種だから仕方がないが、精神的に参っていたとはいて、やってはやらないことをやってしまった。思えば、仲間にずいぶんと不快な思いをさせてしまっただろう、という自責の念は未だに強く、あんなに仲良く遊んでいた友達を裏切ってしまった自分が許せない。あの過ちは二度と繰り返してはいけない。これもまた自分で自分を許せないできごとの一つである。

昼飯を食べたらなんだか眠くなってしまった。昼に寝ると夜眠れなくなるので、できるだけ眠らないようにしようと思っているが、30分くらいの昼寝をするのはかえってよい、と聞く。しばしベッドに横になる。そのままうとうとして、気がつけば13:45。毎週土日は13:30から15:00までカラオケタイムなので、やってるかと思ってホールに行ったがやっていない。今日はなしなのかな、と思い部屋に戻って「山と渓谷」を読む。今月の特集は「e-登山」読んでみると、私も知らなかったソフトとかあって結構便利そうだ。私はデジタルムービーは持ってるがデジカメは持ってない。昔から写真を撮るという習慣がないので持ってないのだ。デジタルムービーは、自分がクライミングをやっているところを撮ってもらって、後から自分で見て研究するために買った。だが、今ではすっかり山行のお供となり、毎回の山行で写した映像からピックアップして、山岳会のHPにアップしている。最近のDVは小さくてとても便利だ。私は山に登るとき、大きめのウェストポーチを愛用しているが、その中にすっぽり収まる。機種はキヤノンのIXY DV。どの機種にしようかお店で迷ったとき、機能的にはどのメーカーのも同じようだったので「世界最小再軽量」ということで選んだ。山に持って行くには少しでも小さいほうがよい。

GPSも以前は誤差が大きくて山ではあまり使いものにならなかったが、2000年5月の米国防総省のSA解除で誤差が10メートル前後となり、かなり精度があがったので、持っているとかなり役に立ちそうだ。だが、GPSに頼った登山はおもしろくない。やはり自分で地図を読んでルートファインディングするところにおもしろみがある。でも、いざという時のために持っておくのも悪くはないかもしれない。最悪の場合、無線機とGPSさえ持っていれば、遭難しても無線で現在地の経度と緯度を伝えることによって、迅速な救助を得られるのではないか。

14:30頃ホールに行くと、今ごろカラオケの準備をしている。いつも仕切役の二人が二人とも寝ていたのだ。時間は15:00までなので30分しかないが、看護婦さんのはからいで15:30までさせてもらった。

その後、16:00の服薬を待って、いつもの丘へ歌を歌いに行く。歌集を1から順番にせめるのはやめて、ぱらぱらと見て気にいった曲を歌った。40分くらい歌って、ついでに洗濯物を取り込んで帰ってきたら、けっこう足が蚊にさされていた。

ところで今日の昼に「カラオケやってるかな?」と思ってホールに行ったときに、やってなくて、じゃあ煙草でも一服しようか、と思ったときに、喫煙所に誰もいなかったので、吸わずに戻ってきた。ここに来て煙草の本数が増えてしまったなあと思っていて、それは暇だから、と思っていたのだが、それだけでなく、そこで仲間と「おしゃべり」ができるからだということに気づいた。煙草を吸わない人は、別にどこに集まるというわけでもないが、吸う人は自然と喫煙所に集まってくる。そしてそこに一つのコミュニティが生まれる。その「仲間意識」ができていたのだ。私は煙草を吸いたいという理由だけでなく、そのコミュニティに加わるために喫煙所に行っているのだ、ということに気づいた。基本的には私は寂しがりやなのだろう。

夜、高校時代の部活仲間のIが面会に来てくれた。近くに住んでながら実はなかなか会う機会がなく、会ったのは去年の忘年会以来だった。彼も私と同じく最近山を歩いていて、山の話を含めていろいろな話題で盛り上がった。小さな観用植物を持ってきてくれた。「観用植物を一つ持って行こうと思っているけど、根っこのある植物は『根付く』と言ってお見舞いには適さないと奥さんに言われた。お前はそういうこと気にするか?」とわざわざ事前に連絡をくれていたのだが、そんなこと一向に気にしないのでお言葉に甘えた。Tちゃんが持ってきてくれた花がそろそろしおれてきた頃なので、入れ替わりにちょうどいい。やはり緑がそばにあると心がなごむ。

2日風呂に入ってないので頭がかゆい。20:00の服薬後、洗面所で頭を洗う。ちゃんとお湯も出る。どうせ長い入院になるだろうと思って、入院前にばっさり切ってきたので洗うのはとても楽だ。ドライヤーを使わなくてもすぐに乾く。でも、さすがに2週間を過ぎたので少し伸びてきたかな。

着替えて洗面して、いつものパターン。これから消灯まで本日最後のおしゃべりを楽しむことにしよう。

昨日も寝つきはよかった。0:30、1:30、2:30と3回中途覚醒があったが、割とよく眠れた方だった。昨日、一昨日は中途覚醒したら、なにがなんでも追加眠剤をもらいにいっちゃる、ということにしてたが、両日とも1回目の追加眠剤は効かなかったので、戦法を変えてみることにした。0:30に目が覚めたときは、目が覚めたものの熟睡感があり、また眠れそうなのでそのまま寝た。1:30に目が覚めたときも同じである。だが、2:30に目が覚めたときは、どうも1時間ごとに目が覚める状態になっていて、このままだとやばい、と思ったので追加眠剤をもらいに行った。その後、4:00までぐっすり眠れた。結局、途中で3回起きたものの、21:00から4:00まで7時間は熟睡できた感じなので、朝は頭がすっきりしている。いつものように4:00から喫煙所で早朝覚醒組によるひそひそ話。ひそひそ話といっても別にやばいことをしゃべっているわけでなく、まだ寝てる人がたくさんいるから、というだけだが。

おじいさんがぼそぼそ歌を歌っている。どっかで聞いたことがある曲だけど、なんだったっけなあ、と思ってよく聞いてみると、慶応の学歌ではないか。懐かしい。と言っても私は別に慶応出身ではない。大学時代の合唱団で、有名な大学の学歌を遊びで歌っていたのでよく覚えているのだ。

9:00頃、病室にいたら卓球をやっている音が聞こえてきた。昨日教えたO嬢が、「一週間でA君に勝ちたい!」とS君相手に練習していた。私も加わって、S君と一緒にコーチする。バックハンドのサーブはけっこう決まるようになってきて、フォアの打ち方とショートを教える。やっているうちにさまになってきて、簡単な球を返してあげると、ラリーは続くようになってきた。だが彼女はまだフォアハンドのサーブを知らない。

卓球をやった後、妙に疲れた。そうだ、ここに入院して一週間は午前中は寝たきりで、徐々に調子があがってきているところだった。だけどまだ完全じゃない。今の自分は、何かにパワーを使った後、その反動が来ることをすっかり忘れていた。それで今まで、ちょっと調子がよくなったと思ったときに、今までの分を取り戻してやろう、とぐわ~っとなんでも一気にやろうとして、また調子を崩す、というパターンを繰り返していたのだった。ようやく調子があがってきたばかりの午前中に、いきなりこんなに動くのは不用意だった。昼食まで時間があるので、横になって心と体を休める。この辺は自分の状態を客観的に観察しながら、うまくコントロールしていかなくてはならない。今は恵まれた環境でストレスのない生活を送っているから、そういうコントロールをする余裕があるが、ストレスだらけの社会に復帰しても、同じように自分をうまくコントロールできるだろうか?

ちょうど昼食時に、大学の合唱団の同期のHとKが面会に来てくれた。お願いしていた山岳雑誌「山と渓谷」を持ってきてくれた。食事が終わるのを待ってもらって、しばらく病室で話し込む。なぜか話題は私の持っているWindowsCE端末と、Hの持っているザウルスの話に。病室には他に誰もいなかったのでそこでしゃべっていたが、Iさんが戻ってきてお休みモードに入ったので、外へ出ることにした。いつもの丘に案内してしばらくしゃべった後、暑いので日陰を探して散歩。病棟と病棟の間の廊下でまたしばらく話しこむ。今度はなぜかコンピュータウィルスの話やWindowsやMacの仕組みが話題に。なぜこういう話ばかりになったのだろう?散歩の規定時間である1時間がせまってきたので、2人に別れを告げ、病棟に戻る。

病棟に戻ると、週末のカラオケ大会をやっていた。いつもは古い演歌しかないが、今日は別の病棟から新しい曲の入ったディスクを借りてきたらしい。予約リストがいっぱい入っていたが、今戻ってきたということで、「次歌っていいよ」という言葉に甘えて、尾崎豊の「I Love You」を歌わせてもらった。「裏声がじょうず~」と看護婦さんが誉めてくれた。だてにヴォーカルアンサンブルをやってるわけではない。ヴォイス・パーカッションとヴォイス・トランペットを披露すると、うけてくれた。看護婦さんはアカペラが好きだそうだ。

大学時代の同期と後輩からメールが来ていたので返事を書く。最近、たくさんお見舞いメールをいただいて返事を書くのがなかなか追いつかない状態だ。とても嬉しい悲鳴をあげている。また「今まで誰にも言えなかったけど、自分もストレスでうつ病になりかけたことがあった。あの時はとても辛かった」という告白メールももらった。そうなんだ、苦しいんだけど、つらいんだけど、人に言えない。それでどんどん自分で悩みを抱え込んでいってしまうのが、悪循環の始まりなのだ。今はメールをもらうたびに「こんなに自分には頼れる仲間がいるんだ」と改めて実感する。「一人で頑張りすぎて、心が風邪をひいてしまった」自分にとって「支えてくれる」「見守ってくれる」仲間がいるということが実感できることがとても嬉しい。友達は一生の財産だ。さんざん迷ったが、カミングアウトしてよかったと思った。

土曜日は外泊が多く、夕食時も閑散としている。みんな家族の元へ帰るのだろう。帰るところがある人はうらやましい。私には帰るところがない。帰るところといえば、散らかって埃だらけの自分の部屋だけだ。医者は「一週間に一回くらいは外泊して、徐々に社会復帰の訓練をした方がいいかもしれないね」と言っていたが、あの部屋に戻って一人で一晩過ごす、というのは今の状態ではまだきついと思う。先週は眼科の検査のために外泊して、そのときは平気だったが、その次の日にものすごく疲れてしまった。一人でいることが精神状態を不安定にする。そのときは自分で気づいていなくても、それは後から襲ってくる。人混みの中を1時間歩いただけで疲れ果ててしまったのだから。しかし、いずれはあの部屋に戻って一人暮らしを再開し、ストレスフルな社会に復帰しなければならない。それを考えると、まだまだ道のりは遠いような気がする。

他の患者といろいろ話をしていて、「趣味をたくさんお持ちのようですね。趣味を持ってる人はうつ病になりにくいと聞きますが」と言われた。どうも一般的にはそうらしい。趣味がストレス発散になっているからだ。ではなぜ私の場合は趣味を楽しんでるのにうつ病になったのか。それは、一つには私の一番の趣味が「コンピュータ」であり、その一番の趣味を職業に選んでしまったから、ということかもしれない。私は趣味は持っていたが、仕事人間でもあったのだ。

小学生の頃からコンピュータでプログラムを作っていて、大学でも情報工学を専攻し、コンピュータを専門に勉強していた。会社に入ると即戦力扱いされて、ばんばん仕事を与えられて、それをこなしていった。が、あるときどうしても解決できない問題にぶちあたり、なんとか一人でそれを解決しようと頑張り、徹夜をくり返したり、かなり無茶をやったにもかかわらず、一向に問題は解決できなかった。一人で問題を抱え込んでしまうこと、そして自分の一番の得意分野であるコンピュータで解決できない問題にぶちあたった挫折感、そういうことが私の「心の風邪」をひきおこしていったのだ。

外出していたKさんが戻ってきたとき、看護婦に呼ばれてナースステーションに入っていき、何やら話をしていた。と思ったら、また外に出て行った。その後しばらくKさんの姿が見当たらないな、と思ったら、19:30にようやく喫煙所に姿を見せた。外出時に酒を飲んできたため、しばらく外に放り出されていて18:30に病棟に入らせてもらったものの、アルコールの匂いが消えるまで部屋から一歩も出るな、ということだったらしい。ここにはアルコール依存症で入院している患者もいるため、院内はもちろん、院外でも飲酒は厳禁である。外に出されていたのもアルコールの匂いがするからだったそうだ。Kさんにはしばらく外出禁止例が出た。

私は酒があんまり強くなく、好きな方でもないのであまり心配はないが、別にアルコール依存症で入院しているわけでもない患者にとって、入院中いっさいの飲酒を禁止されるのはさぞかし辛いだろう。私は大学の一年のときに、急性アルコール中毒で救急車で運ばれた経験があり、つきあいで飲むときも無茶はしないことにしている。でも中には、「体質的にアルコールがだめな人間がいる」ということをどうしても理解できない人種がいる。いわゆる「俺の酒が飲めないのか」タイプの人間で、私がこの世で最も最低の人種だと思っている。そういう人間に出くわして飲酒を強要されたときは、「私は大学生のときに先輩に無理やり飲まされて、急性アル中で病院に運ばれたことがあります。もし私が死んだら、あなた私の親にどう言って謝りますか」と言ってつめよる。ここまで言うとさすがに相手はたいていひいてしまう。実はこちらは「してやったり」と思ってるのだ。

夜は卓球してまた汗をかいた。アトピーなので汗をかくたびに塗らしたタオルで体を拭き、シャツを取りかえる。けっこう面倒だが、自分の体はきちんと自分で管理しなければ。卓球は少しずつ勘を取り戻してきて、「腰でボールを運ぶ」感覚と、ドライブのひっかける感覚が戻ってきた。

20:00になった。また5種類の眠剤を飲んで、パジャマに着替えて洗面。その後消灯時間まで、ホールでおしゃべりを楽しむのが日課になっている。今日は人が少なくて寂しいだろうな。