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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2012年11月29日

昨日はそんなに調子は悪くなかった。
しかし、夜の何時頃だっただろうか、お気に入りの肘掛けつき座椅子に座って、DSでゲームをしていたところ、急にしんどくなってきた。いつの間にかうつらうつら寝てしまっていたような気がする。

寝室に行って倒れこむように布団に潜り込んだ。妻が少し驚いたようで「大丈夫?」と聞いてくるのだが、大丈夫なのか大丈夫でないのか、自分でもわからない。妻が寝る前の薬を持ってきてくれて、それを飲んでそのまま泥のように寝た。泥って寝るのかなあ。

朝は8時頃に普通に起きれた。特にしんどくはない。昨日に突然来たあの疲れというか、だるさというか、不調はなんだったのだろう。そう思って朝の時間を過ごしているうちに、11時頃だっただろうか、また急にしんどくなり、そのまま布団へ。2時間くらい寝ただろうか。妻に起こされて、少ししんどいが起きて昼食を食べた。なんなんだろう、この「何もしてないのに急にしんどくなる」というのは。いつもとパターンが違う。

そして、今日の昼からずっと頭の中がぼんやりしている。気がつくと、頭の中はまた過去のことを思い出して、

「あのときの自分はなぜあんなことを・・・」
「あのときのあの人はいったい何を・・・」
「あのときに自分がああしていれば今頃は・・・」

などと考えている自分がいる。楽しい思い出に浸っているわけではない。自分の過去のことで、心にずっと引っかかっているようなものがいくつもある。しかし、普段ならそんなことは記憶の奥深くに眠っているのだが、なぜか自分の心が郷愁モードに入った時に、「懐かしむ」のではなく、こういう「ずっとひっかかっていたこと」が気になりだす。なぜかわからないが、勝手に頭に浮かんできて離れないのだ。

「あのときの自分に会って直接聞いてみたい」
「あのときのあの人に会って、直接話がしたい」
「あのときに戻って、別の選択肢を選びたい」

などと、非現実的な願望に頭が支配されている。

つい先日、友だちとメールを何回かやり取りして、自分がいかに過去の出来事に執着しているのかが少しわかった。しかし、わかったところですぐに自分を変えることは難しい。今日のように、いつの間にか「頭の中にタイムマシン」モードに入っていることがやはりある。

思えば、今のような境遇になる以前の自分はこんなことはなかった、というわけではない。昔から自分はぽっかり心に穴が開いた時、よく「あのときは・・・」モードに入っていた。これは性格というか、「心の癖」なのだろう。今の現実がつらくて明るい未来が見えてこない、ということが、その「心の癖」に拍車をかけている。

自分を変えることができるのは自分しかいない。過去は変えることができないが、未来は変えることができる。だから、過去のことにとらわれずに、これから先のことについて、自分は何をすればいいのか、自分はどうあるべきなのか、現実世界の自分自身と対峙しなければならない。

それでも、「心の癖」はすぐには変わらない。気がつくと、「あのときにああしていた自分の姿」が存在するパラレルワールドを頭の中に描いている。空想癖は昔からだ。