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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日は母の命日。東日本大震災の少し前である9年前の今日、母は家族に看取られることもなく、ひとりで天国へと旅立ってしまった。兄から連絡を受けた私はめそめそと泣いていた。自分の体の一部がもぎ取られたような気分だった。

それからはもうシッチャカメッチャカ。母が亡くなったと兄から連絡があったのは22時だったのだが、夜遅くに亡くなったのでお通夜は翌々日くらいになるかと思いきや、0時過ぎに「明日の15時から納棺式」という連絡を受けて急いで支度をした。母の面会のために大阪に行って、前日に横浜に帰ってきたばかりでその時点で疲労困憊だった。

一夜明けたが、しんどすぎて動けない。疲労はピークで午前中は本当に動けなかった。新幹線に乗れたのはもう昼過ぎ。京都駅について斎場に向かったが、ついたのは15時半。もう納棺式は終わっていた。末期の水をとってあげられなかった。冷たくなった母の顔を触りながら、「おかん、ごめんな」と何度も謝った。

その後はずっとしんどいのを我慢しながら、頭の中が灰色がかった状態でお通夜を迎え、父と兄と一緒にお焼香に来てくれた弔問客に機械的に頭を下げていた。あまりにもぼうっとしていたために、ご近所の方や、同級生の母親で大変お世話になった人の顔もよく見てなかった。「○○です」と名前を言われて、はっとして「大変お世話になりました」と頭を下げた。

その後の記憶は、あまりにも疲れていたためほとんどない。覚えているのは、自分が母の遺骨をしっかりと抱いて、車で実家に帰ってきたこと。もともと小さな人だったが、こんなに小さくなってしまった。なんだか不思議だった。

9年も経ったのに、いまだにあの日のことを思い出すと泣きそうになる。兄弟の中でひとり大阪を離れて上京して、ひとりで病気になって心配ばかりかけていた。毎年書いているが、親孝行したいときには親はいない。

おかん、ごめんな。今はけっこう頑張ってるから、天国から応援してください。


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