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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2013年4月

それは19時頃、夕食でさんまを食べている時に起こった。

「ん?喉が痛いな。さんまの小骨でもささったか?」

ま、小骨だしそのうち取れるだろう、と思って食事を終えたが、まだ喉に違和感がある、というか痛みが出てきた。

「やばい、まじで刺さった」

自分、魚が好きで骨までばりばり食べてしまうので、ときどき骨が刺さるが、たいていはすぐに取れる。しかし、今日は違った。さて困った。

魚の骨が喉に刺さった時の対処法として、一番正しいのは「病院に行く」である。昔からよく言う「ご飯を丸呑みする」というようなことは、絶対にやってはいけない。運が良ければご飯と一緒に骨が取れる場合もあるが、逆に押し込む場合もあって危険である。

しかたがないので、救急医療センターに行った。順番を待っている間、待合室で看護師さんに「どうされました?」と聞かれ、「魚の骨が喉に刺さりました」と答えた。すると、「何の魚ですか?」と聞かれた。そんなことまで聞かれるのか、まあいいや、と思って「さんまです」と答えた。

その後、妻と話をしていると、後ろから「ブリです」という声が聞こえてきた。もしかして、けっこう多いのか?

自分の名前が呼ばれて診察室に入り、医師が「口を開けてくださーい」と言うので開けたら、「あ、これは取れるわ」と言って、ピンセットで一瞬のうちに抜き取った。見せてもらったら、小骨ではなく、もう少し太い骨だった。うう、さんまとて侮るなかれ。

そして診察室を出るとき、看護師さんが大きな声で、

「さんま取れましたー!!」

と威勢よく言った。待合室にも筒抜けである。妻は必死に笑いをこらえていた。私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。しかし、さんまの骨が取れたのは本人も医師も当然わかっている。あの看護師さんは誰に向かって言ったのだろう?

その後、お会計で呼ばれたので、窓口に行くと、こう言われた。


4,430円です」

 

(・o・)ハッ?


「よんせんよんひゃくさんじゅうえん!?」

 

びっくらこいた。そんなに治療費がかかるとは思わなかった。

診療費明細を見ると、

医療費領収書

た、確かに4,430円。おとなしく払ってから、改めて診療費明細書を見てみる。

 

 医療費領収書

手術・・・・・・

咽頭異物摘出術(簡単)、とな。

そっか、「処置」でなく、「手術」になるんだ。たった1秒でも。

 

 医療費領収書

その1秒で756点。金額にすると7,560円。その3割だから2,268円。たった1秒で・・・。
それに初診料、休日加算などがプラスされるが、これはまあしかたがない。

魚の骨が喉に刺さって病院に行ったのは、実にこれで3回目である。1回目は子どもの頃、2回目は数年前だが、そのときは行ってみたら骨は取れていて、刺さっていたところが傷になって痛かっただけなので、処置のみ。そのときはそんなに治療費がかからなかった。

それにしても、とっても高い1秒だった。かなりショックである。

最近はまた生活のリズムが乱れ始めていて、昨日も起きたのは10時前くらいだっただろうか。いつものようにスマホでニュースをチェックしたら、

「淡路で震度6弱の地震」

との文字が。

一瞬、かなり焦った。18年前のあの日のことを鮮明に思い出したのだ。

一昨年の3.11では横浜でも震度5弱とけっこう揺れたし、テレビで何回も見た津波の映像も強烈に脳裏に焼きついている。しかし、18年前の阪神・淡路大震災のときの「あの1秒」の衝撃は、それをはるかに上回る。

 

自分が就職して上京したのが1994年。翌1995117日、自分はインフルエンザで40℃の熱を出し、1日じゅう寮の部屋で寝込んでいた。夜になってからテレビをつけたら、何やら燃えている。画面全体が燃えている。火事?なんだろう?と発熱でぼんやりした頭でぼ~っとテレビを観ていて、そのうち「大変なことが起こった」とようやく理解した。

大阪出身の私は、京阪神地区にはたくさんの友だちがいる。みんな、無事なのか?心配になった私は、ふらふらな頭で友だちに電話をかけまくった。しかし、誰にもつながらない。そんなこと当たり前だった。そんなときに電話をするのは却って迷惑になる。そういうことも知っていた。でも電話をせずにはいられなかった。少しパニックになっていたのだろう。振り込め詐欺に騙されてしまう人も、このように冷静さを失ってパニックに陥ってしまうのだろうか。

翌日も熱が下がらず、会社を休んで部屋で寝ていた。テレビはベッドの後ろに置いていたので、寝ている状態では映像は見えないのだが、状況が知りたくて、テレビをつけっぱなしにして音声を聞いていた。

やがて、テレビでは死亡が確認された人の名前が読み上げられていった。そして不意打ちのように、その名前が耳に入った。

「神戸市○○区 ○○☓子さん」

 

神戸に住んでいる学生時代の友だちの名前だった。自分は脊髄反射のごとくベッドから飛び起きてテレビを見た。

 

・・・・・・別人だった。同姓同名だが、名前の字も年齢も違った。

人生であんなに焦った瞬間があっただろうか。あのとき、名前が聞こえてからテレビを見るまでの、わずか1秒ほどの瞬間は、今でもスローモーションのように鮮明な記憶となって脳裏に焼き付いている。

その夜だったか、次の日だったか、その友だちの安否が確認できた。彼女はひとり暮らしだったが、実家に電話をかけてようやく無事がわかった。彼女は神戸市の職員だったので、当時はかなり大変だったらしい。

昨日の淡路での地震のニュースを見た瞬間、18年前の「あの1秒」の記憶と、その時の衝撃が一瞬のうちに自分の中に再現された。

今も神戸に住んでいるその友だちにメールをしたところ、神戸は震度3くらいだったとすぐに返事が返ってきた。大丈夫だろうとわかっていても、心配なものは心配なのだ。

震災というのはこんな形でもトラウマを残すのか。そもそも、これはトラウマと呼べるのだろうか。

今日は何とか午前中に内科へ通院。午後は家でゆっくりしていた。なんとか今週は2回外に出た。少しでもいいから明日も外に出たい。

今月の頭にアップした自殺未遂の記録(補足1)では、自殺の兆候について書いたのだが、今頃になってから思い出したことがあったので、それを追記した。書いていて改めて希死念慮の恐ろしさを感じる。そしてこれからもそれを抱えて生きていかなくてはならない。それ自体が生き地獄のようだ。

現実は残酷だ。

先週末からずっと調子が悪く、今週は昨日まで外に出なかった。それだけでなく、着替えることもなかった。「週3日着替える」という目標が遠のいていく。とは言え、無理はしない方針。

今日もあまり調子はよくないが、外に出られなくもない。今月は妻も私もしんどくても外食に頼らず、なんとかご飯を作ってきたので、たまにはいいだろう、と久しぶりにお外ごはん。歩くこと30分弱。いい散歩にもなった。

明日は内科の通院だ。内科はすぐ近くのクリニックなので、多少しんどくても行けるだろう。そう言えば先月の通院で血圧を下げる薬が増やされたのに、ぜんぜん家で血圧を計ってなかったよ。これからちゃんと計らなくては。

それにしても、一気に寒くなった。こういうのを「寒の戻り」と言うのだろうか、と思ったが、それで正しいのか自信がなかったので検索してみた。最近どんどん頭の中から言葉が抜け落ちていき、「この言葉って、こういう意味であってるんだっけ?」とわからなくなることが多い。そういうわけで、毎日検索してばかりである。

またまたWikipediaからの引用、というか転載だが、

寒の戻り(かんのもどり)とは、暖かくなった晩春の頃、一時的ながら異常に寒くなる現象のこと。

ん?晩春の頃?

類義語に花冷えや余寒(春寒)があるが、前者は一般に桜の花の咲く頃の寒さを示し、後者は寒が明けた立春以降の寒さを示す 。

桜はとっくに散ってしまったし、立春なんてとっくに過ぎたがな。と言うことは、やはり「寒の戻り」でいいのだろうか。

寒の戻りと関連の深い擾乱(じょうらん)に日本海低気圧がある。4月後半から5月頃にかけて吹き荒れるメイストームは日本海低気圧の通過に伴うものだが、「寒の戻り」はその後面(一般に寒冷前線の後方を示す)に控える大陸の寒気の通過によってもたらされる場合が多い。

おお、そう言えば先日風がえらく強かったときに、気象予報士が「メイストーム」て言ってたな、確か。えーと、でもまだ4月の前半なんですけど。1ヶ月前倒し?

どうやら明日は今日より暖かいみたいだが、それでも横浜には乾燥注意報と霜注意報が出ている。最高気温と最低気温の差も11℃もある。これだけ気温が上がったり下がったりすると、老いぼれた体にはこたえる。

本当に今は春なのだろうか。いや、もう「春」という季節なんてなくて、冬が終わって梅雨入りするまでは、ずっと「季節の変わり目」なのではないのだろうか。そして、猛暑のあとにも「長い季節の変わり目」があって、そのまま冬に突入しそうな予感。

私は学生時代、サークルの同期の連中から「ペース配分のわからない男」などと揶揄されていた。同期のみんなで旅行に行ったときに、はしゃぎすぎてお城の石垣を登ったりしていたのに、その次の日には疲れてぐったりし、みんなよりも早くに帰ったことがあった。「ペース配分がわからない」というのはそのときから言われるようになったのだが、今から思えば、あれは私が記憶している最も古い躁鬱エピソードだったような気がする。

自分は人生のペース配分も失敗した。就職して馬車馬のように働いて、でも病気になって仕事をリタイヤして、みんなよりも早く年金生活になり(障害年金だが)、去年はみんなよりもいち早くあの世に行ってしまうところだった。行き先は天国か地獄か中国かわからなかったが。

病気になったのも、自分ひとりで抱え込んでしまう性格などいろいろ要因はあると思うが、「ペース配分がわからない」というのはその要因の一つだと思っている。いつも調子がいい時には飛ばしすぎて、そしてその反動でがくっと調子が悪くなる。

実は妻も最近同じような傾向にある。いつもは午前中しんどくて寝ていることが多いくせに、今日は朝から張り切って買い物に行き、昼食を作ってから、またでかけるという。自分はしんどいのでついてはいかなかったのだが、「そんなに飛ばして大丈夫?」と聞くと「大丈夫だと思う」と言って、行ってしまった。

そして帰ってきてから、見事に疲れ果てて横になってしまった。最近よくあるパターンなので、行く前に「大丈夫?」と声をかけたのだが、自分の思ったとおりになってしまった。どうやら妻もペース配分がわからなくなってしまっている。

今日は「自分はしんどいから」ということを前もって言っておいたので、お手伝いをしてもらうのを当てにされても困るが、少し当てにしていたようだ。夕飯はお好み焼きを作るつもりだったらしいが、レトルトカレーになった。私はちょっとお手伝いして温野菜を作った。(キャベツを切ってレンジでチンしただけだが)

後片付けも二人でやった。今日は手抜きだが、最近は夕食を作るのも、片付けをするのも二人で、というスタイルになっている。調子がいいときはいいで楽しいし、悪い時は悪いなりに、助けあってなんとかなる。

しかしまあ、夫婦は似てくるというが、そういうところまで似なくてもいいのに。